暗い暗いその世界を、芋虫のようなものが這いずって、俺は近寄る。
「返すぜ。」












今吉探偵と伊月助手と最期の冒険。












ぱちん、と瞬きの音で俺の視界に同僚の顔が写り込んだ。どうやら俺はずっと自分の体が芋虫のように這いずっているのを花宮の手の上から見ていたらしい。お前が持ってたのか、目玉、との声はまだ戻らず、花宮の背後に並んだ数人が、ぺた、と痣や傷の痛々しい体に触れる。鉄紺のスリーピースにロングウィングチップの革靴。骨の嵌る音がして、痛みが消えた。
「何でも有りかよ、すっげぇな。」
「まあな。」
花宮はそうやって、悪いが蝶子を迎えに行ってもいいか、と俺に伺う。なんだよやっぱ結婚しちゃったんじゃん、戸籍上は義弟とか笑えない、なんて俺は思わず笑ってしまった。スリーピースにインバネスコートと学生帽というのはなんだかアンバランスだった。風通しのいい頭の周辺は誰に会えば良いのだろう。
「あれ・・・。」
「伊月さん!」
ぱたぱたと走ってきた男の腹には大きな破片が刺さったままだ。高尾、と呻くように呼べば、隣にいた緑間が黒焦げの身体で立っている。
「針と縫い糸ならあるから、ちょっと来い。風穴塞いでやる。」
「あっざーす!」
「緑間も、おいで。」
その喉は自ら掻き切ったのだろう、躊躇い傷が幾重にもあり、骨が露出していたのを並べて、伊月が持ち歩いていた医療器具で縫い合わせた。生来の白い肌に緑の黒髪に、割れていた眼鏡を愛おしそうに辿った指は、神経質そうに清潔な白い手袋に位置を正した。
「あっちにいまよっさんいました!」
「ありがと。首周り寒いんだよね。」
マフラーは無いのか、そういえばあの日はマフラーのもう必要ない暖かい日だったから、それでもあの部屋は寒かったし氷も冷たかった。
子供達が、俊兄、と呼んだ対岸は、大層に美しい花々が咲いており、良かった、と思わず胸を撫で下ろす。昌美さんがいて、さとさんはいない。子供の半分は、いない。
「お前が死んだ後、今吉さんの手配で関西に引っ越した。」
「ひゅう、が。」
「おう、水戸部もコガもさっき揃ってこっち来てな。お前も飲んでくか。」
「木吉・・・は。リコはいるのに。」
「残念。早死にしちゃったのよね、私。」
「ひもじかったですねぇ。」
「木の根まで食ったからな。」
「火神君は亜米利加で元気なら良いのですが。」
「今吉さんなら向こうで笠松さんを労ってたって。」
笠松さんの名前を聞いて、はっとしてしまった。憧れの選手なのだから仕方が無い。日向にも同じくらい憧れていたけれど。
中村と、早川、小堀さん。森山さんは臙脂色の軍服をさらに真っ赤に染めていて、笠松さんは片足片腕が無かった。そして。
「黄瀬・・・?」
「あ、どもっす、伊月さん!」
「お前、なんでっ!お前は民衆の楽しみになるからって、花宮達は・・・。」
「もっと言ってやってくれよ、伊月。そいつ、俺が死んだ後真っ先にこっち。」
「まさ、か。」
「あー、ちょっと苦しかっただけで。首の骨折れてたのはほら、今吉さんが治してくれて!」
「んの前に!自殺なんか選びやがってばか!!」
「だろー俺でも裁判まで待ったわ。」
「ほんっとシバかれたい奴こっちくんな、だぜ?」
そんな風に笠松さんは昔と変わらないでくしゃりと子供のように笑うから、俺も一緒に笑って。
傷だらけの体も焼け焦げた体も、彷徨う人影で時折足の踏み場を無くすけれど、ごめん、と呟いて、靴の裏の感触は、ごり、と骨が鳴った。痛々しい。
「何があった?」
「さあ。空が光ったと思ったらこうでした。」
赤司はけろっと言ってくれて、そうなのよねぇ、なんだよねー!なんだよな、と実渕と葉山と根武谷が。死体になる間も無くこちら側に飛ばされてしまって、最初は混乱したらしいが、礼装の軍服姿で直ぐに出会えたらしい。
「俊ちゃん、綺麗な髪はどこへ行ったの?」
物悲しそうに実渕は言う。
「皆して翔一さんの居場所を教えてくれるから、多分あのひとが持ってる。花宮に刈られた。」
「酷いことすんのな!花宮ってば相変わらず!」
「ちょっと叱ってやってくるから征ちゃんちょっと待ってて!」
「別に順番待ち以外することもあるまいし、待ってるよ、玲央。」
「気をつけてね、レオ姉ー!」
「一発ガツンとやったれい!」
和気藹々とした彼等はまるで学生時代にでも帰ったようだ、と俺は思う。国と国民が噛み合わなくて不安だった。どうやら会ってきた連中によると、気に食わないことに大正解だったようで、なんだよ、俺が拷問で死んだの無意味かよ、なんて。芋虫のようだった体は今は、目の玉もあれば指先まで動く。青峰の体に幾つあるのか数えるのも飽きるくらいの銃創の、一番古いものは俺が縫ったものだった。桜井の砕かれていた右腕を固定してやって、折れた筆を諏佐さんが直してくれた。
「これ、返す。」
「あ、ナイフ?もう要らない?」
「すっげぇ活躍した。傷から蜂掘り出すときゃ、こいついなきゃ死んでたね。ありがとさん。」
「どんな状況なのそれ。」
「刺すだけじゃなくて、寄生蜂ってのがいんだよ、南方は。」
「世界って広いですねぇ。」
「今吉ならさっきまでそこにいたんだがな。」
追いかけるのは得意なんですよ、翔一さん。
今まで出会ってきたいろんなひととすれ違う。宮地さんあんなに痩せて大丈夫なの、木村さんも大坪さんも結局出会ってしまって、なんだか泣けてきた。
「大坪さん、日本で五輪がある際は聖火台作りたいなって、言ってたじゃないですか。」
「伊月・・・。」
「死んだなら死んだって連絡しとけよ、轢くぞ。」
「死人に口無しです!」
「そう言うと思って、伊月の墓はいっつも梔子で溢れてたんだぜ。」
「確認してきますー!その前にどなたか翔一さんに会ってません?」
「ああ、さっきそこですれ違った。」
「ありがとうございます!」
燃え上がる百貨店に紫色の振袖を抱いた彼女は無事だろうか。宝塚公演は観れただろうか。亜米利加にいた露西亜人は無事だろうか、ひと気がなくなると急に寂しくなった。ぼろぼろぼろぼろ、みっともなく涙が落ちて、スリーピースの袖を濡らした。
「みっともないよ、俊兄さん。」
その青年に取り上げられた手は、すうっと静かに渇いて、涙に濡れたスリーピースは水色のラインが入った学生服に変わってしまった。
「こうやって、背筋を伸ばして着るもの、だろ?」
「おまえ、たいち・・・?」
「太一だよ。俊兄さんの弟で、順平さんの弟子の、太一。大きくなっただろ。籠球も結構いいとこまで行ったんだ、けど。」
戦争で大会が無くなっちゃって、と悔しそうに俯いた太一は、昔の、本当に幼い頃に俺の学生服に縋って隠れようとした時とまるで同じで、ああ、愛おしいとはこの感情か、と俺は思わず、自分と背の高さの変わらぬ男を強く抱き締めた。よかった、まだ俺のほうが背が高い。
「俊兄、俊兄ごめん。俺、死んじゃった。ごめん。」
「泣くなって、太一が言ったのに・・・。」
学生服のポケットには俺が使っていたのと同じ癖で、右のポケットにはハンカチが入っていた。
「いいよ、太一。だってお前は、頑張って生きたんだろう?活きたんだろう?」
「がん、ばったっ・・・!」
本当に子供の頃のようだ。太一が泣くから涙をハンカチで拭って、それでもスラックスに縋るので、あの頃の俺のスラックスというのは膝のあたりがいつもかぴかぴだった。
「絶対、絶対、俊兄より長生きしてやるって、思ってた、のにぃ・・・。」
「本当に太一は負けず嫌いだなぁ。よし、そろそろ泣き止んで、ひゅうがのとこでも行っといで。ぜってーあいつ泣くから。」
弟子が早死にしたってだけでぜってー泣くからな、と。だって俺の幼馴染は誰より情深くて涙脆い、いい男だった。
真っ暗だったそこには等間隔で行灯が並び、階段でもあるのか、少し曲がっている。真っ赤な鳥居が幾重にも並ぶのは、鳥羽伏見であったか、翔一さんと一緒に行こうと思ったけれど、結局行けなかった。
「狐でも住んでそう。」
「いーづきっ。」
「ひゃわ!?」
後ろから抱き着かれて変な声が出る。赤茶けた毛先に血が滴って、肩を掴んで振り返ると、腹に日本刀を生やした軍服姿の天野さん。
「どーなってんすかこれ。」
「いや、自分もこっちきて、色々と試したんよ。ただ、刺す時と具合違うて抜けへんねんか、抜いたって、これ。」
「あー、はい。折角なんで縫っときましょうか、傷。」
「頼むわー!」
からんからんと笑っている天野さんは、痛みはないのだろう、けろっとしたまま、そしてその日本刀は。
「これ、翔一さんの・・・。」
「せや。返さなあかんねんけど、託けてええか。」
「いやぁ、俺もまだ回収してないんで、髪の毛。」
学生帽を取れば、あらま、と天野さんは笑い出し、しゃーないなぁ、と翔一さんとよく似た口調で言った。
俺が階段を登り始めてどれくらい経っただろうか。こんなにも長い道程に見えなかったのは遠目と近目の中途半端な所で見なかったからか。
「知ってるよ!だから俺って駄目だよね!!」
幾ら鷲の目があったとして、本人がそこから進歩しようとしないんだから。自分自身に腹が立つ。自分の墓がどんな様子なのか他の家族は無事なのか、確かめるのを後回しに俺はこの階段を登ってる。翔一さんがこの上にいる確約なんて無いのに。
急に怖くなって足が止まる。
「う、あ。」
特高に足を砕かれたのは治されたのに、動かない。学生服に学生帽にインバネス。未熟だった俺が只管翔一さんに追いつこうと走っていた時の。
「も、やだ、しょういちさ・・・。」
子供のように大声を上げて泣き喚きたい。翔一さんに縋りたい。抱きつきたい。抱きついたらきっと抱きしめ返してくれる。俺はどこまで頑張ればいいの。死んでからも頑張れというの。なんという地獄へ突き落とされたんだろうか。
「・・・いよぉ・・・!」
嗚咽に混じって声になる。
「出て、来いよ!今吉翔一!いるんだろうが!」
死んでも疲れるってあるんだね、翔一さん。死ぬほど疲れるってだけだと思ってた。死んでも苦しいなんて、人間って不便だよね、翔一さん。
「出てこいよ!返事しろよ!会いたいんだよ!翔一さん!!」
「ほいな。」
「・・・へっ。」
翔一さんが撫でる頬、さらりと無い事に慣れかけていた髪が流れた。翔一さんが可愛がってくれたこの髪が俺は自分でも好きだった。
「やぁっと、我儘んなれたなぁ、月ちゃん。」
「あい・・・。」
「うん、月ちゃん。」
「あいたか、た・・・。」
「うん、月ちゃん、会いたかった。」
「し、にたく、な、か・・・。」
「うん月ちゃん、死にたいはずのなかったのぉ。」
「しょぉいちさんと、はなれるの、やだったぁ!」
ああもう、このひとはきっといつでも俺の我儘を待ってたんだ。背伸びして歩幅を広げる無茶に、ええよ、と笑ったのはきっとそういう意味じゃなくって、背伸びをしなくてもいい、歩幅を広げなくていい、そうじゃなくて。
「俺の目線まで、降りてきてよ!俺がちょっと遅いの知ってんでしょ!?立ち止まっててよ!ばか!!」
「せやね、ごめんね、月ちゃん。」
「俺の旦那、名乗るんだから、責任とれ、よ。」
いつもの掠れた単によれよれの袴に毛羽立った足袋に歯の潰れた下駄。古傷のある脇腹に縋っていた手を伸ばして背中に腕を回して単を掴めば、深く深く抱き込まれてさらさらと髪が流れて行って、翔一さんのぱさついた髪が耳元に擽ったくって。
多分俺は間違いなくこの瞬間が、生涯に一番に翔一さんと、あ、キタコレって、思った。
「月ちゃん、好き。」
「愛してるってゆって?翔一さん。」
今度こそめいっぱい、我儘を言わせてくれるんでしょ。


























愛したことはありますか?
恋したことはありますか?

愛されたことはありますか?
感謝されたことはありますか?

死にたいと思ったことはありますか?
苦しいと思ったことはありますか?
憎んだことはありますか?

悲しいと思ったことはありますか?
嬉しいと思ったことはありますか?
切ないと思ったことはありますか?

では、生まれたことは、ありますか?








































あなたはいま、いきて、いますか?












初出:2014年2月24日 21:52

ここまでのお付き合い、本当にありがとうございました。

またどこかでお会いできることを切に願って一度筆を置かせていただきます。
このお話は、飴だよ、と偽って苦い薬を飲ませているようだな、と思った気がします。この苦い飴が、ひとときの娯楽になった幸いを祈って。

◼︎諸事情でちょっとタイトル変えました。
◼︎閲覧、ブクマ、評価、タグ、コメント、ブクマコメありがとうございます!
外伝の10本は、日本人ならここだけは知っておいて、という願いを込めて、拙いながらも描かせて頂きました。身に積まされる、その通りです。もう二度と、あんな悲劇は繰り返しませんように。人間はそれを繰り返さないことの出来る唯一の生き物です。(2/25

***
とか生真面目に描きましたけどね・・・これだけは言う。赤司君はどうやったら死ぬんだろうって三日三晩くらい大真面目に考えた!!
サイトでお付き合いくださった方、支部から飛んで来られた方、ここに幾重にも感謝申し上げます。
あ、狂ってるとかもうそういうのいいんで。自覚症状あるんで。

ばんばん死んで享年とかばっしばし書いちゃってますけど、実は高尾ちゃんは学生時代から既に妻がおり(少々早いが当時は良くあった。)赤司辺りも青峰と同じくらいに結婚し、子供作ってるんで、っていう今に繋がるメッセージ。
本当の「独り」とはなんなのか、それを説いた月ちゃんというひとの物語でした。
本当に長い間お付き合いありがとうございました。
物語を読んで下さる皆さんと、両親、祖父母、曾祖父母、高祖父母、私を育む世界の皆様に、こころからの御礼を。

20140421masai