| 外部と連絡が取れない。 特に花宮は古橋の友人という事もあり、現状を知らせるべき人物であるにも、どうしても、電話線は切られていることが判明し、崖向こうへの声は滝の音が邪魔して届かない。 届かない。 今吉探偵と伊月助手の温泉旅行。後編。 古橋は絶対安静、女将はそれに付きっきり。伝統ある温泉街の老舗旅館は従業員があちらこちらで対応に追われている。 「くっそ!」 悪態を吐きながらも伊月はネタ帳に走らせるペンを止めない。因みに書き込まれていくのは駄洒落ではなく現状把握のための周辺地図と現状使い物になるかの道具、それから旅館内の地図。いつものように正確な見取り図が作れないのはちょっと厳しい。古橋の怪我は明らかに他人から受けたそれだ。出血をしているという事はある意味幸いだ。頭部内出血は怖い。しかし凶器は、と考えたところで伊月のペンが止まった。 綺麗に磨かれた窓、季節の花々が活けられた花器。あの廊下で、明らかに違和感を覚えたのは自分だ。 「月ちゃん、どない?」 「花器で殴ったら骨折れますよね。」 「カキ?ああ、花活けてあるあれな。ええもん揃っとるわ、流石まこっちゃんのオトモダチ。」 「鑑定出来ます?」 「誰にゆうとん。朝飯前や。」 お願します、お願いされた、と遣り取りしていると、ぽすぽすと襖がノックされた。 「黄瀬ッス。」 「うん、いいよ。」 「なんなん?」 「アリバイ証明ですかね。」 からりと襖が滑り、これッス、と黄瀬が差し出した広告の裏白には、今回の打ち上げ参加者、そして古橋に怪我のあった時刻に何をしていたかが克明に記されている。 「いやー、流石にこんな事態になると皆保身とか庇いあいとかも馬鹿らしいって感じッスね。まず、志村さん。この人はまあ、今回の座長さんッスわ。寝て起きて温泉入ってぼーっとしてたら橋落ちた、ってらしいッス。仲居さんから裏とれたんで一応白だと思うッス。佐野さん。今回の舞台は源氏物語の簡略版だったんで、紫の上役に当たってたひとッスね。基本的に俺と一緒に行動してるッス。彼女のアリバイも俺のアリバイも、そういう意味では白ッス。坂本さん、芹さん、島村さんはいっつも一緒につるんでるんで、アリバイないと真っ先に判るッス。てことで白スね。佐々木さんスかね、問題は。」 佐々木、と言えば高確率で黄瀬と一緒にいた気がする。佐野は女性という事もあって距離があったが、黄瀬とは何かと仲よくやっているように見えた。 「実は、あんま良い噂聞かないんスよねー。」 アリバイ証言もなんかビミョーだったッス、と黄瀬は胡坐に肘を置き頬杖を突いた。 「あと、個人的にベタベタされててあんま好きくないっていうのも本音ッスかね。」 お前いつも黒子のやってんの何だ、と伊月は前歯で堰き止めた。ふむ、と今吉は唸り、小首を傾げた伊月のさらさらした黒髪を撫ぜた。椿のあまい馨りがふわりと鼻腔を擽る。 「なあ、この椿油、黄瀬クンの?」 「えっと、佐野さんに貰ったッス。試したけど自分には合わなかったーって事らしッスよ。」 「へえ?」 ニィ、と今吉は口の端を吊り上げた。 「ちょお、佐野さんとお話し出来るか?」 「いッスけど、スキャンダルご法度なんでー・・・どしよ?」 今吉が伊月しか『そういう』相手にしないのは仲間内では周知だが、世間はどう見るか解らない。 「じゃあ、黄瀬が同席して。俺、幾つか気になることがあるんだ。」 「気になること、ッスか。」 「うん、ちょっとね。」 そんなことで伊月は静かに廊下を歩いていき、それを見送ると黄瀬の案内で今吉は佐野に宛がわれた部屋に向かう。女性の部屋とは思えない散らかり具合に、今吉は苦笑してしまった。 「ごめんなさいね、片付けとか下手なのよ、私。」 黄瀬は楽屋や舞台裏の様子で知っていたらしいが、足元に転がっていた小瓶を拾い上げて、瞠目。その中に詰まった白い錠剤は、一瓶飲み干せば死ねるような代物だ。 「え、何これ・・・。」 「あーあーあ。見つかっちゃったー・・・。うん、いつでも死ねるようにって。ちょっと頭おかしいのよね、私。」 なんか安心するのよ、持ってると、と笑った女優は剃刀を手に玩んでいた。 「それ・・・。」 「あ、そうなの、これちょっと相談に乗ってほしいのよ。」 うん、と申し訳なさそうに彼女は眉を下げ、柄を黄瀬に向けた。受け取ったのは今吉だった。 「何や、これ。」 「ね?変でしょ?」 その剃刀は、明らかに新品だ。女性でもちょっとした身綺麗のために使うだろうが、そちらは化粧ポーチに入っていると言う。こういった道具は部屋中に散らかしておくのが佐野の常だとも彼女は言った。その新品の剃刀は、柄も窓の外の光を反射するほどのそれだが、刃の部分が明らかに歪んで、糸くずが絡まっていた。 「・・・糸くず・・・?」 「っ!」 弾かれたように顔を上げ、部屋を飛び出し廊下を駆けて、玄関で乱暴に下駄を引っ掛け、向かったのは吊り橋があった筈の場所だ。 「ちょっ、今吉サン!?」 慌てて追いかけてきた黄瀬が聞いたのは、当たり、と呟いた静かな声だ。吊り橋を支えるロープが鋭利な刃物で切られた跡である。それを確認した今吉の横顔は、戦慄っとするほど冷たく、笑っていた。 「あの、今吉・・・サン?」 「佐野さんは、ワシらと一緒に温泉街に下ったな。」 「そうッス!」 「自分が落ちるかも知れんとは、考えんかったんかいなぁ・・・。」 「本気・・・スか。」 一旦月ちゃんと合流か、とひんやりした声音で呟き、黄瀬を置いて旅館に入る今吉に、慌てて追いかける。 「あの、伊月サンが気になってるのって、何スかね。」 「ああ・・・それもあったなぁ・・・。」 「それもあったな、って!」 口元に、にたりと笑みを張り付け表情を眼鏡で隠した彼に、黄瀬は思わずじさり、それでも膝を叱咤して後を追う。玄関で下駄を置き、きしきしと鳴る床板が、得体の知れない恐怖を追い立てる。漠然なる恐怖だ。汗の滲む手のひらに爪を立てて黄瀬はその後ろを付いていく。 「月ちゃん。」 「あ、翔一さん。」 伊月は古橋が殴られたらしき場所にしゃがみ込んでいた。隣には佐々木がいて、夥しい血の海は拭われたがどうしても染みついた黒い跡と鉄錆びのような臭いはまだ消えていない。 「なんしよん?」 「現場検証、ですかね。やっぱり花器が一個足りないんですよ、俺の記憶が正しければ。でも、花器で殴ったにしては傷が浅いなぁと。翔一さんも言ったじゃないですか、結構高値のものばかりだって。血の付着加減とかもちょっと不自然で・・・。」 ほら、と指差された柱には高い位置に血痕が、そこにだけ残っている。床に残る血溜りの真上に、一か所だけ残されている。手の形でもないし、手を突いたとかそういうんじゃ無いっぽいんですよねぇ、と眉を寄せながら。 「せやな。」 「翔一さん?」 流石に気付く、この今吉の奇妙な気配に。 「翔一さん、どうしたんですか。」 「なあ、その男誰?」 「佐々木さん。黄瀬の同僚、って認識でいいのかな?」 「所属違うんで今回限りの仲間ッスかね?あ、佐野さんとは腐れ縁らしいッスよ。」 「その辺の人間関係詳しく。」 「所属は違うけど、何かと一緒になる機会が多いだけさ。」 「って事らしいッスよ?」 「あ、そうなんですか。ありがとうございます。」 どうやったらあんな血痕と怪我になるかなぁ、え、でも裂傷ってことは、うーん、と一人で指先を口元にやって考える様に、今吉は有無を言わさず引っ張り、立ち上がらせると歩き出す。 「翔一さん?何かありました?」 「俊を殺しそうになった凶器。」 ぴ、っと手の中に翻された剃刀に、伊月が息を呑んだ。 「じゃあ、支柱のほうは・・・?」 「あっちは鉈や。それは見つけられんかったけど、この剃刀は佐野さんのもんやな。」 「え・・・っ。」 「あの女優さんは自殺志願者や。俊を殺しかけ・・・。」 「翔一さん!」 いつも穏やかに笑んでいる印象が強い伊月の剣幕にいい加減黄瀬は腰を抜かしそうだ。 「あなたらしくもない!そりゃあ指紋を調べるだとかそんなのここじゃ不可能ですよ!?にしたって早計すぎます!それは何に対する証拠ですか。状況証拠だけで解決すると思ってますか?ばかですか?俺のあなたに対する信頼を無くす気ですか!」 今にも殴りかからん勢いで捲し立て、剃刀をその手から叩き落とすと、腕を伸ばして今吉の頬を両手で包む。ひんやりと、沸騰した血液が醒まされていくようだった。 「月ちゃん・・・。」 「何ですか?」 「ワシ、ちょっと休む・・・。」 「はい。」 ふんわりと、花のように笑った伊月はそのまま今吉の手を引いて、桐の間に戻った。そういえば剃刀置きっぱなしだ、黄瀬に任せよう、と考えて、布団を一組延べるとぽふんと転がり込んで、隣に今吉を促す。 「翔一さん。」 「・・・。」 「眠って?」 「・・・っ。」 そのまま、今吉は意識を手放すことを選んだ。 目を覚ますと部屋の中が真っ赤に輝いていた。夕日が射しこんで、西よりにあるこの部屋は目に痛いくらいの西日に部屋が照るのだと、昨日は外出で気付けなかった事実に、伊月はぼんやりと壁に凭れながら徐々に暗くなる部屋を眺めた。 「伊月サン、起きてます?」 「きせ・・・?」 「あ、起きてた。」 襖を開けた黄瀬が安心したように笑うから、伊月は申し訳なさそうに頬を掻いた。 「ごめん、崖から落ちかけるし翔一さんぶち切れるしで、ちょっとヨユーなかった。」 「大丈夫ッスよ。誰にでもある事ッス。夕飯どうします?」 こてん、と壁に張り出した柱に頭を預け、貰うよ、でも場所どうしよう、と苦笑する伊月の腕を、骨が軋むような強さで握られた。 「いたっ・・・。翔一さん、起きた・・・?あ、黄瀬、布団片付けるから、ご飯こっちで貰うよ。」 「何だったら宴会場で皆一緒でどッスか?」 「あ、そのほうが手間少ないか。翔一さん?起きます?」 「月ちゃん、気付いてへんのんか。」 「え・・・?」 なんだろう、と自分の姿を顧みる。今吉を抱きしめて眠った浴衣は少々着乱れているが、まあ許容範囲だ。今は羽織もあるし、と腕を強く握る手を見やると、今吉は起き上がってその手を伊月の頭を包むように持ってきた。 「古橋は、こないして気ぃ失のうとった。」 「−っ!」 柱に、凭れるように力なく座り込んで、壁と柱を血で汚し、伊月はひゅうっと喉が不自然に鳴ったのを自覚する。 「あれは、頭を掴まれて、柱に頭ぶつけられて、そんであないなった・・・。」 「だから、あんな高い位置に思いっきり血痕があったんだ・・・!」 ガシャン、と窓ガラスが割れたような、それそのものの音を聞き、三人は慌てて廊下へ飛び出す。宴会場前の窓ガラスが割れ、その向こうにある中庭にはヒトが倒れていた。近くに粉々になった花器が転んでおり、伊月は中庭に続く扉を開く。 「芹さん!!」 駆け寄ったのは黄瀬で、額から血を流す男を呼びかける。 「どうしたんですか!」 「あ・・・るいて・・・きゅう、に・・・。」 歩いていたら急に頭部に何かを投げられた。そんな証言をしながら、ふらついたが芹はなんとか自力で立ち上がった。頭を揺らさないように注意深く歩かせて、桐の間に敷きっ放しの布団に座らせ、伊月の手際の良い手当と、瞳孔の動きや脈拍を調べて、そのまま寝かせた。 「軽傷でよかったぁ・・・。」 怪我には違いないが、意識を飛ばしてしまうような大怪我でなくてよかった、というのは伊月の本当に素直な感想で、あっそうだ夕飯!と黄瀬が明るく声を掛け、今吉も一度伊月の肩を叩き、芹には食べれるようなら、と部屋に持って来させるように仲居に頼んだ。 桐の間で四人は食事をしながら情報交換に、と色んな話をする。 「佐野は昔捨てられた男がいるらしくって、それ以来ずっと自殺志願だそうだ。」 「美人なのになぁ・・・。」 「花器高いって具体的にはどんくらいッスか?」 「家は建たんけど帝都で土地ぐらいやったら買えるなぁ、全部合わせて。」 「まじで。イッコ粉々なってたぞ。」 「盗難とか被害とか報告させなきゃですねぇ、花宮経由ででも。」 「まこっちゃんやったら言われんでもやるやろ。あ、この刺身旨い。」 「あ、俺赤味苦手ッス。伊月サン、あーん。」 「黄瀬クン!?」 その内佐々木がやってきて、芹さん無事か、と心配そうに声を掛けた。 「今は絶対安静。眩暈や吐き気があったらすぐ来てください。」 「さっき、山のほうから猟師が下ってきて、道を確保してるって報告だ。帰れるぞ、黄瀬。」 「本当ですか!やったッスね!伊月サン!」 「これでちょっと安心出来るね。」 湯呑を抱えてほうっと息を吐いた伊月はほわっと微笑み、黄瀬の頭を撫ぜ、今吉に撫ぜられた。 「なあ、伊月君?と今吉さん?って何者?」 「あれ、黄瀬クンゆうてへんの?探偵さんや。」 「だってこんな温泉街いんスもん。お休みかなんかッスよね?」 「まーね。花宮さんが行ってこいつって。」 「ああ、花宮サンと古橋サンって大学同じだったッスね。」 「そゆこと。さっき古橋の様子も診てきたけど、まあ眠ってるだけで血色もそれほど悪くなかったから、起きたら解決する。」 「風呂行こうよ、黄瀬。」 ああもうそんな時間、と今吉が懐中時計を開けば、伊月が芹に風呂は今日は止めておいたほうがいいですね、と相談しているところだった。部屋に帰ってもいいですよ、と笑えば、ありがとう、と頭を下げて、そろりと立ち上がった。 「伊月サンも今吉サンもどッスか、風呂。」 「あ、うん。先行ってて。」 そう応えた伊月は、ざわっと側頭部に、体毛が逆立つような寒さを感じた。怜悧な刃物でも突き付けられているような、そんな感覚に思わず羽織を握った。 「月ちゃん?」 「あ、翔一さん・・・、なんでも・・・。」 お風呂行きましょうか、と笑って、部屋は仲居が入れ替わりに片付けてくれた。相変わらず黄瀬は伊月の髪を洗いたがって、首筋に残った紅いそれにからかって、顔に湯を被った。猫と犬がじゃれているような様子を今吉は矯正されていない視界で湯気に邪魔されながらも微笑ましそうに眺めていた。やっと湯船に浸かった伊月は湯の中で今吉の手に指を絡めた。 「どないしたんな。」 いつもより距離が近い伊月の様子に、部屋に戻って真新しい布団が二組延べられた前で今吉はその体を抱きすくめて問いかけた。 「さ、むいんです、なん、か・・・寒い・・・。」 得体の知れない恐怖に震える体が湯冷めしない内に布団の中に押し込んで、抱き寄せ抱き込み脚を絡ませた。 「こわ、怖い・・・!俺、あのひと、怖い・・・っ!」 「俊、ええから、おいで。眠ってまい。」 昼間とすっかり逆転した立場に今吉は笑ってしまいそうになるが、ほかほかと温泉に暖められた体も頬も、いつもより暖かいくせに真っ白な顔色に、伏せた睫毛は小刻みに震え、しがみついてくる子供のような様子に、宥めて眠らせた。 「今吉サン新事実ッス!」 朝っぱらにがらっと襖を開けた黄瀬は、そのままそろそろと視線を逸らして襖を閉めようとしたのを伊月に抑えられた。こちらに背を向けて座る伊月のブラウスを今吉が脱がしているようにしか見えなかったのだ。 「邪推はしなくていいから。ほんとまじでそういうのいらねーから。昨夜はなんもなかったから。」 「昨夜『は』なー。」 「翔一さんっ!」 ええからはよ入れ、と声に黄瀬は廊下の向こうを睨み渡し、すっと静かに後ろ手で襖を閉めた。伊月は第一釦だけ外して、スラックス姿で茶器に向かうと湯呑を取りだし、急須の注ぎ口を三つの湯呑に行き来させる。 「佐野さんが自殺志願になったの、男に捨てられたから、って話だったッスよね。」 「せやな。」 「その男、佐々木さんだったらしいんス。あのシャンプーくれたのも実は佐々木さんだったみたいで・・・。」 「誰から?」 「志村さんスね。なんでも当時一緒に舞台やってたそうッス。」 布団を壁際に畳んで寄せて、今吉は伊月の手帳を見ながら、時折書き込んで、伊月に渡された湯呑を受け取った。黄瀬もやっと落ち着いた様子で茶に息を吹きかけて冷ました。 「ちっと見えてきたな。」 「やっと冷静になりましたね。」 「うるさいよー月ちゃん。」 「はいどうもー翔一さん。」 「なんでそうまったりムードなんスか。」 じとっと黄瀬が見やれば、くすりと伊月は笑った。 「なんか、解決しそう、な感じッスか?」 「古橋の件は解決した。」 「まじッスか!?」 「それはここ管轄の警察にもう連絡したった。猟師さんが上手い事手紙運んでくれはるやろ。」 「因みに真相は?」 「ちょっとした親子喧嘩・・・かな。」 「じゃあ、おか・・・。」 「ストップ。他人の御家事情に口出すもんじゃないよ。本人たちがそうしたくてそうなったんじゃないから。」 「月ちゃんはやさしーのー。」 おっとりと今吉は述べ、そろそろかいな、とちいさく呟いた。 「用意出来とるか。」 「いつもほど装備品無いのは心許無いですが、まあ、なんとか。黄瀬、風呂行こうか。」 「俺もスか。」 「うん。」 すっと伸べられた指先は黄瀬の長い指にしなやかに絡み、行ってきます、と今吉に告げるとそのまま桐の間を出た。 「あの、」 「うん、後で幾らでも聞くから、今は・・・。」 あざとく見上げてくる涼しげな目元に、思わずどきりとした所、えい、とじゃれるように腕を絡めて肩に手を回された。社交ダンスでもする気か。 男湯の暖簾をくぐり、その腕は呆気なく離れた。 「俺から少し、離れてて。」 その声に被さる様に、露天風呂に続く扉が破られた。 「この、淫売がああああああああああああああああああああああああ!!!!!」 振り下ろされた鉈を寸でで避けた伊月は、無茶苦茶に振り回されるそれをじさるだけで交わし続け、黄瀬の呼びかけに視線で応えた。 「黄瀬に、誘惑っ、をっ、おっ、貴様っ、貴様ぁあ!」 がつ、と脱衣場に響き、肘の骨を軽く弾かれた腕はそのまま体制を崩し、壁に鉈を刺し、足を払われ床に転んだ。 「さ・・・佐々木、さん?」 「やっと出てきたな、鉈。これで橋を落とした。」 「佐々木さんは黄瀬クンが好きやっただけや、気にせんでええよ。」 「今吉サン!?」 「推測でよかったら聞くか?」 「黄瀬っ、黄瀬ええええ!!」 「月ちゃん。」 「はい。」 すとんっ、と綺麗に当てられた手刀で、佐々木は意識を落とした。 「まず、シーズンオフの田舎の温泉地で打ち上げと称してお泊り会。橋を落として孤立。そん中で一人一人潰して、最後に二人っきりが完成する、っちゅー計画やったんやろ。決定打はアレや。芹さんの怪我。何でワシらの部屋に芹さんが保護されてんのか、ゆうてへんのに無事か、ゆうて来よったからな。」 今のを見て解らんかったとは言わせんで、とばかりの眼光で黄瀬を見た今吉に、ぞくりと背筋が冷えた。浴衣の帯を投げ渡して、後ろ手に佐々木を拘束すると、壁に刺さった鉈をどうするかなぁと伊月が首を捻っていた。 「黄瀬クンは月ちゃんと仲よく頭洗いっこしょったしなぁ。正直ワシも妬けたわ。」 「す、ません・・・。」 「まあ、貸し借りは後々返してもらうけんど。」 どないなもんかなぁ、と頭を掻いた今吉が伊月を見て、伊月の後ろに立ち上がった男を見て瞠目する。 「俊!」 「・・・っ、ぐ!」 片腕がぶらりとぶら下がった、脱臼させた肩で縛られた腕を前に回し、縛られた部分を逆手に覆いかぶさった腕が気道を塞いで伊月は咽た。 「死ね、死ね、黄瀬を誘惑する奴は、黄瀬に近付く奴は、皆死んでしまえ。」 呪詛のように呟き、どこにそんな力があるのかと信じられないくらいに強い力で抱え込まれた伊月はそのまま後ろに引きずられる。 「て、め・・・っ!」 ばしゃばしゃと露天風呂を通り、柵を破り、伊月がその腹に肘を叩き込むも、全く効果が見えずにそのまま庭を通って、騒ぎを聞きつけた舞台仲間や従業員に遠巻きに見られながら、古橋旅館の敷地を出る。 「俊!」 「伊月サン!」 ずるずると引きづられて、滝の音が他の音を掻き消す。 「なあ、黄瀬ぇ・・・こいつのどこがそんなにイイ?確かに女みたいな顔はしているなぁ、そういうのが好みかぁ・・・じゃあ、この貌、潰しちまおうか・・・?」 「ええ加減にしくされ!」 「今吉サン!」 「・・・ええ加減にしくされや、ビョーキやで自分。黄瀬クンは一回でもアンタが好きやゆうたか?昔の女はどないや。どんだけ他人傷つけて殺す気ぃや。」 怒気を孕んでいるのに、只管淡々と述べられた言葉に、伊月の口元が歪んだ。歪にだが、確かに笑った。真っ先に気が付いたのは今吉だったが、間に合わなかった。伊月はポケットに手を入れて、黒い紐を引き出した。 「俺は、ここでは、死ねねーの。」 例えるなら、爆竹の破裂音、そんな音が響いた。 男の身体が頽れた。 「え・・・。」 「俊!」 「ちょ、ま、しょい、さ・・・っ。」 げほっ、と深く咳き込んで、伊月はその腕から逃げ、起き上がるとそのまま今吉の胸に崩れた。 「っは、ぁ。備えあれば、憂いなし・・・ってね。」 ブラウスの背は焼け焦げ破れ、真っ白だった背中は火傷と煤でズタズタだ。 「なん、すか、これ、伊月サン!?」 「騒ぐな黄瀬。どこでもええから布団用意させぇ。そっちの男は簀巻きにでもしてほっとけ。」 ぎ、っと歯を食い縛る音が聞こえそうな、渋面を見せた今吉は、羽織を羽織らせた華奢な体躯を担ぎ上げて従業員に布団を用意させた。桐の間の伊月の荷物から軟膏を取り出し、その傷だらけになった背中に塗りたくる。 「やっべ、いった・・・。」 「伊月サン!」 「今度から防弾チョッキの上で使おう・・・。」 「月ちゃん。」 「・・・。」 黙って手当をしていた今吉の声に、意識を戻した伊月は黙った。 「あの、さっきのって。」 「簡単に説明すんなら、背中に爆弾仕込んどった、っちゅー感じか。なあ、月ちゃん?」 うわぁ怒ってる、というのは黄瀬の正直な感想で、ってことはポケットから引きずり出した紐は起爆スイッチみたいなもんか、と頭の片隅で考えた。 「月ちゃん、どんだけ傷増やしたら気ぃ済むん?」 「・・・しょーいちさんだって刀傷から火傷痕からあっちこっちあるくせにーったあああああ!!」 「ひとのヒミツぺらぺら喋るもんちゃうでー?」 「いった!痛い!!翔一さん痛い!!」 火傷用にと伊月が用意していた薬だが、その実結構沁みる。アルコールを背中にかけただけでも悲鳴を上げたのを伊月は覚えているだろうか。 「そんな深く焼いてないし・・・若いですしすぐ元通りなりま・・・いったあああ!!」 「さりげなくワシを年寄り扱いすんなや。」 「ごめんなさいすいません俺が悪うございましたあー!」 うわあん、と割かしガチで泣きながらシーツを掴んでがたがたと震える姿は痛ましく、背中の傷がその印象を尚強くした。風呂で流した背中は綺麗な形の骨にしなやかな筋肉がこころを護る、翼の名残が美しい、生来の真っ白な肌の背中であったのに。血が滲む前に焼かれて塞がれた傷は、本当に消えるのだろうか。 「はい、お薬終わり!抗生物質飲んどき。」 「起き上がる気力ないでーす。」 ひらひらと力なく手を振った伊月のくちびるに錠剤を押し込む、今吉が口移しで水を含ませる様子を、黄瀬は呆然と見やり、最終的にふにゃっと布団に突っ伏した彼は、ゆっくりと肩越しにその切れ長の目に住む黒曜石を黄瀬に向けた。 「悪い。本来は保護対象にこういう姿って見せるもんじゃないんだけど。」 いつもより幾分か弱い声音でそう黄瀬に詫び、慌てて、大丈夫ッスよ!と笑った彼に、伊月は今吉が寄越した枕に顔を埋めて何をか呟いて、枕をきゅっと握った。 「とんでもない休暇になってもーたなぁ。」 桐の間まで伊月の着替えを取りに行った今吉は、戻ってきてそう苦笑し、さらさらと甘く馨った黒髪を梳いた。耳元で何をか囁いて、ぴくんと振れた肩を宥めるようにそのまま頭を撫で続け、眼鏡の向こうからでも優しさの滲む瞳でずっとその動作を繰り返した。 酷く冷える夜半に、伊月の背中に薬を塗り直し、布団を被れないで体温が奪われていくその体を腕の中に休んだ。 翌朝に風呂の片隅で痛みを堪えながら湯を浴びれば焼けた皮膚が剥がれ落ち、その下から出てきたピンク色が何か、伊月はきちんと黄瀬に説明してくれて、合わせ鏡で確認した傷に酷い痛みを噛み殺しながらも薬とガーゼを当てて、ブラウスを着てインバネスコートを羽織ってしまえばもう、普段とどこが違うのか解らなかったが、帰り道に用意された獣道を歩く途中に高熱に浮かされて倒れ、担がれて帰った。 「何がつらいって背凭れが利用できない事だよ。」 帰りの機関車の中で今吉の膝を枕にそうやって、寝たふりをしながら激痛に耐えていたのは黄瀬だって気付けた。元々ひとの機微には鋭い男だ。 「こんばんはッス!」 緑間総合病院に数日の入院を余儀なくされたと聞いて、勿論黄瀬は見舞った。舞台帰りで遅い時間を、旧知の緑間に強請って面会時間外にやってきた。 「あれ、黄瀬・・・。」 「どもー。食事制限は無いって緑間っちに聞いて、コーヒーゼリー・・・と思ったけど、そっちは皆が持ってくると思ったんで、紅茶のマフィンにしました!」 「俺の食い意地どんだけよ。」 「いや、日向サンが、伊月に会うなら食いもん持ってけって言うのでー・・・。」 「そりゃ口実だ。あいつらお八つ目当てに俺の見舞来るもん。」 「げっ、嵌められた。」 「んだろな。マフィンどこのー?」 「紫っちの厨房借りて俺が作ったッス。だから日持ち怪しいんスよねぇ・・・。」 「そっか、じゃあ今食べちゃおう。」 「はいッス!」 ぺりぺりとカップを外して、もくもくと齧って、よし上出来、と思って伊月を窺えば、こちらを見て優しく笑う伊月と目が合ったものだから、黄瀬はマフィンを取り落しそうになった。 「な、あの後、大丈夫か?」 かしりと一口前歯で齧りとって、ああ歯並び綺麗だなあ、なんて黄瀬が考えていると、彼は視線を落としてそう問うた。 「あのあと・・・。」 「あの男、ちゃんと捕まったって花宮に聞いたし。」 「ああ、全然大丈夫ッス!」 「日本語おかしいけど?」 「大丈夫ッス。佐野さんは近いうちに引退しちゃうみたいっすけど、芹さんは次の舞台で復帰予定ッスよ。チケ送りますね、初日決まったら。」 「そ、っか。」 それはよかった、とマフィンを見つめて、今吉が謎の権力と我儘を行使した一人部屋は、花や果物だって置かれている。 「芹さんは、応急処置が正しかったからまた舞台に立てるんだって言ってたッス。」 ばちっと音がしそうな勢いで切れ長の目が瞬かれた。 「応急、しょち。」 「古橋サンもそうらしいッスよ。ちゃんと適切な判断で応急処置が間に合ったから、今もちゃんと仕事出来て学校も行けるって。伊月サンが気に病む理由は、どこにも無いッス。あいつもちゃんと捕まったって、これは赤司っちがゆってたんスけどね。余罪も出たらしいッスわ。」 「余罪・・・。」 ぽつりとした呟きを黄瀬はきちんと拾った。 「俺の家に不法侵入したのとか、私物の窃盗とか。好かれるのはありがたいッスけど、そこまでされると誰でも気味悪いじゃないッスか。俺も滅茶苦茶感謝してます、伊月サン。」 暫くの沈黙の後に、ぱたりとシーツに波紋の音があった。 声も無く、表情も無く、伊月の目から、とめどなく雫が零れ落ち、黄瀬も少しだけ塩辛いマフィンを食べた。ちょっと甘すぎて泣けた。 「伊月サンは、もっと欲張って生きるべきじゃねーかなって、俺、思うんス。」 黄瀬から見た彼は、献身、の一言に尽きた。黄瀬を助けるのにどれだけ自分を犠牲にしたか、今吉探偵事務所は基本的に金で動く。どんな形でも謝礼は受け取る。今回の件は休暇中に巻き込まれた事件ということで、今吉は金を受け取っていないし、主体として動いたのは伊月だった。今吉が動くにはそれ相応の謝礼がなくてはならないからだ、と赤司から聞いた黄瀬は、そんな伊月に何が出来るかと、あの背中を思い出しながら何度も考えた。 多分、きっと、伊月は金を望まない。あえて言うなら今吉の隣に立てる技量を欲しがるだろう。 金でも物でもない。きっと伊月が喜ぶのは、その人生だ。 伊月が関わったことによって、少しでも良い方向に転がったと、そんな風に思うこころだ。 「ね、伊月さん、今回は本当に助かりました。ありがとうございました。」 「・・・ん、黄瀬、が、無事で、よか、た・・・っ!」 だから泣かないで、笑いあって一緒にお菓子でも食べましょう。 今吉探偵事務所、今日も寂しく運営中。 そろそろ所長の相手が限界だと、留守番係りの助手が吠えてます。 |
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全裸テツヤ大輝あざっしたぁ!!後編です。ちょっと伊月先輩の核心に触れてみたり・・・なんかして!!w黄瀬君と伊月先輩ってちょっと似たところあるんじゃないかなぁ黄月好きですよもちろん!今月ですけど!!これでキセキの世代の名前は全員出たかしら。因みに私はカタカナ名前が覚えられないのでホムズさんはちゃんと読めたの数冊しかねぇんすよ・・・orz 金田一耕介シリーズの悪魔が来たりて〜とか好きです。だからこういう時代パロになってるんですねー。でも割と意識してカタカナ英語使ってるっていうこの矛盾w恒例我が家の俊ちゃん!!うん、やっぱ暫くやってなかった。今から夜勤だそうです。最近のブームはダン戦だそうなw
2012年10月24日 19:24初出。
これはあっちこっちのキャラに怪我させて申し訳なかったですごめんなさい古橋くん。
20121114masai