どうして俺なんだろう。










灰色の雲が巨大なに見えた日。









最初はちょっとした、違和感。
インパクトの瞬間が奇妙に腕を痺れさせた、だとか。自室のフローリングに顔面からすっ転んだ、とか。ネクタイを結ぶ指先や髪を梳かすブラシが言うことを聞かない、だとか。靴下が履き辛い、だとか。
自分でも、何やってんだ、と思ったし、その感覚にも、何を馬鹿な、と一蹴した。
折角もうすぐ暖かくなるんだから今霜なんて降りたら全てが台無しだろう、花も、・・・三連覇も。

誤魔化して誤魔化して誤魔化し続けて、皆で笑っていた電車から降りて、灰色の空に、学校指定のマフラーに、屋上庭園大丈夫かな、と気をやった瞬間に、気を抜いた。

目を覚ませば真っ白な天井と機械のにおいがした。
母親が酷く冷えた手で、俺の手を握っていたのを俺は知らなかった。ただ、手が冷たい何かに包まれてる、とだけ思って。





「とりあえず俺は、救急車を呼んだ真田を恨む事にしましたとさ。」
フェンス際に腰を下ろして、ひょいっと肩を竦めてやると、隣で同じく水分補給する男はドリンクボトルを取り落とした。
「は、え、な?ゆき・・・。」
「れーんーじー!赤也まだー?」
低く掠れた声は時折面白おかしくひっくりながら未だうろたえて、蓮二は、先ほど電車に乗ったようだ、とのご報告をありがとう。
梅雨の中休みに見事な青空は、ゆったりと低空に白い雲を遊ばせて、三時間借りた行きつけのテニスコートは目映くエメラルド色。俺の好きな世界だ。隣には愛する男がいて、愛する友人がいて、時折笑って、語って、頷いて、いつもと変わらない、奇跡みたいな今日だ。
「あ、来週の自主練日は美術部のほう出るから、俺。」
「了解した。」
ドリンクボトルのストローを齧る悪癖は、幼い頃から治らずに、三つ子の魂ってか、と中身の少ないそれを投げた。後でアクエリ買って来よう。若しくは買わせよう、真田に。
「よくもまあテニスと美術を兼部可能なものだ。」
「あっちは殆どユーレイだよ。」
顧問のセンセイすいません、なんて手を合わせてみれば、不謹慎だぞ、と蓮二の拳がこつり、ヘアバンドの上から。
「髪、縛るくらいなら切りなさい。」
「あー、ラブジェネごっこやる?やってくれる?」
「残念ながら鋏を持ち合わせていない。」
「ざぁんねーん。」
全て世はコトもなし。冗談に笑って波に乗れば、俺の心は安泰安寧。天下泰平なんて大仰は、これまた残念ながら願えるほど人間できちゃ居りませんのでね。
高等部に進学して、若干、成績や進路で学部や学校自体離れたヤツもいる。あの酷く寒い冬に酷く熱い夏に肩を並べた友人は、今日は何人揃うだろう。
「さて、精市。」
「なんだい、蓮二?」
蓮二はそのまま真っ直ぐ、人差し指を向ける。
俺の周りの人間は、皆そうだ。捻くれていても擦れていても、根っ子は皆真っ直ぐだ。(俺が結構捻くれて擦れた伸び方をしているから回りの植物達が支えてくれているのかなぁ、なんて。)
示されたトレードマークの黒い帽子はきのこでも生えそうである。なめこと間違えて味噌汁に入れるなよ。
「どうしたんだい、弦一郎君?」
暫し沈黙。テニスコートを囲む茂みの向こう、遠くのバス停にブン太と仁王が見えたので小さく手を振っておく。
「あの、負けを恨まれても、仕方が無い、と・・・。」
「あー、あのボウヤ。その辺多分一生恨むから。もう血ぃ吐くくらい恨むから。でも俺も負けたしね。その辺は同じくらい恨んでよ。そんで?」
困った。俺と真田は妙な所でズレる。言葉が足りない、事も無い。ただちょっと多分、俺は理解されにくいんだって、中学の頃に、まあ特にテニス部の先輩なんかに、「幸村って何考えてるか解んなくって気味悪いよな」とか影口戴いたんで。うげ、思い出して吐き気。
「ゆっきー!」
「幸村ー。」
「ブン太、ちょっと痩せた?仁王また痩せた?ちょっと食生活改善しなよ。」
「参謀のメニューは恐ろしいということじゃぁ。」
「俺、ちょっと絞ったー!体重変わんないけど。」
「おお、筋肉になったんじゃない?身長伸びた?今日赤也来るって。身長差伸ばされて無いといいねー。」
「ちょ、ゆっき!俺も伸びた!!」
立ち上がってブン太と仁王とハイタッチ。柳生は後学のためとお父様からお呼び出しだそうだ。残念。あの時一緒に汗を流した俺たちの中で、一体何割がその汗の中を変わらずに進んでいくのだろう。真っ直ぐに伸びる彼らは、真っ直ぐだけれど、少しずつ蕾の向きや葉の形を変えていく。
「精市。」
「え、めんどくさ。」
「精市。」
蓮二、なんか今ちょっと目が。
仕方が無い、なめこ。
「真田。」
死んだ魚の目に近い瞳を覗き込めば、少し水が滲む。いつまでも俺がお前の目の前にいると思うな、ばか。
空気を読んだのかブン太と仁王は少し走ってくると言い置いて、蓮二はベンチに座って本を膝に置いた。
「いや、さっきね、ラリーしてて、考えててね。」
「知っている。」
「だろうね。」
真田のボールは重いんだ。力がどうの、じゃなくて、想いが篭ってるから、重い。受けるたびに心臓に来る。叫びたくなる。
「上の空だった。」
「この時期だったから。」
す、っと真田の顔色が変わる。
「なんか、引きずってるぽくて言うのイヤだなー、と思ってた。白状しとく。アレ、けっこトラウマだ。」
「蟠りは早めに吐き出しておけ。」
「あー、凄い正論きたー。」
くすくすと、思わず笑ってしまった。真田は真剣なのに。いや、この男はいつでも真剣で真っ直ぐで、怖いくらいに格好いい。
「始めはね、靴下。一回、踝履いて学校行って風紀さんに叱られたっけね。」
「・・・俺か。」
「お前だ。」
真っ直ぐな視線が心地よくて、心地よすぎて、甘える前に視線を前へ。ブン太と仁王がいつの間にか鬼ごっこを始めている。
「ネクタイ結びづらくなって、靴履こうとしたら転んで、そんでなんか。」
ラケットが重かった。
「ああだめだ、って思ったね、その時。闘病日誌でも書いてやろうかって思ったら、自分の名前すら書けなくなってた。知ってた?」
「そこ・・・までは・・・。」
「面会謝絶にしてもらって山ほど点滴打ったもん。そこで進行緩めて。」
言葉を切って、ぱしっ。
両手を叩き合わせるように打てば、梅雨時の湿った空気の中を乾いた小気味良い音が踊っていく。
「点滴打ったら、進行が弱くなって、少し戻った。廊下も歩けるようになったし、手摺に捕まれば屋上まで行けた。」
視線を真田に戻す。いい目だ。俺が好きな、物事から逃げない瞳。
「そこで、だ。約半年、俺は入退院を繰り返しました。」
「あ、ああ。」
「手術も受けました。リハビリもしました。」
そういえば遅くまでリハ室開けさせて看護師さんと理学療法士さん困らせたなぁ、と少し回想。だって今は今だもの。闘病の苦しみは今の俺には無い。ビタミン剤は処方されてるけど。
「確か、12種類の薬を毎食後に飲んだりとかもしましたね。ありゃー参った。そこで、だ。」
ぴん、と帽子のつばを人差し指で撥ねてやったら奇声を上げて真田は仰け反った。
「何をす・・・。」
「総額、幾らかかったと思う?」
「は。」
間抜け面、と一言笑ってやって。
「金ですよオカネ。難病指定でもないアレと半年も闘って、つーか、闘わせといて、病院側は治療費請求するんだぜ?この国って不便に出来てると思わない?」
「あ、ああ、なるほど。」
数度瞬いた眉間をでこぴん。がしゃん、とフェンスに叱られた。
「そして更にだ!」
「更に?」
「救急車って結構高いの知ってた!?」
背中と眉間を擦りながら少々体勢を崩していた男は、後ろのほうに落ちてしまった帽子を取って、砂を落とす。
「そこで、最初に繋がったか。」
「理解できたー?」
「した。そして、闘病中のお前を、俺は思ったよりも支えてやれていなかったことも理解した。」
今度は俺が思わず、きょとん。
支えてくれてたよ?いっぱい苦労かけた。部員皆に声掛けて、見舞いに来てくれたことも知ってる。何よりお前が一番来てくれた。病人に言うせりふかって毎回思ったけど、元気か、って無理矢理笑顔作ろうとして。泣きたいのか笑いたいのかわかんない顔で必死にいつもの顔してさ。酷いことゆっても、俺のこと信じてくれてた。
「ちょっとキモいこと言う。笑うなよ?」
「お前の言葉に俺が笑った事があったか?」
「なかったね。いくら笑わそうとしても擽る以外で笑わせたこと無かった。」
それでは少し仕切り直しまして。
くいと帽子のつばを引いてやって、俺のほうにぐらりと傾いだその耳元は、いつも通り、真田の匂いと少しだけ砂の匂い。
「ありがとう。愛してる。」
囁いてそのまま、熱い顔を俺の肩に埋めてやった。
ブン太と仁王が爆笑していて、遅れましたすんませんー、と叫びながら赤也。ジャッカルは家業の手伝いだとメールが来た。
「さてとまあ。」
ぽんぽん、と憎らしくも羨ましい大きな背中を叩いてやって。
「テニスしますか!」
「っ、ああ。」






「一生、恨んで愛してあげる。」

***

さなゆき。
高1設定で。
あれを半年で克服した幸村くんすげぇ。

20110608masai