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近年、女性の肌の露出と言うのは増えている。
誠凛女子師範高等学校の制服はセーラー襟に膝下丈のスカートだが、スカートではなく袴での通学もおり、自分で短い丈に改造したりする生徒もいるが、風紀が乱れない程度に服装は自由である。 それは、早朝の全校集会で聞かされたことで、体育館と校庭の敷地は共有している、別々の校舎に通う女子生徒と学外以外で出会える場所でもあるのだが、校庭の半分が空だった。 伊月助手と誠凛大学籠球部の華麗なる活躍。前篇。 誠凛大学籠球部は変わった集団だ。生徒たちが自分で立ち上げた部活動であるという経緯も関係するが、顧問責任教師を預かる武田教諭は学校内では最高齢であり、部活動中も女子生徒が監督業を務め、主将がしっかり部内を纏め上げ、会計も生徒で回しているのを『見ているだけ』とも揶揄されるが、その日は違った。 いつも杖に預けている頼りない足腰で、しっかと地を踏み、しょぼしょぼと笑っている目と口をかっ開いた。 「女子を傷つけるものは外道の仕業と知れ!!大切な者を護れない者は男子とも呼べん!!」 これは今朝がた女子生徒が通学途中で不審者に切り付けられたことが由来する。寒風吹き荒ぶ中で校庭中に響き渡った声で、日向順平は手のひらを破りそうに拳を握った。誠凛大学は平常授業。昼休みには誰からでもなく集まって、特に被害女生徒と家の近い日向と伊月は随分と落ち込んであった。切り付けられた女子生徒の名前は相田リコ。二人とも同じ中学から上がってきて、接し方に違いはあれど、仲の良い三人だった。他にも相田とファーストネームを呼び合う仲の木吉鉄平は大きな図体で大きな影を背負って、それはいくらなんでも、と小金井に心配された。朝練の時刻になっても到着しない相田の事を、自主練習の後に武田顧問に聞かされ、全員で血の気が引いた。 「コガ、電話の使用許可貰ってきて。ツッチー、彼女さん心配だろ?声かけたげな。」 「あ、・・・ごめん。」 りょーかいっ、と敬礼の真似事で小金井は廊下を駆けた。また叱られるだろうなぁ、と伊月は思ったが、宿直室前の電話機を土田が使い終わってひと心地つかせると、木吉が相田総合運動教室への番号を交換手に告げたが、誰も出なかった。 「ちょっと借りる。」 伊月が交換手に告げたのは、今吉探偵事務所の番号だ。まいどー、と長閑な声に受話器を砕きそうになった。 「翔一さん、花宮に代わって下さい。」 「え、花宮?」 「え、悪童!?」 「花宮サンですか・・・。」 誠凛籠球部では嫌悪と言う感情は言うほど強くは無いだろうが、嫌いな人はいるか、と聞かれれば、木吉以外は花宮真の名前を上げるだろう。寧ろ、何故木吉が花宮を恨まないのかが不思議な話である。結局木吉以外の部員全員が複雑そうな顔で伊月を見て、どんなもんだよ、と日向が受話器を挟んで伊月の隣に肩を寄せる。 「今朝の情報行ってる?」 月ちゃんが相手してくれへんー、と喚くこちらに、情報は持っている花宮が、あー、と気だるげに唸った。学校どうしてんのコイツ、と日向が眉を寄せた。 「・・・玉筋魚の釘煮は知ってるか、花宮。近畿の、摂津や淡路の特産。」 知ってるけど、と胡乱な声に。 「次の春に差し入れる。」 「は?」 隣で眼鏡がずり落ちた日向を放って、そうだなぁ、と伊月が指先を顎に持って行き、企むように笑った。許可貰ってきたよ、と帰ってきた小金井が首を傾げている。 「ハンバーグにチーズ入れるのって美味しいって知ってる?俺は猫舌だから食えないんだけどー。」 ちょっと待ってろ、と花宮は言い置いて、がたがたと何かを動かして、伊月に情報を渡した。口頭で渡される情報を伊月は手帳に書き込む速度に日向は目を剥いた。 「・・・花宮さんの認識変わりました・・・。」 「玉筋魚の釘煮とハンバーグ・・・。」 「え、ちょろ・・・い。」 伊月が花宮の情報をメモし終わって、聞こえてんぞ、と唸ったのには伊月も苦笑する。 「まーま。食生活には気を遣えと言う話じゃないか、悪童?また今朝もチョコレイトで済ましたとかねーよな。そんじゃ、情報あんがと。」 ちん、と受話器を置いて、何かを喚こうとする花宮の声は強制排除。くるりと鷲の目は同輩や後輩を認めて手帳に目を落とす。 「三日前くらいから、この付近をうろついてた不審者の情報がある。こっちと女子高等は校門が真逆だろ?」 校舎で校庭をぐるりと囲ったような作りに、鏡合わせのように大学と師範学校の校舎は並んでいる。 「相田リコは今朝の通学で腕を切りつけられて、すぐに誠凛師範女子高等学校職員室から通報、緊急搬送、っていうとあれだけど、傷自体は浅いし若いから傷跡も残らないだろうって、これは緑間総合の担当外科医から。景虎さんも今病院。カントクの声は聞けないけど、いのちに関わるような怪我もなくって無事だって事は判明したよ。」 「あの。」 「はい、黒子どうした?」 「情報の真偽は・・・。」 「俺の経験則。それじゃ足りないか?入院もしないで帰るってゆってたから、ひゅーが、帰りに相田総合運動教室寄ろう。」 「え、ああ。・・・木吉、どうする。」 「か、えってから、電話してみる・・・。」 了解、と日向が応え、さて、と部員に向き直る。 「カントクがちゃんと元気かどうか、これはちゃんと俺と伊月で確認してくる。お前ら、変な心配すんな!」 はいっ、と部員の声が揃って、ほ、と伊月は息を吐いた。日向が引っ張って木吉が支えて相田が押す。そうでないとこの全国を制覇したチームでも足並みだって乱れはする。押すことは出来ないが、一人でも取りこぼされないように周囲を見渡すのは伊月の仕事だ。 「安心したら腹減った・・・です。」 「玉筋魚の釘煮とか伊月先輩言うからぁ・・・。」 「チーズ入りのハンバーグいいなぁ。」 「うおーい、俺のせいにすんなー。昼飯にするよ。ひゅーが、木吉、カントクからの信頼裏切るなよ。」 「お前もな。じゃ、今日は自主練だけ。過剰練習には気を付けろ。」 事実上、そこで解散になるが、いつも通り屋上の近い踊り場で昼食は広がる。 「つか、玉筋魚の釘煮ってまじで?」 「ん、文通してるひとに明石の漁師さんの娘さんが居て。」 「文通!?」 「親父の実験だよ。今度そういう雑誌作るか、つったら、神戸の新聞社が協力してくれたとかで、姉さんも舞も三人くらいいるよ、文通相手。」 「へぇ!良いですね顔も解らないひととの文通!」 「うん、面白いよ、なかなか。で、次の春に送ってくれるってゆって下さっててさ。花宮は案外ちょろいよ。食欲無いとか言いながら食いたいもんは食うし。」 多分あれめんどくさいだけだよ、と伊月は苦笑し、材料仕入れんの翔一さんに言うの忘れてた、と主婦の様な失敗を述べた。 「勉強なんかもなんだかんだで面倒見てくれるしね。霧崎凄いよ。もうテキスト訳わっかんないもん、理数以外。」 「理数は強いからな、伊月。」 「回答がひとつっきゃないからね。そういう意味では現代文も得意だけど。パズルみたいで。」 そんな雑談をしながら、他人の気配に伊月が階下を振り返ったのに黒子が反応した。 「悪い、上田ぁ!月末の練習試合無理んなった!」 廊下を通りすがって頭上から声を掛けられた生徒は伊月を振り仰いで、嘘だろぉ、と嘆いた。 「空手部・・・の主将ですよね、今の先輩。」 「うん。」 「最近お前、空手やら柔道やら剣道やら出入りしてっけど・・・。」 「勧誘もされてたけど・・・?」 「うん、無理んなった。」 どういうことよ、と小金井が身を乗り出したが、一身上の都合、と手のひらを突きつけるだけで終わる。 「さて、カントクになんか託けあっか?」 「お大事にと。」 「はいよ。お前らも気を付けて帰れよ。」 「捕まった情報は入ってないからね。」 父親と母親のように日向と伊月が言葉を重ね、その場で午後の授業へと散会した。 「お、プッツン眼鏡とサラ男じゃねーか。」 「どうも。」 「リコさんの様子はどうですか?」 放課後、言葉通りに二人は相田総合運動教室を訪れた。様々な運動器具と道場も兼ね揃えた広い施設は時折誠凛籠球部でも利用させてもらう。二人も幼い頃は鍛練だ何だと放り込まれて剣道やら柔道やらは一応自分の型がある。 「リコたんにも困ったもんよ。怪我してても選手の面倒は見たいだと。」 「眼は肥やしておきたいんでしょう。」 部員の代表で見舞いの旨を告げると、道場での掛け声の向こうに相田がちょこんと座っており、二人の姿を認めると、あらま、とくちびるを動かした。 「ひょっとして心配させた?」 「「したよ!」」 そして、皆してるよ、とも声を揃えて、日向は後頭部を竹刀で叩かれた。 「いってぇす、景虎さん・・・。」 古今東西あらゆる運動競技格闘競技の道具を揃えた教室の主は、竹刀は勿論木刀、模倣弾の入った拳銃を日向に突き付けた。 「下心でもあったら承知しねぇぞ、餓鬼?」 「こらパパ。」 どうも一人娘を溺愛しまくっている相田景虎は軍議格闘からあらゆる闘い方も競技も網羅した、ある意味では変人でもある。元は陸軍兵士だが辞めた今は帝都の片隅の道場主である。娘の溺愛ぶりも相当ではあるが。 「無いですって何回ゆったら解ってもらえるんすか!つか伊月!伊月もいるし!?おいサラ男!!」 「え、だって俺、小学校時代にもう振られてるし。」 「はい!?」 「うん、私より可愛くて弱いなんて嫌いーって。」 「初耳なんですけど!?」 竹刀を掴んで木刀を避けた日向がそろそろ楽しくなってきたのか道場主も容赦がなくなって、今度は日向に竹刀を握らせ切っ先を競わせた。 「あの時代もリコたんも可愛かった・・・!」 「あの頃からカントクは鬼だったね。」 「そうかしら。小学生の言う事なんて皆残酷よ?」 「そのお蔭で俺はこころに消えない傷を負った訳。御分かりかな、キャプテン?」 「てめぇらなんでそんな長閑!?カゲトラさんギブギブギブ!!!」 「しゃーねぇ。見舞に免じて許してやるか。」 「そろそろ次の生徒さん来るわよ、パパ。」 「だよねぇ。」 インバネスコートを小脇に抱えた伊月が腕時計を確認すると、数人の中学生が門をくぐってくるのが窓から見えて、先程まで仕合をしていた大人は汗を拭いながら談笑している。 「で、カントク、傷は?」 「こんなの、バスケットボールが当たったほうが痛いわよ。」 袖を捲って見せられた左腕は綺麗に包帯が巻かれてあって、その白さは痛々しいが、彼女の状態からして悪いものではない。病は気からともいう。 「お医者さまも大きな傷跡は残らないって仰ったし。」 「リコたんの玉のお肌がぁ。」 「担当医はなんて方でした?」 「野村先生って方。」 「あ、じゃあ大丈夫。俺の背中の治療担当、その先生だったもん。」 「その背中はどうなったサラ男くん!?」 「見ます?結構ずったずたに火傷しちゃって死にかけたアレ。」 「ああ、大会前にあれやってたら殴ってたわよ、グーで。」 恐れ入ります、と苦笑した伊月は背中に受けた衝撃には動じなかった。鷲の目は見えていたわけだ。 「リコさんこんにちは!相田先生相変わらずリコさん?」 「命!」 「ですよねー!兄貴、どうしたの?」 「何でも無いよ。つかお前幾ら身内だからって簡単に異性に抱きつくもんじゃないだろう?」 「考え方ふっるー!」 「そういうセリフは。」 幼い頃の伊月俊と同じく、伊月舞も現在は鍛練にこの道場を使わせて貰っていて、今は着なれた胴着を着ている。将来の夢は関取を投げることだそうである。妹の将来が兄はちょっと心配だ。 「俺の襟でも。」 そんな妹の襟を軽く掬い上げて。 「一本取れるようになってから。」 ころんっ、と本当に簡単に右腕一本で妹を転がせ伸した。 「言いなさい。」 みゃーみゃーと悔しそうに喚いている妹が足首に齧りついてくるのには、相田父娘の声に振り返る。 「・・・伊月くん、それ合気?」 「どちらかというと軍格闘に近いぞ。柔道では一本だが。」 「ども。最近少し鍛えてまして。」 少しだけ、と眉を下げて伊月は笑った。肝心な時に役に立たないけど、と呟いたのに相田が眉を寄せ、ぽんと肩を叩かれた。 「リコたん、胴着余分どこ?」 「え、いつもの場所だけど・・・。」 「サラ男、ちょっと着替えて来い。」 「え。」 相田景虎の眼が、例えるなら試合運びを綿密に練り込み選手を鼓舞する娘のそれと似た、それよりも更に鋭いものになる。 「・・・いや、あの。」 「肝心な時に役に立つようにしてやるってんだ。」 「っ、ありがとうございます!」 その言葉に伊月は深く頭を下げ、相田運動指導教室と油性ペンで書かれた胴着に身を通した。日向はすっかり展開に置いてけぼりを食らっていて、順平さんこんにちは、と伊月の妹に丁寧に挨拶されて、曖昧に頷いた。 「何あいつ・・・。」 「気付いてなかったの?親友の肩書、形無しじゃない?」 「あ、カントクそれ頂き!」 「カタ、しか掛かってないわよー。」 「大事なのはインスピレーションですよリコさん!」 「リコたんー合図くれるかー。」 「解ったわ、パパ。」 手首と足首を回し、肩の関節を伸ばす。足の筋まできっちり伸ばして解した二人が対峙する様子は、一部の生徒も注目した。日向が学生服の袖を握ったのはきっと無意識だろう、それを横目にすうっと相田の無傷の手が持ち上がる。 「始めッ!」 空気を裂いた腕が鋭い声音を合図に振り下ろされる。相田景虎の眼球の動きから伊月は読んだように一度床を強く蹴って、脇に飛び、その襟に指先を掛ける。 「フェイク。」 相田が呟いた。 その袖を絡め取ろうとした腕から逃れて今度は殆ど背後を取る形で腕が撓る。右肩を背後から絡め取った腕はそのまま背中に爪先を掛け、飛び上がった。うわぁ、と感嘆は誰か、猛禽類の瞳のように獰猛に輝いた黒曜石に繰り出された指先を、伊月は首を逸らして流し、開いた腕で弾くがその袖を取られた。 「げっ。」 「甘いぞ若造。」 そのまま横薙ぎに振り回され、肩に絡んだ腕も解けて宙から撃ち落された鷲は、木製の床に、ズドン、と脚を振り下ろして吹き飛ばされることは免れた。 「・・・ったぁ・・・。」 「伊月くん大丈夫!?」 「だーいじょうぶ。でも床板傷んだらごめん!あ、キタコレ。」 なんださっきの、と日向は呆然としたまま、ほっと息を整えた伊月を見た。昔から可愛らしい顔立ちをしていたが、大学に上がってからは頬の幼さが綺麗に成長し、戦慄っとするほどうつくしい青年になった同輩は、一瞬、知らない人間に見えた。 「い、づき・・・?」 「ありがとうございました!」 綺麗な姿勢で頭を下げた兄に妹が駆け寄って、すごいあれ、どうやったの、なんて腕を引っ張りまわしている。 「おい、プッツン眼鏡。」 「は?」 「ちょっとここ押さえてくれ。」 「あ、はい。」 肩の部分をぐっと抑えるように言われて、あれ、と手のひらに力を込めると歯車が噛み合うような感触がした。 「今の・・・。」 「肩、外しに来てたわよ。まず、左から襲撃。それから背後に回って右肩を獲る。背中を蹴ったのはパパとの体格差を考慮してだけど、自分より小さい相手だったらその衝撃で吹っ飛ばしてたわよ。元々脚力はあるほうだったけど、なるほど・・・。」 「あのまま脳天に膝でも食らってたらやばかったな。おお、関節入った。あんがとな、プッツン眼鏡クン。」 「わざと入れなかったのよ。私が怪我してて、審判してて、日向くんも舞ちゃんもいたから。」 「恐るべきはその判断力ってか。速度も上がるぜあれは・・・。」 「そんな・・・凄いんすか、あいつ。」 憮然と呟く日向に、あー、と景虎は頭を掻いた。 「年齢にしちゃぁ。あとは伊月のガキにしちゃ、って所だわな。」 凄かった、と喜ぶ妹に、その同輩に、年長者にまで、カゲトラさん獲るかと思ったよ、と言われて若干慌て気味の伊月を相田は凝視っと視やる。 「日向くん、伊月くんの事、ちゃんと見てあげて。伊月くんが無茶するの、知ってるでしょ?」 「無茶するつーか、無茶してる自覚がねーんだよあいつぁ。」 俺もクラッチ入れねぇとまずいか、なんて日向が首を鳴らすものだから、相田は思わず笑った。 「ああ、あと、木吉がすげー心配してたから、時間あったら連絡してやっとけよ、カントク。」 「あらま。」 「ボケ男がどうしたー?」 「どうもしないどうもしない!!」 ゆらっと立ち上った景虎の気配に慌てて娘は手を振って、伊月くん、と呼んだ。着替えてらっしゃい、と。 「鞄持ったりとか、負担は掛けないほうが傷の治りは早いから、登校出来るようなら連絡して。迎えに来るから。」 「だな。木吉や火神なら隣に居るだけでも用心棒になる。」 「そこまでしなくていいわよ。もう片腕が開いてるわ。」 「景虎さん、通学の許可は?」 「念のため、一週間は様子見と通院だな。行けるようなら行ってもいいと医者は言ったがなぁ・・・。」 「心配しすぎっ!暫く鉄分多めに採って寝たら治るわよこんなの。」 でも、と言い募ろうとした男共の鼻先に、相田はその華奢な指先を突きつける。 「明日っから、メニュー三倍!私の心配する度、またその二倍にする!」 「「うげ!?」」 「伊達に籠球部カントク名乗っちゃいないわよ。いーい?私が居なくっても、ちゃんと主将の仕事も会計の仕事もサボらない!黒子くん見逃さない!伊月くんまで倒れない!怪我もしない!愚痴は言っても弱音は吐くな!私の知ってる誠凛籠球部は格好いいんだから!ぜーったいに!へこたれたら承知しないんだからね!!」 部内の花とは到底呼べない彼女だが、凛と前を見据えて部員に指示を出すカントクは誰よりも正しく強く、決して儚い事は無い。 「わかった。わーかりましたっ。ひゅーが、ここは引き下がる所だ。カントクが帰ってきたら良いトコちゃんと見せちゃおうぜ、キャプテン。」 「あーも、何だよそれー。解ったよ。メニュー三倍な。朝練もか?」 「朝練は各自任せる。寒いからって柔軟サボったら痛い眼見るわよ。」 それじゃぁね、二人とも、と相田は二人が父親に頭を下げて道場を出ていくまで、背を伸ばして顎を引く綺麗な姿勢を崩さなかった。 「・・・ありがと、パパ。部屋戻る・・・。」 「ちゃんと抗生物質と解熱剤、飲むんだぞ。」 くたっと椅子に凭れた娘の額に手をやると、傷が原因の熱が上がっている。先ほどの二人に随分と見栄を張ったらしい。伊月の妹は察してくれたようで、口元に人差し指を持って来て、微苦笑した相田に安心させるように笑った。 「と、何でかメニュー三倍になった。」 「なんでだ!」 「御尤もなツッコミをありがとうコガ・・・。朝練は各自で。あー、水戸部、論文提出終わってる?」 首を振る事で、まだだ、と伝えた水戸部と、ちょっと専門用語が飛び交って訳の分からない内容で幾つか論議している伊月は、肩のストレッチをしながら、やはりいつも通りだ。日向は相田に言われた言葉を、家に帰ってから一度全て反芻した。授業や部活動でやる格闘技には大凡追い付けない身のこなしは勿論疑問に思ったが、それでも相田父娘は判ったらしいので問題ない。ただ、伊月の事を見ておけ、気にかけておけ、と言われたのが気がかりだ。生来不器用だ、と言って憚らない伊月は、良く言えば努力家。悪く言えば過剰反応型。つまり、放っておいたらどんな無茶をするのかが本当に把握できない訳だ。 帝都の一等地にある私立探偵事務所に雇われて出入りしている事は知っているが、何故かその話が最近伊月の口から出ることは少ない。今吉翔一とやらの正体も日向は実のところ、あまり知らない。同僚に花宮の存在は、きっと良くも悪くも伊月には影響してくれている。それでもだ。 「ひゅーがー。手ぇ空いてんだったら背中押してー。水戸部コガに取られたぁー!」 「取ってないし!なー水戸部?え、何、痛い痛い痛い水戸部何!?」 「コガ、お前ここ最近柔軟サボってたろ・・・。」 「いーだーいー!!」 「それ一番痛くないやり方で水戸部やってくれてんぞ?」 「てか伊月やらかっ!」 「風呂上りに欠かさず!」 「うわ、蛸みたいだ・・・です!」 「誰が軟体動物何体なんだい?!キタコレ!」 「黙れ伊月。」 「伊月先輩、蛸は何匹、もしくは何杯、という数え方が正しいです。」 「烏賊も一杯って数えるよな、確か。」 「そういえば何で寿司って一貫って数えるんですっけ?」 「え、寿司って一個じゃねぇの!?」 「帰国子女はこれだから。」 「これだから帰国子女は。」 「火神君、光が最低限の日本語位使えなくては、影も恥ずかしいです・・・。」 「うおおおい!?」 「ベンキョーしろーバ火神―。」 「そういうコガセンパイはちゃんと柔軟しろ!ですよ!」 「股裂けるかと思ったよー。」 「揉み返しとかないようにね。」 「じゃ、外周からいくぞー。終わった奴からラン、道具出し、ドリブルラン、ってあー、三倍なっただけで中身はかわんねーか。」 柔軟を終わらせて寒い中を声出し。休憩と水分補給を挟んで次々とメニューをこなした頃には日はとっぷりと暮れる。伊月は大抵にしてこれから探偵事務所に行くのが常だが、彼はそのままさくっと慣れた順序で服装を整えて大学指定のインバネスコートと家柄や個性の出る上質の皮手袋と群青色のマフラーで、通学路とは逆方向に皆と別れた。 「伊月どこ行くの?」 「伊月先輩?」 「路面電車っつーか、家こっち・・・。」 小金井と福田の不思議そうな声音に、はたと日向は気が付いた。 「何するつもりだ、伊月。」 「え、ひゅーが。顔怖い。」 それこそどうした、と伊月は一歩下がる。 「そっちは商店街か、女子高等の校門・・・おまっ!?」 商店街には誠凛と契約している書店や文具屋、惣菜屋があって、足りないものはそこで補うが、時間としては大抵が朝や昼に行くのが常だ。個人営業の店はそろそろ閉店する。 「お前、何一人でやろうとしてんだ。」 「別に、ひゅーがには関係無いよね?」 「いいや、あるね。俺の推測が正しかったら、絶対だ。」 俺が学業片手間どこ勤めてんのか知ってるでしょ、と軽い声音に、ああ知ってる、と日向は固く頷いた。 「お前、カントク怪我させた犯人、見つけてやろうとか考えてんだろ。」 怜悧な眦が吊り上った切れ長の目は、刃物のように日向のレンズを射抜く。視線を逸らしては負けだと思った。決して華奢では無いが、骨が細く筋肉の着きにくい体質の手首は日向が指を回してしまえば捕まえられる。もう片方は木吉が捉えた。 暫くの間皮膚の表面が剥がれそうなくらいの睨み合いが続いた後、わーかーりーまーしーたー、と伊月が大きく息を吐いたのに日向は少し安堵する。 「危ないってんでしょ。自衛の方法は幾つかあるけど、俺が競り負けたら俺が怪我する。」 「怪我するような覚悟で行くんじゃねぇよ。」 「大人しく警察に任せたほうが賢明ですよ。」 降旗が肩に縋ったのには流石に胸が痛んだらしい。日の落ちた冬の夕方に黒曜石の瞳が陰る。木吉に合図して手を放す。 「ありがとな、フリ。でも俺な、現場は見とかないと安心できない性質なんだよ。」 「解りました。」 ぐいっと降旗の隣に黒子が身を乗り出す。 「皆で行ったらいいんです。大人数の男には流石に通り魔は手が出せないでしょうから。」 「いや、それはお前らが・・・。」 あぶない、と言おうとしたのだろが、そこに日向は手が出た。脳天にすとんと手刀を振り下ろした。 「したかんだ・・・。」 ひゅーがのばかー、なんて呻いた伊月に、今度は拳骨。 「その、あぶない事を、お前は俺等に黙ってやろうとしてんだよ!いい加減言うからな!花宮と同僚だってだけでも気に食わねぇのに、お前何?大会前に完治したからよかったけど、足の裏思いっきり怪我した事あったな?音信不通にもなっただろ!?大会終わったら終わったで今度は旅行行ってくるつったのに背中大火傷して家より先に病院でただいまつったな!?ホテルに缶詰めにされたのいつだ?試験休み期間に何日か休学したのも知ってんぞ!?」 「なんで!?」 「俺が調べたー!」 何だか小金井が得意げに胸を張る。 「あと、先輩によく似た女性・・・念のため、お姉さんや妹さんではない事も確認済みです。」 「お前も!?」 黒子の言葉に伊月は悲鳴に似た声を上げて頭を抱えた。 「高尾がなんか自慢げに話してくれたりもあった、っすよ。」 「あのお喋りホーク今度会ったら鳥鍋にしてくれる・・・!!」 これは高尾の自業自得だ。が、他はそうもいかない。背中を酷く焼いて入院したのは部員全員が見舞いに来たし、黒子の昔のチームメイトともあの探偵は関わりが多い。無関係では、いられない。いさせて、くれない。 「じゃあ、少し見に行くか。」 守衛だって見回り中の筈だ、とぐるりと道を回り込んだ門構えは大学側よりきっちりと門扉がある。街灯の灯りの下を彼らは歩き、ぽたりと光の粒が足元を照らしたのに立ち止まった。 「ここだ。」 「ここ?」 「・・・これ。」 ペンライトで照らされた、つ、と石畳をなぞったそこには赤黒い斑点が残っていた。 「血。多分流し損ないだと思う。」 「犯人、どんな奴?ですか。」 「俺が訊いて、そのプロファイルが正しいのであれば、身長は俺位。目撃情報だと目深に帽子と水色のシャツに黒のセーターと黒のズボン。足元はズックだったって。ちょっと待って。」 伊月が黒革の手帳を出して、顎を摘まむ。上背を利用して覗き込んでみたが、半分くらい意味が不明だった。しかし明らかに駄洒落のネタ帳とは雰囲気の違った文字が、日向の喉元に絡みつく。家は近所で学校での付き合いは学区の違った小学校は除いて五年にもなるというのに、親友の筈がその彼が何か、不快な色で塗りつぶされて塗り直されていくような、そんな自己中心が過ぎる不快感に日向は無意識に首を鳴らす。 「黒子、ここ立って。」 伊月が呼び寄せたのは一番背の低かった彼で、肩に手を置くと、幾度か高さを調整する。 「カントクは、こう、歩道の端を歩いていて、擦れ違いざまに切り付けられた。」 ここを、と高さを調整した黒子の左の二の腕をその万年筆でなぞった。 「で、そこまで血が飛んだ。ナイフを持って、この高さ、角度だから、俺より少し低い?フリくらい?」 鷲の目は何を見たのか、腰を折っていた黒子に、もういいよ、と笑うとペン尻で石畳をコツリと叩く。石橋を叩いて渡ってるみたいだな、なんて見当外れに木吉が笑った。 「俺の予想が正しいなら、これは通り魔じゃない。」 「え、まさか、リコが狙われた・・・?」 「早とちりすんな、木吉。」 「病院からの報告、傷口は綺麗なそのもの。警察が集めた情報、それから、知ってるやつは知ってるかもだけど、赤線であった和製リッパー。」 「・・・これは、連続通り魔、ですね。」 とつとつと手帳を万年筆のキャップが打ち、伊月が確信の声音に紡いだそこから、黒子が口を突いたように述べた。 正解、と伊月は笑った。壮絶に美しい笑みの形にくちびるが弧を描き、切れ長の目は美しい黒曜石を練磨している。そんな親友の姿を見ながら、こきり、首が、鳴った。 続く。 |
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タネが育ったので描いてみた。今回は誠凛のお話です。そして親知らず抜いてきます。
2013年01月22日 06:21初出。
かなり難産で育つままに育てたお話でした。リコちゃん怪我させたんだし生半可じゃおわんねぇぞってなった。因みに木リコです。公になるのはガッコ卒業してから。今は公然の秘密みたいなってるw
20130205リコちゃん誕生日おめでとう!!masai