| 牝山羊が用心深くひづめで赤児をふみ傷めぬようぐるりを囲って歩くあいだに、おさな子はまるで母親の乳でも吸うようにして、山羊の乳汁を飲みこんでいるのであった (寺山修司 恋人たちの城「狼少年と少女」より) 少年Sのカタストロフ。 伊月俊はロングスリーパーだ。寝るとなったら兎に角眠る。早寝は得意だが早起きは得意ではない。それでも朝早くに、夏場に至っては4時の朝焼けの中に朝練のために出掛けて行くほど、バスケが好きだった。駄洒落も好きだが。 バッシュが床を蹴る音、ボールが跳ねる感触、頭の回転は速く、瞬時にゲームを組み立てる。スクイズボトルにドリンクを詰めて、走り回ってストレッチもして、やっとのクールダウンに声を聞いた。 先程からチームメイトを引っ張っている日向の声ではないし、指示に飛ばされる監督のそれでもない。ちいさな、小さな子供の声だった。 「水戸部、弟さんでも来てない?」 「・・・。」 周囲を見渡してから、否定の形に頭を振った高い上背に、なになに、と駆けて来た小金井も、首を傾げただけだった。 練習が終わって、それぞれの都合で部室から捌ければ、空はもう真っ暗で、時折ちらちらと星が輝いている。 「日向ーぁ。カントクー。」 家の近い、日向、相田と同じ帰路、ふと伊月は足を止めた。 「うちから連絡あったら、日向の家にでも泊まったってゆっといて。」 「はぁ?」 仲良く顔を見合わせた二人には、それじゃぁね、なんて手を振って、そのまま道を逸れた。ストバスコートのある公園があったはずで、もう道を二つ三つ違えば後輩の家が近い。街頭のした、腕時計で時刻を確認し、ほんの少しだけ走った。 「しゅんくん。」 少年の姿を認め、彼は笑った。 伊月は姉妹に挟まれた一人の男兄弟だ。彼以外に『伊月俊』は、日中全てを投げ出しバスケに打ち込み思いついたように駄洒落を連発しつつも鷲の目という能力を持った、『伊月俊』は存在しない。 「やあ、久しぶり。」 少年は、白いタンクトップにカーキ色の短パンを穿いて、夜半の時間に目深に麦藁帽子を被っている。 「背、伸びた?」 「かわらないよ。」 伊月の問いかけに、少年の返答は熱が無い。そっか、と独り言のように伊月は口の中で呟いて、少年を通り過ぎて自販機でオレンジジュースとスポーツ飲料を購入し、傍にオレンジジュースを置くと、座ってペットボトルの栓を切った。少年も伊月の隣に座った。 「静けさは心地良い。」 「そう。」 何の音もしないちいさな公園には、自動販売機と最近設置された新しい公衆トイレと小さな遊具。フェンスを二枚仕切ってハーフコートが設置されている。道路を挟んだ向こうには新しいアパートメントがあって、高校生には小さい遊具でも、そこに住む子供には丁度良い玩具だろう。 「ねえ、なにか、おはなしして。」 「抽象的だねぇ、何がいい?」 「・・・いぬとねこのはなし。」 何度も聞いたリクエストに、伊月は思わずちいさく笑った。 「いいよ。」 ほ、っと安心したように、少年は笑ったようだった。くいくいと伊月の袖を引っ張って、催促する様子は可愛らしいのだが、膝は擦り剥いて膿んでおり、腕には皮膚が剥がれてもおかしくないくらいの大きな火傷があった。 「昔々のお話です。」 絵本でも読んで聞かせるかのように、優しい声音に少年は頬を持ち上げ、身を乗り出した。 「川を挟んで、大きなお家が二つありました。ある日、片方のお家から、とっても綺麗で高価な刀が無くなってしまいました。」 うん、うん、と熱心な様子に少し笑って、一度喉を潤して。 「お家の偉いひとが、犬と猫に言いました。隣の家が怪しい、お前達見てきなさい、と。そうして、犬と猫は二人並んで川の向こうにあるお屋敷を目指しましたが、猫は水が苦手です。泳げないので、犬の背中に載せてもらったのです。」 「いぬはおよげた?」 「犬掻きっていうの。そして、お隣の屋敷の蔵に、きらきら光る脇差を見つけ、これに違いない、と犬が咥えて、また猫を背中に載せて、川を渡ったのですが・・・!」 「わたったのですが!」 「途中で泳いでいた魚に気を取られた猫が川に落ち、慌てた犬の隙をついて、河童が刀を持って行ってしまいました。」 「かっぱ!かっぱ!?」 いよいよテンションが上がった様子の少年は、オレンジジュースの缶を抱えて伊月の膝に乗っかった。 「犬は猫を引き上げて、河童を捕まえにもう一度川に飛び込みます。そして、河童の首根っこをに噛み付いて引き上げました。河童の首に紐を巻き、犬は、刀を俺たちに返せ、そうじゃないとこのままだ、と紐をひっぱるので、河童も慌てて、返してくれました。」 「めでたし!」 「しかし、犬が河童の紐を解いている間に、猫が刀をご主人に持って行ってしまい、お前はよく働くいい奴だ、と猫だけが褒められ、犬は役立たず、と叱られてしまい、それからは犬と猫は顔を合わせれば、犬が猫を追いかけるようになったのです。おしまい、っと。」 「おしまい!」 随分と楽しげに手を叩いた少年に、伊月はほっと安堵のような息を吐く。今夜のお話も楽しんで頂けたらしい。 「しゅんくん、いこ!」 「またか。何処に?」 「みんなとこ!みんな、しゅんくんのおはなし、すきだよ!」 「人魚姫の話は泣いたのに。」 「だって、かわいそうだったもの。」 「でもね、俺は、 「最近の伊月君っていっつもああね。」 別れた道から数百メートル、相田が不意に口を開く。日向も同じように考えた。基本的にスタミナのない伊月は、我等が相田監督の地獄練習メニューを終えれば真っ直ぐ家に帰る。時折付き合いでマジバなんかで買い食いすることもあるが、二三度は途中で寝入って水戸部や木吉に負ぶられて帰った事もある。 パッ、と眼前が光って、二人は足を止める。信号は赤を示しているのに、トラックが走り込んできたのだ。驚いて立ち止まり、あぶねー、なんて道路側に相田を庇った日向は呟いた。 「ちょっと!私を庇ってどうする気!スポーツ選手は自分の体第一にしなさい!」 と、そんな風に叱られるのはご愛嬌ということで。 「伊月、何処だ?」 そしてそのまま、催促されるままに伊月の携帯電話にコールをさせられる羽目にもなった。好い加減慣れてきたが、理不尽である。 伊月がその夜、電話に出る事はない。 「おかしいな。」 「あの先って公園あったわよね?そこのベンチで休んでたりしない?」 「おー、あるかもなー。」 それはあるかも、と二人で頷いて、深夜の道路にたまに車の行き交う、時々アパートメントの窓からテレビの音なんかが零れているちいさな公園に立ち寄った。 そこには、栓の切られていないオレンジジュースと、半分程中身の減った、伊月が好むメーカーのスポーツ飲料のペットボトルが転がっていた。 目の前に広がる鳥居鳥居鳥居。京都にこんな場所あるよなぁ、と伊月は考えて、階段を登りながら手を引く小さな手を見下ろす。皮膚は剥がれ、肉はピンク色だ。出血は無い。先週に出会った少女が駆けて来て、しゅんくんっ、と弾んだ声で抱きついて来た。 「最後まで話は聞こうよ・・・。」 些かげんなりとした声音に、ぼろ衣のような服を纏った、足に血の伝う少女はあからさまに不機嫌と不満を全面に、頬を膨らませて眉を下げる。少年の顔は麦藁帽子で確認出来ないが、同じようなものだろう。 子供は、傲慢で不遜で我儘で、とても優しい。 きりきりと、ぼろぼろの爪が腕に刺さったので見れば、骨と皮に服装だけはきちんとした子供がいる。 「しゅんくん?」 「・・・火に曝されると、直接火に触れた事による火傷と酸素欠乏、煙や一酸化炭素の吸引が死因になる。神経性ショック、脱水、気管支損傷、敗血症、感染症と死因は多岐に及ぶ。子供の場合は10%以上の火傷でショックを起こす。」 童話を話していた時と同じ温度の声音で、その黒い瞳は冷ややかに少年を見た。麦藁帽子を剥ぎ取れば、赤黒く焼け爛れた顔半分に、瞼を焼かれた目は異様にギョロギョロと、爬虫類のそれに少し似ている。 「バタードチャイルドシンドローム。原因はちょっとした苛立ちだ。それがエスカレートすれば親は子供が逆らわないのを良いことにころされたりだったりするさ。」 ぼろ衣を纏った少女は一歩下がって、急に卑屈なその目で伊月を見上げた。 「体重が70キロの成人男性が、ただ横になっているだけでも必要なのは1650カロリー。一日中肉体労働をすれば7000カロリーが必要になる。まず、炭水化物がエネルギー源として消費され、脂肪、蛋白質の順番で消費される。ビタミンやアミン不足が原因で日常生活に支障が出れば、食欲が失せ、無気力になり、衰弱して体重が一気に減る。筋肉は削げ落ち、内蔵まで痩せる。小綺麗な格好が出来ても、饑餓状態の臭いは酷いんだよ。」 「うそつき!」 「俺が嘘を吐いた事はあるかい?いつもお話する時は言ったはずだ。昔々のお話です、ってね。」 どん、と細い腕が幾本にも増えて仲間に比べれば痩身の自覚がある身体を押す。 今まで登ってきた階段を、伊月は一瞬浮いてから、転がり落ちた。 どうしてこうなった?と頭に巻かれた包帯を触れば、じっとしてなさい、と輪切りにされた林檎が口に突っ込まれた。 骨に問題はなかったが、その場に急に現れたという日向と相田の言を信じるなら、検査入院くらいは妥当だと思ったが、まさか頭皮が裂けていたのは予想外だった。 「子供って時々コエーよなー。」 「怖いのはお前だダアホ!」 輪切りの林檎を延々咀嚼させられるという折檻を受けつつ、ぼやけば日向に怒鳴られた。大部屋に一人という環境は、実はちょっと怖い。 「知らないひとにはついて行っちゃいけませんーって習わないのかな、最近って。」 「いや、言うだろ。言うよな?」 「そうよ!そうでなくても最近は物騒なんだから。」 しかし、あの生活音すらない公園で出会った子供達は皆、そんな風には育ってこなくて、そして育たなかったのだ。 「大丈夫。俺はお前らと酒が飲めるようになるまでしなないから。」 「自分でしぬフラグ立てんな伊月君の馬鹿!」 「しんでもしなせるかダアホ!」 さて、今夜に遊びに来たいらしい、隣のベッドに腰掛ける男の子には、何を語って上げればいいだろう。 「いやでも本気で伊月君。伊月君いないと日向君の練習も身が入んなくってー。」 「ちょっカントク!」 「えー?まじでかひゅーがのへたれー。」 「あ、林檎無くなっちゃった。バナナ食べる?」 「いや、流石に晩飯食えなくなるから。明日には退院して明後日から学校行くから、日向もしっかりなー。」 あらもうそんな時間、と相田が立ち上がり、日向は白い包帯が痛々しく映える黒髪を撫ぜやって。 「早く帰ってこいよ。」 「うん、木吉と違ってすぐ戻れる。」 つっといてー、なんていつものように一頻りおどけて病室を出る二人に手を振り、扉が閉まるのを見届けると、廊下を歩き回る看護師の靴音も窓の外の鳥の声や車のエンジン音すら一切聞こえなくなった。 心臓と、呼吸の音だけ。 「しゅんくん。」 「・・・何かな?」 「おはなしして。」 |
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日々のコメントやタグ弄りやブクマコメやブクマ数、閲覧や評価やアンケート回答に感謝いたしまして、いつもとちょっと違う伊月先輩をお届けします。前作のタグ、ほんっとうに嬉しかったの・・・!! あっちょいグロいかったらすいません。
2012年08月29日 16:52初出を再構成。
ホラーにしようと思ってホラーになりきらなかったものw
20121115masai