一種の見たて殺人やな、と頭を掻いた今吉は、縄の掛かったマトリョーシカと、焦げたそれをリビングのテーブルに置いた。秋水の死去の際に消えた一体は未だ行方不明だ。
「・・・これ、人数分ありますよね。」
いくつか指を折り、合計が六人であることを確認し、マトリョーシカの数も聞いた限りは六体であることも、朝食時に確認済みだ。
ロシアの山麓が画かれたこちらに規則正しく並ぶそれらは、鍵もないショーケースに入れられて、誰でも持ち出しが可能だ。
「誰が光治さんを殺したか・・・。」
手帳を睨んだ伊月の肩に今吉は手を回す。余りに陰惨な事件の後で、皆は私室に閉じこもりっきりで、村上弁護士も二階の客間で頭を抱えていた。












今吉探偵と伊月助手と露西亜館殺人事件。後編。















「翔一さん?」
「ちゅーしよか、月ちゃん。」
えっやですけど!なんて拒否は今吉の口の中に蕩けて消えた。
「く、ふ・・・んっ。」
「はあ。・・・好き。」
「んもっ、ばかですか!」
ぺこんっ、と手帳で頭を叩いてやったら、笑いながら引き下がった。まだ文句を募ろうとする赤い唇に、そっと人差し指を突き付けてやって。
「続きは今夜。」
「ばかぁ!」
そうやってドツキ漫才を繰り広げながら、警戒パトロールを称して屋敷内を回る。特に私室もノックして声を掛けて、たまに無人の部屋にこころが痛くなる。
「シュン、何かあった?」
「ああ、イヴァン!見回り中。そっちは大丈夫かな。」
「僕には何もないよ。」
「そう、良かった。えっと、ここはスガさんの部屋だよね。」
「うん。もうすぐオヒルでしょう?リビングで待ってる。」
「スパスィーバ。」
「ニェーザシト!」
そうやってイヴァンは広い廊下を駆けて行った。
「・・・行ったかしら。」
「うっわぁ!?し、つれいしました・・・!」
イヴァンの行方を眺め、階段へ向かう角を曲がったのを確認して、静かに開いた扉に伊月は悲鳴を上げ、それから詫びた。忙しないなー、と今吉は思った。
「あの子、最近急に上機嫌で・・・気味が悪い・・・。」
スガはそう、俯くと陰鬱とした口調で述べて、唇を引き結んだ。
「随分と秋水さんを慕っていたみたいですから、空元気でしょうね。」
宥めるような口調に、扉で死角になっている今吉は横目で見やり、女の手が伊月の肩に置かれ、扉は少し開いた分、彼女は伊月に寄り掛かるように動いた。
「あっと、どうしました?あ、俺考え無しでしたね、旦那さん亡くされてるのは奥さんも同じでしょうに・・・。」
「奥さん、ではないわ。」
えー、と伊月は喉の奥で呻いた。ちらと横に見た今吉の目が怖い。何を企んでいるのか本当に分からない。内心泣きそうになりつつ、そっとスガの肩を撫ぜた。どちらかと言えば妹に接する感触に近いなと自分でも思った。
「今夜、お邪魔してよろしいかしら?」
「はい?」
「少し、お話があるんです。」
「あ、ええ。そういう事なら。」
うん、カウンセリングもちゃんと勉強したし、と伊月は時々ズレている。
「月ちゃん、昼飯頂こうか。」
「あ、はい。」
今吉の声に、スガはぱっと身を離し、深々と頭を下げた。廊下を行きながら、今吉は少々不機嫌だったが、伊月の声はきちんと聞いた。今のこんな存在に話があるということは、犯人に心当たりがあるか、事態が悪化したと詰りに来るかのどちらかだ。まあ、伊月に対する反応を見るに、ごく稀なパターンも考えておいて損は無い。
「やっぱ今夜は一緒におろか。」
「俺も不貞は流石にちょっと。」
「やろ?」
頭を抱えた伊月にからかい半分本気半分言ってやって笑って、ダイニングに席を貰った。イヴァンが配膳の手伝いをしており、そんなものは女中に任せておきなさい、と章子が叱り、清志とめぐみが揃って入り、村上が来た。スガは気分が優れない、と部屋から出て来なかった。
午後の和室から庭を眺めていると、開けっ放しだった襖から清志がやって来て、押入れを開けた音に伊月は振り返った。今吉は庭の何処から灯油が入ったのかをずっと歩いて探している。からん、と時折下駄が鳴るのはそのパイプを探しているからだ。元々は池に繋がるパイプを二分しているらしく、仕組みを知っていれば誰でもあのトリックは可能。問題は量と距離なのだが、一般的に女性が持てる重さの灯油では無かった。よって犯人は男性か、と考えられてはいるが。
「清志さん、どうしました?」
ゴムマスクの男は、くぐもった笑いを漏らすと、どうですか、と将棋盤を取り出して来た。
「ちょっと何して・・・あら、ごめんなさい。」
「え?」
清志を探しにきたのだろう、めぐみがやって来て清志を責めたが、伊月の存在に目を丸くして、口元を抑えた。
何か、違和感。
「えーと?」
なんだこれ、と伊月は首を捻ったが、将棋盤を抱える清志に気づいて、慌てて駆け寄る。
「はい、赤司ほどの腕は到底期待出来ませんが、それでもよろしければ。」
そうやって、ケロイドだらけの手が箱を持ち出して来るのも見守って、将棋盤は風通しの良い縁側近くに、どうぞと勧められた席は、掛軸と、生け花が綺麗に見えた。
「あの、生花は?」
「ああ、スガさんが作った物でしょう。いつ見てもお見事だ。」
パチン、と先手は伊月に譲られた。
「めぐみさんは?」
「あれはああいったものには全く。」
パチン。
「お二人の馴れ初めとか聞いても良いですか?」
「あ、いやはやお恥ずかしい。探偵さんとはそんな事まで・・・?」
「いいえ、俺の単なる好奇心です。」
パチン。
「そうですかぁ・・・そうですねぇ・・・。待っていて、くれまして。」
「・・・帰ってきた時に?」
「ええ、帰ってくるからその時は結婚しよう、と。」
えっそれなんて死亡フラグ、と思いながら飛車をパチン。
「それでもこの様ですけれど。」
「あの、失礼ですが・・・。」
パチン。
「お子さんは?」
暫し言い淀み、駒を動かす手を膝に握った伊月に、清志はマスクの向こうで少しだけ笑ったようだった。
「私のこの体では怖がらせるだけですから。めぐみも傍にいるだけで良いと、言ってくれたので。」
「良いですね。」
パチン。
「照れます。」
パチン。
「俺も嫁さん探そうかなぁ本気で。」
パチン。
「モテるでしょう、伊月さんは。」
パチン。
「皆、目当ては顔ですよ。」
言ってから、目の前のひとはそんな顔すら晒せないのに、と思い当たって、あ、と震えた声音が漏れた。
「そうでしょう、伊月さんは女の子に好かれそうだ。」
マスクから垣間見える爛れた皮膚は、目元を柔和に細めて、口の端を満足そうに上げて素直に笑ってくれたから。
「ありがとうございます。王手。」
素直に笑って礼を述べておいた。
「早いよ!?何処が赤司様ほどじゃ無いって!?」
「一回も勝てたことないです。チェスもオセロも双六も。戦略兎も角ダイスにまで愛されてるって卑怯ですよねー。」
あははと笑ったその隣、今吉が腰掛け、中折れ帽子で扇ぎながら倒れ込む。
「お疲れ様でーす。」
「もうちょっと労ってや月ちゃーん!」
「嫌です。お嫁さんじゃあるまいし。」
「ワシが嫁さんなったってもええでー!?」
話を聞いていたのかどうなのか、今吉は笑ったが、その視線は真っ直ぐに伊月の黒曜石のような美しい瞳を射抜いた。
「失礼いたします。」
声に顔を向けると、女中を連れためぐみがふふと笑みを口元にやった手に零しながら立っていた。
「お茶と羊羹でもいかがです?」
「あ、やったーあ。頂きますー!」
「月ちゃん安定の甘党・・・。」
女中が下がるのに頭を下げて、めぐみも頭を下げ、部屋から出て行った。
「なんか、違和感あるんですよねー。」
風呂上りに髪の毛を手拭い越しに梳かれていた伊月はふむと線の細い顎を摘まんだ。
「おー、あるなー。」
「じゃ、せーので。」
「はい、せーの。」
「「めぐみ夫人!」」
揃った声音にぺちんとハイタッチを交わして、ベッドに二人で向かい合う。
「なんでしょう。章子さんみたいなこう、気性の荒い感じでも無いんですけど、どこか粗野っていうか噛みあってないっていうか。」
「なーんや猫被っとるゆーか?」
「それを言うなら清志さんもですけど。」
ふん?と今吉は少しだけ笑った。
「ほな、ちょちょいとまこっちゃんにお電話やな。」
「ええ、岡本清志と、その妻めぐみ。えっと、めぐみさんの旧姓は確か・・・。」
確認に手帳を取ろうとベッドから身を乗り出すと、瞬間、ゴトン、と扉が揺れた。
「え・・・?」
「お客さんか?あ、スガさん・・・?」
今吉が立ち上がって、扉に向かう。ノブを回して、彼は目を見開く。
「月ちゃん、今すぐワシの部屋からこの部屋の前回って来い。」
「分かりました!」
いつもの革靴を履いて窓を開け放して、バルコニーを駆けて今吉に充てられた部屋の窓を開ける。心臓の音が速い。これといって散らかった気配も無い部屋を突っ切る途中で今吉の絣の単を借りて羽織る。愛しいひとの香りに少しだけ落ち着いて、扉を開ける。
頭から血を流して扉に凭れかかって倒れる女性の姿があった。
「翔一さん!スガさんです!スガさん!大丈夫ですか!?」
「・・・め、・・・。」
「え?」
「ちか。」
震えていた瞼が痙攣を止めた。廊下の絨毯に続く染みは出血だ。
「大丈夫か、俊!」
今吉が出てきたのは伊月が走ってきたルートだ。下駄を引っ掛けて、足元に続く血痕を見る。
「止まるなっ!」
気道確保、脈拍微弱、呼吸停止、と切れ長の目元は額に汗を浮かべ、スガの胸もとに手を置いた。
「翔一さん!医者と、村上さんか誰か!」
「おっしゃ分かった!気張りや!」
「るっせぇばか急げ!」
基本一点集中型の伊月の邪魔にならないように、医者が来るまでは心肺マッサージを行うその場所から皆を一歩下がらせ、スガは数日生きた。頭部の裂傷は頭蓋骨の陥没、脳の損傷にまで及んでおり、結局は息を吹き返しても生きられなかった。そしてそれを見舞う面々の中に、めぐみはいなかった。
血痕はスガの部屋の前から続いており、随分頑張ったなぁ、と今吉は呟いた。
スガが死んでしまうまでは、殆どがリビングに肩を寄せ合って、部屋に帰る者はいなかった。といっても、岡本家には既に清志と章子の姿しか見えなかったが。
医師が、死んだと告げた時、二人は真っ先にスガの部屋に向かい、今吉も続いた。伊月は考え込むようにソファから動かず、イヴァンは怯えるように火の入っていない暖炉の傍から動かない。
葬儀の手続きをと村上も席を立って、二人きりのリビングで、不意に伊月が口を開いた。
「マトリョーシカ、無かったね。」
え、とイヴァンの口から不自然に音が零れた。
「今回は殴られてたね、知ってる?」
「う、ん。」
「どこを殴ったの。」
真っ直ぐなその言葉に、切れ長の目に射抜かれて、からん、と乾いた音に、イヴァンは立ち尽くした。
確かに頭部が陥没したマトリョーシカを、彼は背後に隠し、それをどこかに置きに行くつもりだった。
「誰を、助けたかった?」
伊月の声から発される、ひんやりとした空気を打破出来るほど、その異国の少年は強くなかった。ぼろぼろと、涙を落とし、落としてしまったマトリョーシカに手を伸べて、労わるように撫ぜた。
「あれは、気付いてるよって、言いたかったんだね。音を聞いたって言ってた。イヴァンは嘘を吐いていない。でも、本当の事を言ってもいない。隠匿に損得―・・・キタコレ。うん、隠してそれは君の得になるか損になるかは、イヴァン次第だ。」
「シュン・・・?」
殺してないなら、いい。
彼はそう、微笑んだだけだった。
岡本スガの葬儀が終わり、岡本めぐみの消息が掴めないまま、時計の針は進んでいく。伊月はずっと考えていて、昨晩吐露した。即ち、最後にスガが遺した、「ちか」という単語だ。
黙っていた理由は幾つかある。
脳に損傷を受けると意味をなさない言葉の羅列、言葉すらなさない音の羅列がよくみられるからだ。
あかんかってもともとや、と行動に出たのは今吉で、現在この屋敷について一番詳しそうな男に声を掛けた。長男の清志では無い。彼には何かおかしなところがある。それは今吉、伊月の共通見解だ。その考察もスガが襲われたその夜からストップしているのでそろそろ再開させねばならない。
「村上さん、この屋敷に地下はあってですか?」
「地下、ですか。・・・ああ、地下室でしたらありましたよ!」
「あり、ました?」
暫く考え込んでからの奇妙な言い回しに今吉は首を傾げ、鸚鵡返しに聞き返す。
「ええ、この辺りは元は沼地だったのを大使館を建てる折に埋め立てたものですから、砂や岩の間から水が浸みてしまって、今では非常用の水になってますね。」
「それっ!どこですか!!」
談話室でコーヒーを飲みながらの会話に飛び込んできたのは伊月だった。花宮に届けてもらった新しい学生服で、格好も整っている。
「おー、月ちゃんお疲れさん。まこっちゃんどないやった?」
「なんだかんだで!」
ぱしっ、と叩いた胸元で、いつもの黒いスラックスと水色のラインがあしらわれた詰襟に、書類を二枚、今吉に突き付けて。
「岡本めぐみ、旧姓伊東めぐみ。入籍は十二年前の二月四日。村上さん、大丈夫ですか?」
「あ、はい。」
「そんな女性は、東京都に一人しか存在しません!」
「え・・・っ?」
村上は基本的に秋水の弁護士であって、岡本家の弁護士では無いため、そんな情報は寝耳に水だった。まさかそんな調査と彼女の素姓を調べていたなんて。
「花宮が確かめてきました。」
俺の同僚です、と付け足して。
「現在の岡本めぐみは五児の母親で紡績工場勤務。実際会ったそうですが、写真の女とは似ても似つかない別人だと、これが調査報告です。」
ぴ、っと叩きつけられた報告書には、公安の認印が使われており、村上は息を呑んだ。
「それから、岡本清志についても調べさせていただきました。彼、一度弔電を貰っていますね。」
「え、はい。」
混乱の中だったので間違えて送られて来たのかと思いましたが、と村上は押される勢いに弱くだが、確かにと語る。
「翔一さん、裏が取れました。」
「ああ、了解した。ほんまええ助手に恵まれたな、ワシは。」
「ならとっとと解決して下さいばーか、だそうです。」
「ばーか、は付け足したやろ。まこっちゃんはもっと悪辣や。」
あバレました、なんて伊月は笑ったが、眼は笑っていなかった。
「ほなどっちから先行く?」
「個人的には地下で。」
「あ、こっちです!」
村上が案内したのはダイニングだ。カーペットを捲ると、確かに大理石の床の一部が切り取られてあった。
伊月はそのまま和室に向かい、独りで将棋の駒を動かしている清志に将棋盤を挟んで正座で相対した。
「めぐみさん、見つかりましたよ。」
「・・・え?」
胡乱気に見た相手を、伊月は背筋を正し、角を指す。
「まあ、誰でも思いますよね、殺人が続いた家になんていられるか、って。」
はは、と清志は弱く笑い、その角を取った。
「下町の、治安の悪いところに入ったんでしょう、女性一人、乱暴されて見つかりました。」
「それは嘘だ。」
「どうして?」
「え?」
赤司曰く、伊月には香車に頼りすぎる悪癖があるらしい。基本を曾祖父に学んだだけの伊月が我流で磨いた腕の相手が、彼はとても楽しいと言う。時々突拍子もない攻撃を食らうのが面白いのだと。
パチリ。
「さて、ちょっとお話しましょうか。普通、お客さんを下座に座らせる作法はなかなかですよ。俺は赤司の家の掛け軸をじっくり見たことないです。そうですね、生け花は作るのではなく、生ける、もしくは生かすと言います。岡本さんならご存知でしたでしょう、・・・王手。・・・貴方は、一体誰ですか?」
パチン、と音と同時に問いかけた。ケロイドだらけの腕が伸び、伊月の肩を押した。
「へえ、やっぱり?」
にィっと犬歯を見せて笑った伊月の身体に乗り上がり、その詰襟を肌蹴る。じりじりとファスナーを下して、その喉仏を抑え、放す。咳き込んだ伊月のシャツの釦を三つ外して、指先はねっとりと撫ぜ降りた。
「さいっあく!」
咳き込みながらもそれだけは発してやって、零れてくる唾液を飲み込むこともできずに酸欠に潤んだ目で睨み見上げると、マスク越しにも解るほどの狼狽が見えた。
「・・・こうやって、めぐみさんなる彼も手に入れた?」
ややあって口を開いた伊月の声は、閨の睦言のように甘かった。
「言いましたよ。見つかったって。」
がらりと開け放たれた襖に、びくりと男は跳ねた。咄嗟に伊月の上から飛び退き、聞こえた舌打ちにぞっとした。その美しい黒髪と貌を持つ青年は、指の中でくるりとメスを輝かせて袖の中に仕舞ったのだ。あのままだと腱の二三本は切られていたに違いない。切れ長の目に住む黒い瞳が、流すように見て、微笑んだ。
「翔一さん、めぐみさん無事?っていうか学さんですっけ?」
毛布に包まれて担がれているのがそうだろう。長い髪からは水が滴り、肩は大きく上下している。学と言う名前を引っ張り出したのも花宮だ。十二年前二月四日失踪、中性的容姿で調べた中に今よりずっと幼い写真があった。
「違和感は、あった。」
彼を畳に転がして、今吉が口を開く。
「なんでか、めぐみさんは口元をいっつも隠しとった。あれは口元隠したんちゃうな、首の太さや喉仏を隠しとったんや。あんま喋らんのも、裏声やときついさかいに。あんたら二人は、多分アッツ島で岡本清志本人に会うて、随分な金持ちやと知って顔を焼いて成り済ました。ほんまに火炎放射器でやられたんかもしれんけど。ちゃあんと弔電も来てんのに、なぁ。」
「ガチなのか振りなのかが解んなくって鎌掛けたら引っかかってくれましたよ。夫婦って肩書と防音に助けられていろいろし放題だったでしょー。」
月ちゃん下品、なんて今吉が項垂れると、首絞められて無言でいられますかっての、なんて不機嫌に返された。
「あと、先ほどお二人の部屋を村上さんとイヴァンに確認して貰ったら、幾つかの家具を売り払った形跡と偽物とすり替えた形跡が沢山出ました。通報しますか、章子さん?」
畳には死にそうな顔でめぐみと呼ばれていた男が寝ころんでおり、今吉が控え、村上とイヴァンが道を開けると、岡本家の次女であり末っ子が笑んでいた。
「章子・・・さん。」
口を開いたのは、学という青年だ。着物は水の中では重かったので脱ぎ捨て、今は毛布で全身を包んでいる。
「なぁんだ、本当にばれちゃったのぉ?」
彼女はそう、無邪気に笑った。そうだ、と伊月は思った。光次に噴水を促した時の顔と同じ笑顔だと。
上流の女性として育てられたそれ相応に、上品に口元に指をやって笑う姿はとても綺麗で、イヴァンは伊月の背後に走った。単純に、その女が怖かった。
「お嬢さん・・・?」
「お父さまが死んだのは運がよかったの。でもね、やっぱり邪魔だったのよ。」
「村上さん、章子さん捕まえられます?」
「逃げやしませんわ。」
くすくすと、鈴を転がすように彼女は笑った。
「だってあたし、何もしていないもの。」
「なんやて?」
「スガさんと晶子姉さまは、いつも殺し合いをしていましたし。」
「ちょぉ待て。」
「何ですの?」
今吉の静止に、きょとんと彼女は見上げ、にっこりと笑った。
「灯油は、まさか、光次さんが自分で入れた・・・?」
「え、何ですかそれ。」
「距離計算した。自分でも試した。あれは、女やったら到底出来ん量やった!」
にこにこと、彼女は何も答えない。
「月ちゃん、弱みを握られとるって仮定し。なんでもええ。但し、命に関わる弱みや。それを掴まれてみぃ。たった一言二言でひと殴ろうが何しようがっちゅー気分になるわ。このお嬢さん、それをやりおった。」
どういう事ですか、と怒鳴ったのは村上だ。
「最初の発端はよう解らん。妾のスガさんと正妻の長女晶子は仲が悪かった。常に殺し合いしとった。で、ある日何でか晶子はそのままスガに殺された。二人目は光次。これもよう解らんけど、あのお嬢さんの指示で光次さんは水を灯油に入れ替えた!」
「自殺じゃないですか!」
「三人目!スガさんや!多分スガさんは晶子が死ぬように仕向けたんと光次に灯油入れさしたんに気付いた!から、めぐみ・・・学さん使うて殺した!」
「偽装工作・・・。」
伊月は呟いて、眼を見開いた。
「偽装工作の指示は・・・っ章子、さん・・・?」
「ええ。自分で吊って死んだんだって事にしておけば、後々が便利でしょう?警察も自殺で処理して下さったし。」
本当に、子供が平気で蟻を潰して遊ぶような表情で、彼女は笑った。
「でも、折角誤魔化したのに、スガさんったら自分で言いに行こうとしちゃったんですもの。幾ら妾と言えど、岡本の名前に傷が付いてしまうわ。お父さまの死に様まで隠蔽しなければならなかったのに。」
自分の家の名前に傷が付く。初めて章子の本性が見えた、と今吉は思った。
「せやから、めぐみって名乗った男を利用した。」
「清志お兄さまは名誉の負傷をして帰ってこられた本物の戦士ですけれど、そこのどこの馬とも知れないひと、あたしは許さなくってよ、お兄さま?」
「ひっ。」
戸籍上の妹に兄と呼ばれて喉を引き攣らせた男は、将棋盤を膝で倒し、そのまま腕と尻で後ずさる。
「清志さん危ない!」
ごつ、と実に歪な音がした。
縁側が途切れてもそのまま下がろうとした彼は、伊月の声を無視してそのままずり下がり、庭石に後頭部を打ちつける形で落ちた。
「お、お兄さま?え、清志兄さま!?」
「章子さん!?」
「いやっいやよ!お兄さま!!いやああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
呆然と、皆で立ち尽くした。学は上半身を起こしてその光景を見ていて、清志と名乗っていた男の身体に掻き付いて泣きじゃくる章子を、憮然とした表情で眺め下した。
葬儀の日は、留置所に入れられた岡本章子のこころそのままのように、酷い雨だった。
「ありがとう、ございました。」
露西亜式庭園で厳かに行われる葬儀の中、青峰に連れられてきた青年は、遠くから葬儀を眺めていた今吉に頭を下げた。
「・・・どちらさん?」
「国谷学と申します。」
「ほらあれだ、傷害致死で自首してきたヤツ。」
と青峰が補足して。
「あれ、髪切ってもーたんかい、勿体無い。」
傘の柄を肩に預け、手のひらと拳を打って、今吉はまずそう返すと、この度はご愁傷様です、と蝙蝠傘の下で中折れ帽子を取って頭を下げた。服装は相変わらず、絣の単によれた袴だが、足元は黒の革靴だった。
「彼は、唯一の俺の身内でした。」
地声は思っていたより高かった。だから余計に裏声だと違和感が際立ったのだ。仕草も立ち居振る舞いも、今はすっかり男のそれで、むしろ『めぐみ』を主に見ていた人間からすれば違和感の塊である。
葬儀は喪主がいないまま進行し、棺は雨の中を火葬場に担がれていった。ぼろぼろの軍帽が乗った棺は、哀れとしか形容のしようが無かった。
「あの、伊月さんは?」
「さっきまでイヴァンちゃんに焼香やらお経やら教えよったけんども・・・どこ行きよったあの子ぉはほんま・・・。」
「いえ、いないならいないでも、お礼と、あと・・・。」
声を潜めて。
「俺たちの分まで、仲よくどうぞ。」
と、泣きながら笑って残した。
「うん。」
学が岡本の門扉を出たのを見送って、今吉は応えておいた。
「あ、翔一さんいたー!」
「もう雨ないですよ!」
蝙蝠傘を指差して笑った伊月とイヴァンは一つ大きな鞄を抱えており、門扉を出る前、イヴァンは振り返り、何をか呟いて、頭を下げた。
「スパスィーバ、秋水パーパ!」
悪魔の色だと蔑まれてきた美しい紫色の瞳に涙をいっぱいに溜めて、イヴァンはそう笑って踵を返した。ここから新橋まで徒歩で向かい、そこから横浜まで行けば、迎えが来ているらしい。
「イヴァンちゃん送りついでに肉でも食って帰ってこんかさ。」
「花宮さんに怒られますよ。賛成ですけど。」
濡れた石畳の道を、彼らは一度も振り返らずに歩いた。
「ダヴァーイブージムヴィチドゥルズィヤーミィ、シュン。」
ちゅ、っとノイズを残された唇に伊月は真っ赤な顔で腰を抜かしそうになったが、ぽふりと今吉に頭を撫ぜられて真っ青になった。そのままイヴァンは駅舎の人芥に消えたが、あのきらきら耀くプラチナブロンドは暫く忘れられそうにない。
「なんて言われたんー俊―?」
「多分、友達でいようねって、いう?感じじゃないっすか、ね?」
「あんチョルトパベリー・・・!」
「ちょっ、翔一さんそれ聞かれたら駄目ですよ!だめですからね!?」
長文は流石に怪しかった伊月だが、今吉が、あのくそガキ、と発したのは確認できた。慌てて追いかけて、気付けば二人、途中で食事云々もどうでもよくなって、帝都の一等地にある今吉探偵事務所に着くころには雨雲が微かに残る夕日がとても綺麗な時間であって。
「モージナパツィラヴァーチ?」
「えっ、ちょ、翔一さ・・・!」
露西亜語出来ないってどの口がゆったんだばかー!と悲鳴が声になることは無く、冷蔵庫にコーヒーゼリーの買い置きを知らせるメモがある辺りが花宮で、その日は事務所で夜明かしをしてしまって伊月は久々に母親から雷を落とされた。
「あのお屋敷はどうするんですか?」
と翌日、タイミングを計って来たような赤司に玉露を出しながら伊月が問えば。
「ああ、死人が出まくった家だし早々に貰い手は無いだろうってんで、僕が買った。」
「は?」
「え?」
「うん、だからあれは今日・・・昨日?から、僕の家。」
「昨日っておまっ!」
「葬式の直後じゃないか!」
「葬儀の金は僕が出した。」
えっとつまりそれって、と一瞬客対応の二人は沈黙し凍り付いてギギギと油不足のブリキ人形のように歪に首をめぐらせ顔を見合わせ、村上だってもともと赤司の弁護士やってたんだしね、なんて飄々と玉露を啜る赤司を見やって仲よく溜息を吐いた。
「葬式前からお前のもんかよ・・・ばかみてー・・・イヴァンが慌てたのも解る気がするわ・・・。」
「月ちゃん葬式にも学君にも挨拶せんとどないしょるんか思うたらイヴァンちゃんと手伝いかいなー・・・ないわー・・・。」
なんて、げんなりとソファとデスクに沈み込んだ。
「まあ、いつでも遊びにおいでよ。俊さんのお休みにでも二人で遊びに来たらいいじゃない。最低限の使用人だけは置いておくから、一日二十四時間程度、死なない程度にいちゃつきに使いなよ。」
「待てそれ俺が死ぬ。」
「月ちゃん返事おかしい!!」
縁起でもないわー、なんてぶつくさ零す今吉を放っておいて。
「まあ、そんなわけだから俊さん、こんな腹黒眼鏡との一寸先は闇生活より僕との生活を悩んでみてもいいんじゃないかなって。」
やらへんわ!となかんとか悲痛な悲鳴が響く応接室から壁一枚を挟んだ花宮は、独りぼっちの事務室で、いつものように楽しく一人を満喫している。

本日も今吉探偵事務所、通常営業支障なし。
どなた様もお気軽にお越しくださいませ。

***

第二弾後編でっすー!全裸大輝あざっしたぁ!!青峰数行だけ出てきますよ!!(そういう意味じゃないw)冒険は正しく狂っていますが、露西亜館は歪に狂ってます。いつかは正統派推理物に今吉探偵を放り込みたい今日この頃。しかし描けないので絶望した今さっき。どっかで「おお!?」ってなってくださってると嬉しいです!それでは後編をお楽しみください。■素敵タグありがとうございます!!だから今月増えてくださいねっ★

2012年09月04日 04:06初出。

このお話は全体的に糖度が高いですね・・・。

20121114masai