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独逸なんて行かないで。
伊月は何か知っていたのであろうか、と抜け落ちた金髪を手の中に、爽やかく笑む遺影の前、軍服姿の男が一人、哭いた。 今吉探偵と伊月助手と外伝・宮地清志。 「ハタチ過ぎればタダのヒト、ってことっす。」 航空隊所属の高尾はそう、五年ぶりに日本に帰ってきた宮地に笑った。独逸留学は結論から言えば上手くいった。三年間程度の予定だったが、総統に気に入られ、肖像で前持って聞いていたより小柄でちょび髭がどこか間抜けな男は、宮地を嫉みの感情と共に研究室に置いた。勤勉で真面目な大和民族の男を気に入り、髪色や目の色が純正独逸人からの遺伝だと知れると殊更可愛がった。新兵器開発にも関わることを命じられ、ウラニウム爆弾の研究を日本に持って帰ってきた、その軍部は、取り憑かれたような研究者が多くいた。日本側からの感謝状を持つと、一度軍部の実働部隊に会いに行った。 「あれ、緑間じゃね。」 「・・・宮地さん。」 秀徳軍属学校研究室には宮地の愛して止まない籠球の、憎き後輩がおり、そのまま案内されたかと思えば、海空軍には春日はおらず、高尾がいた。目の良さを活かして飛行部隊にいるという、この二人はいつもニコイチで籠球や、そうでなければ音楽や、いつも楽しく笑っていたというのに。 「そうだ、春日は。」 「その名前、出さないほうが賢明だよ、宮地。」 研究棟の外は夏の爽やかな風に煽られて涼しくはあったのだが、その声を聞いて、戦慄っと背筋が凍った。 「もり、やま。」 「やっ、宮地陸軍中尉。訪独ご苦労様。また三日後だっけ?」 「あ、ああ。総統に気に入られちまったらしい。」 「ウラニウム・・・これは何なの?爆弾?」 「元素結合がどうたらこうたら。詳しくは報告書読んでくれ。冬には国際電話が繋がる。俺の向こうの家はこの番号だ。」 「可愛い独逸娘さん紹介して?」 「はっはー。高尾ー一個小隊貸せー。標的森山少佐ー。」 「あいっかーらず宮地さんの不敬罪っ!」 「開発中の細菌兵器なら研究室にあります。」 「秀徳卒業生怖い!!」 朗らかく笑ったその夏の日は、もう学生でなければ新米兵士でもなく、軍医であり研究者であり、航空機乗りであり、上官であり、部下であり、軍人だった。しかしどこか昔に戻ったように、階級なんて関係なく、冗談を言って悪乗りをして、間違いなく笑い合った。春日はその帰り、森山に内密に教えてもらったところ、英吉利に行った、との事だったが、海外との外交不和を見せ始めたこの国は、英吉利人を嫌悪する風潮を流しており、英断だな、と道行、髪色に向けられる不躾な視線に宮地は息を吐いた。三日後、また宮地は渡独する。 伊月の作った養護施設にも一度顔を出した。死人でも見たような顔で伊月は固まり、みやじさん、と。 「帰ってきてたんですか!?言ってくださいよ!!」 「なんでだ!?」 「木村さんちのパイナップルでケーキ作って待ってましたのに!!」 「月ちゃん何騒がしいん?おお?宮地クンやないかい、また背伸びた?」 「金色の軍人のお兄さんおっきー!」 「宮地さん、だよ。」 童顔ゆえさほど怯えられない劣等感めいたものはあったが、子供が懐いてくれれば、伊月が教えてやれば、子供らは、みやじさんーみやじさんーと唱和するようで、思わず笑った。軍人は逃げる金があったのだろうが、伊月が世話を見た英吉利人の女児は施設の片隅で膝を抱えていた。しかし宮地の髪色を見て、恐る恐る寄ってきた。 渡独後の宮地は思い切り独逸国内情勢に振り回された。一介の研究員としての渡独が、総統に気に入られて国家労働者党の独裁政治には少々苦いものはあったが、日独間の中継役としてもよくこき使われたが、大抵の連絡先は森山に繋ぎ、あちらも走らせてやった。その間、ユダヤ人を毛嫌いした総統は、虐待だけで飽き足らず、収容所を作ろうと画策していて、その最中、冬のこと。宮地個人に電話が入った。 日中戦争、開戦。 「やりやがった・・・っ!」 国際連盟から再三通告はあったのに、神風を信じるあの国は。 独逸での研究もあり様々な人殺しの道具を作り、と帰国は半年待たされた。宮地自身、体調が思わしくない気配もあった。一度帰国するか、と宮地はその後、船で三週間の長旅を、ずっと横になって過ごした。彼らしくなく、本当に酷い旅路だった。船酔いなのか、吐き気が続き、目眩と頭痛。それから食事が悪かったのか、下痢も続いた。 海外から見た日本という国は、浮き足立ち、様々な方法で他国を傷付け、国内では様々なひとの殺し方を開発していた。 「高尾が、死んだ・・・?」 それは事故だったそうだ。新型の航空機の試験運転で、部下を庇って破片を腹に食らって死んだのだと。基地の中は騒然となっており、森山は酷く疲れた顔で、しかし瞳は爛々と輝かせたまま、世界の不和を知らぬ振りも出来まいに、緑間は研究棟で親友の死を知らぬ振りで研究者であり続けた。 痛々しい、と思ったのは宮地だけだった。 春日は亜米利加に亡命した旨の連絡があった。彼は様々な手段で宮地に、まだまともな人間であることを期待してくれた。生憎その後の消息は追えていない。中学校の前を通りかかれば軍事演習に、竹槍と藁人形相手のままごとのような殺し合いが、見られた。 浮き足立った国の、国民のこころは死んでいた。 宮地がふらふらとした足取りで向かったのは、帝都の一等地と呼ばれていた場所で、様々な物売りがおり、物乞いもおり、しかし裕福な人間の闊歩する、不思議な場所になっていた。自分はどちらに見えるのだろうか。痩せた体に浮いた軍服は草臥れてきた。肩章を付け直してきただけの臙脂色の軍服は、やたら痩せた彼の体躯に隙間が目立った。軍医学研究とはもう名前だけの話、あの場所は軍だ。医学なんてものを学ぼうとしていない。 「・・・なんだ、これ。」 窓は全て閉まっているその建物は白亜の壁に罅が入っており、カーテンは閉まっているそれが、破れ落ちている。エントランス階段は汚物が散らかり、キンコロン、と軽やかに鳴っていたベルは、中の金属が朽ちたのか、押しても何の音もしなかった。 「なんだよ、これ。」 見事な彫刻の彫り込まれた玄関硝子戸に、金属で。こちらも植物の蔦を模して作られたドアノブは取り外されている。扉の向こうにはカーテンがいつもかかってあったが、それも歳月に引き裂かれたように、まるで廃屋の様相に、宮地は息を飲む。 「おい、だれか!・・・っ!」 いないのか、と声を荒げようとした瞬間、誰かの腕に引かれて足が縺れた。 「宮地さんじゃねーか、何か用事か。」 回転する視界にぼやけて入ってきたのは花宮だった。紅い特高の制服を着て、その場で胃液を吐き戻した宮地の背を撫ぜた。 「ははっ、お前が、優しいとか、きもちわりー・・・。」 「俺もそれなりに年食ったってこったよ。あんたの轢くぞも何年聞いてねぇやら。」 くつくつと嗤った花宮だったが、違うな、とふと呟いた。宮地が日本からいなくなって、あの賑やかしい軍人の三人組は居なくなって、居れなくなって。 「体調悪いなら、少し休んでいけ。」 花宮の車に乗せられ、その道行はAsylへ。医者の不養生とか怒られっかな、と宮地は少しだけ笑ってしまった。 「蝶子、悪いが客だ。寝台一つ開けてくれ。」 「えっ、そのひと・・・。」 「そうか、会ったこと無かったか。独逸との混血だ。あいつのような事はない。」 「・・・はい。」 蝶子、と呼ばれた女性は花宮の声に従い、子供たちに静かにするよう、伊月綾にも声を掛けると男性職員休憩室の、使われていないベッドに宮地を寝かせた。 「伊月、は?ちょっと、体調不良の、気味でな・・・。」 絶句の気配に苦笑気味に述べた宮地は首を巡らせた。 「伊月は死んだ。そうか、森山は連絡してなかったか。」 その花宮の温度のない声に、今度は宮地が絶句する番だった。 「今吉もどこ行ったかな、一応かかりつけはあるが、それでもいいか。」 「伊月は!!」 ほんとうか、とくちびるが震えた。伊月とは違う乱暴な手つきで注射された強心剤。いてぇ、と思わず呻くほど、彼は弱った自覚がなかった。そのまま宮地は伊月邸に連れられ、その仏間でその遺影と対峙した。 「宮地くん、何か食べる?顔色酷いわ。」 綾はそのまま付き添ってくれて、縁側に座った花宮にも茶と大福を持って行った。真夏の風は仏間に静かに通り抜け、その遺影の艶やかな黒髪を煌めかせたようだった。黒曜石色の瞳は目元を細めるように、眩しそうに微笑んでいる。鉄紺のスリーピースは、誠凛を卒業してから洋装礼装として伊月が好んでいた色で、写真だと色はないというのに判るから不思議なもので。 伊月や森山、高尾の黒髪に、憧れなかったといえば嘘だ。あの通りの良い、石鹸の香る黒髪は、時折消毒液の匂いがしていて、それも不快な臭いでなくて、宮地は何かにつけ、私立今吉探偵事務所に足を運んだ自覚はあった。 伊月が死んだ。 今吉は行方知れず。 花宮は特別警察。 誰が、どこでこんなにも残酷に運命を絆を引き裂いたのだろう。あの古びた事務所の建物は雨樋が壊れており白い壁には黒い染みが出来ていて、もうあの三人の忙しなくも面白い喜劇は見れなくて。 「なんで、教えなかった・・・っ。」 「伊月が望まねぇと思ったから。」 「なんで、死んだ。」 大変な志を持つ、美しい男だった。愛情を惜しみなく誰にでも与える、思想も哲学もある、ひとりの、大事な大事な人間だった。 「まさ、か。」 「思想も哲学も、この国には必要ねーんだとさ。」 背を向けたまま、花宮は言う。 「おまえが、殺した、のか。」 「ご想像にお任せします。アンタ、本当病院行けよ。自覚ねーの?顔色ひっでぇぜ。」 そんな風に素直に忠告を寄越す花宮は、どこか伊月と似ていた気がした。失礼します、と彼は深々と頭を下げると、そのまま伊月邸を出た。 「宮地くん、大丈夫?」 気付けば日暮が鳴いていた。嗚咽を噛み殺し、獣のように喉を震わせ、弟のために泣いてくれた宮地の肩は随分薄くなっており。縁側に蹲るようになっていた宮地は、そのまま。 高尾和成、享年二十三歳。 航空隊実働実験の際、部下を庇って金属片に刺されて失血死。二階級特進。 緑間真太郎、享年三十三歳。 東京大規模空襲の際、逃げ遅れたものと思われる。遺体は見つかっていない。 森山由孝、享年三十五歳。 戦犯として連合国により処刑。どうせなら轢いて殺せよ、と遺したのは冗談か。 宮地清志、享年二十五歳。 一時帰国時突然死。後の研究により、原爆症の疑いあり。 春日隆平、享年七十九歳。 日系アメリカ人として戦後収容所にて苦労するも、子や孫と共に無事帰国。心不全。 |
初出:2014年2月17日 23:22
今月探偵、番外編第二弾。
20140421masai