| 守衛室の鍵を宮地は指に回し、もう片手で器用に体育館の中を確かめると古めかしいスイッチを降ろし、体育館の扉に鍵を落とす。 「ステージは校舎内でしたっけ。」 「ああ、A棟、新校舎。外に誰かが出た時点で負けが決まる。考えてみりゃこないだ監視カメラがどうのって業者来てたわ。」 「因みにどこの?」 「さあ?巽電機の末端だったと思うが。」 HOMEはステージに一時間の前入りが許される。宮地がいるため、今回は土地勘での意味で心配はしていない。 『ステージ、一時間前です。』 古いスピーカーからノイズ混じりに機械音声のアナウンス。《HOME》は入ってもいい、と許可の声と類似する。 「校舎内、見渡せる場所は、宮地さん。」 た、っと軽い足音で三人の若い走力が並ぶ。宮地の前に森山が出そうになったのを肘で脇腹を小突いてやる。 「屋上か?」 「敷地内図!」 こっち、と軽やかに長い脚が翻る。足を縺れさせる事なくついてきた二人に、うっかり舌打ちなんかしてしまって、宮地は腰を伊月に小突かれた。 「さっき、新校舎つってなかった?」 「A棟はもっとボロだぜ。」 きしきしと歳月に踏まれて歪んだ床板は度重なるワックス掛けに悲鳴を上げているようにも見える。壁にも何度も塗装が繰り返されて、校舎内見取図は職員室の脇、事務室の前にある。 「電話線、引っこ抜かれてますね。」 見取図を一瞥した伊月が事務室の扉を軋ませ、切断された電話線を拾い上げた。無機物の切断面なのに、森山はぞっと背筋の悪寒を正直に、二の腕を摩る。 「職員室、事務室、保健室・・・。」 廊下に出ているプレートを闇の中で伊月は視線だけで追いかける。 「こっちの廊下はあとは個人指導室、面談室・・・教師のための部屋の訳ね。」 昇降口から左右に廊下が伸びて、まず右手一階は番号の降られた教室。選択授業に使うものだそうで、二階に一年、三階に二年。三年の教室は一階の廊下を曲がった先で、その二階三階は特別教室。ぐるりと長方形を描いた廊下の中に、多目的ホール、と名された吹き抜けの空間がある。 「たっかぁー・・・!」 「三階分天井抜けてっからな。A棟は特別教室とか選択授業とか、ああ、視聴覚室もあっちか。」 設備もボロで演劇部くらいしか使う者はいない。暗闇の中の学校というのは酷く不安を掻き立てた。普段聞こえるはずのチャイムも明るい照明も白墨で黒板を打つ音も、何も聞こえない、見えない。未知への恐怖は人間の本能行動だと、寒そうに二の腕を摩る森山を横目に、伊月は思う。そして、忘れた感情だとも。 未知への恐怖や不安は、知らないものだと、感じたことがないからだと、伊月は高い天井を見た。最初から伊月はこの学校の内部は知らないし、宮地が体重を掛けて押し開けた倉庫の扉に招かれて思わず苦笑する程、彼には人間的感情がしんで行く事を実感する。 「眠いです。」 「あ?」 倉庫という名の放送用具置き場には、集会に使われるマイクスタンドとマイクとスピーカー。問題はその傍に無造作に束ねられた長物だ。 「どれなら使える。」 「使いません。面倒なんで。」 部活動が始まる前に、この校舎がゲームステージになると聞いた時から集めまくった伊月にとっての無用の長物を、宮地は一本、木刀を持つ。 「あ、宮地。」 「何。軽いんだよな、どれも。」 「制服。」 着替える、と倉庫の奥を探り出したのは、普段とさほど変わらぬボトムとトレーナー。 「森山のえっち。」 「宮地の露出狂!」 「二人の前歯くらいなら折ってやってもいいですよ。」 無用だと言い放った竹刀の切っ先が喉元にあるのに森山は息を詰め、宮地は口笛を吹く。 「剣道って難しい?」 「本格的にやるなら変な癖出ますからお勧めしません。」 「そう?」 足の運び方が、と伊月は竹刀を森山に放れば、見事な反射神経で受け止める。尤もボールよりも梃子摺ったようではあるが。 「構えて。」 それは呼吸よりも静かな声。伊月の夜闇色の瞳に真っ直ぐ睨み据えられ、反射的に背筋が伸びて、身が竦む。 「こ、・・・。」 「バスケ、出来なくなりますよ。」 感情の籠らないその声と共に、前髪を払うように木刀の切っ先が森山の額を撫ぜた。くちづけでも出来そうな距離に吐息を認めれば、木で拵られた刃が喉笛を掻き切った。あまりの衝撃に森山の瞠目と宮地の息が引き攣るのは同じタイミングだった。 「まず、構え方。正眼じゃ手元をやられて終わります。抜きの下段がお勧めですかね。上段だと脇が無防備になります。初心者ですし。」 「こういうのはだな。」 コン、と床板を叩く音に伊月が視線を流す。金属バッドは大きく凹んで廃棄寸前だったようだ。 「頭低くして、横スイング。遠心力もあっしな。腹に一発くれりゃぁ向こうさんは一時戦闘不能。本命は頭だが。」 二人が確実に殺す姿勢であるのに森山は頭を抱えたい。が、喉元に木刀の刃が邪魔をしてくれる。 「さて、戦略だが。」 肉体労働担当が大人しく得物を手に腕を組んだのに、やっと森山はメッセンジャーバッグに手を伸ばせた。 「これ、二人に。」 「ディスク・・・って、お前!」 ディスクの個人閲覧は固く禁止されており、ゲーマーズ共通ルールだと納得したはずだ。 「あ、違う違う。ダミーなのよ、これ。俺もディスク見る勇気なんてねーし?メーカーとかは流石にビズだから専用ディスクに専用ケースだけどさ、一見なら見間違える程度。俺もダミーは持ってて、何か策に使えるかなって。」 盗聴されてんの怖いからここまで言えなかった、と頭を掻く森山に、宮地は呆れたように手の中のディスクケースを見下ろす。森山の怖いところだ、と密かに嘆息する。森山は伊月のように外見で誤魔化さず、宮地のように外見を裏切らない。優しい普通の人間だ。ある一点を除いての。 「さて、采配は。」 「相手の出方ももうちょい?」 『ゲーム開始五分前です。各チームは所定の位置について下さい。』 見られているようで気に食わない、とあからさまに不機嫌を宮地は渋面で表し、伊月は相変わらず冷めた視線を多目的ホールに向ける。森山はメッセンジャーバッグの肩紐を掴んで深呼吸。 「森山、ディスク頼んだぞ。」 「宮地さんはリベロ兼、途中まで案内お願いします。」 木刀も竹刀も持たずに結局伊月は倉庫を出ると、宮地が扉を閉める。 「森山、待機場所に希望はあるか。」 「んー、化学室かな。」 「化学室、ですか?一番隅で逃げ道は準備室か廊下しか無いですよ。」 一応多目的ホールの各階からの扉で小さなバルコニーのような場所はあるが、落下すれば、運が悪ければ。 『ゲーム開始一分前、カウントダウン・・・。』 「やばっ!一人で行くから!」 たん、と軋む廊下を走り出した森山の影は、すぐに見えなくなった。 「今吉さんって優しいです?」 「ぶっ!」 彼は秀徳でも宮地さんの身内でもないですよね、と小首をかしげる仕草は随分と幼い印象があって、まじまじと、改めてその無駄を削ぎ落とした美貌を見やる。 「・・・切るぞ。」 「前にアパートお邪魔した時、同居人が居るんだろうなとは思いまして。眼鏡ケースと月バスで推測しましたが。正解です?」 「千切る。」 「痛いです痛いです。」 バスケットマンのアイアンクローに表情と呼べそうもない薄氷のような顔色にも声色にも慣れてきた自分が怖いな、と宮地は思う。 「お前もだろ。」 「姉貴は何も言わないんで。」 「何、姉貴さんと二人暮らし?」 「最初の約束。」 怜悧な切れ長の目に浮かぶ幽かな怒りのような熱に、悪い、と宮地は手を放し、振った。そしてその手で道を遮った。 家鳴りと呼ぶには少々重みのある規則的な音は間違いなくヒトの足音だ。 来る、と身構え、平均身長はすっ飛ばしている宮地が屈む。伊月も重心を落とし、音もなく脚を肩幅に開く。 チカッ、と点滅した光は遠くの監視カメラ。足音は近付き、壁に添い、頭上を確かめた。 「ッ!」 宮地は伊月の腕を引っ張り出し、廊下に投げ出し、自分は階段を駆け下りる。意図を汲むことに成功した伊月はその同世代であろう男の懐に飛び込んだが、一歩遅く、階段側への扉が降りたことを知る。最近になって取り付けられた防火扉は校舎の構造上意味を成していなかったが、この使い方は森山に示唆されている。 伸ばした腕が男の顎を掴んだ。頤に食い込む指先を、くちびるにかかった指先を強く噛まれたが、幸い左手だ。しかし痛みで呼吸が乱れた。 「ってぇ、なぁ!」 強い力で襟を取られて引き倒される際に、肋骨の狭間に膝を叩き込む。古めかしくも丁寧に使われている廊下の中に吐瀉物が落ちるが、呼吸を一瞬で整えれば、落ちた頭を抱え込む。 武道を嗜むということは、ヒトを簡単に傷つける事が出来るということだ。 全ての道は人道に繋がる。 [chapter:覚えておけ。] 人道を、正道を見誤るな。 手元が胃液の臭気と熱気で滑った。首筋のクラッチを外すことなく、気道を容赦無く締めた身体が急に重くなる。足を払えば痙攣する身体が立つ気力も削がれて、扉に叩きつけられた。多目的ホール側に続く扉は破れ折れ、しかし気が付けば伊月は奇妙な浮遊間の中、木製の頼りない脚に縋ってあった。 「伊月!」 脳の奥がちかちかと白いハレーションと血色の記憶と混じって、ひゅ、っと喉が鳴る音で我に返る形になった。 「大丈夫か!?」 宮地の声量に驚いたのか、上の階のバルコニーから森山が身を乗り出して腕を伸ばすが、無駄だと悟ったように手を引っ込めた。半端なく手摺が軋むのだ。 「伊月!来い!」 「・・・あ。」 多目的ホールの広い床には頭から血を流して倒れる一人と、仰向けで呼吸を取り戻そうと藻掻いている一人がいる。 「嫌です。」 冷静が過ぎる声で伊月は言い放った。上階から見下ろす森山が瞠目し、宮地が息を詰めた。一階分、たったそれだけの距離は宮地には腕を伸ばせば事足りる。 「だって、誰も助けてくれなかった・・・。」 あやちゃん、と薄いくちびるが動くのを森山は読み取った。 「はいはい、両手上げて、ディスク出して。」 宮地が伊月の足元で息を呑んだ。 「賀川・・・!」 「よう、宮地。奇遇だな。」 首筋に当てられているのは果物ナイフの先端だったが森山には近すぎて見えず、暗闇の中に鈍く光る刃物に宮地は眦を吊り上げた。 「はっはー、お前もゲーマーズだったとか、奇遇過ぎて気分爽快だわ。」 「爽快そうかい?キタコレ。」 「そこのお前もさっさと降りろよ。コイツ、このまま殺されたい?」 「みやじー、これ誰ー。首んとこ冷たいー。」 同級生、とごく短く解りやすい言葉に、へぇ、と森山が冷笑を浮かべた。 「俺さ、喧嘩とか大っ嫌いなのよね。」 「あ?」 「ねえ宮地ー、こういうのって足元もうちょっと気を付けるよね、フツー。」 「おそらく?」 「一週間は休校かもね、勘弁。」 無気力に頼りない木にぶら下がっていた伊月の視線の先には、廊下から独自に配線したのか、森山の左手の中には一台のワイヤレスルータとスマートフォン。 「欲しいなら、くれてやる。」 右手にはディスクを弄ぶそれが、本物なのかダミーなのか、見抜かれる前に、森山はそれを多目的ホール中央に投げた。 「なっ!?」 意表を突く暴投に、森山の指先が動く。 「受け止めて!」 「受け止められてから言うな!」 「伊月も、ほら。」 ドォン、と地鳴りのような音に頭の上に埃が降った。衝撃に耐え切れず、歯型の残った左手が柵から離れた。宮地と森山の二人に支えれれるように、轍を乱した伊月が落下してくれば、驚くほどの軽さや仲間の腕力に安堵する自分たちがいて。 ドン、バチ、バキン。絶え間なく化学室の方向から破裂音や炸裂音が響き渡れば、廊下に出現した焔に後押しされるように賀川も落下したが、仲間に刃物を向けておいてその相手に手を差し伸べる温厚さを宮地は持ち合わせていなかった。 「森山、さっきのどっち。」 「ダミー・・・のはず。」 「はず、じゃねぇ!埋める!!」 スマフォの画面ロックを解除して、灯りとして見つけたディスクはなんと本物のほうで、宮地に殴られたのは当然の措置とも言えた。 「あ、の。」 「うん?」 「なぁに、伊月。」 さら、と暗闇の中に真珠色の光が絹糸のように艶やかに滑った。 「ありがとう、ございました。受け止めてくださって。」 甘やかされろよ後輩、と宮地が悪戯しく笑い、おあいこ、と微笑した森山は、確かに、と宮地から冷徹とも呼べる視線を受けた。 ぱちぱち、と静かな喝采音で、三人は多目的ホールの入り口を振り返った。因みに《AWAY》の三人は宮地の手で完全に落とされ、ディスクも奪われ、先程タイムアップが宣言された。 「こんばんは。いい夜ですね。」 その穏やかな声音に三人は悪寒が走ったのを自覚した。赤い髪は熟した果実のように柔らかく、鮮血のように熱烈で、だのにつめたい、ヒトをヒトと扱わない、扱えない、そんな気配がした。左右で瞳の色が違うのに、気づいたのは彼がノートパソコンを所持し、その場で奪取されたディスクを確認したからだ。無意識に震える指先で摘まんだディスクのケースは努力の甲斐なくみっともなく震えたが、彼がそれを莫迦にした様子もなく、ただ、品定めするように、宮地を、森山を、伊月を見た。 「もしもし。」 暫しの沈黙ののち、赤いガラパゴスケータイで通話を始めた辺りで、これ危なくないか、と意味を込めて森山は宮地に視線を流し、伊月は眉を顰めてその青年を睨んだままだ。震える拳を握り直し、鼓舞。 「芹田さんが・・・ああ、失礼。赤司グループのビズゲーム人事部代表なのですが、話が付きました。」 唐突に表情少なに青年は話し出す。 「僕は赤司征十郎。赤司グループの次期総帥、といえば聞こえは良いですが、今は個人で気に入った企業を引き抜いたり叩き潰したり、失敬。ヘッドハンティングなども許される立場ではあるので。」 一方的な内容は、ちいさな水滴となってこころに波紋を作る。大きな波が、濁流が押し寄せ、こころを蝕む。 「父から入金が完了したと報告が。明日の朝にでも確認して下さい。」 高身長に怯むことなく。 「宮地清志。」 ひく、と喉が乾いて行く。 「森山由孝。」 端正な顔立ちが苦悩に歪む。 「伊月俊。」 暴れそうになる感情ほど厄介なものはこの世にきっと、存在しない。 赤司征十郎は、その場に堂々と君臨し、三日以内に校舎は修理させるよ、なんて簡単に宣う。 「今からチーム《SUB》は、僕の駒になってもらう。」 ふざけんな。 冗談じゃない。 でも。 ・・・俺達は、誰より子供で、金が世界の全てだと、そのノートパソコンに表示されている数字で、この莫迦げたゲームは終わることが知らないのだと、痛感することになる。 白状しよう。 俺達は誰より子供だった。 他人を殴る事でしか、物事を解決出来ない愚か者だった。 他人と付かず離れずの、それでも宝物だけは意固地になって。 泣き喚くことすら、諦めていた。 ーーーさあ、一緒に死ぬまで道化であり続けてやる覚悟は出来てる。 END |
・2013年12月9日 04:44初出20141026masai