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梅雨の開けた初夏の太陽の元、走ったり歩いたりと様相は様々であるが。
「あっつー!」 「言うな、余計暑くなる。」 いつの時代も若人と言うのは、見ていて小憎たらしくも微笑ましい気持ちになるものだ。 続・伊月助手と誠凛籠球部の華麗なる活躍。前篇。 帝都から外れた、小高い丘の上に申し訳程度に踏み固められた道を運動靴で歩く。それぞれ通過点として判子を捺してくれるのは誠凛師範女学の生徒で、そこで話し込んでしまう者もいる。 「はい、伊月くん、福田くん通過、っと。籠球部連中はあと黒子くんと火神くんだけね。」 「黒子バテてないかなー。」 「各自水筒持ってるし、道も一本だから平気でしょ。はい、福田くん、通過証明ね。」 「ありがとうございます。」 通過チェックにいた相田リコに福田寛は頭を下げて受け取る。峠の道からは時折棄てられた山小屋や遠くに民家や農場も見えた。ほぼ埼玉との県境にあるこの峠を渡って、宿泊施設を借りて、特別課外授業や試験の補講をやる。籠球部からは残念ながら誰とは言わぬが二人ほど補講受講者が出ている。二泊三日での遠足や小旅行を兼ねたもので、定期試験の休息に、と今年度から導入された。試験的学校行事は幾つも導入されてはあるが、失敗なら廃れるであろうし、成功なら伝統として続くのだろう。 「一年も全員通過した?」 「日向主将が引率してましたね、おそらくは。」 「そうね、早々に通過してたわ。走って。」 それはまた何とも日向らしい。伊月は少し笑って、天使の輪が輝く黒髪に流れた汗を拭う。水筒で水分補給も忘れずに。シャツを脱いでしまって袖無しで歩く者もいるが、風が通れば涼しいので、と伊月は元々汗を掻きづらい体質も手伝い、インバネスも羽織ったままだ。学生帽も良い庇になる。 「福田、行ける?」 「大丈夫です!伊月先輩行きましょう!あ、でもしんどくなったら・・・。」 「誰に言ってんだばーか。そんじゃカントク、また四日後。」 「はいはい、行ってらっしゃい。」 がんばってね、と二人を送り出し、また通過者名簿に印を付けながら通過証明に判を捺す。因みに判子は彼女たち手ずからのようで、相田から捺された判子は猫の顔をしていた。その前は兎だった。通過したと言う証明に紙面に捺されるだけだが、なかなか個性が見えて面白い。 「暑いですね。」 「まあ、夏だからな。」 しかし場所が場所なのでなかなかに爽やかだ。夏場でも山は涼しい。葉の生い茂る木々に木漏れ日に、獣道にはみ出している笹の葉。時折流れていく風は時折鳥獣の無く声なんかも混ざって、数日前までのじっとりしたそれでなく、さらりと頬を撫でていく。 「伊月―!よくそんな恰好でー。」 「おお、上田。お前は少し遠慮しろよー。一応女学の子来てんだからー。」 あはは、と空手部主将は伊月にからかわれた格好が、ほぼ下着一枚だ。鍛えた体躯に汗が伝って大和男子そのものであるが、婦女子いんだぞ、と。 「いや、通過点では着てたから。」 「足場悪いのが効きますね・・・こう。」 「ああ、脚の筋肉来るよなー。いいじゃない、鍛えられて。」 よいせ、と普段の上等な革靴で無い靴はどうにも空気が籠りがちだが足の形にしっかりと踏み込めるのが有難い。その場で何度か踏み直して、雑談も交わしながら道を行く。 「そういえば伊月、一週間も休んでどうしたんだ?先々月だったか。」 「あ、そういう空気?」 一週間も何かの事情で休んだのは何か重たい事情でもあったのではないか、そんな詮索がやっと落ち着き、伊月の普段の振る舞いで不幸があった訳では無いらしい、と結論は出たのだろう。 「元海軍軍人の事件知ってるっけ?」 「ああ、痴漢の。新聞で読んだ。後輩に何人か被害者が出たあれか。」 「それの関連でね。警察に引っ張られてた。」 「はあ!?」 「えっとー、被害状況と、あと犯人確保協力?とかそんなんしてた。もー、水戸部が授業のノートくんなかったら今回の試験終わってたよ俺―。」 「すっげぇなぁ。」 「もっと褒めろー。」 「右手の包帯も取れましたしね!」 「そっ!もう思う存分籠球出来るー!」 「流石籠球の貴公子。」 「ですよね!」 「ちょっと待て、何その貴公子って。」 お、と上田は瞬き、ああ、と福田の微苦笑に、伊月は器用に片方の形の良い眉を顰める。 「知らねぇ?籠球部の貴公子って呼ばれてんの。女学の連中に。」 「伊月先輩、知りませんでした?試験前によく見学の女学のひとたちに話しかけられてたんじゃ。」 「ばっか福田ぁ。本人の目の前で貴公子様―とか呼べるかよ。」 「ですね!」 「俺にも解るように話してくれ。」 いえいえ、と福田は少し焦ったか、宥めるように手を振って。 「伊月先輩の男前が上がってますね、ってお話ですよ。最初に言い出したのはカントクの御同輩かでしたっけ、日向主将が武士で木吉先輩が騎士なら伊月先輩は貴公子然としていらっしゃる、とかなんとか。」 「うわー、なにそれ痒いっ!」 「しかも貴公子と書いてプリンスと読むらしいぞ。」 「やめろよー!」 このハンサムめ、爆発しろ、と上田が肘で突いてくるのに、伊月は思わず顔を覆う。でも間違ってないです、と力強く真剣に頷く福田を先輩権限で軽く殴りたい。 「試合中とかだってかっこいいじゃないですか。」 「まあ、試合中に限らんからな、お前ら。水戸部は優しくて人気だし、小金井も天真爛漫で可愛いってよ。土田は・・・あ、次の通過地点土田の付き合ってる相手らしいぞ。」 「まじでか上田!」 「本当ですか上田先輩!」 「おう、ってなんでお前らそんな勢いよ。」 「つっちーの彼女さん、一度も顔を見れたこと無くて。」 「紹介してください、というのも失礼な話ですし。」 「よし、福田、ダッシュ!」 「はい!!」 そんなこんなで大変素晴らしい速度で数人の集団を追い抜いたが、彼女たちも休憩の順番を組んでいるのか、さっき休憩に行っちゃったわ、とニアミスしてしまった。 「すっごい汗かいてるけど・・・大丈夫ですか?」 「だ、大丈夫です・・・。」 伊月は涼しい顔で水分補給をしているが、福田はちょっと情けない思いをすることになる。あら伊月先輩だわ、なんて女子連中が色めき立っているのは気にしないのか気にならないのか気付いていないのか果たして。 「あの、水筒のお水・・・前に教えて頂いた、檸檬水にしてみたんですけど・・・。」 「あ、本当に?そろそろ水筒の中身心許無くなってて。お願いします。」 「はい!水筒お預かりします!福田さんも。」 「あり、がと・・・。」 「大丈夫か福田。ちょっとペース上げ過ぎた?」 大丈夫です、と通過点に待機する彼女たちのための大きな日傘の中に入れて貰って息を整える。座り込んだら立てる自信が無い。同じ練習量をこなして寧ろ相田リコ曰くの体力の数値としては福田のほうが伊月よりも上回っているのにこの差は何だろう、と野点を愉しむ少女らと談笑する伊月を見やる。 「へえ、結構なお点前、御馳走様です。」 静かに茶碗を置いて、深々と頭を下げて、伊月の謎加減は深まるばかりで、詰まる所彼女たちにとって、何故武士や騎士ではないのかと言えば、貴公子と言うのはそういうところだろう。 「福田は点前解る?」 「少しなら・・・。」 道具お借りしても構わない、と女学のセーラーを着た少女らに問うて、脚は崩しとけ、と甘えて胡坐で緋毛氈に無粋に座らせて貰った。 「あ、水菓子美味しいです。」 ささ、と茶筅が滑る音に目をやれば、実に綺麗な手前で茶が立てられ、少女らが感嘆する中、ほれ、と割と適当に茶碗を渡される。先ほど追い抜いた集団が何事かと野点を覗き込んでは通過の捺印を貰い、上田が追い付いてくる。 「何やってんの伊月。」 「暑いときって熱いの飲んだり食べたら少しマシなるから。福田、行ける?」 「あ!大丈夫です!」 自分のための気遣いだったか、と福田は慌てて立ち上がる。礼の言葉は言う前に、笑顔で魅せられ言葉を無くした。全く乙女たちは上手い事を言う。 「ちゃんと着て来たな。」 「伊月は俺の監視係かっ。」 そう言うなって、なんて笑い合って、無事捺印。今度は森の中に入っていく。これを抜ければ最終目的地点だ。 「よし、坂道だな。俺はここから走る!」 言い置いて彼はそのまま着物の類をまた脱いで、小脇に抱えて走り去った。気を付けてな、と伊月が声を飛ばせば、合点承知の助、と実に江戸っ子な返事が来た。 「あの、伊月先輩・・・。」 「どうした、福田?」 「もう、右手、とか。」 「景虎さんにも相談したから、ほんと、もう平気。鉤爪もまだまだ磨いていくから、今度相手しろよ?」 「喜んでっ!」 元々にして御人好しである自分の性質を福田は承知している。入部だって伊月の助っ人募集、と言葉に、後に駄洒落と判明したが、切欠は間違いなくそれで。ふわりと風が動いたのに合わせて、福田が六センチの視線の低さを確認すると、綺麗な黒髪が少しだけ湿気を含んで揺れる。木陰の中に入ってしまえば帽子は暑いだけだ。 「伊月先輩。」 「なに?」 「綺麗・・・ですね。」 慌てて視線を空にやれば、夏の太陽に木漏れ日がきらきらと耀いていて、言葉は裏切らずに済んだ。汗を拭って、坂を上りきる。教師による最終確認を終えて、宿泊所に案内される。さり気なく肩に食い込み始めていた、勉学の道具や着替えの入った鞄が下せるのが有難い。 「いっづきー!ふくー!」 「よ、コガ。部屋割りどんな感じ?」 年季の入った宿泊施設の玄関で顔を合わせた小金井慎二は水戸部凛之助を伴って、全員がここに辿りつく集合の笛までは周囲の探索に出かけるつもりであったらしく、手のひらを出せば、ぱちんっ、と心地よい音でハイタッチを寄越した。 「希望通ってた。ちゃんと学年バラしたよ!」 「りょーかいっ。」 部屋割りは生徒の自主性に任せるだか何だとか、しかし管理に容易いように、部活動や専攻学科などで分けられた。籠球部は籠球部で申請して、三部屋を学年関係なく詰めた。それぞれ部屋の代表者は、日向、木吉、伊月の按配で、それぞれ同学年を補佐に後輩も上手い事混ぜて、との意はきちんと武田教諭が汲んでくれたらしい。 「気を付けてな。」 「勿論。なー水戸部!いやいや、そこで心配すんなって。じゃぁなー!」 行ってきます、とそのまま出て行った同輩に、先輩に、伊月も福田も笑って、玄関入ってすぐの管理室に顔を出し、名簿に記入。部屋の代表者の任に当たる伊月は日誌と鍵も受け取る事になる。 「部屋、結構奥のほうだな・・・。」 「何か不都合が?」 線の細い顎を摘まんで腕を組んで真剣に唸る伊月を心配そうに福田が、覗き込んで得られた回答はと言えば、耳元に手を翳されて、夜に忍び出して遊びに行けないじゃん、との事だった。耳に吐息がくすぐったくて笑ってしまった。 一階の一番奥には雨具の一式が置いてあって、その手前の扉の番号を確認し、管理室で預かった木製プレートに名字を記して扉の横にある嵌めこみ式の表札のような格好で並べば、あとはこの部屋は黒子が到着するのみだ。三年は伊月、水戸部。二年は福田、黒子と一年生がもうひとりの五人部屋は板敷きの二段ベッドが二つと予備のベッドが運ばれてある。今年度の相田式籠球部に生き残れた一年生は昨年度と同じく五名。医学部志望だと言うので伊月と水戸部が同室になった。河原が事前に福田と部屋を交換したのは、木吉の脚のためだ。 「全員揃ってからベッド決めるか。水戸部もそのつもりっぽいし。」 そのベッドであってもそこは共有になるであろう、机があるスペースに《水戸部》と刺繍がある鞄はあった。就寝用のベッドに挟まれた自習用の机は半円卓になっていて、椅子は背凭れの無い簡素なものが五つ、周辺の樹を活かして作られたのだろう、森の匂いがする。 「集合の時間までにしておくことあります?」 「別にないんじゃないか?日誌も別段、就寝時刻と備考しかないから、授業以外は自由時間だろうな。誰がどうした、ってのは一応書いていくから、何かあったら言えよ。」 「はい。」 「あ、失礼します。伊月先輩、福田先輩。」 「先に入ってて良かったのに。」 「そうですよ。」 「うっわぁ!?黒子先輩!!」 「はい、黒子は僕です。火神君も到着しました。日向主将に迷惑を掛けないか僕は心配です・・・。」 んだとこらぁ!と壁向こうからの雄叫びに、地獄耳ですね、と黒子がぼやいて入室、水戸部も帰ってくる。 「ベッドどうする?黒子は寝相良いから上でも大丈夫だとして・・・。」 ぽんぽんと水戸部が肩を叩いてくるので、振り仰げば、伊月もそうだ、と水戸部が頷き、そのままベッドの二段組みは決定。予備のベッドは仕切りが無いので、そちらも寝相が悪くない水戸部に。笛の音が二つ連続して鳴って、窓から見える宿泊所の庭にゴリ松教諭の姿が見える。 「あ、集合っ!」 「伊月先輩鍵はどうします?」 「持ってる。鍵閉める?」 「お願いします。」 「あ、俺は別に気にしません。」 「んー、掛けといて欲しいって意見があるなら施錠しとくか。窓の戸締りは?ああ、水戸部、ありがとう。」 鷲の目が一瞬で処理した室内の様子に、廊下に出ると流石に三学年全てが集まる人口密度に廊下は暑苦しい。玄関の靴の替えで手間取ったのか、随分と時間のかかった集合に、がらがらと上等な馬に曳かれた馬車が来た。 「おめーらまじで伊月の後輩かよ、なっさけねぇ干からびさせっぞ。」 馬車からはあの道を走破出来なかったらしい生徒が長い脚に蹴り出された。臙脂色の外套が鮮やかに翻る。 「特別講師を軍のほうに依頼してくるとは、なかなかの課外授業でなぁい〜?」 「ま、運命の出会いも期待しつつ、頑張りましょうかね。」 じゃりっ、とその場に三つも上等な馬車を用意して途中で離脱した生徒を拾って来たその三人の美丈夫の姿に、伊月は言葉を無くした。 「特別講師、陸軍中尉、森山由孝。」 「同じく、海軍准尉、春日隆平。」 「同じく、秀徳軍医学研究室室長、階級は准尉。宮地清志。さーどっから掻っ捌かれたい?」 宮地その挨拶ねぇわ、ないわー、うるっせ、と臙脂の軍服と白の軍服と白衣を小脇に抱えた三人は教師の説明もそこそこ、言わずとも注目の的である。 「どうい、どういうことっすか!?」 授業棟は実験室、座学室に分かれている。それぞれ有志に分かれての授業になる。今は庭は春日の指揮下に隊列を組んで延々歩かされている。医学部連中有志は実験棟で白衣を着せられ実際にガスの発生実験なんかをやっている。宮地の指揮下で。そして、ここはこうしろ、と机に回ってきた宮地に伊月は我に返った。 「だって伊月こねーし。」 「そっちから来るって訳わかんないです!」 「学校側と利害の一致の結果だろ。話進めたのは森山だ。噛み付くならそっちにしろ。」 「ちくしょう七光り!!」 「伊月君―!不敬罪で訴えるよー。」 「こちとら授業中ですけど!?」 「いやー、誠凛いいわー。死にかけてる恋人と親どっち助けるってすっげぇ真剣に議論してる。論文提出まであと三十分―。」 ぎゃあー!と座学の部屋から悲鳴が聞こえたが気にしない。飄々と生徒の一人一人の手元や表情を見て回って、いいね、と笑ってまた教室に戻っていった。 「よし、そんな頑張り屋さんの集団に俺も一つくらい課題出してやっかね。」 ぱし、と宮地は機嫌良さそうに手を打って、各々に実験器具を片付けさせた。実験室でこの授業やいかに、と数人は目が輝くが、隣室の様子を窺うにあまり良い予感はしない、と伊月は水戸部と河原の視線を受けて頷き合う。 「瑞典の薬剤師、カール・ウィルヘルム・シェーレが一七七一年に初めて見付けその後一七七四年にジョゼフ・プリーストリーがそれとは独立して見付けた後に広く知られるようになった元素は、そこの坊主頭!」 「ハイっ!?酸素です!」 「五点減点。詳しく、そこのお前。」 「えっと・・・げ、原子番号8の・・・非金属元素。」 「遅い。八点減点。その後ろのお前。」 「はいっ!元素記号はO。周期表では第16族元素です!」 「三点減点。次。」 「ああっはい!電気陰性度が大きいため反応性に富み、他の殆どの元素と化合物、特に酸化物を作ります!その状態は所謂酸化、錆びとも呼ばれます!」 「一点減点。次、最も安全な酸素の製造方法は。」 正確な答えにも減点の嵐になる教室内はいつの間にか静まり返って、にぃっと好戦的に笑う軍人に生徒は完全萎縮してしまっている。 「はい。」 仕方ない、と宮地がはちみつ色の髪を掻けば、静かな挙手。 「おう、伊月。」 「光合成。」 「Dienst!一点やるよ。」 でぃ、なに、と戸惑う連中は医学科を本格専攻しない者だ。独逸語で意味するところを水戸部が筆談で教えてやっている。 「酸素は生きる上で常に摂取するもんだ。が、さて、死ぬ方法もある。」 「酸素中毒ですか。」 「こん中で医学科、特に医者志望どんくらいだ、挙手。」 すっと迷いなく挙手をする者、おずおずと手を挙げる者、迷いもせず挙手の無い者。医学学科過程は目標までの手段である者、大型病院に就職したい者、家が開業医である者、理由は様々だが真に医師になりたい者は、どれだけいるか、とその質問はある意味大変に有意義だと言えた。 「ああ、伊月は研究員志望だったか。」 「そこで俺を引き合いに出さないでくれませんかね。」 「しゃーねーじゃん。俺、ちゃんと名前と顔と一致すんの伊月と水戸部と河原しかいねーし、この教室。」 まあそんなもんはどうでもいい、とばかりに宮地は教室内を見渡して。 「覚悟しとけよ。人間ってのは生まれたら絶対に死ぬもんだ。治しようのない病気だってあるし、戦地なんて行ってみろ。油断したら一発で死ぬぞ。特に最近の医学の進歩で医者が一番失敗してんのはこれだ。酸素中毒。伊月。」 「中枢神経系、肺、網膜症として症状が出ます。意識喪失による痙攣、呼吸困難に寄る胸の痛み、眼に視力低下や網膜剥離などの変化が起こる。この回答で?」 「Nicht schlecht. ・・・Ich wunsche Ihnen ist, wenn meine Untergebenen・・・。」 「聞こえてますよ、宮地准尉。」 「っつー訳で、医者志望、この遣り取りで何が得られたか、簡潔に四〇〇文字文書で提出。希望者には緑間総合病院辺りに推薦状書いてやる。但し、俺の合格が取れたらな。軍属希望・・・は誠凛から出るかは知らんが、軍医学研究室への推薦状もある。よく聞いとけよ。これはチャンスだからな。森山中尉や春日准尉じゃねーが、コネは持っとくもんだ。他に聴きたい話はあるか。実験したいことは。ここで出来るもんは全部やる。全部面倒見てやるよ。足掻け学生。溺れる奴の藁にくらいなってやる。・・・ってわけで。」 戦慄っと室内の気温が下がる。宮地の眼光は、ヒトを殺せる。 「何ちんたらしてんだ撲殺すんぞ。とっとと質問やら実験申請やら来やがれっつの。Scheise!」 なんだただのデレか、と伊月は嘆息し、立ち上がった。 授業の終わりは各講師で異なって、春日の授業でバテバテになっている体育会系は夕飯の合図でゾンビのように起き上がって食べて蘇り、森山のメンタル攻撃にめげた文化系は食欲が湧かないのを無理矢理捻じ込んで、宮地のグロテスク授業を受けた面々は陰鬱にもそもそと飯を喰らった。 「森山中尉、宮地准尉、春日准尉、お話いいですか。」 食後にまったりと紅茶で寛いでいる三人は食堂の片隅で伊月に声を掛けられた。 「まあそこ座りなよ。」 「ありがとうございます、森山中尉。」 「森山さんでいいよーぅ伊月君―。」 「示しがつきませんので。」 「伊月に淹れて貰った紅茶のが美味しい〜・・・。」 「なんか甘いもん欲しいんだけど伊月。」 「ここ翔一さんの事務所じゃないんでっ!」 ばんっ、と派手にテーブルを叩いてしまったが、日向がちらりと視線を寄越したくらいで、他はそれぞれの話で夢中になっている。それぞれ削られるものはあったが得られるものはそれ以上に多かった、ということらしい。 「学校側と利害が一致、と仰ってましたけど、誠凛に軍属は今のところ無い筈ですよ。」 「出始めてる、って所だろ。事実、一年の何人かは既に軍配属の希望を出してたぜ。」 「なるほど?」 確かに戦火の火種はあちらこちらに散らばったまま、どこかの国が導火線に触ればきっと世界中が燃え広がる。そんな緊張感が海を大陸を横断している気配はある。 「伊月君、宮地の研究棟入るつもりないの?まじで?」 「したい研究が出来るならしてもいいですけど?」 「つまりは入らないーって事だよねぃ?」 「話の速いひとは好きですよ。」 別に裏が無いならそれでいいんです、と伊月は立ち上がって一礼。三人は綺麗に敬礼をくれるので、返礼は忘れずに。 「晩飯の後どうするー?」 「一日目だし、とりあえず部屋整頓して、今日の復習と・・・。」 「講師の御三方も引き続きで宿泊の御予定だ。何かあればご迷惑にならない程度に話を聞きに行きなさい。」 「はい。」 教師の声もあって、そこからはそれぞれ余暇になる。 「インバネス掛けとかないでいいのか?」 「わ、忘れてました!」 半円卓に日誌を広げて備考欄に本日の感想と、誰かが体調を崩したという話は無い、とそのまま伊月は壁に掛かった衣架にインバネスやらシャツを掛け、風呂の時間まで水戸部と議論を交わしつつ、降旗が福田と黒子を呼びに来て、そのまま外出したのを見送った。どうやら近くの小川で蛍が見えたらしい。 コン、とノックの音に一年生が返事をして扉を開ければ、酷く焦ったような声音で呼ばれた。 「あれ、森山さ・・・じゃない、中尉。」 「もーいいじゃん、さっき風呂貰って寝巻だし。」 本当に気取らない寝間着姿で、手拭いで髪から滴った水滴を掬い、失礼、とそのまま入室してきた。 「忙しい?」 「いえ。強いて言うなら日誌ですが、別に今日は誰かさん方が来たくらいで何もないですし。」 「そっかー。頑張ってんね。」 えらいえらい、なんて頭を撫でられて、少しイラッと来る。 「どうかなさったんです?」 日誌を閉じて向き直ると、水戸部が麦茶を差し入れてくれて、森山はそのまま居付いてしまった。 「いやー、宮地や春日の見目もいいけどさ、やっぱ伊月君も水戸部君も綺麗だわって。」 「水戸部!今すぐコガ呼んで!!」 「小金井君の肉付きも好き。」 「やっぱ呼んじゃ駄目!!」 そうだよこういうひとだよ、と底の読めない笑顔に伊月は項垂れ、そういう趣味のひとだったか、と森山初見の一年は壁際に逃げた。 「いやまあそれも大事なんだけど。」 「どうでもいいです。」 「そんな連れないでー。」 「水戸部―どうしようー森山さんの話、内容がないようー!」 「じっくり口説かせてよー。」 「御免蒙りますね。」 あわあわと慌てだした後輩は、水戸部が、大丈夫、と筆記で示して笑顔で宥めやる。 「まじでー。軍部来ないのー?」 「行きません。」 「知識も使い道なけりゃー脳味噌の容量無駄遣いだよー?」 「翔一さんといるなら寧ろ足りない位です。」 「いやあのひとも不思議だけど。謎めいて。あ、そういうのがいい?やっぱ。」 「森山さんも負けず劣らず謎なんで結構です。」 三年から順に風呂入れー、と教師の呼び声が掛かって、まあ考えといてよ割と真剣に、と森山が退室すると、水戸部と風呂の用意に掛かる。留守頼んだ、と後輩に鍵を預けて部屋を出る。 「おう、伊月。黒子と福田帰ったか?」 「うん?日向んとこ火神帰ってない?」 「降旗と河原も出たままだぞ。」 風呂場で日向と木吉の顔を見て、声を掛け合って、はて、と首を傾げたが、まあその内帰ってくるだろう、他の部屋も二年の数名は連れ立って帰ってきていない、と情報を交わしながら風呂から上がって、寝巻って家の個性出るよなぁ、なんて笑いながら部屋に帰ってきたが、二年生の入浴の声が掛かっても帰ってこないのには、流石に、と日向の眉間に皺が寄る。 「仕方ないな、まだ日が沈み切っていないのもあるが・・・。」 木吉も唸って、伊月は懐中時計の針を見る。かち、かち、と針が進むのに、戦慄っと背が何かに齧られる。こんなにもこころ急かされる音であったか、と。夕闇に夕立が走り出して、雷鳴が遠くに響いた。音が来る前に伊月は目を閉じる。 「ひゅ、が、っキャプテン・・・!」 雷に、ば、っと光った玄関先に二人分の影が差した。 「火神!」 全身がずぶ濡れで、背には降旗を背負ってあって、ぜいぜいと肩を上下して呼吸が荒い。この雨の中を走ったとして、果たしてそこまで濡れるだろうか。 「っ、木吉!水戸部と救護室準備!」 「火神、案内できる!?何人いた!?」 「俺ら、全員で、一二人、す!行けます!」 「着替えてくる!怪我してないか、水戸部お願い!」 そのまま伊月は袖無しと結びきりに着替えて雨合羽を羽織る。火神の分と、あとは。 「手伝うぜ。」 「暇だし〜?」 宮地と春日の手があった。 「助かります!森山さんにこっち任せていいですね?」 「構わん。現場指揮は基本あいつの分野だ!」 「俺らはあいつほど体力落ちとらんし〜。」 廊下を駆けて、玄関先で怪我の有無を水戸部に確認されて頬の傷のみで問題なし、と診断され、降旗は腹部を強く打っており、救護室で応急手当てを受けている。 「ひゅーが、任せるよ!」 「伊月・・・宮地さん、春日さん、頼みます。」 日向の視力は生まれつきに良いものではないので、特に雨の時は眼鏡があっても視界が霞んで危ないのだと、それくらいの事情は幼馴染なら知っている。任された、と拳を合わせてそのまま火神の案内で、彼らは夕立の中を疾走した。 続く。 |
初出:2013年6月27日 01:51
というタイトルの割に森宮春出張りましたwあとくだづき!!くだづきです!!
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くだづきよくないです?
20140109masai