初めて見た時から、強かな男だと、思った。
最初の出会いはただの客と言う名の金づるだ。これは現在の表向き雇い主との嬉しくない共通見解だったが、ぬくぬくと育ったお坊ちゃんは、こころの奥底に真剣を隠しているのだろう。
それは、あの日の試合で確信した事だが。
これからもよろしく、花宮、と差し出された手はいつも通り、取り立てて述べるほども無い、体温が低い、籠球の日頃に皮膚の硬い手のひらだった。












今吉探偵と伊月助手と人形屋敷怪談。













その茶封筒は茶色と言うには血の色と呼んだほうが似合う。しかし赤色というには聊か黒い。作った人間は悪趣味だなぁ、というのが伊月の感想だ。
松の木の枝ぶりが見事な屋敷だった。封筒は今吉翔一に宛てられて届いたもので、仕分けてから今吉か花宮が読むのがそれまでの普通だったが、伊月が読んでいたその事実を突きつけられて、花宮は心臓が止まるかと思った。
広い平屋の屋敷に薄く雪の積もった針葉樹の枝が覆う、屋敷の表札には《九具都》とあるが、勿論のこと偽名だろう。門扉脇のベルを押せば、黒い留袖の女性が玄関の扉を横に滑らせて、頭を下げた。
「花宮です。」
そう、伊月は平然と名乗る。学生服に大学指定のインバネスコートと群青色のマフラー。単を最近やっと袷に衣替えした今吉と、二人で訪れた屋敷で。空は真っ白な、生憎の気温だが、にこりと微笑んだ女性は簪を飾った頭を丁寧に下げると庭石の上を上品な所作で渡って門扉の鍵を外した。
「お待ちしておりました。どうぞお入りください。」
「一人は遅れて来る予定です。」
「そうですか。いつごろに?」
広い玄関に通されながらの会話は世間話とテンポは変わらないが、今吉は勿論のこと、伊月は彼女の違和感に直ぐ気付いた。瞬きをしないのだ、この女は。
「主人は工房に籠っておりまして・・・呼んでまいります。」
通された応接室は洋式調度に白い肌が艶めく人形の裸体が幾つも並んであった。大きさは子供から大人まで。
「いつもはどれくらいで解決するんです?」
「場合に寄るで?まこっちゃんは大概一日そこらでやってまうけど、ワシは時々口が災いして長引く。」
「警戒されない事が第一、と。」
仕事の手順を伊月は綺麗に飲み込んでいった。この年まで育てば体の作り変えは難しい。あくまで『普通の』存在であることが、伊月の取り柄になった。どこにも所属しない、何も知らない筈の、そんな存在。今吉探偵事務所所長助手の肩書はそのままだが、今まで以上に意味が無い、そして意味のある肩書だった。
「結構なお屋敷ですよね。」
コン、と右人差し指第二関節が弾いた人形の肌は陶器や木製を白く塗ったものと二つに分けられた。きしきしと床を軋ませる音に、伊月はコートとマフラーを抱えたまま、今吉の半歩左後ろに佇む。
「どうも。」
白髪の混じった頭髪に、爛々と光る瞳に、健康的な肌。年齢がよく解らないその人物は、どうぞと今吉と伊月にソファへの着席を促し、今度は白い着物の女が茶を運んできた。白魚のような、と表現するのにぴったりの指先が、湯呑を二人の座った場所にことりと置いて、頭を下げると部屋を出た。
「初めまして。今吉翔一いいます。突然の訪問、不躾ですんません。」
「いやいや、人形が欲しいと仰られる方は皆、私は自分の同志と思っております。こちらこそよろしくお願いします。九具都徹です。」
「改めまして。」
ぺこりと頭を下げ、つきまして、と今吉が伊月の腰に手を回す。
「この子にそっくりなん、作って欲しいんですわ。」
「その方と同じ容姿をご要望で?」
「花宮真と申します。」
静かに伊月は頭を下げ、凝視っと相手の眼を見て話す、その姿こそが人形のようで聊か九具都は戸惑うような気配を見せた。
「絡繰りは如何に?」
九具都が含んだのは客人と同じ茶ではなく、血のような赤ワインだった。
「どこまで動かせます?」
「お茶運びくらいの絡繰りでしたら。」
「あ、ありますね。そういう仕掛け人形・・・人魚の人形、キタコレ。」
「まこっちゃんちょっと黙りなさい。」
「えー。」
不満げにくちびるを尖らせて湯呑を口元に運ぶが口は付けない。少し傾けて啜る振りでもすればいい。
「では、採寸と、そうですね、花宮さんとお呼びしても?」
「はい。」
「花宮さんの魂の在り方を見せて頂ければ。」
「たましい・・・。」
「偽物は本物に近付けなければ偽物とは呼べないのですよ。」
どないしょうかな、と今吉が唸る。ことりと肩に落ちてきた頭に、はたと目をやる。
「ここは目が多いですからね。」
裸体のままの人形は、眼窩に目玉を模した硝子玉が嵌め込まれてあった。
「疲れたのでしょう。お部屋を用意します。」
九具都はそうやって立ち上がり、応接室の扉を開けて廊下を呼ばうと、出迎えの時と同じ黒の留袖の女が案内に来た。通されたのは、八畳の和室だった。抱きかかえるように歩かせた伊月は足元が覚束ないで、女が用意してくれた布団に転がされた。
「どうぞ、夕飯の時間にはまた声を掛けます。ごゆっくりなさって下さい。」
「おおきにさんです。」
すすと静かに襖扉が閉まる。
「・・・さりげなくあっちこっち撫でるの止めてくれませんかね。」
「やっぱ才能あるで、月ちゃん。」
「嬉しくない誉め言葉をどうも。じゃあ、どこから調べます?」
コートの中に鞄を探りだし、筆記用具の用意。黒革の手帳は事前情報で溢れている。
「しっかし、本当に人形なんですね。吃驚しましたよ。SF小説かと思いました。」
「九具都徹、ゆう偽名もなかなかちゃう?」
「本名、工藤徹。一度結婚してますが、奥様はこのお屋敷にはいないようですね?」
「それはどうやろか?」
に、と口の端を上げる今吉は、気付いてへんとは言わさんよ、とばかりの厭味ったらしい笑みを浮かべて胡散臭く笑っている。
「いやー、これはちょっと自分でも突飛すぎるかなぁと。」
伊月は自分の考えに裏付けがないと、せめて自分の眼で確認する事だけでもしないと気が済まない性質だ。頭が固いと言われればその通り。用心深いとも言えるかも知れないが。
「ほなそれ前提で捜査して。泊まりの連絡はしてきたんな?」
「ま、連休ですし?有意義に使いますよ。」
「仕事を有意義と言える。流石ワシの月ちゃん。」
「ある意味では良い自主練です。」
布団に転がしていた体をひょいと腹筋だけで起きた伊月は、肩の筋を伸ばし、脚を抱えるようにしてアキレス腱まできっちりと伸ばす。
「さて、どうするか。」
「どこまで怪しまれないで行動できますかね。」
密やかに言葉を交わしながら、くちづけの距離の会話は吐息となって響く。視線があるうちは下手な行動は出来ない。きちんと今吉が手を貸して起こしてくちづけ、衣服の下に熱い手が彷徨うのを身を捩って誘っているように見えるだろう。何かあった際の装備が全て備わっているのを今吉は確認すると手を退けた。
「翔一さん。」
「んー?」
ぱくりと悪戯しく耳朶を噛まれて今吉は肩が跳ねた。
「月ちゃん。」
しなやかに腕がその肩に回され、伊月は深い呼吸を一度だけ。
「行きましたか。」
「行ったな。」
視線と気配が消えたのに腕は解かれ、注意深く二人で立ち上がる。まずは屋敷の中を自分の眼で把握するため、伊月は静かに襖を滑らせた。薄暗い廊下は静まり返って、ひとの気配が無い。まずは手洗い場、と見つかっても大丈夫であろう場所を探す。縁側に続く途中にその木戸はあった。縁側から見える庭は春になれば桜が見事だろうが、今はまだ寒風が扉をかたかたと揺らす。座敷は障子戸の隙間から見るに十二畳。更に廊下を進み、台所、居間、もう一部屋洋室があって、二人に宛がわれた座敷。くるりと玄関から順繰りに配置されている様子を脳内に描きながら、ふと伊月は立ち止まった。
「・・・いない?」
きしりきしりと年季のある床が軋む。
「足りて、ないな・・・。」
客間の前で一度立ち止まると目を閉じて深呼吸。襖扉にノックを一度。二度のノックが返される。伊月は足を踏み出し、またくるりと、風呂場前廊下、手洗い前、縁側、奥座敷、台所、居間、洋間、そして客間。
客間の前の洋間は、応接間と同じく洋風の扉で観音開きになっている。暫く呼吸を殺して耳を澄ませるが、ひとの気配はやはり無い。カチャリとノブも簡単に回って、そこにはグランドピアノと高価なマントルピースが幾つか。円卓と椅子は不思議な脚の形をしており、座ったら転ばないかな、と伊月はなんとなく思った。
「ピアノ・・・。」
ふかりと靴下は毛足の長いカーペットを踏む。楽譜があった。ピアノは黒く輝く翼を閉じたまま、その上に楽譜が何枚も散らばっている。なるほど、とその目元が瞬いて、部屋を出る。人気は無い。宛がわれた部屋の前で、一度ノックした後で二度。二度のノックが返ってきたので襖扉を音も無く開けて、滑り込むように入った。
「〜っは。疲れた。」
「ワシの助手はもうちょいタフでおって貰わんと。」
「口で説明すんの面倒なんで、まず見取り図から行きますね。ここは八畳ですね?」
「せやね。」
こう廊下があって、ここにこの広さの部屋があって、と作られた見取り図は、ぽっかりと部屋を取り囲んで奇妙な空間を作っている。
「俺の眼に狂いが無ければ、ここにもう一部屋、部屋でなくとも何かがあるはずですね。」
に、と伊月の強気な笑みに今吉は顎を摩り、よぉできました、なんて伊月の美しい黒髪を撫ぜた。子供扱いされている感がどうにも否めないでくちびるを尖らせると、ちゅっと軽い音で奪われた。
「あと、ひとの気配が無いです。情報通り。でも、庭は綺麗にされてました。あれも人形でしょうか。」
じりと熱くなった頬を拭って、伊月は手帳を捲る。床の間にある障子が真っ赤に染まって、時刻も時刻である。夕餉の支度が出来ました、と襖の向こうから声がかかる。
夕食は焼き鮭と味噌汁、と何の変哲もない。ただ、客間で出された湯呑と同じく温度が無かった。一応は食べた。正確には食べた振りだ。含んで口を拭う振りで吐き出した。
伊月は広い座敷に連れられ、身体の寸法やら瞳の色、髪の一筋まで実に作業的な仕草で探られた。
「数日、御姿を拝見させていただいても?」
「ワシも一緒におってええですか。」
「はい、客間に用意させます。」
そうして部屋に帰ってきて、時計が進むのを待った。冷たい手が体中を触ったのが寒いかった、と今吉の腕の中で伊月はぼやく。
「しゃーないやんか。幽霊屋敷やもん。」
封筒の中身は幽霊屋敷についての調査だった。人の出入りは殆ど見られないのに家が朽ちる気配は無く、時たまひとの会話する声が庭から聞こえる、そんな内容。
「幽霊、というには存在がはっきりしていますね。」
「せやね。他には?」
「応接室にあった人形ですが、素体の形状を見るに、全てが同じ形でした。あの、女性たちと。」
「合格。」
気配の無い屋敷の中で、二人は立ち上がった。
「そして、ピアノに散らばっていた楽譜ですが、あれも良く出来ていましたよ。指の何本かが無くても演奏が出来る。」
「さて、その演奏者は生きとるか?」
「どうでしょう?結構埃積もってましたし。」
音を立てずに襖を開ける。隠し部屋へは相場が決まっている、と花宮に教わった場所は、ピアノがある洋室。マントルピースの一部がずれた。
「ここかー。」
「あんま開けたくないですねー。」
その扉は、本棚に隠された場所に鍵穴だけあった。
「出来るか?」
「やってみます。」
伊月はポケットからじゃらりと金具の束を取り出した。最初に試したのはヘアピンだったが手応えが無かったので、いつも花宮のデスクの鍵を開ける際の金具を鍵穴に差込み、固定し、奥の錠前をカチリと外した。
「これで、開くかな、っと。」
そっと手のひらに力を込めて開けた扉から、一気に生臭い悪臭が漂った。
「こちらはお入りになられてはいけません。」
背後の声音に振り返ると、そこには白い着物の女。感情の仔細が無い表情は穏やかに笑っているが、その手には包丁があった。ひゅ、と横薙ぎに舞った刃物は今吉の指先が捕まえ、容赦なくその腕をぼきりと折り取った。ころりと白い石のようなそれを伊月は摘まみ上げた。
「こちらはお入りになってはいけません。」
呪文のように女は言い、距離を詰めたが顎に衝撃を叩き入れられた。頭がカーペットに落ちた。すうっと呼吸を整えた伊月は、振り上げた足を床に下し、その手の中で白い骨を転がす。
「指と・・・手首ですね。」
ぱきりと軽い音で弾けた陶器製の腕の中から現れたそれらを伊月は軽く分析し、火葬されてませんよ、とも述べた。
「流石に胸悪いわ・・・。」
「降ります?」
「当然やろ。」
そこは暗い階段が下に続いている。ペンライトで照らすライトは頭を擦らないぎりぎりの高さで造られた回廊を真っ直ぐに下る。
「この辺なんやけど。」
「ですね。」
見取り図として作った空白部分に到着したが、階段はまだ続いている。壁に手を当てると扉があった。くるりと簡単に開いた扉は、人形の素体が吊られた部屋だった。作業台には一体の、それこそ伊月とそっくりな顔の造りをした一体が横たわっていた。九具都はそこにいた。首を吊られたような格好で垂れ下がる人形という醜悪な光景の合間から、彼は無表情に闖入者を見る。
「・・・あの役立たずが。」
ぼそりとそれだけ呟き、かくりと肘の稼働を試験している。白い肌も忠実に再現された身体だが足の根元は女性だった。
「花宮さんの美しさは瞳ですねぇ・・・。」
その名前は俺の物じゃないけどね、なんて伊月は思う。
「その瞳をどう造りましょうか、今吉さん。」
「瞳だけちゃうで?綺麗な髪の毛に、笑顔に、桃色の肌。どれを省いてもこの子にはならんよ。」
異様に爛々とした目が伊月を見、戦慄っと背筋を駆け上った悪寒に伊月は今吉の袖を握った。辛うじて目に入れることが出来た投擲は、天井から吊るされている人形の数体を床に落として砕いた。
九具都は絶叫した。
「下いくで、月ちゃん!」
「はい!」
そのまま揺れるライトの細い明かりを頼りに階段を駆け下りる何度か方向を変えたそこは、距離としては庭の辺りか、と伊月は額に浮いた汗を拭う。生臭さや鉄臭さ、腐敗臭が一気に鼻腔に流れ込んで咳き込む。突き当りの扉を開けなければいけないが、ドアノブが取り外されてあった。二人で蹴り開けた。
綺麗に腹の中央から裂かれ、肋骨は内臓を仕舞いこんだ鳥籠を思い起こさせる。心臓は動いていない。伊月は無言でその死体に近寄ると閉じられた瞼を開ける。眼球は無い。脳天に鉈を叩き入れられた頭は頸椎まで砕かれて、乾いた血の跡は足音を周囲に残している。
「ここに、入られ、でば・・・。」
きしきし、関節の歪んだ白い着物の女を模した人形は、上半身をぐらぐらと揺らして二人を追って来たらしい。弾けばそのまま上半身は後ろに倒れるだろう。ゴキン、と今吉はそのまま人形を折った。
「九具都徹にそっくりですね。おそらくこちらが工藤徹でしょう。不思議なこともあるもんですね。」
「手塚治虫は読んだか?」
「未来のロボットの話ですっけ?あれをここで引き出すのは凄く気が引けるんですが。」
そうやろな、と今吉が探った室内は、工藤だけでなく、他にも白骨化が近い死体が多くあった。地下の湿気が多い場所で、腐敗は進むが白骨になるには時間がかかる。哺乳類の死臭は人体に有害だ。二人ともハンカチで口元を覆って、その身元を割り出す作業に入る。簡素なベッドだが、一つだけ随分と丁寧にシーツに包まれた女の体があった。といってもそれは殆どの部位を切り取られ、骨盤の形から伊月が女だと判断しただけで。
「復元は出来そうか?」
眼球も肌も筋肉も削ぎ取られた頭蓋骨を今吉が示した。ちょっと待ってくださいね、と伊月は言い置いて目を閉じる。数える時間も無かったが、すっと静かに開かれた黒曜石の瞳は確信の声で、あの女たちの元になった人間だ、と割り出した。
「九具都、もとい工藤の妻ですね、おそらくは。」
臓器は抜かれて腐り落ちて原型が無いが、その残骸が骨を染める様子に、服薬や手術の痕が認められた。あとは頭蓋骨に丸く綺麗な穴が開いている。
「工藤氏は随分と悪趣味な性癖をお持ちだったようで。」
精神を病んで最終的にはロボトミーでもしたかったんでしょう、なんて平然と述べる。
「工藤はなんであないなったと思う?」
「九具都でしょうね。偽物は本物に近付けないと意味が無い。この切り取られた骨や、おそらく眼球は人形に使われてますよ。」
「あら、お客さま?」
背後からの声は、酷く穏やかだった。
「こちらへどうぞ?」
蒼い着物を纏った彼女は人形たちと同じ顔をしていた。死体と死臭で溢れた部屋の奥、重厚な扉を彼女は開けた。
促されるまま入室したそこは、高い天井が夏の青空のように染められ、洋間にあった不思議な容の脚を持つ椅子とテーブルがあった。どこからか鳥の声がして、伊月が視界を広げると、鷲の眼は蓄音器とスピーカーを物陰に発見した。花壇を模した、その花壇は日用品でも入っているのだろう、隠しの引き出しになっていた。
「お茶とお菓子を用意しましょうね?もうすぐお八つの時間ですもの。」
といっても、昼夜は逆転しているが。オーブンがあって、簡易のキッチンもあるその箱庭は、その人形にとっての何だろう。
「失礼ですが・・・。」
「工藤の妻でございます。」
「・・・まさか。」
こんな風に存在していただなんて。それでも先ほど人間としての死体は確認した。眼球の動きがおかしい、と思って今吉を見ると、彼も同じように考えていたようで、用意されたクッキーや紅茶に見向きする事も無く、女に近付いた。椅子に腰かけてにこにこと長閑に笑っている顎を掴み、強引に瞼を上げさせてその眼球に触れた。ころりと落ちてきた球体は硝子製で、中には梅干しのような、元は眼球であったであろうそれが入っていた。金属製の視神経から油が滴って、油が血液ならヒトと遜色ないんだろうな、と伊月は思った。
「どない思う?」
その眼球を無理矢理作り物の眼窩に押し込んだ今吉は伊月を振り返る。
「この上ない死者への冒涜かなと。解剖ばっかやってる俺には言われたくないでしょうけど。」
「意味合いがちゃうから安心せぇ。さて、九具都はどうする?」
「怒って俺たちを追いかけてきますね。もし彼の立場なら俺はそうします。」
「応戦は?」
「一応。」
採寸の際に全て脱がされたが一度部屋に帰ってそれは整えてきた。死体だらけの部屋に戻る際、もう帰ってしまわれるの、と機械的な声音が述べたが二人は振り返らずに扉を開け、振り下ろされた鉈に飛び退った。九具都は鋸や糸鋸も包丁もナイフも腰に下げており、その重さに何も感じないように、ただ憤怒の感情に任せて振り回した。
「みたっ、見やがった!生きては帰さない!」
「人形は出来ました?」
とん、と軽い足音が懐に入る。鉈は袖に仕込んであった鉄板が受けた。
「本物に限りなく近い偽物、でしたっけ。」
嘲笑うような声音に九具都は目を見開き、鉈を引いた。鉄パイプを振り下ろそうとした腕は今吉に捕まれた。
「本物にどんだけ近づけたとしても、それは偽物や。」
その言葉に弾かれたように、バネ仕掛けのそれはヒトには在りえない速度と力で二人を振り切ると、そのまま扉の向こうに逃げた。
「月ちゃん!」
「これ凄いですね、どうなってんです?」
袖の切り裂かれたそこから覗く手甲は花宮の特性だ。多少の打撃では簡単に弾けるとの解説を受けてあったが、叩かれた衝撃すら感じなかった。走り込んだ部屋、駆け上がる階段、切り返しに目元を掠った刃物には流石に戦慄したが、その腕を取り押さえて捕縛。しかし九具都はその手に拳銃を持っていた。防弾チョッキは着ているが、下手に当たる訳にはいかない。
「それ、放し。」
「どうせ逃げ場はないですよ。」
妻を模して造られた人形たちは砕け、作業台に転ぶ一体だけが無事だ。
「わた、私の悲しみなど・・・誰にもっ・・・!!」
「解る訳ないやん。」
今吉の言葉は残忍だ。
「工藤は妻を亡くして人形を作った。自分の人形はその世話のためか?どっちにしろ正常な神経やないわ。そんで人形は今度は本体を殺した。人形如きに殺されるとか間抜けが過ぎて阿呆らしいわ。」
「そして人形が本人に成り変わり、という寸法ですね。どうせ人形ですから金銭事情には疎いし近所付き合いも無理だった。だってほら。」
背に捩じり上げた関節を伊月はぐいと抑える。人形に痛覚はある筈が無いので悲鳴は無い。
「この関節の造りを見せる訳にはいかない。人形だとばれてしまう。」
必然的に人の出入りは少なくなり、人間の住む気配は消えるが人形たちの手によって屋敷や庭の管理はされている。工藤は人形師としての生計はあったが、その貯金だっていつかは底をつく。税金が支払われない不信を思って、内々に花宮に来た指示内容が、その原因を探れ、との事であった。
「妻が・・・。」
九具都は昏い声音で静かに語る。
「あれが、こころを病んだのは、私のせいで・・・。だから私は私を殺して・・・。」
「結果、助かったのは誰ですか?あなたは助かりました?ただ、毎日を無為に繰り返しただけじゃないですか。こんな暗い地下室で。」
取り押さえていた手を今吉は放し、伊月の腕を掴むと階段を駆けあがった。それはきっと反射。パンと弾ける音とカチャリと破片が落ちる音、火薬の臭いが地下階段を満たし、九具都は頭を粉々にして倒れ伏した。ぼろりとその割れた白髪交じりの頭髪が埋められた陶器の肌からは灰色の脳漿が零れ落ちた。
報告書を読んだ花宮は、それはもう大きく嘆息した。
「健太郎、提出頼むわ。俺の捺印の場所解るよな。」
連休前に大きな風邪に罹って寝込んだ花宮に、見舞がてら尋ねると、彼の家は家人が一切おらず、瀬戸、古橋、原、山崎、といった面子が病人からの指示待ちだった。どれだけ毒物や薬物に耐性を付けた身体でも未病には勝てないらしい。
「御粥は梅干し?たまご?」
「さっきたまご酒飲まされた。こいつら俺嫌いだ。」
「そう言うなよん、花ちゃん。」
「花ちゃんゆうな。」
原の軽口に花宮は気怠く述べて、助かった、と遠回しの礼に伊月が笑った。
「まあね、それなりに楽しくはあったよ。変なもんいっぱい見れたしね。」
「楽しむなよそんなもん。」
結構ハードなんだが、と古橋が言えば、伊月は白粥に梅干しを添えて、花宮が寝込む布団の脇で肩を貸してやる。
「うん、多分もうやんない。だから早く復活しなよ、花宮。」
「お前は呑気に珈琲と茶菓子でも用意してりゃぁいいんだよ。」
吐き捨てるように花宮は言うが、結局のところ素直でない性質は知っているので、少しだけ笑うだけにしておいた。
「あんまやらかして殺されても困るしね。」
「おい。」
「冗談だよ。花宮の代わりが俺に勤まるなんてひとっつも思ってやしないんだから。今回は本当にイレギュラー。翔一さんも結局は俺の覚悟を試したかっただけだろ。」
寧ろ殺し合うくらいの距離が丁度いいじゃないか、とは言わないでおく。
だって、決めてしまったから。
付かず離れずの距離はそのまま。こころの奥底の隠し扉を強引に開けようとも思わない。それでも知ってもいいのだと、知るべきだと、思えば素直に距離は縮めてやるし、扉だって叩いてやる。
「花宮、これだけは覚えておけ。」
伊月の声に、しんと部屋が静まり返った。
「俺は、博打は打たない主義だ。だからこそ、勝とうが負けようが、それこそ殺されようが死んでしまおうが、文句は言わない。でもな、お前たちが黙って俺の前からいなくなるなら、それこそ俺はこの眼も駆使してお前たちを探すよ。血眼になって、傷だらけで倒れても、絶対に探す。たとえそれが死体になってしまっていてもね。」
暫くの沈黙の後に、口を開いたのは古橋。
「それ、俺等も入ってる?意味が解らない。」
「入ってるよ、勿論。お前たち、つったろ。」
意味が解らない、と古橋がまた繰り返す。
「俺は、お前たちが好きだからね。」
にっこりと、穏やかに笑った伊月に、何故か部屋は嘆息で溢れた。花宮は伊月に肩を借りたまま、寝入ってしまっていたが。


今吉探偵事務所、明日も長閑に運営予定。
貴方の近所に怪しいお屋敷は、あったりしませんか?

***

今回ちょっとファンタジーです。花宮サイドに踏み込んだ結果、ですね。一応伏線は幽霊騒動にありました。いちゃつきシーンいらないよなこれーと読み返して思いました。でも破れ鍋に綴蓋だから仕方ない。■タグありがとうございます!「上から指示があれば調査に行く。」との花宮助手の回答を頂きましたw(10/10


2013年01月09日 19:19初出。

描き終わったら読もうと決めていた本(ラノベ。)に人形師が出てきて戦慄した思い出。

20130118masai