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がり、がり、ざり、がり、がっ。
地面を彫っていた枯れ枝が割れた。 まあ、いいか。目的は果たした。 娼婦のくせに、この俺を馬鹿にする、なんていい度胸じゃないか。これに懲りたらもうそんな口は開くなよ。 今吉探偵と伊月助手と処女達のぬいぐるみ。前篇。 その記事が新聞に載ったのは三日前。探し人の欄だった。 阿須マサ子。女性。年齢は三六。その若々しいひとは、所長が不在の今吉探偵事務所で伊月と対面している。 「えっと、じゃあ、依頼内容確認しますね?」 黒革の手帳を捲って、伊月は顎を摘まむ。珈琲を用意したのも伊月。花宮は二階で作業中だ。 「一週間前にうさぎのぬいぐるみが行方不明になった、それを捜索して欲しい、で間違いないですか?」 「はい。」 年齢を聞けば詐欺だと言われそうな、女学生でも通じるのではないのかという彼女は、よろしくお願いします、と深々と頭を下げた。 「失礼ですが、新聞の探し人欄で呼びかけておられましたよね?その後進展は。」 「いいえ。でも、大切の物なんです。探し人のほうがよく見るでしょう、皆・・・だから。」 「解りました。では一度お預かりしておきます。所長が帰ったら改めて・・・。」 からん、と下駄の音に伊月は顔を上げ、面談室入口に目をやる。 「ただいまー。お客さん?」 「はい、失せ物探しです。こちら所長の今吉翔一です。少々お待ちくださいね。」 対面していたソファから立ち上がって、今吉からトンビを受け取りながら伊月は依頼内容をまとめた紙面を今吉に差出す。先ほど病院で包帯が取れた探偵事務所所長が覗き込み、二度三度頷いた。 「ん、月ちゃんに任すわ。」 「俺ですか。」 「ワシの采配間違うたことあったか?」 「はい解りました。」 失礼します、と綺麗に頭を下げて、また対面のソファに戻る。学生服のポケットから出てきたのは黒いカードケース。黄金比が壮絶に美しい長方形の紙が取り出され、そこには《今吉探偵事務所 所長助手 伊月俊》と明朝体で綺麗に綴られてある。事務所の電話番号と住所が書かれた名刺は新しい紙の匂いがする。 「緊急の場合、こちらにお電話ください。所長かもう一人の助手かが必ず常駐しております。阿須マサ子様、ご依頼は伊月俊が謹んでお受けいたします。」 にこりと綺麗な微笑に彼女は一瞬見惚れ、よろしくおねがいします、と頭を下げた。 「伊月―珈琲―。」 「花宮、来客中です。」 「ああ、失礼いたしました。」 こちらもぺこりと綺麗に頭を下げたブレザー姿の青年に、阿須は少しだけ笑って、しゅんしゅんとストーブが温めた部屋から上着を羽織って事務所を出た。エントランスまで伊月は必ず見送り、路面電車の停留所の辺りまでその姿が遠ざかるのを確認してから出入り口を離れる。 「ぬいぐるみかぁ・・・。」 「落としたなら塵んなって捨てられてるとか考えねぇのかね。珈琲くれ。」 「はいはい、ちょっと待ってよ。」 珈琲カップを二つ用意して客人のそれは回収。温め直した珈琲を注いで、好みの味に調整してやる。伊月は自分のカップに紅茶を注いだ。 「ぬいぐるみ・・・。」 どんなものか、と渡された写真には五歳くらいの娘がうさぎのぬいぐるみを抱えて笑っていた。 「誰だそれ。」 「阿須マサ子の娘さん、だそうだけど、花宮頼める?」 「頼まれるまでもねぇよ、バァカ。」 「どういたしまして!」 ブレザーの内側から花宮が取り出したのは数枚の書類だ。阿須マサ子の名前から生まれ日、血液型に家族構成、経歴まで綺麗に洗ってある。彼女がこの事務所を訪れ、伊月が話を聞いていた間にあらゆる手段を使って調べ上げたらしい。 「この女の子、誰だろう。」 「阿須さんちゃうの?」 「違いますよ?」 ほら、とセピアの写真の中でぬいぐるみを抱えて笑う少女は口元にほくろがあった。 「ほくろは基本的に増える事はあっても減る事はないですから。この子が育ったら阿須さんとは別系統の、そうだな、言い方アレですけど、ナイトドレスが似合う感じの。」 「だな。阿須マサ子はどっちかってと童顔だが醤油顔で、白いワンピースって感じだろ。」 「君ら女の子に飢えてるん?」 所長のスットコ発言は無視して助手二人はテーブルに広げた書類を睨む。クッキー買うてきたったんに、と小さなぼやきは寄越せ、と声に出さないで手のひらを伸べられた。所長の肩書は形無しである。 「阿須マサ子。三六歳。出身は埼玉の大宮。未婚だ。今は深川の紡績工場勤務か。」 「うん、着物は良い物だったけど、指先荒れてた。未婚か・・・この子ほんと誰なの。」 「出産の記録もねーぞ。」 「五歳くらいだよね。けど写真がちょっと古い。交友関係と経歴は?」 「こっち。」 「交友関係は特に変わったことないか・・。一四歳でこっち来て・・・え、軍籍・・・慰安婦?」 「ああ。三年間そっちで働いてる。満州だな。で、一八でこっちに帰ってきて紡績工場の下層で、っつー経歴だが?怪しいところはあるか?」 阿須マサ子自身に怪しい部分は特に無い、というのが伊月の現在の見解だ。問題はうさぎのぬいぐるみ。それを抱えた少女を娘と偽った事。その二つをいつどこで失くしたのかすら解らない。言い分を聞くならぬいぐるみは一週間前に失くしたとも取れるが、一週間前にその捜索記事は新聞に載ったのだ。いつ、と明確に彼女は言わなかった。そしてこのぬいぐるみを抱えた少女は誰だ。さくりとクッキーを白い歯が齧り、咀嚼して飲み込む。 「ん、翔一さんこれ美味しい。」 「そらよかったな。」 「何を不機嫌なんですか。」 「包帯取れたで?」 「それはよかったです。縫うまでも行かなかったみたいですしね。」 「このまま禿たらどないしょ?」 「翔一さんの髪の毛が無くても愛してますから問題なく。」 「そういう話は俺のいないところでやってくれ。」 「失礼。」 こほん、と伊月は花宮の発言によって赤く染まった目元で咳払いをひとつ。そしてクッキーの欠片を口の放り込むと、指先を舐め取って、ハンカチで拭うとカップを口元に運ぶ。パキン、と苦すぎるチョコレイトの香りが漂って消える。珈琲で流し込んで、花宮はソファから立ち上がった。 「じゃあ、この写真の少女について調べるか。連絡しといてやるよ。」 「任せる。俺はぬいぐるみ探すよ。ロードワークにも丁度いいや。というわけで今日は失礼しますね。」 「ん、最近物騒やから真っ直ぐ帰りや。」 「お前がゆったら世の中お終いだと思う。」 「まこっちゃんに言われたあらへん。」 今吉と花宮の漫才に軽く笑って、伊月は冬の真っ暗な星の輝く空を見た。出発する路面電車に急いで走り寄って、速度を落として飛び乗らせてもらう。今吉探偵事務所から使うようにと渡されている定期券を見せて、勤め帰りに疲れた電車内を鷲の目は見渡し、降り口近くの座席に座った。 そういえば論文提出の期限が近い、だとか考えながら、ふと脳裏を掠めたのは先ほど今吉が言った、物騒、という言葉だ。赤線で娼婦殺しが続いている。女性の下半身と太腿が切断され、上半身は日比谷公園に捨てられてあった。首に刃物を突き立てられた上半身から、赤線で働いていた娼婦だと判明。問題は下半身が捨て置かれた場所に、文字が散らばっていたことだ。 《WATASHI WA KIRA DESS》というアルファベットの羅列。最初の死体から一月、既に三人殺さており、共通するのは上半身と下半身が別々にされる事と、首にナイフが刺さる事。 「ジャック・ザ・リッパー?」 英吉利での未解決事件の犯人の愛称を、伊月はふと転がしてみた。あれは愛称だ。花宮の曰く、英吉利王室の一部が絡んだ闇深い事件らしいが、確証が無いので何とも言えない、というのが伊月の見解だ。そして人々は四人の娼婦を殺した殺人鬼を、ジャックと呼んで親しみ恐れる。国民性もあるだろうが、正体の無いものに名前を付けるのはヒトの本能行動だ。 路面電車を降りて、帰路を急ぐ。擦れ違った小柄な人影に、伊月は立ち止まった。歴史ある家が並んだ通りはどこも伊月の長男の顔は知っている。 「なんや、もうちょっと待っとればよかった。」 ざ、と強い風に寒さは感じなかった。そんな暇も余裕も無かった。全身の総毛立つ感覚に伊月はコートのポケットに手を入れる。肩に下げた鞄をぐいと体の前に引っ張る。 「そない殺気立たんでもええよ。綾ちゃんあれ、ええお嫁さんなるわぁ。」 ころりとそれは笑った。霧崎第一のブレザーを着ていた。 「だいぶ鍛えたみたいやな。」 「試しますか。」 いややわ、と天野は笑った。 「伊月の腕で自分に勝てたら疾うに自分おらんよ。身の程弁え?ほなね。」 ぎゅっとコートのポケットのナイフを握ると、そのざんばらの髪の合間から獰猛な眼光が伊月を射抜いた。 「やめとき。自分、酒入ってんねん。機嫌ええ時は殺したらあかんねん。」 戦慄っとするほど美しい白刃が伊月の眼球の前に星明りを受けて晃ったが、そのまま輪郭をなぞるように絶妙な距離で刃は空気を裂き、カチリと鞘に収まった。 「・・・は。」 「巷で噂の和製ジャックみたいに、引き裂かれて殺されたぁないやろ?」 「天野さんじゃ、なんですね?」 「ウチに得にならんこと、自分がなんでせなあかん?」 そのまま足音も無く夜闇に溶ける後姿の気配は探っても無駄だった、と伊月はその刹那に似た瞬間に学んだ。 さっき友達来てたよ、と姉に言われたのは適当に頷いて、夕食を貰って風呂に入る。天野の行動パターンは読むほうが難しい。そう評したのは今吉だった。花宮は所属の上司故に情報は出せないだろう。あれの存在は一先ず置いておく。先ほどの対話で件の殺人犯ではない事が解ったから。 「さて、どこから探すか・・・。」 阿須の自宅近辺、あとはあの写真が撮影された近辺か、と失せ物探しの依頼はとにかく足だという今吉の言葉を思い出す。とにかく歩き回る事か、と風呂を上がる。 「あ、俊、今吉さんからお電話―。」 「ん、ありがとう。・・・もしもし。・・・あ、ああー・・・。」 だよなぁそうだよなぁあれに会ったとか会わなかったとかそういうの逐一連絡いってる筈だよな、と伊月は半纏を羽織った姿で寝巻の足元を足で摩る。廊下の床が冷たい。 「なんも無かったんで。まあ、うちには寄ったっぽいですね。連続娼婦殺人事件には関わっていないとは言ってました。」 眼を刳り貫かれかけたのは黙っておく。あれは反射と速度の鍛練不足だ。 『信じるんか。』 「あのひと、嘘言っても意味ないって態度しますもん。翔一さんと一緒。」 『それごっつい心外やねんけど?』 「根っこの理由が違うからいいんじゃないすか。で、御用は?」 『ああ、大宮の実家は別人の手に渡っとった。』 「写真は?」 そちらは写真の状態から考えて、結構昔のものだと、それは共通見解。 『三〇年は経っとる。場所絞らせよるけど無理やな。』 「解りました。明日、役所のほう行くんで、若松に連絡頼めます?」 『はいはい、愛しい月ちゃんのために翔一さんがひと肌脱ぎましょ。』 「そのまま風邪をひいて肺炎になって死んじゃっても葬儀には参列しませんからね。」 時間も時間だ。通話はそのまま、お気をつけて、おやすみなさい、と一言二言の遣り取りで終えた。 翌日の部活終わりに役所に行けば、時間外を若松孝輔が書類を用意して待っていてくれた。 「悪いね。」 「いんやー。今吉さんに逆らうと今後アレだし。頼まれてた資料な。出来れば今読んで返してくれるか。一応持ち出し許せるヤツじゃねーんだわ。」 「まじか。ほんとご迷惑おかけします。」 かなりの厚みはあった筈だが、物の十数分で伊月は読破。やはりあの少女は阿須マサ子の娘では無く、書類は若松の手に返される。 「相変わらずはえーな。」 「これだけしか取り柄無いからね。」 「ゆってろ。」 役所の末端にはどうやら嫌味にしか聞こえなかったようで、次に伊月は桜井のアパートに向かった。ブザーを押すと、待ってました、と彼は笑った。その直後は習性のように謝罪の言葉が飛んできたが。 「えっと、知り合いの写真家のいう事ですと、三〇年ほど前の物だということしか・・・。」 「それで十分。頼んでたのは?」 「こちらです。」 渡されたスケッチブックは、ぬいぐるみを色んな角度からスケッチしたものと、少女が写真からの歳月を生きればどんな女性になるか、というのが何枚も描かれてあった。様々な考察を元に描かれたものは髪型のアレンジなども加えてあって、どの考察であっても全体的には肉感的な、下唇のぽってりとした、男好きする顔だった。口元のほくろが婀娜っぽい、そんな女になっていた。 「年齢的には三〇代の中ごろかなと・・・スイマセン。」 「いいや、十分だって翔一さんなら言うね、これは。」 桜井はそのひとの性格で外見を描き当てる、という妙な特技がある。ならば逆も然り。既婚であるならば、子持ちであるならば、独り身ならば、そんな考察もスケッチの隅に書かれている。 「既婚で子持ちだと嘘を吐いた三六歳の女がいる。どう思う?」 「え。」 用意しようとしていた急須に茶葉を桜井は淹れ過ぎた。 「童顔で、このスケッチの女とは真逆な顔をしている。可愛らしい顔立ちではあったけれどね。十代で満州で慰安婦をやって、その後は紡績工場勤務。」 「・・・瑠璃色の似合う女性ではないですか。」 「お、確かに襟は綺麗な瑠璃色だった。センスいいなって思ったら似合ってたからか。あっ。宝が似合ったからキタコレ。どう?」 「髪は綺麗に結い上げてあって、淡い色のコート。」 「・・・正解。」 「見栄っ張りで嘘吐き。童顔というか、子供っぽい。我儘で、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。そんなヒトです・・・ッスイマセン!!お茶淹れるつもりが!スイマセン!!」 あ、俺が振った話だからね、と桜井を宥め、時間無いから、とお茶はこころだけ受け取って、伊月は路面電車に乗った。とりあえず阿須の付近を調べるに越した事はない。住所は頭に叩き込んであるし、周辺地図も持っている。そこの煙草屋の角を曲がって、近くの粗末なアパートに住んでいる。どうやら紡績会社が借り上げているものだそうである。 「すいません、お電話お借りできます?」 煙草屋の店番窓を叩けば、老婆が顔を出す。 「寒いじゃろ、入っておいで。」 「ありがとうございます。」 綺麗な姿勢で頭を下げた伊月に、なんじゃ坊主か、と老婆はかつかつと笑った。どうしよう女顔、と伊月は右手で頬を覆う。 「あ、あそこの新しい建物なんですか?」 「蚕屋の寮じゃ。若い子が住んでおる。」 ほれ、と電話を示され、交換手に告げる番号は今吉探偵事務所。 「先ほど若松から地域清掃の資料と桜井からスケッチとプロファイルを受け取りました。」 『左様か。』 「彼女の家の近所まで来たんですが、人通りが少ないんで目立ちそうですね。道一本ずれたら出会い茶屋並んでますし。」 『そこはラブホテルゆうてみよーや。』 「死んでも御免ですね。で、確か例の事件の被害者ってこの付近でなかったです?勤め先。」 暫くだけ沈黙した電話の向こうは髪を捲る音がした。 『ん、駿河響子、三十三歳。喫茶エリザベス店員。喫茶ゆうても違法風俗店やな。赤線や。学校指定のコートでなんて入られんよ?』 「いや、それは解ってますけどね。例の殺人現場とか見れませんかね。近いし序でに。」 『好奇心は猫をも殺すて知ってるか月ちゃん。まあええ、ちょっと待ちより。』 一度通話は切れたが、五分も待たずに電話が鳴った。老婆に頭を下げて受話器を取る。 「はい。」 『月ちゃん?青峰と連絡取れた。青峰は無理やけど諏佐が動けるて。』 「諏佐さんですか・・・。」 今吉の旧知であり青峰の先輩である警官は高学歴で有能だが生真面目で融通が利かない事で有名だ。 『誠凛の医学部生が現場見学したいゆうとった、ゆうたら将来監察医になるん視野に入れてくれたらええねんて。どこも人材不足っちゅーとこやろ。』 「はあ。じゃあ、合流しますけど、どこに・・・。」 『そこにおれ。』 そのまま通話は切れた。煙草の他には漢方薬も扱う店のようで、一応勉強も兼ねて葛根湯から順に瓶詰の薬を見ていると、芍薬甘草湯に差し掛かった辺りで薬局の扉を制服警官が叩いた。 「伊月、いるか。」 「あ、諏佐さん。どうも手間おかけしました。御婆さんも、失礼します。」 そうやって伊月は薄暗い照明に店内を照らした店を出て、短い日に薄暗い道を諏佐の懐中電灯が照らして歩くのに付いていった。 「今吉はどうだ?」 「いつもふざけてますよ。」 「いつも通りだな。」 諏佐佳典は本当に、今吉が探偵になった頃からの友人で、時折は飲みに行く。中学を卒業して就職するかどうか迷っていた青峰を今吉が諏佐に紹介した経緯もある。ので、青峰は諏佐にだけは頭が上がらないとか何だとか。今吉の愚痴に付き合っていたらいつの間にかアンダーグラウンドの棲み分けにも詳しくなってしまったらしく、最近はよく麻薬取締なんかに駆り出されると、世間話半分に教えてくれた。 「なんて言いますか、ほんと。お世話掛けます。」 「監察医がもうすぐ定年なんだ。法医学はやらないのか?」 「検死の真似事は出来ますけどね、翔一さんと花宮に叩き込まれて。」 そうか、と諏佐は頷くと、細い路地を照らした。 「ここですか。」 「ああ。まだ少し残っているな。」 今度洗いに来させなければ、と思案する諏佐の隣で、パチン、と伊月の手元がペンライトに光る。彼はそのまま戸惑うことなく現場を踏み荒らさないように静かに動き、時折膝を落とす。 足があった場所、半身があった場所はチョークでなぞられて、地面は赤黒い。そして血みどろの地面にはアルファベットが刻まれている。三日ほど前に大雪に見舞われた地域だが、それでも消えていないほど深く刻まれている。 「ワタシワ、キラ、デ・・・ス?で良いんですかね、読み方。」 「シリアルキラーはよく綴りや漢字を間違うと聞くが。」 「ええ、一種の脳機能障害ですから一概には言えませんけど・・・この辺って異人とかも来ます?」 パチン、と地面に照らしてあったペンライトを伊月は消した。検死報告は既に幾つか見せられてあるが、実物は見たことが無い。 「時折横須賀から来るようだが。」 「そっか、青線超えたら神奈川ですもんね・・・。」 ふむ、と腕を組んで顎を摘まんだ伊月の様子に諏佐は首を傾げる。外国人がどうしたのだろう。 「これ、多分書いたのって日本人じゃないです。書き損じでもない。アルファベットにも慣れてる。独逸人かな。」 「は?何を・・・。」 「これが仮に、『わたしはキラです』っていう文章だったとしましょう。英語だったらそうだな、『I am KIRA.』。キラはKillerかな。SSってあるでしょう?独逸語はSSで『ス』って読むんです。もしも書き損じなどでないなら、独逸人ってことになります、このアルファベットを書いた犯人。検死報告も幾らか読ませて頂いてますけど、骨まで切ってから折り取ったみたいな切り口でした。変な言い方しますと、日本人はきっちりやりたがるんです、そういうところ。魚の三枚おろしとか想像して頂いたら。」 「なるほど。」 「プロファイリングの真似事をさせていただくと、そうですね、ナイフ。」 ここに刺さっていたでしょう、と軽く握った拳を伊月は首の後ろにやった。 「被害者は今のところ娼婦ばかりです。生活反応から見るに、殺されてからバラバラにされてる。まずは首。これ、口淫の最中に刺されたんじゃないかなって。」 生真面目で清楚、と今吉から聞いていたはずの青年の口からは何事も無く性行為の段階が発される。戸惑いも無い。 「性行為中にナイフで殺す男性は勃起不全が多いとされてます。女性に興奮しないんですよ。幼児趣味だとか同性愛者だとか、あとは・・・死姦。死体愛好性。」 「・・・とんでもねぇな。」 二重三重の意味で諏佐はそう発した。 「犯人の、というか第三者の体液なんかは・・・あ、そうか、娼婦だもんなー・・・。」 「ああ、しかも仕事中を狙われているからな。何人か引っ張ったがシロだった。」 「どうしてシロだと?」 「写真見せたらひっくり返った。」 「あ、そりゃ無理っすわ、犯行。」 特に男は血に弱いと言われる。現場での伊月の機動力が桁外れているだけだ。 「正確なプロファイルが出来るひとは?」 「桜井辺りか。」 「あ、個展終わりましたしね。無償協力は多分するでしょうけど、懸賞金扱いで手当出してやって下さいよ。ついでに今吉探偵事務所も。」 「あの所長にしてこの助手か。」 ぽんと頭を撫ぜると随分と指通りの心地よい黒髪に一瞬だけ馨る石鹸の香りに諏佐は思わす目を逸らした。こいつおかしい、と正直に思った。 「少し待ってろ。」 「はい。」 言っても離れる訳でない。近くは無法地帯の花街だ。若者ひとり放り込めばどうなるか想像に難くない。現場を早々に洗い流す要請と犯罪研究家への要請、それから正式に今吉探偵事務所への協力要請を諏佐は無線に告げた。 「喜べ、暫く事務所に缶詰だ。」 「え。俺は俺でしなきゃなんない事あるんですけど!?」 「守秘義務在りか。」 ふむ、と伊月は指先を顎に撫でる。その仕草がどうも何かを企む今吉に似ていて、諏佐は口元が引き攣った。 「諏佐佳典さんになら、お話しできます。」 近所にあった駐在所の奥に伊月は通された。諏佐は迷子だと駐在警官に告げ、伊月は一度そこから今吉に連絡。諏佐に代わって、と言われて受話器を渡した。 『月ちゃんに手ェ出したらとりあえず足元から順繰りに砕いて殺すで?』 にやりと吊り上る口元が見えそうだ。出すか!と諏佐は怒鳴り叫んで力任せに受話器を電話機に叩きつけ、電話機を設置していた棚を壊した。 あれ、こないだ青峰が剣道場で相手の防具砕いて困ったってゆってたの誰だっけ、と伊月は安い煎茶を啜りながら思った。 「で?」 「はい?」 「伊月の担当。」 「ああ、はい。」 ちょっと待ってくださいね、と言い置いて、伊月は肩から下げる鞄を探る。丁寧な躾が見本のように群青色のマフラーは畳んであった。諏佐はストーブの上の薬缶から急須に湯を汲んで、煎茶を啜る。 「えっと、簡単に言います。阿須マサ子っていう女の人が新聞の探し人にぬいぐるみ捜索で記載をしたんですが見つからなくって、それがこっちに回って来たんです。翔一さんが丁度頭怪我して病院行ってて、相談受けたのが俺だったんで、そのまま担当なっちゃって。」 は、と実に間抜けな音が諏佐の口から零れる。 「ちょっと待て?ぬいぐるみを探し人?」 「はい。花宮の情報で裏も取ってあります。新聞社は確かにぬいぐるみを、これです。」 桜井があらゆる角度から描いてくれたスケッチブックを取り出し、写真も卓袱台に乗っかった。 「探し人として載せてくれ、という依頼で載せたらしいんですね。阿須さんの仰ることですと、失せ物より探し人のほうが人の目に止まるだろう、という事なんですが、問題はこの。」 ぬいぐるみを抱えて笑っている少女だ。 「写真の専門家にも聞いたところ、薬液は三十年ほど前のもの。この写真を、彼女は自分の娘だと仰ったんです。結婚も出産もしていない阿須さんの年齢は三六歳です。念のため。」 それから、ともう一冊のスケッチブック。 「この少女がその後に三〇年ほどを成長したらこうなるであろう、と桜井のスケッチですね。」 「・・・いい女だな。」 「諏佐さん、こういう女性が好みですか。」 「いやこう、なんていうか。」 こう、と説明しようとして、何を言わす若造、とつんと綺麗にホイップされたメレンゲの角のような形の良い鼻を摘まんでやった。 「痛いです。でもまあ、解ります。唇の形とかいいですよね柔らかそうで。ほくろも色っぽいですし。」 「お前、今吉に妙なこと吹き込まれては無いよな?」 「・・・一応?」 何で疑問形だ、と諏佐はちょっと卓袱台に突っ伏したい。ずずと侘しくぬるくなった煎茶を啜る。 「まあ、依頼内容としてはぬいぐるみを探してくれ、なんですが、裏を調べたらなぁんかいっぱい出て来ちゃって困った訳ですよ。」 「本当か?」 「あ、ばれました?」 「性格今吉にそっくりだな伊月お前・・・。」 心外ですね、と伊月はくちびるを尖らせた。腹芸が達者になったのは最近です、と堂々と駐在所の奥座敷に背筋を伸ばして胸を張る。 「おそらく阿須マサ子はこの女を探している。このぬいぐるみと一緒に。」 「ぬいぐるみがなけりゃ駄目なのか。」 「おそらくは。・・・大切、なんでしょう。」 「どういう事だ。」 そうだなぁ、と伊月は茶を啜る。 「諏佐さんが翔一さんを探したい、となった場合。」 「はあ?」 「まずは事務所を訪れる。」 「・・・そう、なるな。」 「ぬいぐるみはきっと、そういう事ですよ。というわけで、こんな女性見つけたら教えて下さいね。さっき正式に翔一さんに協力要請したでしょう?」 「おまっ。」 それ狙ってやがったか、と諏佐が唸ると、はい、と何事も無く伊月は応えた。 「ぬいぐるみと共に消えた少女。興味深くありません?」 くふりと悪戯気に伊月は笑った。スケッチブックの中で、妖艶に笑う彼女と似たような笑みを浮かべて。 翌日の朝早く、警察から連絡がある事を、伊月は未だ知らない。 続く。 |
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新着の100Q読んでたら自分の名前が出てきてびびったほうのmasaiです。よい課題が出来ましたありがとうございます!!皆さんが煽るから悪い、と責任転嫁してみる。いや、一番悪いのは今吉探偵だ!!こんちくしょう手のひらで踊らされてる感がまじ否めない・・・。
2013年01月18日 02:55初出。
20130205リコたんおめ!!masai