育ちが後の人格に影響を及ぼすと言うなら、彼はそれに当て嵌まらなかった。
航空機製造会社勤務の父親の庇護下に裕福に暮らし、スクールでは様々な分野で好成績だって残した。そして遠い異国の海軍に配属されたが、大学時代に覚えたセックスの味とドラッグの味が、忘れられなかった。
そうして、見つけてしまった。












今月探偵と伊月助手と殺人犯の手引帳。後篇。











腐敗の酷い死体から検出されたのは、コカインだった。
答えのある問題に答え合わせをしていくようなものだなぁ、なんて伊月は清潔だが見た目を重視しない一本繋ぎの姿で腕を組んだ。
「諏佐さん、こちらのご遺体、もう身元確認済んでます?」
「ああ、陰間茶屋から。家族は無いというので茶屋の楼主に確認して貰った。」
「わかりました。」
その口には枯葉が詰め込まれてあって、新しく監察医になろうとする青年が、伊月の指示によって、何枚か、どの種類か、とピンセットで摘まんで調べている。
「どれも損傷が酷いですね。身元不明はありますか?」
「いや、無い。」
「それは幸いです。どこから出た身元なのか、お聞きしても?」
警察手帳が捲られていく音に、伊月はまた次の遺体の破損部位や状態などをカルテに書き込んで、腹を開く必要はあるか、と悩んでいる。
「大概が男目当ての売春宿で働いているな。青線だ。」
「警察が手を出せるのはどこまで?」
「一応、警邏目的で走らせてはあるが・・・。」
「人手が足りない。」
「・・・ご明察。」
嘆息を諏佐はひとつ。何処も人手不足だ。軍部を洗うと宮地と春日は事務所を出て、森山の手を使ったとしても、あの人数全てを調べ尽くすのには最低でも三日は要る。
死体の血を調べた後は洗い流して、遺族に帰せるように死に化粧を施す伊月の横貌は、その美貌も手伝いこの世のものにしておくのが勿体ない、なんて考えた諏佐は、間違いなく今吉の友人である。
「検死報告、ここでいいです?」
「あ、纏めておくから。君が先生の買ってらっしゃる伊月君だ?」
「はい、誠凛大学医学部の伊月です。また人手が足りないようなら呼びつけてやって下さい。」
「おい、伊月。」
人脈は増やしておくものですよ、と華麗に片目の睫毛を降ろして肩を竦める仕草は実に様になった。五月晴れだった空は星がきらきらと煌めいて、伊月は帰宅に警察から車を出された。
「被害聞けるか。」
後部座席に並んで座った諏佐が警察手帳の新しい頁を見せる。ああはい、と伊月は若干遠くを見る羽目になる。
「二回、ですね。誠凛では被害報告させてますけど、聞く限り俺だけ二回遭ってます。」
「おい・・・。」
「被害生徒は誰も、身長は俺と同じくらい、この周辺に住んでる生徒が多いです。俺の被害は、最初は尻を撫でられました。この間の祝日ですね。ひとに紛れて、って感じでした。問題は一昨日でしたね。部活で帰りが遅くなりまして。海軍の軍服で、外套羽織ってて。何だろうって思いながら擦れ違いざまにこう、正面から抱き着かれまして、そのままどっか連れ去られそうになりました。」
「よくぞ無事で・・・!」
真っ青な諏佐の顔に、脇腹に万年筆をこう、とナイフに見立てて脅して怯んだ隙に逃げて来たという。
「で、その報告を一応花宮にしたんです。そしたら翌日から部活自粛命令が出ましたね。翔一さんがどこまで知っているかは俺も知りません。」
「・・・そうか。」
「あ、そこの角から、歩いていきますんで。」
「どの辺りだ?玄関まで送る。」
「いやそれ、明日の朝にこの辺の一大ニュースになるんで勘弁してください・・・。諏佐さん、このまま直帰でしょう?久しぶりにお子さんと何かお話出来ますよ。」
お、と目元を瞬かせた諏佐は、そのまま柔和に笑顔を見せて、気遣い感謝する、と敬礼。伊月の返礼に、彼が車を降りて暫く歩き、自宅であろう、大きな屋敷に入る所まで見届けると、車を出させた。
今吉と花宮と、そして伊月。あの事務所の運営に回っている三人は、実に不思議な立ち位置にいる。花宮は裏社会の人間である。元々今吉の監視名目に助手の席にいる、とは以前に今吉と飲みに行った際に聞かされた。伊月は本当に、何の変哲もない男子学生だ。しかし、それは今吉が許すだろうか、と思えば、最近は武道をかなりの腕前で披露することがある。つまりはあの場所にいるために、そして思い人のために、自分が出来る範囲で無茶をしようとする。
最大の鍵は今吉翔一。六年前、突如として表社会に現れた私立探偵。猫を探したりヒトを探したり、殺人犯確保に諏佐は何度も世話になっている。諏佐が新米警察の頃からの仲間で飲み友達。
「・・・わからん。」
あの三人を諏佐の視点で見てみれば、何故かいつもその四文字で結論が出てしまう。今吉の経歴はある程度知っているが、一介の警官には到底思いもよらない波乱を生きてきている。それは日頃の態度や事件現場での機動力で判っている。が、解らない。何故表社会に出て来たか、探偵なんて仕事を選んだのか。
「諏佐警部、ご自宅はこちらで?」
運転手に声を掛けられるまで、長考に沈んでいたらしい。助かった、と礼を述べて久々にまだ子供の声がする自宅の玄関のノブに手を掛けた。
「俊、こちらの方からお電話。」
ただいま、と告げた玄関で、母親に、お帰りなさい、と迎えられて一枚の反古紙に記された電話番号に、伊月はその切れ長の目を瞬かせる。
「どれくらい前?」
「ついさっき。帰ってきたら折り返し連絡させます、って伝えておいたから、そうね、今からでも・・・。」
大丈夫かしら、と毎朝父親が螺子を巻いている柱時計に母親は目をやって、お茶飲む、と温かい急須から青い湯呑に用意してくれる。
「えっと、先に電話。お茶貰ってく。」
「はいはい。お風呂は俊が最後だから。」
「解った。行儀悪いけど勘弁して。」
湯呑を貰って、そのまま電話機に向かうと交換手に番号を告げる。
『はい、伊月君?』
「夜分遅くに失礼します、森山さん。」
『こっちこそ。あと五分待てばよかったんだけど、流石に人妻口説くのは俺の倫理に反するからぁ。』
「俺の倫理にも反します。」
森山由孝中尉には聊か馴れ馴れしいが、消毒液に冷やされた手に湯呑を行儀悪く啜る。
「何かありました?」
『うん、仕事増やしやがってこの野郎。』
「申し訳ありません。進展でも?」
『明日、開いてる?』
「部活無いんで。」
『案内に春日出すから、誠凛前。』
「解りました。」
それじゃあ、と森山側の通話が終わると、伊月も一度受話器を置いて、もう一度交換手に告げるのは、今吉探偵事務所の番号。
『はいもしもし、月ちゃん?』
「どうも、翔一さん。なんか軍部であったらしいんで、明日はそれ終わらせて行きますね。」
ふうむ、と電話の向こうで唸った気配を伊月は聞く。
『なんぞ見つかったな。』
「クラフト氏、ですか?」
『多分な。一人で行くん?』
「春日さんが迎えに来てくれるそうです。あ、風紀が纏めてる被害報告、要ります?」
『寄越せ。』
素っ気ないが、理由は解っているので伊月は嘆息気味に笑う。
「では、明日は間に合えば複写も作成しておきますね。警察への提出は週末らしいので。」
『解った。気を付けなさい。』
「翔一さんが気を付けろって言うときは碌なときじゃないんですけど?」
『せやって、碌な事件ちゃうし。月ちゃん、無茶すんのと無理すんのはちゃうで。』
「お説教はまた今度聞きますよ。おやすみなさい。」
おやすみ、とまた素っ気ない挨拶が来たが、先に受話器を置いて、茶を啜りながら行儀悪く廊下から居間に入れば、行儀が悪い、と父親から拳骨を喰らった。因みに去年の夏に身長は越した。
「いぃったぁ〜・・・!」
「お前が帰って来る前に花宮君が来た。警察に協力を頼まれたから遅くなるだろう、と教えてくれたが。」
全く、と息子によく似た仕草で嘆息。この場合は息子が父親に似てきただけなのだが。卓に就かされ、夜食代わりに握り飯を貰って、その話長くなりますか、とばかりに首を傾げれば、食べてしまいなさい、と手のひらを伸べられる。花宮が来たということは、ひょっとするか、と少し戦慄っとしない。妻に茶を貰って、新聞を広げる様子を鷲の目が見やれば、社説を熟読している。親子だなぁ、とどこか感慨深く、もくもくと梅干しの握りが載った皿を空にして、ご馳走様でした、と手を合わせ、皿を台所の流し台まで持って行ってそのまま逃げようとした算段は母親からの見事なブロックを垣間見た。
「母さんや姉さんや舞が狙われなくって良かったですよ。」
「尤もだが、それは自分の身を護れるようになってから言いなさい。」
「先ほど警察の方にも相談しました。」
「甘えるなとは言わない。だが、甘えなさい。」
じわりと脳の奥が熱くなる。警告灯の点滅のように、脳が煩い。
「使命感は悪くは無い。しかしそれは自分の身で責任をとれるようになってからだ。」
「っ言いたいことはそれだけですか。」
「ああ、短気は損気、も伝えたほうがよかったか?」
「父さんとこうやって言い合うのって、何年ぶりですっけ?」
そんなに経つかな、と飄々と父親は茶を飲んで、そうねぇ、と長閑に笑っている母親にも、そろそろ長男は言葉が荒れそうだ。
「中学上がってすぐでしたか、まあ、反抗期だと思ってますよ、あれは。」
「にしては可愛らしかったが。」
「大学生にもなる息子捕まえて可愛いと言うのは聊か変態的と存じ上げますが。」
慇懃無礼甚だしい息子の様子に、あらあら、と母親が笑った。
「違うわよ、俊。子供は幾つになっても子供なの。可愛いものなの。」
「だよなぁ、母さん。外面は父親が言うのはなんだが、母さんに似て美人になったし。」
「あらやだ、あなた。でもリコちゃんには振られちゃって俊はシュンとしちゃったんですって。」
「言いたいことはそれだけですかばか親共。」
「違うわ、親馬鹿よ!」
「違うぞ、親馬鹿だ!」
「いい加減にしてくださいっ!花宮が何を言ったか、それはこの際置いておきます。ただ、俺の努力は認めて下さいよ!景虎師範には遠く及びませんけど、学生闘技大会には出るなと言われていますし、勉学のほうもきちんと手は抜いていません!」
それは知っている。そんなの当り前じゃない。我が両親ながら少々殴り飛ばしたい顔をしている二人を、息子は聊か恨めしく見やる。
「明日は依頼の調査で遅くなります。朝も風紀の当番がありますんでっ。」
お風呂頂いて休みます、と乱暴に離席し、居間の摺り硝子を乱暴に滑らせ、そのまま就寝した長男に、両親はちょっと苛めすぎたか、と顔を見合わせた。
「やっほい。」
「こんにちは、春日さん。」
校門前に突如現れた海軍軍服の男に帰宅にざわついていた校門脇はひとなみが割れた。
「ありゃぁ、完璧トラウマなってんね〜。」
「・・・なってますね。」
籠球部連中は面識があるため挨拶に来、それで何人かは落ち着いたらしい。
「じゃ、気を付けて帰れよ。」
「おお、伊月も気を付けてな?」
「俺おるんに〜。」
はいはい乗った乗った、と伊月は波斯文様の内装のチャリオットに乗せられ、軍基地まで運ばれる。宮地は研究棟に缶詰め状態だが、出迎えには森山と小堀の姿もあった。
「顔を合わせるのはお久しぶりです、森山さん。随分ご無沙汰してます、小堀さん。」
「うん、相変わらず美人さんで安心した。」
「久しぶりだな、伊月。」
こっち、と連れていかれた先は海軍隊舎だ。古い木造建築で二階建て。中は何度も改装を繰り返しているが、漆喰で塗り込められた壁が所々に罅を入れている。英語と日本語を混じらせ、春日は上司や部下に学生服にインバネスの青年を紹介し、一階のある一室に通した。一平卒の使う四人用の宿舎施設はお世辞にも綺麗とは言えないが、二段ベッドが二つ設置されたその部屋は、何か奇妙な臭いがした。
「解る?コカインだってこれ。」
「あ、やっぱり。」
「ここの部屋の連中、クラフトに分けて貰って使うてたんよ〜もーまじ勘弁しろっつーの〜・・・。」
それは大変でしたねぇ、と伊月には苦笑するしかなく、春日が廊下から数人を呼び寄せてかなり確りと作り置かれてある二段ベッドの位置をずらす。
「これ。」
壁の一部が崩れ、雑嚢に入れられた何かが顔を出す。壁は叩いてみた所存外薄く、その雑嚢も大きなものでない。
「何か、確認しました?」
「いんや、未だ。」
軍基地内はある種の治外法権だ。カメラが趣味だと言う兵士から機械を借りて、現場の写真を何枚か撮影すると、伊月は崩れそうな壁から雑嚢を引き抜く。
「このベッドは?」
「下段がクラフトやったんよ〜。こないだ新しい奴入って、壁のほう覗き込んでみたら〜て。」
「成程。」
これが入っていた、と写真をまた数枚。結構な量を消費するので、警察に相談したら報奨金扱いで新しいフィルム買ってもらえますよ多分、とでも言っておく。
「中身・・・ノート?臭い酷い。」
肉の腐ったような悪臭がこびりついたノートに口元をハンカチで覆って、伊月は頁を捲った。そして、うん、と首を傾げた。
「春日さん、俺、英語得意じゃないんですよ。」
「ん〜。貸してみんしゃい。」
「お願いします。」
ちょっとぼろぼろしとってこわいねぇ、と頁を覗き込んだ春日は、直後に瞠目する。息を呑んだ気配に伊月は肩越しに覗き込んできていた春日を振り返る。
「・・・12月5日、13歳の少年を攫って、コカインを飲ませて犯した。彼はカゲマと名乗った。」
「なに、・・・春日さん・・・。」
ばらっ、と頁が聊か乱暴に纏めて捲られた。
「8月3日、16歳の少年、向こうから誘ってきた。犯して首を絞めた。死んでしまった。8月6日、おそらくは15歳前後の少年、カゲマとは何かを教えてくれた。良い国だ。コカインを飲ませてからロープでお互いの首を絞めながらセックス、死んだので埋めた。8月7日、初めてカゲマを買った。しつこかったので犯して殺した。8月11日、ツレコミで、・・・ちょっと、待って・・・。」
「あ、はい、すいません。場所移動しますか。カメラお借りします。一通り終わったら返しに来ますので。」
口元を抑えて唸っている人望厚い上司は部下に気を遣われ、その手を引いて、ノートとカメラを抱えて伊月は隊舎を出る。初夏の爽やかな空気が肺に優しいにも程がある。
「伊月君!」
「森山さんっ、ちょっと場所どこか貸してください。春日さんもう少し・・・。」
「だーいじょぶー、外の空気吸ったらだいぶラクー・・・。」
「顔色真っ青だぞ。」
「英語堪能な方、他にいますか?」
そうだな、と小堀が悩んだ風情で森山を見るが、春日程達者なのいない、と返されてしまった。
「あと、クラフト元海軍軍曹の行動圏、解ります?」
「ああー、陰間よく買いに行ってたあれ?」
「です。春日さんから聞いてます?」
「一月前に除隊になった。」
「はい。」
時系列で纏め、黒革の手帳を開き、犯行が纏められているノートを開く。俗語や造語は解らないが、一番最近の、除隊前の頁には、連れ込み茶屋で男を殺した記述があって、その翌日には除隊された日が来る。
「春日さん、迷惑承知でこの、最後の犯行だけでも翻訳お願いします!」
「んー、3月29日、ツレコミで声を掛けてきた男とセックス。巧かったので口いっぱいの大麻をプレゼント、・・・ですって。」
「この遺体、俺が昨日検死したやつです。半分くらい腐敗してました。」
「なぁっ!?」
ぱらぱらと頁を捲って、鷲の目に間違いが無いのなら、ここでは合計61名の男娼やそれに準ずる者が殺されたことになる。
「どーなってんの・・・。」
「典型的なシリアルキラーですね。おそらくはクリスチャン。」
「そこまで解る?」
「ええ、キリスト教は同性愛を非生産的だと禁じていますから、このノートは隠された。しかしヒトを殺した自分を密かに肯定、賞賛するため、このノートは書いた。そんなところです。」
これ警察に提出してきます、とインバネスの裾を翻した伊月の肩を、しっかと春日が掴む。
「俺も同行する。責任、俺に無いとは思えん、し。」
「わかりました。」
どうやらその波斯文様内装のチャリオットは春日の所有物らしく、警察署への道行を世話になり、取調室で上等の紅茶でも馳走になれたのか、会議室で議論する伊月や諏佐に、そんじゃねぃ、と軽く敬礼して慌てての返礼に気楽に表情を緩めて去って行った。
「月ちゃん、珈琲。」
「諏佐さん、給湯室借りて良いです?」
「ああ、そこの通路を右の・・・。」
「大丈夫です、解ります。」
ぱたぱたと走るにしては優しい靴音で伊月は廊下を渡って行って、その音が消えると、今吉は大きく息を吐いた。
「どんだけの規模で護れる。」
「今吉のその作戦だが、あんまりお勧めはしねーぜ。」
「まこっちゃん無関係やん。」
「伊月はお前の言う事だと頷くに決まってんじゃねぇか!」
ちょっとそこの探偵と探偵助手落ち着け、と諏佐は勢いで立ち上がった二人の頭を思い切り殴って、力加減って日本語知ってる、と机に沈んだ今吉に呻かれた。
「ここの連れ込みは進行形で警察が現場検証中や。使うなら、ここか、ここ。あと、こっちには陰間茶屋もある。幸いこっちの主さんはまこっちゃんと顔見知り。」
「問題はクラフトをどうやっておびき出すかだ。車か何か手に入れやがったな、こっちでも被害が。」
地図の上に広がっていく被害の赤い丸に、諏佐は自然と眉間に皺が寄る。
「諏佐さん、大丈夫です?」
はい、と手渡された湯呑には、各自の好みの味に調整された珈琲が入って、末端にもその気配りは届いていて、やっぱ珈琲淹れて貰うなら伊月サンだ、なんて青峰も感嘆している。
「どこまで会議は踊りましたか?」
「クラフト、ひょっとして車持ってんじゃね、ってこと。」
「車か・・・調達経路どこだろう。」
「除隊されてても軍服は着てるから、ひょっとしたらそれかもな。」
「あ、そっか。軍服ってだけで入れる場所あるもんね。」
伊月はちゃっかり自分には紅茶を淹れており、猫舌がふうっと表面温度を調節している。
「月ちゃん。」
「はい、何でしょうか、翔一さん。」
「おいこら今吉ッ!」
「囮、出来る?」
「お安い御用です。」
ほらぁー!と花宮の声音は若干嘆きの色が強く、春と眞子を知っている青峰は、お、と目を丸くして、諏佐は地図に突っ伏した。
「念のため、花宮では駄目だったんです?」
「一晩うろついてみたがな、引っかかんねぇわ。」
やっぱ俺の家寄ったのそのついでだったな、と伊月は口の端を吊り上げる。
「年齢制限か身長制限でもあるんでしょうね。誠凛の生徒の被害は俺より年下、若しくは俺より背が低い。」
「誠凛お前らより年上いねーじゃん。」
「揚げ足取り止めなさい、まこっちゃん。」
「因みに森山さんから預かってきたクラフト氏のパーソナルデータの一部公開しますと、身長190センチ。丁度並べば絵になる身長差ですね。全く贅沢何だか。ってなわけで、囮役ならやりますよ。既に被害受けてる訳ですし、覚えられてたら僥倖。そうじゃなければ上手く誘って見せます。異論は?」
「必ずこちらから確認できる場所に動け。」
「承知してます。」
自分から殺してくれってゆうようなもんですからねそれ、とその黒曜石は好戦的に晃る。一度私服に着替えて来い、とのことで上品になり過ぎない程度に、今吉から借りた単に書生崩れの恰好になった。袴は無い。夕刻の茶屋の夜鷹は生白い足首も艶めかしくしなやかな脚を組んだ。
通りすがりや客を装った警官に、また茶屋の番台にも警官は聞き込みに行っている。ここで怯むのであればあの連日の犯行は無理。ナチュラルボーンキラーの典型。
「おい。」
「・・・は。」
なみや、と続ける前にくちびるをくちびるで塞ぐ素振りで、コエー顔してんぞ、と囁かれた。
「何をムキなってんのか知んねーけど、つか知るつもりもねーけど、出来ればこのまま終らせや。」
「あー、そゆこと?ムキになってる、てかそうだなぁ、軽い反抗期だ。お前が気にすることじゃない。」
反抗期て、と花宮が眉を寄せるのが面白くて、くふ、と伊月は笑い声を艶やかに噛み殺す。その仕草が酷く蠱惑的だ。
「親子かよ。」
「愛人ですよ。」
なぁんて、と視線を流すので、あっそ、とそのまま花宮は去った。かつん、と傷んだ軍靴が道路を歩いてくるのに、すうっと空気が冷えた。鷲の目が見渡した周囲はその白人の綺麗すぎる、子供のような笑顔に驚いたようでもあった。写真で確認した彼は、もっと目元が死んでいた。
「異人さん?」
軍人さんだね、なんて上目であざとく見上げてやれば、腰を抱かれた。さて、どう出る。
「ここの、ヤドはいい?」
「日本語、結構話せる?」
「うん、上官に教わった。おカネは?」
「無粋。」
くすくすと笑ったその美しい青年の胸元を撫ぜた男の手に、うん、と身を捩って、相手の頚に手を伸ばそうとした手首を掴まれる。
「外じゃ、駄目。」
「ブスイ?」
強く抱き寄せられ押し付けられるそれは既に熱くて硬い。さてどちらに興奮しているのだか。性行為か、その後にあるいのちを奪う行為にか。
「野暮、ってこと。」
「そとはダメ?」
「したいって言うならいいけど・・・。」
殺した後に野山に遺体を破棄した記述はノートのあちらこちらにあった。遺体が見つかった通報は今のところ無いので、これも巧妙に埋めて隠されたものだと思われる。殺害現場は外の可能性が高い。事後に殺すことを目的とするなら、きっと。
「クルマある。」
「車でする?」
それは初めて、と手首を掴んでいる指先にくちづけ、軽く噛んだ。力が緩まないので、これはもう殺すことを前提としての軟派行為なのだろう、さらとその血の匂いのする白い軍服を隠した外套に綺麗な黒髪が音を立てて懐き、隙間なく抱き込まれる。懐に入れてあるナイフの使い道はあるか、と逡巡した所ではっとした。脳髄から急に冷える感覚に、おそるおそる顔を上げると、欲に濁った瞳で柔和に笑う英吉利人が覗き込んでくる。
「シってる。前に、逃がした・・・。」
後頭部を抱かれて呼吸ごとくちびるを飲まれた。戦慄っと背を正しく悪寒が駆け上る。
「はな、せっ。」
かふっ、と息を継いで、掴まれた手首を強く引く。
「はやくしよう?逃げるまえに、sex、drag、なんでもある。」
「っ、なの、たまっか・・・。」
幸いながら腰を抱かれているだけで、しかも密着している。足場は下駄だが自由だ。掴まれた腕はきっと肩が外れるだろうが。
ふと自嘲気味の笑みを浮かべて、そのどこか影のある微笑に男は魅せられ、襟を掴まれ顔を寄せられるようにくちびるを寄せる。吐息が甘くとろりと皮膚を舐め、挑発的にくちびるを噛まれてそのまま口腔を激しく犯されたが、これくらいの屈辱なら飲んでやる。呼吸を酸素が足りなくなる前に捕まれた腕でかりとその手の甲に爪を立て、接吻けの名残に蕩けた口元から男は指先で拭って舐めようと、口元に親指を持って行って、視界の反転。気付く間もなく背中に受けた衝撃で意識を飛ばした。
騒然とした周囲に、男が叩き込まれて茶屋の壁を破砕して、店員が慌てて外に出てくれば、肩を抑えて蹲る青年が居るので声を掛けようとして、伸べた手は眼鏡の男に叩き落とされた。そのまま粗末な着物と袴姿で男は青年を抱きすくめる様に抱え、ぐ、と青年が苦しそうに喘ぐ。
茶屋の外装を無茶苦茶に破った海軍軍服の男はそのまま乱暴に警官隊に引き起こされて連れて行かれ、損害報告をこちらに、と青峰は店員に引き千切った警察手帳の一部を手渡し、仲間のもとに向かうと引き摺られた巨体を抱え上げた。
「月ちゃん!」
「しょぃちさ、さわんな、いで・・・!花宮っ!」
「青峰!車どうだった!?」
「一人死んでたぜ。もう一人は生きてたから救急車呼んだ。」
「肩、入れっから。」
比喩で無く悲鳴を噛み殺すのに、伊月は今吉の単の袷に食らいつく。ごり、と骨が擦れる音と同時に噛まれた生地がぎちりと悲鳴を上げた。
「っは、はー、はー・・・!」
「大丈夫か。」
「ちょっと、まって。」
無理矢理に襟を取って投げた際に、掴まれていた腕がそのまま外れ、それを噛み合わせた今はぎしぎしと腕全体が痺れたように傷んで、指先を動かすだけで激痛が走る。
「月ちゃん。」
「・・・翔一さん。」
治外法権制度がどうこう、初めての案件だから法律家の意見も、と花宮が意識を飛ばした男を連れて行く警官隊の後ろに諏佐に質疑の応答をしている間も、茶屋の人間が用意してくれた椅子に抱き上げられるように運ばれた。
「お医者さまを・・・!」
「あ、大丈夫や、このこ医者のたまごやから。」
自分でできます、とか細く紡いだ伊月の意思を汲んでやって、今吉はそう告げ、出来れば座敷貸して貰えへん、と主人に交渉して、痛みで朦朧とする頭を振って、伊月がきちんと覚醒するのを待って、座敷に布団を用意して貰ってそのまま寝かせた。
「すまん、おっちゃん、電話貸して。」
「ああ、あれ連続殺人の犯人なんだってねぇ、捕まってよかったなぁ。」
「そうなんよ。あ、電話これ?」
「いいよ、お使い。」
手短に伊月の現状と、そちらの状況とを警察方に問い合わせれば、まだ犯人と思しき男の意識は戻っていないが、伊月に通院などが必要な場合はこちらが必要手当として金は出す、と諏佐の返答が来た。花宮は警察の手伝いで駆け回っているらしい、諏佐の背後で聞き慣れた罵倒が、バァカから始まり鈍間、悪筆、再提出再試行、と手厳しく何度も聞こえた。もうそのまま堅気に就職すればいいのに。
「おお、ほな後処理頼むわ。文屋へ対応よろしゅう。こっちの依頼はこっちでちゃんと片付けるさかいに。ん、ほな。」
またよろしゅう、と営業文句は、ふざけんな、と苦笑が返ってきた。
借りた部屋に戻る途中、女中が大量の晒を抱えて座敷に入るのを、襖を開けて手伝ってやった。
「ありがとうございます、すいませんっ!」
「あ、翔一さん。」
外れた肩をその場で乱暴に噛み合わせた応急処置に、筋肉の筋と骨の異常を確かめながら、肩にぎりぎりと晒を片手と歯を使って固定していく。
「すんませ、ここ強く縛って。」
「うん、他に出来る事ある?」
「痛み止め・・・確か事務所のデスクに。」
「他は?」
今吉が来たので大丈夫だろうと、女中は判断したのか、そそっと座敷から出て、襖を閉める。
「あとで、言います。」
ね、とにこりと痛みに汗の浮く美貌が綺麗に笑って魅せたので、しゃーない、と今吉は中折れ帽ごとくしゃくしゃと黒髪を掻く。
「ちょっと待ちよりや、円タクでも捕まえて直ぐ来るから。」
ぱたぱたと階段を下りれば、ちょっと今夜世話なります、と主人に声を掛け、大通りにタクシーを捕まえて事務所に戻って、伊月の鞄を下げると、エントランスの外から鍵を落とす。必ず誰かがいるせいで鍵を閉めることは稀だが、先ほど馬車と擦れ違ったのと花宮のデスクが荒れていたので、ひょっとしたら施錠の必要は無かったかもしれない。そのままタクシーに戻らせ、金額としては事務経理に叱られることはなさそうだ。
「月ちゃん。」
「あ、すいません、でした。」
「ええよ、薬どれ?」
救急セットを伊月は片手で器用に蓋を跳ね、錠剤を一つ飲み、神経性の薬を痛む肩に針で刺して白い肌の内側に流し込んだ。
「・・・ってぇ・・・。」
「ほんまに襟とって投げて確保したなぁ。」
「有言実行。いいでしょ?」
「しかし肩外してまでやることちゃうで?」
「人事を尽くせませんでした!」
「熱大丈夫?」
「・・・自信ないです。」
くらくらする、と顔を覆って、脚を投げ出して座っていた布団に倒れ込むように寝転び、肩に障ったか、いた、と一言呻いて、一つ大きく息を吐いた。
「翔一さん。」
「何、月ちゃん。」
「少しくらい危ないほうが、俺って強いんですよ。」
なにをほざくか、と額を指先で弾けば、む、っと子供のように膨れたが、何故か直後に大変楽しそうに、幸せそうに眦を優しく下げた。
「ね、翔一さん。」
「何や、月ちゃん。」
「抱いて。」
一瞬呆気にとられた今吉の顔の、なんと笑えることか、とくすくす、静かに伊月は笑い、やだとまんねぇ、なんて笑いだす頃に、今吉のくちびるがその笑い声を飲んだ。
「翔一さん。」
「月ちゃん、どないした?」
「翔一さん、好き。」
「・・・月ちゃんの阿呆、愛しとる。」
くふ、若い喉が戦慄いたのは、感情の震えと体の震えと、どちらだろうか。


今吉探偵事務所、明日はどうやら休業予定。
ちょいとそこなお嬢さん、こちらの助手さんどこかしら?

***

そして安定の破れ鍋に綴蓋。ですが・・・。


初出:2013年5月7日 19:00


っていう四話構成だったんですよこれ。続きます。

20130903masai