| ここに二体の人形がある。
着物、髪の長さ、化粧。どれもが同じ。 さて、どちらが本物だろうか。 今吉探偵と伊月助手と双子の人形。前篇。 半田家は蝦夷の開拓から貿易までを手広く扱っている、伝統ある大きな家であった。昨年、家長の訃報が伊月家には届いたが、その跡目はまだ、その一人娘が担っている。 「使用人に金銭問題・・・ですか。」 面談室で伊月が向かい合った女性は淡い緑色の服の和服を藍に胡蝶の刺繍が入った帯で綺麗に髪を結い上げてあって、もう一人は黒のワンピース。こちらは髪を結い上げてはあるが、随分と事務的だ。 半田鳥子と名乗った彼女については現在事務室で花宮が情報を纏めており、今吉はデスクで長閑に珈琲を片手に話を聞いている。 「はい、使用人の間で、盗みがあったと。をりえ。」 澤田をりえと名乗らされた彼女は半田家の女中長を担う、こちらも若い。先代が亡くなって、主だった使用人の他は暇を出したという。澤田は半田家現当主、半田鳥子の付人だ。幼い頃から一緒にいる、とその言葉に嘘は無い様子で、名を呼ばれて、心得ました、とひとつ頷き、口を開いた。 「一週間前、町田という男の稼ぎがおかしいと、女中の一人が私に。女中長、そして使用人を束ねるのは私、澤田です。問題があればすべて、鳥子さまの耳に入る前に私が処理します。」 「鳥子さんの耳に入った、ということは?」 「一週間も問題が解決しない、ということですので。」 八方塞、となったところで白羽の矢が立ったのが、私立今吉探偵事務所、ということだ。ここで伊月が働いているのは一部の華族や士族、成金には有名な話で、その繋がりもあったのだろうが。 「詳しく聞かせてんか。」 そこで今吉の声があった。伊月は対面に座ったソファから立ち上がると、依頼報告書の一枚を持って、また戻ってくる。今度はペンも携えて。 「恐れ入りますが、こちらにお名前、現住所をご記入願います。」 「いいえ、こちらこそ恐れ入ります、伊月さん。」 その対応には伊月は苦笑するまで。正式な依頼決定、と必要事項の記入が終われば、大理石の上を滑った紙に、伊月は手帳の新しい頁を開いて、並んで書類を作成する。 「事件の発生は。」 凛と背筋の伸びた見目の優しい青年の声に、半田が口を開く。 「七月七日です。町田は封筒に・・・封筒にまず私が名前と給金金額を記します。経理を働く社花子が給金を詰めます。」 「澤田さんはその間は。」 「給金を渡していくのは私の仕事になっております。」 姿勢を正して澤田は頭を下げ、聞いた通りに伊月は書類を作成。時折手帳を膝に乗せたと思ったらさらりと何をか書き込んで、ノックの音に、少々お待ちください、と離席する。 「失礼いたします。」 こちらも丁寧に頭を下げた花宮が姿を現し、伊月に幾つか耳打ちすると、そのまままた事務室に消えた。 「前例はあります?」 失礼なことを聞いているのは承知の上で、と伊月は膝に手を置いて頭を下げて、顔を上げれば顔を見合わせる半田と澤田の恰好に、ふうん、と頷いたのは今吉だ。 「では、今回の依頼内容、確認いたします。半田家に努める町田氏の給金が何度確認しても足りず・・・因みに足りなかった分は。」 「家長の私の責任です。」 「鳥子さま・・・。はい、鳥子さま自ら、御自分の簪をお売り払いになり、不足金はそこから。」 「はい。町田氏にはきちんと給金はお支払いになられた。ただし、渡した金額に不足はあってはならなかった筈が、不足はあった・・・。経理担当の社花子様、彼女には何か不審な点は。」 「ありません。真面目な子です。少し無愛想と言うか・・・。」 「そうね、少し人見知りの加減はあるかしら。」 ねぇ、と雇い主や姉貴分は笑い合って、書類の穴埋め。花宮から受け取った情報を手帳の中で整頓。 「月ちゃん。」 「はい、翔一さん。では、ご依頼は正式に受付、と。どうしますか?」 「御家、見せて頂けますやろか。」 どないな環境やらお人柄やら見せて貰えたほうがええのんで、と今吉の言葉に二人は頷いた。 「それでですね。」 日曜日、大きな洋風の屋敷、半田家門扉で現地集合、となった三人に、一人憮然とした表情の女性の姿があった。凛と伸びた背筋に艶のある長い髪は月光色に耀く鼈甲が結い上げてある。 「なんで、春なんすか。」 「半田家の使用人男女比率見せたろが。若い女主人の家に男三人、出入りが楽だと思うか?」 「お嫁入り前の娘さんに男ばっかで訪ねてくのは俺も如何かと思ったよ!?確かに!!」 そこで棄てられたのが、伊月の男の矜持だというわけだ。山吹色の着物に半幅は藤色と比較的大人しい色で合わせているのは年齢を誤魔化すためでもある。髪を結い上げてしまったので喉元も気を付けて。立ち居振る舞いは完全に女性のそれなのは完全に条件反射と呼んでいい。これは花宮の仕掛けに完全に嵌っている。宛ら伊月の貌を見れば花宮が食べ物を思い浮かべるように。 「あ、庭師のおっちゃんに気付かれた。もう声かけてまうよ?」 「待って待って翔一さんっ!?」 ああすんません、とそのまま今吉は中折れ帽を取って、半田家当主直々の紹介状がある。見せれば庭師はそのまま屋敷の裏口に走り、黒の半袖のワンピースに白いエプロン姿の若い女中が駆けてきて、その門扉を開く。 「伺っております。応接室まで案内させますので。」 頭を下げた少女はそのまま一人の使用人を連れており、応接室へ、とその使用人へ告げる。 「ふる・・・。」 はし、と続く前に、今吉は伊月の肩に手を乗せ、花宮は素知らぬふりで敷地に踏み入り、その黒の使用人制服一式のお仕着せを喰らっている男は表情少なく、お辞儀をしてそのまま案内に庭を渡る。 古橋康二郎の存在は、ある意味イレギュラー。しかし想定しておくべき範囲ではあった。伊月は頭痛を覚えつつも通された応接室に、また先ほどの女中が訪れると、半田鳥子が澤田をりえを伴って入室。 「あら。」 今吉が紹介状と共に密かに渡した封書には粗方書かれてあったが、その気遣いよりも綺麗に化けた青年の様子に驚いたようだ。女中を下がらせ、古橋を呼ぶ。 「それでは小橋、お話の通り。」 「承知しております。」 静かに、綺麗なお辞儀の容は伊月にもなかなかだと思わせる所作。 「月乃春と申します。よろしくお願いします、小橋さん。」 それはもう恐ろしい位に美しく、伊月は笑顔を見せてやった。月乃、と名前を作った偽造の履歴書は半田に渡され、そのまま伊月は古橋の案内で使用人の詰所に向かった。伊月の足音が完全に聞こえなくなる瞬間を今吉は見計らって花宮に目配せ。 「恐れ入ります、今吉さん、花宮さん。」 「いや、半田さんのお話、伊月の御家にもちいっと入ってあったみたいなんで、活用させてもろうただけですわ。ほな、詳しいお話お聞きしましょう?まこっちゃん。」 「解ってますよ。」 ぱらりと黒革の手帳が開かれる。 「では、率直にお伺いします。半田家は慈善事業も道楽の一つにありました。」 「金持ちの道楽ですかいな。」 皮肉っぽい今吉の物言いに、彼女は、そう思っていただいても一向に構いません、と物怖じするでも動揺するでも無い。 「問題は、その道楽の一つであった孤児院が、何の知らせも無く跡形も無く、消え去った事ですわ。」 殆ど同時書記に近い形で手帳にペン先は滑らされていく。 「ほな、詳しくお聞きしましょか。」 よろしくお願いいたします、と深々と頭を下げた彼女に、今吉は上等なソファに上等な珈琲を片手に、頷くように頭を下げた。大事な助手を差し出すのだから、これくらいは赦されていい筈だ、なんて横柄にも程がある。 「ここが月乃さんのお部屋です。」 「あ、先ほどの。」 「社花子、と申します。もう一人、蝶子という姉がいるのですが、この時間は厨房ですね。」 前もって掃除もされている部屋は本来二人部屋のようで、簡素なベッドが二つ。古橋が窓を閉め、社が黒いワンピースの制服とエプロンを出してくる。 「こちらが半田家女中の制服です。髪は簪外していたいて・・・こちらの三角巾で覆って下さいな。」 「月乃なら大方の作法は解るだろう?」 「小橋さん、お知り合いなのですか?」 「まあな。」 だったらそれなりの表情をしろ、と伊月は思わなくもない。お着替えが終われば屋敷の中を案内しますね、と部屋を出た社に、今度はじとっと古橋に目をやるが、目礼で返されて彼も部屋を出た。 「こうなりゃ、もうどうとでもなれ、だな。」 女装しての潜入捜査は何度もやっている。女の服も釦の袷も慣れてしまった物で、春と名乗ればそれだけで自分が別の生き物になるような、そんな。 コン、と一つノック。コココン、と連続して三つ。伊月はそれに二度のノックで応じると、蝶番の軋む音すらなく、古橋が部屋の中に滑り込んできた。 「おつかれー。」 「肩幅は。」 「問題ないよ。肩口がギャザーになってて、ある程度誤魔化し効くし。」 この季節に長袖だが、生地は木綿である。難を言うのであれば黒で染色されている事だが、白のエプロンでいくらか相殺されてくれるだろう。身ごろは花宮からの注文で、ふっくらと飾られた肩口は男の肩幅もある程度、言葉の通りに誤魔化せた。伊月俊を知らなければ女で通るだろう。 「これが見取り図。月乃は新入りだから下働きだろう。大丈夫か、温室育ち。」 「いちおーちっさいころはカントクの家の女中さんと遊んだりしたけど・・・ここの規模ちげーからなー。」 「ボロ出すなよ。」 「フォローよろしく。」 屋敷内の見取り図は古橋自ら歩き回って屋根裏も這い回って作られたもので、使用人の名簿には役職も全て記されてある。 「気になる事は?」 「気になる、というか奇妙なことはある。」 月乃の本格的な仕事は明日からになる。今日は見て学ぶこと。ノックに速足で反応して開けると、社がぱちりとその大きな目を瞬いた。目が大きく、鼻の小さい、口元は笑顔を作るのに慣れた、女中のそれだ。 「あら、小橋さん、どうかなされました?」 「少し世間話を。」 「まあ、いいんですけどね。町田さんも澤田さんとはそれなりに良い仲ですし。」 つまり使用人の中で恋愛事は禁止されていない。まずは挨拶のほうから、とお八つ時が過ぎて今度は夕飯の準備に忙しなくなっている厨房に、それから洗濯物を取り込んでいる裏庭。お抱えの庭師は、ああ、と得心したように、こらまたかわええこが入ったなぁ、なんて笑って、また国木田おじさん、なんて社に窘められる。 「花子、お客様がお帰りです。」 「はい、町田さん。月乃さんもいらっしゃって。小橋さんも。蝶子ったらどこへ・・・。」 まったくあの子は、と独り言は随分と、何故か耳に残った。 「蝶子、さん?」 「社蝶子、私、社花子の双子の姉です。月乃さんの教育係だと、予定していたのだけれど・・・。」 居ない者は仕方がない、とばかりにそのまま裏口から二人の客人を見送りに、庭から頭を下げる。 笑みの形に結ばれた三白眼が笑みを深くしたような印象で、口元が微かに、つきちゃん、と紡ぐ。にこりと笑顔を返す事。それが使用人の精一杯の客人に対する言語。半田と澤田が呼んだ馬車まで見送りに、町田がその後ろに荷物を抱えて着いていく。屋敷内を運ばせた時より軽くなっているのに彼は気付いたであろうか。まあ、今吉や花宮がそんなヘマをする筈がないが。 目まぐるしく回転する屋敷内のひとの動きを鷲の目は分析。半田家は随分の大所帯で使用人を動かしており、それぞれにきちんと役割があって、伊月は見目が悪くないというので応接に当てられた。これは澤田の判断。 「えっと、どこだ・・・。」 深夜にやっと解放される激務から伊月は部屋に戻り、古橋のノックに慌てて答える。 「足音。」 「女中さんって大変だねー・・・。」 足音は控えめに、どんなに急いでいても屋敷内を走ってはいけない。基本的人権は護られてあるが、最低限の規則はある。子供がいないのが唯一の救いだと言っていい。相田リコが幼い頃の相田家はなかなかに使用人の精神疲労蓄積が凄い事になっていた、と子供心にも伊月は記憶している。 「朝礼、五時・・・。」 「仕事が無ければその後は二度寝も可能。詐病で出てこない奴もいる。」 「いいのかそれ。」 「それを考慮しての給金。良心的だろう。上手く働けば下手な会社員よりよっぽどカネになる。」 「古橋、どんくらい前からここ入り込んでた?」 「三日前。」 「うっそだぁ・・・。」 「ざっと一月だな。」 「まじでか・・・。」 ぺしゃ、とベッドに突っ伏すように倒れ込んだ伊月はそろそろ睡魔の足音を聞いている。五時起き、朝礼、仕事を終わらせたら学校、そして下校してまた仕事。夏季休暇前の短縮授業になっているのが有難い。 コンコン、とノックの音に反応したのは古橋で、足音無く扉に近付き、暫く扉の向こうの気配を窺うと、ゆっくりと扉を開けた。 「あら、小橋。もう新しい女に入れ上げたの?」 「相変わらず下世話ですね、蝶子さん。」 胸元を見られれば一発で暴露る、と背を丸めて寝巻の胸元を護るように握った様子が物見事に誤解を生んだらしい。 「月乃、社蝶子さんだ。お前の教育係。」 「うあっ、はい!月乃春ですっ。」 「お楽しみの所邪魔して悪いわね。私たちの夜は短いもの。退散するわ。」 それじゃ、と手を振って社蝶子は姿を消し、廊下を渡って、静かに扉の閉まる音がした。盛大な誤解に伊月は頭を抱えた。隣に座る気配に顔を上げると、さらり、鬘の間を梳いてくる指がある。 「駄洒落百連発でも欲しいの?」 「そう来たか・・・。」 がっつりとムードを邪魔した言葉に、表情筋が一切に殺されたような顔に変化は無いが、声には若干の哀憫が混ざった。 「さっきのが社花子さんの、双子の・・・?」 「姉だ。妹に比べれば自由奔放というか・・・まあ、仕事は出来るが。」 詳しくはこれ参照、と渡された手帳は伊月と同じ暗号の組み方をした手帳で、どうやってこうしたのだとか、その辺りは愚問であるはずなので、黙って礼だけ述べておく。早朝の起床は少々時間が厳しかったが何とか間に合った。 昼から来客予定のある応接室を丁寧に女中連中で磨き上げ、叱られ、とその間にも鷲の目は周囲を見渡す。 人数が、間に合っていない。 「蝶子さん、私そろそろ学校なので・・・。」 「あ、月乃さん勤労学生だったわね!はい、行ってらっしゃい!」 そのまま今吉が借りてくれてある宿で学生服に着替える。 「あ、月ちゃん。」 「おはようございます翔一さんっ!インバネス取って下さいー!」 随分と忙しないな、なんて笑っているので、誰のせいですか、と一つ噛み付いておく。鉄道馬車を捕まえ、路面電車。部活に参加出来ない歯痒さに臍を噛みながら、古橋から預かった手帳を読んで、自分の手帳に更に整頓。 「行ってきます!」 「ん、行ってらっしゃい。」 何故だか誠凛大学の最寄り駅まで一緒に来た今吉に挨拶して登校した。 献体が多かったらしいので医学科予科では解剖授業。河原が泣きそうになっていたのを伊月と水戸部が宥めた。籠球部連中は揃いも揃ってメンタルは強い筈だが、グロテスクはまた別らしい、と見解が得られた。 「あ、伊月先輩!今日の部活は・・・。」 「ごめん!俺無理!ひゅーが主将に聞いて!」 折角大事な後輩が部活動について聞いてくれたのに、と涙を飲みつつ、半田家。宿で着替えて、屋敷の前にある停留場には決して粗末ではないが、上等かと聞かれればそれも迷う、そんな馬車が停まってあった。 「あ、お昼からお客さま・・・。」 ただいま帰りました、と厨房の入り口に声を掛ければ、爪先から髪の纏め方まで一度じっくり観察された後、これを応接室へ、と盆を渡された。盆というより洒落た彫刻のあるトレイ。 社の後ろに着く形で廊下を行って、応接室。今朝綺麗に磨いた窓枠に蝉がいるのを社が追い払った。主にも客人にも失礼の無いよう、視線は手元に、しかし笑顔は絶やさずに。 「月乃、残りなさい。花子、澤田と町田を。」 「はい。」 だと思った、と伊月はその場で深々と頭を下げ、社が応接室を出たのを合図に肩から力を抜いた。 「月ちゃん、頑張ってるようで何よりですわぁ。」 「そうじゃなきゃ俺がやるっつの。」 黒子が見たいつーの抑えて来たんだぜ、なんて悪辣に花宮が嗤うから、伊月は頭を抱える羽目になる。 ノックは四回。半田の目配せに月乃が扉を開ければ、澤田と町田が立っていて、入りなさい、と主の声に入室。夕ご飯は何かしら、と半田は長閑に笑い、澤田、と。 「はい、町田には伝えてございます。」 「私事がここまで騒がせてあるとは露知らず・・・。」 申し訳ございません、と深々と頭を下げた町田の様子に、いいのよ、と半田は紅茶を含む。月乃が背後に立つ小橋に気付くのはいつになるだろう、と今吉と花宮は若干楽しみにしていたが、月乃のほうから小橋に耳打ちしたので、何だか裏切られた気分になった。 「お給金が出せない、ごめんなさい、なんて私の立場で許せると思うの、町田。頭を上げて頂戴な。給金というのは最も簡単で重要な、労働への評価であり対価だわ。この度の問題の全責任は私。御分かりね、町田。」 「はい・・・。」 こちらはその調査で出向いてくれた探偵さんと助手さん、とにっこりと紹介されて、今吉と花宮は兎も角、月乃の姿に目が丸くなる。 「月乃・・・さんも、ですか?」 「本名は・・・。」 「伏せなさい、月ちゃん。」 「あ、はい。」 「訳あって半田家の女中として潜入させて頂きました、月乃春です。仮名です。おそらくは暫くの間お世話になりますので、どうか内密に。」 「で、そっちが俺の部下。小橋。」 素っ気なく花宮が親指で後ろ手に古橋を指差す。 「一箇月間、半田家内部を調査して回っておりました。情報は全て。」 それ私も気になるわねぇ、なんて半田家当主は白魚の指先を顎にやって、ふふと企むように笑う。 「どこまで調査進んだん、月ちゃん。」 「俺としましては、小橋とある程度の連携が取れた所ですね。今日の昼間に情報整頓させて頂きました。あと、社花子さんが管理していると思しき給金帳など拝見させて頂ければ。澤田さんも差支えなければ、というところでしょうか。」 「澤田さん、ええですか。」 「町田くん、仕事に戻って貰えるかしら。私たち二人が抜けたのでは仕事にならないわ。」 「解った。」 市井の言葉で遣り取りすると、事件の当事者でありながらも、退出を促された。澤田も少々お待ちください、と暫く経ってから、帳簿を二冊持ってきた。 「こちらが鳥子さまと相談しながら使用人の給金を考えております、帳簿です。こちらの黒い表紙は、給金を受け取った際に名前を記入する、事実上の管理帳簿です。」 澤田をりえのそれは年号とナンバリングのあるノートで、社花子が管理するそれは黒い厚紙で表紙裏表紙を作った、紐で纏めてあるそれだ。 「月ちゃん。」 「はい・・・給金を受け取った際に、ノートにサイン、若しくは判子、で間違いないです?」 ぱらぱらと捲りながら記憶しながら確認作業は実に滑らかに行われるのは鷲の目の訓練の賜物だ。 「はい。」 「町田さんの欄にサインが無いのは。」 「給金が事実上渡せていないから、かしら。問題があれば、備考欄。」 確かに、金額不足による受け渡し不手際、と書かれており、後日受け渡し完了、と書かれたそこにやっと町田の判子があった。 「小橋、どうだ。」 「矛盾は無い。簪は質に?」 「ええ。」 そうしてまた先日買い戻しに成功したのだとも、古橋は情報として仕入れてある。 「まあ、及第点つーとこか、所長?」 「やね。さてどこで町田サンの給金袋から穴が開いたんやろ。」 「その辺は月乃、使用人の人間関係を疑ってかかれ。小橋は引き続き情報収集。必要なモノがあるなら外にはザキがいるから、使え。」 「解った。」 問題解決までは安眠も籠球も無理ってか、と伊月は肩を落とす羽目になるが、胡散臭くも今吉が笑顔を寄越してくれるので、結局は絆されてしまった。 見送りに門扉まで行けば、身を屈めて視線を同じくした今吉に、小首を傾げた月乃は犬猫のように頭を撫でられ、他の若い女中に質問攻めにされた。前にもあったこんなこと、と若干疲れて、それは社の注意が入るまで続いた。 「やっぱ、人数おかしいと思うんだよ。」 「そうか?」 夜の借部屋で古橋と情報整頓していると、ノックが二回、社双子のどちらかだろうか、と首を傾げつつ伊月が扉を開けると、そこには思い詰めたような表情で澤田が立っていた。 「あ、あの、伊月、さん?」 「はい。・・・あ、このような恰好で失礼します。」 女中制服を脱げば伊月俊がきちんと寝間着姿で婦女子の前に出る無礼を詫びる。古橋は無表情ながらも、嘆息気味に息を吐く。 「どうかなさいました?」 「あ、の・・・お話、よろしいかし、ら・・・。」 徐々に弱くなる声音に、古橋と伊月は顔を見合わせ、女性を男ばかりの部屋に入れるのは、男つっても二人だけだろう廊下のほうが迷惑だ、と視線だけで会話したように、澤田を部屋に迎え入れた。 「あ、あの、個人的に・・・探偵さんに、ご相談、したくって・・・。」 「ご依頼ですか?」 それならちゃんとした、かどうかは解らぬが、助手として、月ちゃん、と呼ばれる身分としては相応に働きたい。 「あの、お金は・・・。」 「依頼内容を聞いてから、ですね。内容次第ではお断りすることもありますが、基本的に俺がお聞きする分には相談料は不要です。こちらの人間関係を把握できるという意味なら一石二鳥ですし。」 ね、と鬘を外したすっきりとした美貌を持つ青年に微笑まれて、澤田は胸が痛くなる。この話をこんな、年端もいかない青年にしてもいいか、と。 「浮気、を、しているようで・・・。」 自分に宛てられたベッドに座る伊月の眉根が僅かに寄った。古橋は興味無さそうに窓の外を見ているのは、何らかの合図があるからか。空のベッドに座った澤田は、膝の上にきゅっと拳を握り、俯いたまま、言葉を繋ぐ。 「あ、相手がもう、何を考えているかも、解らなくって・・・その、以前は休みを合わせて出かけることも・・・あったのよ?さ、最近、本当に、余所に良い子が出来たんじゃないかって・・・。」 ふぅ、と伊月の溜息に、澤田の肩が大袈裟に跳ねた。 「澤田さん、昼間にご自分で言った言葉は覚えてらっしゃいます?澤田さんも町田さんも、それぞれ使用人を纏める立場の人間なんでしょう?休みを合わせて出かけたりしたら、お屋敷の使用人が使い物にならなくなりますよ。見た所、俺よりも使えない娘さんもいらっしゃいましたし。」 姉と妹に挟まれて育った環境ゆえか、紳士的でありながらも女性に対する審美眼は随分と辛口である伊月は、捲し立てるように、そう。 「相手の考えてることが解ったら、それは不気味です。お話して下さい。町田さんは誠実な方かと存じ上げます。だって貴女が選んだんですから。」 どうして町田との関係を知られているのか、そんなことも考える隙も無く、そうやって随分と清らかに笑う青年は、本当に男なのかと思うほど、いっそ無性別さまで纏った雰囲気をして。 「そう、かしら・・・。」 「蝶子さん、仰ってましたよ。澤田さんと町田さんは仲が良い、って。」 そこで彼女は真っ赤になった。一応は隠してあった積りであったらしい。あら、あら、あら、と言葉の出ない様相で顔を覆うと、ありがとう、とか細く。そのまま赤面が落ち着くと、今度ははっきりと礼を述べて部屋を出た。 「今吉探偵事務所は浮気調査お断りだろう?」 「何勝手に俺のベッドで寝てんだよ。そ、お断り案件だよ。」 でもね、と意外と頑丈なベッドは伊月が腰かけ、ランプを消すのに古橋の体に乗っかって腕を伸ばして、彼の腕枕に落ち着く一連を行って布団に潜り込む。 「翔一さんが、ゆってた。浮気調査の、特に女からの依頼は、女に情が移るんだって。どんな醜女でも絶世の美女に見えてくる。自分の全部を投げ出してでも護ろうと、思えてくる。」 「ほう?」 「だから、浮気調査はやらない。翔一さんには俺がいるから。」 「成程、花宮の帰ってきて第一声があの二人姦しい、なのも頷ける。」 なんだそれ、と憤慨した伊月だったが、暫くすればそれは静かな笑い声に変わり、ぽんぽんと古橋の手が誘われるようにその美しい黒髪を梳いて耳元に掛けた頃、静かな規則正しい寝息が部屋に静かに誘われた。 翌朝、寝起きの悪さを古橋に呆れられながら、昨日と同一スケジュールで、やはり伊月は確信した。 月乃春の教育係であるはずの、社蝶子が、不在であると。 続く。 |
初出:2013年7月16日 20:06
なんというか双子モノって一回やんなきゃなって。今回はモブお二人にツイッタフォロワさんのお名前お借りしております。あくまでお借りしただけですが、ああーあのひとだー!とお気づきになられた方、どうぞご内密に、って月ちゃんゆってたw
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ハーフチキンさんわさをさんありがとうでした!!今読み返してもこれ、ほんっとやたけたですよミステリものとしては。
20140109masai