「マウントポジション、好きなの?」
「押し倒されるより幾分マシ。」
ぜぇぜぇと息を切らして背中を預けたはずの相手に砂埃が収まっていない床に足を弾かれて転ばされたのは、完全に気を抜いていたからだ。気を許していた、と言い換えても差異は無いが、それは彼が個人的に言いたくないであろうので。
向かってきていた相手の喉仏を目掛けて蹴り込んで、その腕章はその学ランの黒い袖に今日も凛と佇んだ。
「おみ、ごとっ!」
ブレザーの裾が靡いてネクタイで固めた拳を容赦無く人中に叩き込めば鼻血で汚れる前に腕を払って体を叩き折ってやるのはこの際は優しさとも言える。
四肢の一つでいい。潰せ。それが伊月が述べた言葉。腕を折ってやるには二人は随分酷な習性をしている。よって必然的に攻撃部位は砕きやすい膝か顔面になる。
ゴキン。
「あ。」
やっちゃった、とばかりの声に氷室が振り返ると、そこな勇敢な男は太腿を抱え込んで倒れた。
「あーあ、最近の若者のカルシウム不足は深刻だねー。」
うっかり大腿骨を蹴り砕いてしまったらしい犯人の言い分は責任転嫁甚だしいとも言えるが、その様子があまりに涼やかなので思わずその悲鳴の滑稽さに笑いがこみ上げる。
その側頭部に向かった拳を捕まえ、みしりと骨を軋ませ、そのまま握り潰した。
「骨ってこんなに簡単に砕けるの?」
「そう簡単ではないと思う。」
ローファーが膝に蹴りを入れて、靭帯を一本でも千切ってやればそれでいい。屯する気力が無くなれば、風紀委員としては企みは成功な訳で。
今となってはどうでもいい切欠で背中を預けることが出来るようになってくれた氷室を背後に、入れ替わるように、的を絞らせないように大人数相手の喧嘩を翻弄するような演舞のような動きは鷲の目を持つ伊月の真骨頂であり、氷室はその優しそうな艶やかな美貌からは想像出来ない修羅場をそこそこ潜っている。
「ラスト、一本!」
「試合じゃないんだからー。」
「試合し会いたいっキタコレ!」
鮮やかな動きでしなやかに、しかし固めた肩と拳を支えて、その肘鉄は鳩尾に減り込み、げは、と呼吸を落とし、そのまま崩れる。右腕は顔の防御に、左の拳を顔面に叩き込んで、眼球の異様な柔らかさに舌打ちし、そのまま後頭部から落下させた。
「お疲れさま。」
「シュン、怪我は。」
「氷室こそ。俺は大丈夫。」
砂埃で若干噎せたが、攻撃を食らっても一晩の湿布で内出血も無いだろう、という規模の怪我はそれくらいで、周囲に倒れて呻いている連中に比べると無傷に等しいと言っていい。
瞳にある光は些か剣呑であったが、呼吸が落ち着けばその眼光もいつもの穏やかで冷静な、優しくも厳しい、そんな笑顔に立ち戻る。
そうして交わされたのが冒頭の会話である。綺麗な黒髪を砂埃で汚して、こほりとひとつ咳き込み。腹に乗り上がってきた氷室の首に、そのしなやかな腕は伸ばされ、その白い腕章に綴られている二文字をうっとりと見下ろしたその隙に、腕の中にその首を抱え込んで気道を固めてやった。
かっは、とその苦しそうな呼吸さえ艶目かしい彼の、泣きぼくろのまた色香の濃い視線が絡むので、するりと脚を伸び上げ、脇腹に蹴り込んだ。
「・・・死んだかと思った。」
今度は伊月の膝を胸元に受け止めて倒れ込んだ氷室が伊月を見上げる番になる。
「何をしようとした?」
「仕事の終わりにキスでも、と思ったのだけれど。」
シュンはシャイで困るね、なんて氷室の色香で編まれた美しい微笑は大層に見事に胸元の圧力で歪められた。
「それはこれより先に。」
伊月の右腕は自分を抱くように左腕を滑り上がり、白い指先で黒い明朝体が刻印する《風紀》の二文字を舐めるように労わるように慈愛に満ちた仕草で撫ぜる。これ、ともう一度非道く甘い声音で囁く。切れ長の目が流しやった視線は今にもその鉤爪で喉笛を掻き切る隙を狙うように鋭くも、求愛に自分の翼を見せつけるように豪奢に甘やかだ。
右手の中にかしりと安全ピンを擦ると白蛇のように塒を解いて左手のひらに受け止められる。
「愛してる。」
無機物のはずの白に水色のラインが彩られた腕章が色めく程に艶やかに薄いくちびるが囁き押し当てられる。
「って、言われるように、なってからだぜ?」
しゅる、と耳元を走った衣擦れの音に伊月は反射的に頸を庇って、ネクタイで囲われた首筋を巡らせる。
「なんのつもり。」
折角立ち上がってやろうと思ったんだぜ、なんて口の端を釣り上げ獰猛に嗤ってやれば、そのままタイは首の後ろにぐぐと力を込めてくる。
「愛してる。」
「あっそ。」
氷室が無理矢理に伊月の体を引き倒し、文字通りくちびるに噛み付くまで、一秒もない。
殺し合いの馬鹿試合。
生かし合いの墓暴き。
20141009masai