錬金術とは科学である。
人類の英知である。
質量保存の法則がきっちりと当て嵌まる、無から有は絶対に造り出せないと、それは禁忌の秘術だと。
魅入られれば、末に在るのは、破滅、だと。












今吉探偵と伊月助手と錬金術師館。後編。












フラスコの中には小人が居る。
製法はルネサンス期の錬金術師パラケルススによれば、フラスコに人間の精液を入れて数種類のハーブと馬の糞を加え、四〇日密閉し腐敗させる。すると透明で人間の形をした物質ではないものが現れると言うのだ。
毎日人間の血液を与え、馬の胎内と同等の温度で保温し四〇週間保存すると人間の子供ができる。ただし体躯は人間のそれに比するとずっと小さいらしい。
パラケルススは瑞西の錬金術師で、ホムンクルスの生成に唯一成功したとされる人物。彼の死後、再び成功した者はいない。
また、似たような話にはゴーレムという呪いで造り出される土人形の話もある。ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。「ゴーレム」とはヘブライ語で「胎児」を意味し、主人の命令だけを忠実に実行する召し使いのような存在だが、厳格な制約が数多くあり、それを守らないと狂暴化する。
鬱蒼とした防風林から崖下を覗き込み、花宮に披露された雑学に、ふうんと伊月は頷いた。
「ホムンクルスって聞いたら、俺は体性感覚を思い出すかな。」
体性感覚とは、生理学や医学用語で、皮膚感覚、深部感覚、内臓感覚を指す。内臓感覚を除外する立場もあるが。
視覚や聴覚といった特殊感覚と異なり、感覚器が外からははっきり見えず、皮膚・筋肉・腱・関節・内臓の壁そのものに含まれる。体性感覚は視床で処理され、対側の大脳半球に送られる他、自律神経系や賦活系にも影響を及ぼす。また、深部感覚は小脳でも処理される。
「えっとこうね・・・。」
地面に大脳の半円を描こうとした枯れ枝に、いらん、と花宮は手を振った。
体性感覚の区分を特にホムンクルスと呼ばれる。 体性感覚は視床と小脳皮質で直接入力を受けるのだ。
「あったで、便所の汲み取りー。」
トイレの汲み取り式のそこは、底が固まって臭いも無かった。伊月は、捕まえててね、と花宮に託し、その口にペンライトを咥えるとそのまま隠れに頭を入れた。
「うおおおい!?」
「んー・・・。」
くるりと中を確認して、伊月が頭を上げると花宮が尻餅をついた。
「なぁんもないです。おかしいくらい何もない。」
「ん?」
「なんもねーのは普通じゃね?」
「甘いね花宮。人間の糞尿ってのはガスは酷いし腐敗すれば人間殺せる毒ガス出るんだよ。男同士の性行為が感心されない理由もここにある。昔のひとって賢いんだよ。こんなね、コンクリで蓋しちゃうと、中で蟲は湧くしガスは出るしでコンクリなんか腐り落ちてもおかしくないの。」
「しかし、綺麗なんやろ?」
「これはもう、ホムンクルスの実験も飽きるほどやったんでしょうね。馬の糞がヒトの糞ならどうなるか、精子ではなく胎児だとどうなるか、実験名目でかなりの人数殺してますよ。」
伊月は膝を払って立ち上がり、花宮に手を貸す。少し小高く造られていたトイレの汲み取り場から転がった彼はちょっと面白い事になっていた。畑だったそこはただの荒野になり、海風が植物を枯らしている。花宮の髪に付着した土をぱらぱらと払ってやって、立ち上がらせる。近くには胡瓜でも植えていたのか、棒が数本刺さっていた。
「で、ここで俺は疑問なんですが。」
「はい、月ちゃん。」
素人ゆえの疑問は現場では妙に役立つことがある。瓢箪から駒だ。
「出口鉱太郎はそんな、そうですね、錬金術師で有名処であるなら、瑞西のホーエンハイム、伊太利のダ・ヴィンチ、英吉利のニュートン、希臘のカリオストロ。素人に毛が生えたくらいの、ここに前準備で知識叩き込むのに精いっぱいだった俺でも、これくらい知ってるんです。アイザック・ニュートンなんて特に数学、物理、万有引力で名高く有名です。著書だって図書館に行って全部読めるものじゃありません。じゃあ、そんなに錬金術に対して、科学について、知識を持ちたいのであれば、それはどこから得たんだ、って話ですよ。」
「なるほど。」
「可能性としては二つやな。」
「ふたつ。」
地下は本当に無いのか、部下を走らせている諏佐の姿を見ながら今吉は語る。
「地下がある。この場合は地上のピラミッド効果説も成り立つな。地下に蔵書がある。湿気て阿呆になっとるやろけどな。で、もう一つ。出口に新興宗教、ゆーか、なんや、まあ、錬金術的なこと唆した人間がおる。」
「第三者、ですか。」
「まあ、錬金術なんてもんは、ニュートン辺りから研究する連中おらんなってもーて、ほら、ニュートンの肩書ってあれやん?最後の錬金術師。」
「・・・はあ。」
とりあえずこの島に地下空間が無いとは限らないので、と足元に気を付けてそれぞれで歩き回る。下水は無いので何か違和感があればすぐに解る。
「諏佐さんー!なんかここふわふわするー!ふわふわ・・・?うん、ふわふわ。」
そこは何の変哲もない地面の一角。
「ふ、わふわ?」
なんだか、身体を得体の知れない流れに任せてしまうような、奇妙な、浮遊感と言うほどではないが、足場が安定しない訳でも無いのだが、伊月も何度か言葉を選んだが、結局は、ふわふわ、と得体の知れない擬音に落ち着いた。
「スコップあるか?」
「ちょっと掘ってみてくれや。」
「傲岸不遜って知ってるかお前ら。」
言いながら諏佐は部下に命じてそこを掘らせた。結構な深さを掘ったところで、スコップの先がゴツリと何かを叩いた。畑から防風林に隠された、鬱蒼としたその場所は、地面も湿っぽくて土も重い。
「なんだ?」
掘り進めるその土は随分と柔らかい。
「・・・マンホール。」
下水処理に使われる丸い蓋が、唐突に姿を現した。
「ビンゴ。開けるから手伝え。」
「花宮勝手に!」
重い音で警官の手で開かれたそこからは。丸い黒い穴と、ペンライトが鉄製の梯子を照らし出した。
「伊月、何か石。」
「こんでいい?」
手の中で花宮は重さと形状を確かめ、穴の中に落とした。暫くしてからカツン、と落下音が響いて、花宮が頷く。
「二十メートルってとこか。降りるか?」
「決まってんだろ。」
「梯子錆びてる・・・。」
「ピラミッドの中じゃねーからじゃね?壁の材質はコンクリート。伊月から。」
「何で俺。」
「軽いから。お前の足音で内部把握できるから。」
「梯子落ちたら助けて下さい翔一さん。」
「梯子落ちたらワシも飛び込んで月ちゃんと生涯共にする。」
「ぶん殴っていいすか。」
仕方ないな、とペンライトを構えて、伊月は梯子に脚を掛ける。錆がぱらぱらと落ちて行って、なんだか背が冷えた。
花宮の言葉通り、二十メートル下りきると、そこからは地上の玄関と酷似した長い廊下があった。
「地下道あるー!進むー?あ、地下道が地下どう?キタコレ!」
「三十メートルくらいか。誰が行く?」
駄洒落は軽やかに無視され、ほなワシ、と今吉は下駄を革靴に履き替えて梯子を下り、花宮も続いて来た。
「梯子の年季として、多分この以上の人数やばいっす。写真撮って来るわ。」
大型のカメラも肩から下げた花宮は梯子に脚を掛けず、殆ど飛び降り、途中の壁に脚を掛けて速度を殺して、地下に降り立った。お見事、なんて伊月が思わず拍手。暗い地下道は真っ直ぐに続き、そして突然、左右に分かれた。
「これ、は・・・。」
「上の陣と重ねて作ってあるな。さて、錬成されたのは何だかね。」
曲線の廊下を進んでいれば、円の内側に廊下がある筈だ。地上の造りと同じようにインゴットで作成された扉はあったが、部屋は無かった。
そして中央エントランス。
「・・・凄い、これ・・・。」
壁にはびっしりと、世界さまざまの言語で書かれた本が並び、ライトで照らしていたそこで伊月は躓いた。蒸留の器具や計算式の書かれたノート、開かれたまま散らばっている本もある。
「・・・出口鉱太郎の、外見的特徴、下さい。」
「体格としては今吉と同じくらい。顔の彫りの深い男前。」
「頬にほくろ?」
「ああ。」
「死蝋なってる。蹴り飛ばしちゃった。」
「確かに、あれから老いてへんね。」
「ここで研究に没頭して、死蝋化、ね。本望だろ。」
この本何語、ラテン語、なんてくるりと広い部屋の壁を回っていると、うん、と伊月が首を傾げた。
「翔一さん、ここ変。」
「ん?月ちゃんどないした?」
「ぎっしり詰まってんのに、ここだけ何冊か抜けて・・・あ、うわ!」
木で拵えられた本棚は、年季と本の重さで一段落ちた。伊月が突いたのが止めだったらしい。出口の死体は腐敗する前に気温や湿度の関係で蝋となったが、なんだか空気は重苦しい。
「あー、散らかした。」
ごめんなさい、と伊月は散らばってきた本を詰み重ね、花宮がペンライトを向けると、タイトルを覗き込んだ。
「・・・何語?」
「お前、それ、どこにあった。」
「え、この上の棚。そこ、崩れた・・・。」
「これ。」
本の背表紙の下に、丸い何かがあった。
「・・・何これ。」
「今吉、本の背表紙下方に丸いシール。元の色は赤だ。探せ!」
「えー?なにそれめんどー。」
その面倒臭い、は本を探すことではない、と伊月は瞬時に理解する。背表紙の下方に丸い赤いシールが張られた本は、見覚えがある。時折小難しい顔で花宮が睨んでいるのを見たことがある。
「第三者の可能性はあったがよ、最悪の展開じゃねーかこれ!」
くっそ、と花宮は吐き捨て、本棚を巡る。五冊。今吉も六冊、伊月の手元にも三冊。本を傷めないように、と表紙を開けば、最初の頁には予想したとおりの言葉が刻まれてあった。
《霧崎第一大学 研究室図書 持出厳禁》
「このシールの本はな、俺でも誓約書に判子が必要なくらい、持ち出しや閲覧許可が要んだよ。特に赤は、俺か古橋しか読めない。読む権限が無い。」
「じゃあ、どうしてこんなとこ・・・。」
「しかも本の紛失やらの報告入ってねぇ。これ回収して、霧崎第一行く。」
「ちょ、はなみやっ!」
五冊も大型書籍を抱えているのに足音をさせない驚異の速度は今吉が嘆息する頃に気配を消し、やっと地上に帰った頃に、おっせぇよバァカ、と理不尽に詰られた。
「真っ暗なんだよ!本抱えてんだよ!梯子崩れそうで怖いんだよ!!」
「諏佐、出口鉱太郎の死体あったわ。五年くらいか、死蝋なっとる。粗方の確認は月ちゃんがやったけど、もっかい確認させぇ。中暗いから気ィつけて。丁度あのエントランスホールの下や。」
「解った。花宮から事情は聞いた。最短距離で送らせる。エンジンモーターは最新だ。」
「おーきに!」
「す、すいません!失礼しますっ!」
慌てて伊月は諏佐に頭を下げると、敬礼を返してくれた彼に両手を本に塞がっていたのを抱え直して、敬礼の真似事を返し、離れていく背中を急いで追いかける。ごくろーさん、なんて花宮は不遜甚だしい。
本をビニールシートで包んで、小型のクルーザーが簡素な桟橋から出航し、慣性の法則で今吉は中折れ帽を飛ばされかけた。
「霧崎の科学科に小笠原って教授が居る。」
「小笠原。」
「教祖といや、部屋は一番上座だろ。」
えっと、と伊月は見取り図が風に持って行かれそうになるのを抑え、出口が使っていたと思われる部屋を確認。その北側にはもう一つ部屋がある。
「26、鉄。」
「公安から四人死んだつったろ。その情報は小笠原だ。」
「え。」
「小笠原を合わせて五人、公安から内偵させた。その内偵の内、小笠原だけが助かっている。こりゃ、下手すりゃぞっとしねぇぜ。」
無線借りれるか、と船に同行している警官に花宮は声を掛け、数字の羅列を伝えた。幾つかの法則に当てはめてみたが、伊月には意味は結局解らなかった。
「青峰か。霧崎の小笠原って科学科教授、名目は何でもいい、聴取だ。」
『あ?霧崎の?何で。』
「恋禁島での事件。諏佐サンが今引っ張ってんだろ。新種麻薬どーたらての。関わってる可能性がある。内部告発とでも何とでも言えばいい。小笠原重徳、四八歳。霧崎第一大学科学科教授。特に錬金術に関しての歴史にも精通。どうだ、引っ張る条件としては揃うだろうよ。」
確かにそれだけあれば、知恵を貸してくれ、とでも受け取って貰えそうだ。しかし逃亡の気配は無いのだろうか。
『了解。』
「どんくらいで本土?」
「あと半時間もすれば着きます。」
「見えてるのに遠い・・・。」
ざ、っと黒髪が海風に嬲られ、ぱたぱたとトンビの背中には水滴が飛ぶ。
「配布手段は判明してないが、青の日光の精製は小笠原でほぼ間違いない。薬学科にも最近首突っ込んでやがったし。」
「青の日光の主成分はハーブでしょ?」
「芥子並みに毒性のあるヤツな。しかも中毒性もたっけぇ。一月あれば人格崩壊する。」
東京湾のとある港からは警察が馬車を出してくれた。花宮が下車の指示をしたのは霧崎第一大学よりも誠凛大学に近い場所だった。
「康次郎。」
「すまない、資料は揃ったが本人が捕まえられなかった。」
「それだけありゃ十分だ。健太郎起こせ。資料の複写・・・こっからここまで、警察に提出。中から食い破るたぁ大した蜘蛛の子根性だ。」
そこから路面電車に乗る前に、花宮は近所の交番で電話を借りた。
「天野屋。小笠原重徳はどこだ。」
きゅ、っと伊月は拳を握ったが、待つことなく花宮の指示がある。
「伊月、地図。」
「待って待って!」
慌てて広げられる帝都の地図に、花宮が印を付けていく。六ヶ所。
「・・・これ。」
その印を繋ぐと歪な円になる。ありがとよ、と電話回線は切られ、その円の中心。うそ、と伊月は瞠目した。
「帝国議事堂ね。ったく権力使いやがって。」
「え、なんっ、そんなとこっ。」
「権力者が権力を手に入れたらその次は?」
「っ。」
そうだ、と伊月は言葉を無くす。ピラミッドの中身然り、中国の皇帝の願望然り。
「小笠原はこの一月、授業の類を一切助教授に任せている。で、この六点はそれぞれ、党議員、代議士、華族の邸宅。思想にのっとって、議事堂の地下だ。」
「議事堂に地下って・・・。」
都市伝説じゃ、と言いかける伊月に、火の無いところに煙は立たん、と今吉が言いやった。
「康次郎!」
「車は出せる。議事堂で良いのか。大学に連絡は。」
「天野屋がどーにかすんだろ。とにかく小笠原の身柄確保。今吉、顔効くな?伊月も来い。」
言われても俺役に立たないよそんなとこ、と古橋の運転で議事堂正面に停車すれば、門前警備員に今吉が挨拶すれば、そのまま敷地に入る事は出来た。伊月は半ば頭痛を覚えながら、現実逃避気味に、アンモナイトの化石ってどこだっけ、と考えた。
「議事堂内部は知ってるか。」
「中学の社会見学で一回。」
「了解。お前は堂々としてていい。」
「その根拠は!?」
「自分の家の名前。」
「・・・あ。」
伊月、という家は、過去に爵位もある、士族だが扱いとしては華族に近いものがある。曾祖父の代は数人国会議員であったらしい、とは聞いたことはあるが、その名字がここでそこまで威力が発揮されるのかはさっぱりだった。母親は普通に主婦で父親は少し大きな出版社で働いている。極普通だと思っている本人こそ実はとんでもなかったりする。特に伊月の長男がどんな進路を取るかは、注目する人間は少なくない、とは古橋の言。誠凛という新設の大学は私立で運営されているが、誰が運営しているか、も結構大きな問題だ。
「うー、名字武器にするのってあんま好きくな・・・って、ちょ、まさか!」
「古橋と俺は面割れてる。今吉は良くも悪くも評判が高い。お前が適任。」
板垣退助、大隈重信、伊藤博文の銅像と、像の立っていない空の台座の前を通り過ぎ、カツカツと、金バッチが振り返る中を進まされ、昇降機の前に連れ出される。上に行くためのスイッチしか見当たらなかったその下、花宮は鍵を取り出して突き刺せば、がくりと一度大きく揺れた。
「ここで俺ら待機してっから。」
扉の際に花宮と古橋、反対側の壁に今吉が凭れかかり、がしゃがしゃと絡繰りの逆回りになった昇降機から降りると、一人の年嵩の議員が頭を下げてきた。
「あの、小笠原さん、ってここに?」
「学生か。そのコートは誠凛大学・・・。」
「はい。伊月と申します。小笠原先生がこちらにおられると聞きまして、ちょっと・・・アドバイスを。」
言葉は選んだが、選択肢は広くない。
「ああ、伊月とはあの!」
「な、内緒で!」
お願いします、と伊月は頭を下げ、ゆっくりと体を起こす。薄荷の匂いがふわりと薫った。
「小笠原先生、随分と御若いお客さんが来られましたよ。」
記憶が正しければ、党首も務める与党代表だったように思うその男性は、ぽんと伊月の肩を叩いて、奥の部屋を示す。薄荷の香りの元がそこにある。
「・・・来なさい。」
ぴく、と反応を示した花宮と古橋を今吉が目線で制す。
「その若さで、不老不死を欲すると。」
さらりと綺麗な黒髪の毛先を玩んでくる手は、酷く老いている印象だ。四〇代そこらだってゆってなかったか、と伊月は首を傾げた。ふつふつと笑う声がした。
「小笠原、重徳先生?」
「その名前は随分久しいね。」
「大概の者はバラケルススやホーエンハイム、千年伯爵とも呼んでますからな。」
「錬金術師・・・。」
「博識だ。」
「こちらに、賢者の石が?」
言うとも無しに伊月のくちびるが紡いだそれに、また錬金術師は嗤った。
「まだ精製途中だが?」
「あ、すいません。」
「見るかな?」
ビロードの分厚いカーテンの中にはランプが静かに灯り、フラスコの中には黒い塊があって、老いた手と声の人物は、やはり老いて痩せこけているが、これは老いでは無い、と伊月は思った。麻薬中毒者に多く見られる症状で、瞳孔も開ききっている。
アルコールランプに茹でられているのは赤い液体だった。血を沸騰させているような印象に、伊月は口元を抑えたが、フラスコの中に錠剤が投げ入れられて溶かされた。薄荷の香り。
「恋禁島、という場所に聞き覚えはありませんか。」
顔に影が差した。見開かれた目がぎょろぎょろと、表情を窺うように眼前で動く。正解だ、と本能で悟った。
「最後の晩餐は、美味しかったですか?」
背後で議員は首を傾げたようだった。青年の言い回しが奇妙なのだ。聖書の中の引用は、この場面に相応しいのか。
「四人の生血は、赤かったですよね。」
「小僧!」
骨と皮だけの腕がインバネスの肩を掴み、がくりと揺する。
「頭下げろ!」
背後からの声音にしゃがみ込めば、想像を絶する力で掴まれていたコートはボタンが飛ばされた。小笠原は側頭部に蹴りを叩き込まれて倒れ、議員は古橋に腕を捩じり上げられた。
「そら、こんな場所でカルトやっとったら随分実入りもええやろね。」
乱暴にカーテンを捲った今吉は、部屋の奥に在った大きな飾り箱を開けた。海賊冒険譚に出てくるような大きな箱は、飾りの宝石がランプに耀き、中に納まっていた札束を照らし出した。
「逮捕状下りたで、小笠原重徳。元霧崎第一大学科学科教授、麻薬不法所持、傷害殺人、死体遺棄。あとは詐欺。」
足音も無く廊下に立っていたそれは、黒のスーツに黒のネクタイだった。胸に刺していたバッジは偽造かどうだか、伊月には判断が付かない。
「随分とあちこち振り回してくれたもんやな、ウチらは蜘蛛でも内側から食い破る子は許さん。」
「神妙に、お縄やね。」
拘束された議員の他にも小笠原に関わったとされた政治家や華族にも幾つか罪状は下り、表に姿を現す前に、その錬金術師は吊られて殺された。新聞の記事にもならなかった。
青の日光がどこまでばら撒かれていたかは定かでないが、薬物中毒は暫く蔓延して落ち着くだろう。更生するかそのまま死ぬかは本人が選べばいい。
法律が禁止を呼び掛けるのではなく、道徳が法律を作るのだ。
「不老不死を欲しがったと言えば、秦の始皇帝もだな。」
「ああ、死後も兵隊に墓を守らせてるってやつね。」
なんでこんな話題になってん、と今吉はいつも通り、帝都の一等地、私立探偵事務所で伊月の淹れてくれた珈琲を含みながら眉間に指を持って行く。
「一三歳で王位について、五〇で病死か。」
「床に銅板が敷かれてて、川やら海やらの絡繰り作ってあるらしーぜ。」
「うわ、ちょっと見たいそれ。」
「西安だろ、確か。殉死者の死体も埋められてて、今でもユーレイ出るとか。」
「執念蛇だね。」
「一二人の息子と十人の公女とー、あ、多分側近だろう五人の男と二人の女の墓が見つかってる。あとは後宮の女と、殉死っつー大量殺戮を知ってる土木作業員も全員生き埋めにしたらしい。」
「うわー、理解出来んわー。」
「そんな話を、お八つしながらしてる二人がワシは理解できらん。」
うん、と助手二人は首を傾げたので、若い子についていけらん、なんて彼はデスクに突っ伏した。
「錬金術ってある程度の残忍性が無いと手が出せない分野だなって。」
少しだけ笑って伊月が述べた。
「俺だって、医学のために死体の解剖はしますし、検視もやりますよ。でも、錬金術師の持つ残忍性は少し違うなって。」
「どうちゃうの。」
「科学の発展のために、人間は何をしましたか?」
「兵器の発展は間違いなく戦争のためだろ。」
「せーかい。ヒトを殺すため。」
発展のためには人間はどんどん残酷になれちゃうの、なんて伊月は白い歯でクッキーを齧り取る。
「ヒトを助けるために、ヒトは試しにヒトを殺します。どうやったら死ぬのか、死なないのか、そんな実験を繰り返して医学だって薬学だって発展したんです。特に錬金術はそれら全てをひっくるめた紀元前からの学術ですからね。その研究成果のためにどれだけ殺したか。痴情の縺れだとか、そういうんじゃ一切無い。ただ、好奇心でひとのいのちに手を伸ばし、握りつぶす。」
まあそうだよなぁ、と花宮何とも興味がなさそうだ。
「そういえば賢者の石なんやけど。」
「小笠原の押収物ですか?」
「ちゃうちゃう。ホーエンハイム。あれ、実際に賢者の石の錬成に成功したとも言われとる。」
「え、まじすか。」
「真偽は解らんけど、ホーエンハイムの妻かなんかが、そのままゴミと間違えて捨てたかなんかでどっかいてもたらしい。」
「はぁ?」
「要するにあれだろ。」
花宮の指先は行儀悪くも器用に五枚ほどのクッキーを纏めて掴み、口に放り込んで噛み砕いた。最近の彼は天野屋に手を借りた代償に、結構多忙だ。これからまた二階に籠って心理学と経済学とあともうひとつ今回の事件概要。研究論文を作成して提出しなければならないらしい。
「他人が価値を理解しなきゃ、研究成果ってのは塵屑。代わりに価値の無い研究を価値あるように見せれば、誰にだって金儲けは簡単なんだよ。」
「万有引力だって、簡単に言えば重力とかそういうのだもんね。何も考えないで生きてくぶんには別に要らないそんな知識。」
「医学もな。」
「ええ、誰も病気したり怪我しなきゃ、こんな学問学ぶ必要ありません。」
にこやかに、伊月は清々しく言い放った。
何が必要で、不必要で、なんて思想は自分で持てばいい。必要なら学べばいい。そして門戸を叩いて研究の道を選び、ひとは生長するのだろう。
日々は無為なようで見逃した後になって眩しく見える。
過去を眩しく見る未来を、今は耀けるものにしていけば、それはきっと生きた証になる。


今吉探偵事務所、本日も平常業務で運営中。
スプーンで26回8グラムの砂糖を掻き混ぜ溶かせばどうなりますか?

***

後編です!参考文献51ページの彼がアメストリス軍服コスの伊月先輩にしか見えませんどうしよう!!因みに今回の事件の一部はハガレンの関係ムックを元ネタにしてあります。錬成出来たら危ないから真似しないでねー。


2013年2月1日 17:27初出。

で、最後の一文なんですが、この時代未だ成立してないんですよね。ホッカイロ。

20130404masai