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超心理学に興味が無いのは本当だった。
宮地がすべきは国のために、効率の良い人間の殺し方を開発すること。ひとを助ける術を研究するという事は翻すとそういう事だった。 秀徳軍医学研究室上部に取り巻き始めた奇妙な空気は、宮地も、森山も春日も、感じ取ってはあった。 今吉探偵と伊月助手と夜闇に光る眼。後篇。 邪魔者来ちまった、とばかりに舌打ちをした花宮に、宮地は遠慮なく白い手袋をした手を振り下ろした。 「ほんとは憲兵寄越そうって声もあったんだ。独逸留学を手に俺が来た。」 「ああ、そりゃ・・・。」 助かったかもな、とちいさなぼやきと共に、花宮は半田を面談室に通し、父親と共にある少年を足元から凝視っと観察する。 「伊月、お客様だ!」 「結局呼ぶのかよ!!」 島村力は見たほど、中学校の制服を礼装のため着せられてはあるが松葉杖に足先までギブスで固定されてある。 「お待たせしました!半田さんはどうされます?ってか宮地さんどうしたんすか。」 「仕事だよ。紅茶。」 「私は家の用事が片付いていませんので、失礼しても・・・。」 「ええ、披露宴の招待状、家に届いてありました。義兄さんが出席予定ですけど、時間があれば俺も出席させて下さいね。」 はい喜んで、と半田はそのまま馬車に帰り、島村の父親が、随分戸惑ったようである。 「珈琲か紅茶かありますけど、如何です?申し遅れました。伊月俊です。今吉探偵事務所の事務経理で働いてます。どうぞ、島村さん。」 気安くソファを勧め、力の補助をやってやり、茶菓子は花宮が切り分けた。 「アッサムのチャイ、砂糖多めで。」 「糖尿なりますよ、宮地准尉。何用ですか。」 「お前のとこで、超科学の実験をすると聞いてな、神秘思想結社からのお達しだ。」 「いつから独逸へ?」 「この春か、早かったら。遅くも夏だな。三年くらいで帰ってくる。」 戦慄り、腹の底が騒ぐ。彼も彼の思惑はある筈だ、流されるままでは無い筈だ。無意識にカップの中を泳がせたスプーンが止まる。 「おい、伊月。」 「あ、ごめん、花宮。えっと、島村力君、であってるね?」 「・・・はい。」 見るからに気弱そうな、極々普通の少年は、伊月に窺われて頭を下げた。父親のほうも同じように。 「改めまして、伊月俊です。不自然な怪我をしたと聞いて、少し様子を聞きたいんだ。良いですか?」 父親のほうに窺うも、随分と驚かれたが、半田やその夫の前もっての説明を思い出したのか、はい、と姿勢を正して顎を引く。綺麗なフットマンの姿勢だ。 「いつもは勝手に、少しばかり椅子が動いたり、しておりまして、その・・・。」 「はい、力君はどうかな?」 「勝手にじゃない、僕が動かした。」 「えっ。」 仄暗いその声は、どこか卑屈そうな目元に不気味に光る。眇められた目元に、青底翳の症状、暗い場所で眼球の底が光る、そして充血を見とめ、ふむ、と伊月はくちびるに指をやる。テーブルを挟んで暖かくした面談室にソファで対面した少年は、暗闇を好んで出てこようとしない、夜行性の獣を思い起こさせる。隣の父親が息を呑んだのを、視線で制した。 「SFが好きって聞いてる。」 「そうじゃない。」 「ううん、文学として。」 サイエンスフィクション。空想科学小説や幻想科学小説、未来科学小説ともいう。 「ジュール・ガブリエル・ヴェルヌ?」 「それも、嫌いじゃないけど・・・。」 「けど?」 「ルキアノスもダンテも、サイエンスフィクションじゃないか。」 「その発想は無かった!」 単純に哲学として読んでいた伊月にとって、それは完全に目から鱗の話であって、空想や妄想を好む少年との相性を花宮は少しばかり失敗したと思った。宮地は何も言わずに花宮の隣に立ったまま、アップルパイと紅茶を自分でお代わりした。 「そうか、言われてみれば竹取だって宇宙人の姫君だし、浦島は時空トラベラーだ。サイエンスフィクションって奥が深いな・・・。」 「フランケンシュタインや吸血鬼、は幻想小説に近いけど、フランケンシュタインが作られるのは間違いなく空想科学だよ!」 「あ、それ解る!死体を繋ぎ合わせて電流を流せば起き上がる、これは医学の進歩で本当に在りえる分野かも知れないね。」 「本当に現れる?」 「電気による蘇生法?」 「フランケンシュタイン。」 見る間に活き活きと耀きだしたその不思議な色の眼に、伊月は少しだけ笑って。 「そうだな、でも現れてしまったらフィクションではなくなってしまう。」 「その反問律が楽しいんだ。」 「うん、凄く解る。あとはポーなんかも空想科学多いよね。」 「そうだよ、推理だ仕掛けだ、なんて野暮だ。」 「あ、俺は考えながら読んじゃうな、その辺。」 「そう?」 「探偵の助手だから。」 折角だから渡しておくね、と名刺には探偵事務所助手の肩書きがあるのに、島村は冒険譚の登場人物のような、凛とした佇まいを持つも、気安く笑う伊月に真っ直ぐ、視線を向けた。 「少し、お話聞かせて貰っていい?」 「いいよ!僕も伊月さんと話がしたい!」 「んじゃ、二階使えよ。探偵もいるし、サイエンスフィクションの本も沢山ある。」 物見事な誘導に、宮地がカップに隠した口の端を吊り上げる。伊月が補助を手伝い、松葉杖を慣れないながらも使っている少年は、うわ、と事務室で声を上げた。 「花宮ッ!」 「何だ。」 扉を開けると椅子が突進してきたのを辛うじて避けた伊月と突き飛ばす形で壁際に逃された島村はすっかりしゃがみ込み、真っ青になって震えていた。 「わざ、わざとじゃな・・・!」 「解った。念力能力者は若い内は力が不安定ってのは超心理学の研究報告で上がってんだ。」 あからさまに安堵の息を零した島村は、伊月に助けられながらよたよたと階段を上がっていった。 「今の、説明して貰おうかね、花宮真。」 指先に伸び上がったバネを玩び、宮地は偽悪的に笑う。 「今のは、息子の仕業、では・・・?」 「まあ、少々お待ちください。」 花宮はそうして口を閉ざすと、二階でのはしゃいだ声音に意識をやって、父親に視線を遣った。 「勝手に小物が動く、これは確実に世界で確認されてる情報でな、なあ宮地サン?」 「神秘思想結社か。デソワール?」 「さっすが。ナチに直通持ってるお方は違うね。」 「国家社会主義労働者党。」 「思想とカルトは紙一重だぜ?さて、島村さん、これを。」 宮地から奪った伸びきったバネをテーブルに転がす。 「事務室のほうは恥しい限りですが、割と散らかっておりましてね、扉を開けると椅子が飛んでくるように、先ほど俺と伊月で仕掛けておいたんですよ。」 どの角度でどう飛んでくるか、流石にあの咄嗟の瞬間では鷲の目は見えないだろう。事前の仕組みをきちんと理解した上で、危機の中に自ら飛び込む度胸は宮地の中で感嘆に値した。 「力君の念動力は、おそらく本物でしょう、話を聞く限り。しかし、それがどのような原理でどう働いているか、は研究の論議の最中ですので明言できません。ただ、これには、研究者誰もが口を揃えるのは、思春期のストレス。即ち精神的蓄積物。外見で確認できるものではありませんが。」 花宮が取り出した紙の束は、彼が通う中学での、授業態度や生徒からの直接聞けた情報だ。 「仕事の態度は問題ありませんか?」 「父の私から見れば、まだまだ未熟です・・・。」 「それもおそらくは。学校では最近軍事教習も増えてますし、力君の体格から推測するに、学校内ではあまり強い発言権を持たない。読書が好き、ということで、そちらにも調べてみましたが、空想小説は文学では無い、という意見の大多数の中、彼が馴染めているとは思いません。」 「辛辣だな、お前。」 「このような情報は八つ橋に包んでも無意味と存じまして。」 慇懃無礼を絵に画いたような花宮は、そのまま淡々と説明を続ける。 「その精神蓄積を完全に取り除くのは不可能です。」 「それはっ、どうしたらっ!」 原因を取り除くことは出来ない、息子が周りに影響を及ぼしていく事を止められない、と言外に言われてしまっては。 「早計ですよ、お父様。デソワールを始め、多くの神秘思想結社や超科学、超心理学論文を俺は読んでいますがね、大概にして、精神成熟と共に、こういった現象は収まります。」 「・・・は。」 「だから、時間が薬んなって、勝手に治る。よっぽど強い力でなけりゃぁな。」 「それは・・・。」 ありがとうございます、と深々と頭を下げ、ぶるぶると震えているのは、失礼します、とハンカチを取り出し目元を拭っていた。 「あと、あの暗闇で光る眼の事は・・・。」 「伊月は研究員志望の立派な医学部生です。そちらは医学的分野で解決出来るでしょう。」 重ねて礼を述べ、頭を下げた父親に、花宮のあしらいは実に安定しており。 「この辺の報告書は依頼完了報告と一緒に半田鳥子に送っておきます。湯浅電池とのパイプは欲しいからな。」 「お前、少し本音隠せよ。」 すっかり呆れた様子の宮地に、にぃっと花宮は口の端を吊り上げる。 「見て来ないでいいのかよ、アンタも大概、伊月と張る現実主義者だと思ってるんだが?」 「まぁな。じゃあちと邪魔させて貰うか。」 「マジ邪魔な。そんじゃ、島村さんは少し待ってもらっていいですか。」 ええ、と疲れた様子で返答した彼に、花宮は、心配ならこれを読んでおくといい、と幼い頃に念動力を持ち、成人してから一切にしてその力が無くなった男の報告書を出してやった。 二階ではベッドに座った島村に無理が無いよう、紅茶とアップルパイを用意してやって、今吉が披露したスプーン曲げに伊月がその鋭利な切れ長の目を丸くした。 「すごい、探偵さん!」 「えっ、えっ、なにそれ翔一さんっ。」 綺麗に手の中に作った梃子の原理は鷲の目に捉えられず、ぽきんと折れ落ちた。時折カチカチとスプーンやフォークが皿の上で揺れているのは地震でもなければ誰かが足元を揺らしている訳で無い。 「邪魔すんぜ、今吉さん、伊月。」 「あ、宮地さん。」 作業台やベッドに散らばる空想科学小説や古典まである娯楽本に、どこからそんなに、と宮地が思えば、今吉が本棚に顎をしゃくった。ここいつか本の重さで崩れんじゃね、と図らずも宮地は考えた。 「んで、どーよ、超心理学の実験は。シャングリラには行けそうか?」 「シャングリラ・・・ですか?」 「知ってるよ、僕!こことはよく似た別世界、でしょ!」 活き活きと煌めく幼い瞳は、窓から射す逆光に、青く煌めいている。 「あっちの、トゥーレだったか、こっちに来たいんだと。日本帝国を金の国だと今でも信じてやがる。シャングリラへの扉を開こうっつー、なんつーかな。」 「カルトですねぇ。」 「シャングリラの扉が出来るの?」 「島村君の見解は?」 悪戯気に水を向けた伊月の微笑みに、うん、と島村は唸る。 「無い、ほうがいいな。だから、空想科学、なんだ。竹の中に月の姫君がいればいいなぁ、とか、海の姫君と時間を忘れるほど遊んで、帰ってきたら在りえない位時間が経っていたら怖いな、だとか。全部空想だから価値があるんだ。」 「人間の想像力は無限、やからな。」 確かに月の哲学者には会いたいけど、きっといないもんなぁ、なんて伊月は笑って、スプーンは曲がらないか手遊びをしている。 「やってみていい?」 「ん、どうぞ?」 はい、と伊月が渡したスプーンを島村はその括れを擦る。カチ、と金物が擦れあった気配に宮地は腰に下がったサーベルを掴む。カチ、カチ、金物の音は徐々に大きくなった。 「曲がらない・・・。」 「もう力でこう、ぐいっと?」 「それ念動力ちゃうから、月ちゃん。」 ガチャン、と宮地の腰元に在った、作業台、硝子ケースが破裂した。 「っ!!」 飛んできたメスは宮地の耳元を掠り、サーベルの柄で弾いた。 「伊月!」 「うあっ!」 メスの数本は間違いなく伊月の、背に、そして彼が避ければ島村がいる。その痩躯が幾つものメスに貫かれてベッドが血に染まる、かひゅ、っと薄いくちびるから吐血して、ベッドに頽れ、美しい黒髪が、鉄紺のスリーピースが血に染まる。そこまで宮地は幻視した。 「あぶ、なぁっ!」 島村を抱き込んでベッドに伏せ倒れた伊月の肩の上、シーツには日本刀が毒々しいほど美しく刀身を剥きだしに、夕日の中を橙色に耀いて、醜悪にその美貌を見せびらかす。床に散らばったメスは全て今吉の単の袖と伊月の背広が払い、一本椅子の背凭れに浅く刺さってあったのを、宮地は駆け寄って抜き取る。ことりと少しの衝撃で抜けてしまったそれは、実に呆気ない。 「しょ、しょしょう、翔一さんここここ、ここなにこれ何これあぶなぁああああ!!!」 吃る錯乱するこの季節に大汗を流す、伊月の取り乱しっぷりはある意味見物であったが、日本刀の鞘を探すと素早く鞘に仕舞い、鞘が外れないのをきちんと確認して、飾り紐で鞘と柄をきっちり縛った。ベッドの上であまりの出来事に動けない島村は、部屋の惨状に言葉無く、メスの貫通した本を手に取った。 「ご、ごめんなさ・・・。」 「島村君悪くないから!日本刀本棚の上置いとくとかどんな神経してんですか翔一さん!神経纏めて引っこ抜きますよ!!」 「あー、手伝う。」 少なからず血の気が引いた宮地は島村が起き上がるのを手伝ってやって、本からメスを抜く。 「念動力なんて、使おうと思わなかったら・・・。」 「かもしらんが、日本刀は完全にそこの腹黒眼鏡探偵の保管不備だ、安心しろ。」 「お客様怪我させるとこだったぁ・・・!」 伊月は島村の体を確かめるように、また労わるようにも撫ぜ、その不思議に充血する白目と青く光って見える光彩に、凝視っと見やった。 「眼が、青いのは生まれつき?」 「え、ううん、一ヶ月前から、青く光るようになって!これ凄いんだ。いじめっ子が不気味に思って近付いてこないんだ!」 頬を紅潮させて、苛められていた仕返しを考えている、と鼓舞した手を伊月が握る。 「俺、誠凛の医学科なんだ。」 「誠凛大学って入るの凄く難しいよね!伊月さん追いかけて頑張ろうかな!」 「じゃあ、まずその眼を治そう?」 終っ、と島村の頬から、興奮に赤くなっていた頬から血の気が引いた。 「な、なんで・・・?これ、今まで僕を苛めていた連中がっ、怖いって、言いだして・・・!」 「これは、青底翳、眼球の奥が眼圧の異常で光って見える、緑内障っていう、立派な病気だ。」 「うそ・・・。」 「俺は、自分が見た事に関して、嘘は言わない主義だよ。」 その通告に、島村は息を止めたようだった。 「このままじゃ失明する。眼圧異常で視神経が傷むんだ。眼と脳に関しては同じ年の同じ大学の誰より俺は研究してる。」 「うそ・・・じゃ、ない・・・?」 「こんな嘘、言わない!」 血を吐くように伊月は叫ぶ。島村の、視界におそらくまだ狭まるくらいであろうそこ、美貌を泣きそうに歪めて、その肩に縋るように手を当てて訴える。 「ど、どうしたら、治る・・・?」 「点眼薬を使って、徐々に眼圧を下げて、・・・それでも駄目だったら、俺がメスを入れる・・・。」 俺が、と覚悟のように伊月は膝に拳を作る。その真摯な姿に宮地は息を呑む。心理戦なんて莫迦みたいにやって来た。どう懐柔してどう落とし込むか、生きるか死ぬかの心理戦でもあったり、ただ味方が欲しいだけに葉巻の趣味を合わせたりもした。 「月ちゃんの腕やったら心配あらへんやろうけど。」 「買いかぶり過ぎですよ、翔一さん。まだ医師免許取れませんもん。間に合わなかったら俺のかかりつけに相談することになるけど、いい?」 「・・・うん、本音は、伊月さんに施術して欲しいけど。」 そこで笑った島村は、青く光る眼も笑みに細め、涙を拭って、年相応に笑った、怪奇現象を起こすとは到底思えぬ中学生は。 暫く大学の研究室や教授の所に入り浸る事になるであろう伊月は、きちんと島村親子に事の次第を説明し、半田宛に報告書を託けると、二人が路面電車に乗って行くまできちんと見送った。 「いい研究報告は出来そうですか、宮地さん。」 「まー、だな。目の前でメスとか日本刀とか飛び回ったし。あれ、本物?」 目の前で花宮が作ったそれを見せられてあれば疑いたい気持ちはわかるが。メスを片付けて、硝子の割れているケースに戻すのを手伝い、ありがとうございます、と頭を下げられれば、なんとなく宮地はその頭を撫でて、ば、と顔が上がったのに色素の薄い目が瞬かれる。 「宮地さん・・・。」 「お?」 「ど、独逸、なんて、い、行かないで・・・。」 「そんな顔されたら行きたくなくなるだろーが。」 ぴんっと弾いてやれば、にゃんっ、と奇怪な悲鳴を上げた伊月は、本棚に立てかけてあった日本刀を持つ。 「これね、凄い良い銘なんですよ。」 「うん?菊一文字、とか?」 そのままベッドの下にあった木箱を出すと、丁寧に綿で包むと仕舞い込む。 「日本人って面白い位に実直で克己的で、そのくせ遊びごころがあっていいですよね。」 伊月の言いたいことはさっぱり持ってわからない宮地はそのまま、作業台に腰を下ろすように凭れかかった。足の長さが本当に日本人離れしている。 「刃は凄く綺麗で、新鮮な野菜なら切ってもまた引っ付くんですよ。それくらい、見事、で。柄も綺麗に飾ってあって、鍔は梅の花を模してあるんです。」 「日本刀は芸術品だよな。軍隊のサーベルなんて飾りっ気なくておもろくねーわ。殺すための道具っての。」 「あなたの研究成果は、ひとを活かしますか。」 「・・・ふざけろ。」 世話になった、と宮地はそのまま今吉探偵事務所を出てしまった。出端に花宮が包んだ余りのアップルパイを持って帰ったらしい。相変わらずの甘党である。 「伊月、珈琲。」 「月ちゃん、晩飯どないする?」 「おさんどん疲れました!食べに行きましょう!翔一さんごちです!!」 「月ちゃん殺生!!」 珈琲は一応用意してやって、日の長くなってきた冬の夕方、馴染の定食屋に入る。大概にして今吉ら一行が入る時は他に客が居ない時間だ。親分、と今吉が呼べば、よー翔さん、と応えてくれる気安い店で、昼は定食であるが夕餉は注文して色々と作って貰う。 「あ、翔一さん、唐揚げ食べたいです。」 「今吉、月見うどん。」 「自分ら取りに来なさい!」 馴染んだ遣り取りに女将が笑って、お昼ののこりだけれど、と焼き魚をくれた。熱燗をあまり好まない今吉は日本酒を冷で。 「月ちゃん、お酌くれる?」 「よろこんで。」 御猪口に徳利で注いでいく様子は、花宮が砂を吐きたいほど様になる。 「今日はお疲れさん。」 「全くですねぇ。明日から出勤率落ちますね、俺。時給計算して下さい。」 「了解。誠凛でいいんだな?」 「うん、緑間総合に行くなら翔一さん通すから。」 伊月と花宮が明日の予定から明日からの予定から打ち合わせ、今吉はそれを情報整頓し頭の中に描くのみ、彼は書面に物事を記すのが苦手だ。 「翔一さん、明日も冷えます?」 「・・・明日からはそうでもなさそうやなぁ。」 中折れ帽を立った耳の裏に今吉は触れる。そこに、目立たないが内出血の跡があったのを伊月はこの間、本当に今日までの細工中、今吉を物理的に上から見る機会があって、発見してしまった。 「んじゃ、今日の報告あっから、俺帰るわ。」 自分の背後に何があるか、花宮は一切に隠そうとしなくなった。おそらく伊月も今吉も花宮の駒なのだろう。夕闇の暗くなる頃、店を出て言い合わせた訳でなく視線のかちあった今吉と伊月は、伊月が擽ったそうに笑った後、からりと今吉の下駄が足跡を刻む。事務所への道行、ただ並んで歩いた石畳は、二人のこれまでの日々とは反して恐ろしい位に平坦だ。 「ねえ、翔一さん。」 銀磴の下に真珠色の天使の輪が輝く黒髪が、艶やかに揺れた。 「なぁに、月ちゃん?」 いつかぜんぶおしえてね、とはきっと読まれている。 「今日の、日本刀降ってきたの、本気で死ぬかと思ったんですけど。」 「ああ、ワシも月ちゃん殺してしもた、後追いしょ、思うたわ。」 「後追いは俺の仕事ですよ。」 割と洒落にならない話題は、だって仕方がない。 「ほな、月ちゃんは明日から本格的に研究室入ってまうんや?」 「ええ、そうなりますね。水戸部は春からだってゆってたんで、俺が一番乗りです。もう実質正式に医学生名乗って問題ないです。」 「そうか、イッコ教えといたる。」 今吉から教わるべきことはきっとこれからも幾らもあって、共に学んで行くのだろう、共に歩いていくうちに。 「人間は絶対に死ぬ。割と悪運強いもんもおるけどな、死んでまうねん、誰でも。」 「はあ、知ってます。」 「ワシでも、月ちゃんでも、まこっちゃんでも。」 「っ。」 言葉を無くす、とはこれだろうか。震えた手を握り、伊月は真っ直ぐに今吉を見た。 「月ちゃんの親かて、お姉さんかて、婿さんやって、妹さんも、例外ちゃうよ。順繰りに、年寄りから子供まで、皆死んでまう。」 「わかって、ますっ・・・。」 島村の事も含めた言葉は、点眼薬が間に合わなければ、今この瞬間に伊月が死んでしまえば、様々な可能性を示唆してくれた。 「わかってます、よっ!」 「月ちゃん、阿呆やもん。わからんで。」 「俺っ、簡単に死んでやんないんで!」 「・・・ワシが死んだら?」 ふいっと貌を背けてしまった伊月はそのまま、背筋を凛と正して歩き出す。 「後追い、の前に、翔一さんのお葬式やって、お墓作って、最低でも一周忌やってやって、それからですよ、俺の事なんて。」 「かわええ嫁さん探しや。」 「そうですね、お嫁さんごっこするの飽きたら。」 ちらりと流した視線は艶っぽく婀娜っぽくもあるくせ、上品な気品ある黒曜石を思わせた。 「ワシの事は遊びやったん?」 「いや、その辺要らないんで。」 「そこは嘘でもそんなわけないやろ的な。」 「はいはい、遊びなわけないでしょ、翔一さんのばか。」 遊びで体もこころも開いてやって堪るか。肝心なところで読心してくれない、寧ろ言葉に出させるのを楽しみにする節がある今吉は、のらりくらりと狐に摘ままれるような日常は、もう泡沫に帰したりなんてしない。どの縁も伝っていけば、必ず今吉の意図が絡んでいる。 彼のいない日常は、もう、無い。 「月ちゃん、春んなったら、どこぞ遊びに行こうか。」 「あ、いいですね。遊びにですよ、遊びに。怪我したり調査したりは嫌ですよ。」 「あー、兼ねて、になるかもなぁ。」 「翔一さんのばか。」 「月ちゃんの阿呆。」 くしゃくしゃと髪を撫ぜられ、指通りの良い石鹸の馨りを堪能すると解放してやり、あまりの呆気なさに伊月のほうが戸惑った。 「不安があるなら言いなさい。何のためのワシや。」 瞬きを繰り返した後、耳が燃え上がるように、目元から一気に逆上せた美貌は、はくはくと薄いくちびるを動かしたが、結局言葉にならないで、こつり、額に今吉の鎖骨を掠れた単越しにぶつけた。 「翔一さん、の、ばか。だいすき。」 「そらおおきに。」 ところがどっこい素直になれない愛人は、そうやってちいさく愛を囁くだけで、肝心な部分は隠してしまう訳だ。ほんまにこの子は、と背を撫ぜれば、よく懐いた黒猫は、もっと、と首筋に強請った。 「なんや、でっかい子供やなぁ。」 「ふふ。翔一さんにだけですよ、こんなの。」 そのまま別れ際に一度視線を交わしたが、伊月の真っ直ぐな瞳に陰りは無く、おやすみなさい、と綺麗に笑ってAsylの方向に足を向け、振り返らずに歩いたのを今吉は見送り、ほか、と白く息を吐いた。 「月ちゃん、がんばりぃ。」 彼はもう、誰かに頼って支えられるだけでなく、支えて頼られる側に回ったのだと、密かな実感を今吉は胸に抱き、少しばかり子供が巣立った親の気分で、今吉は灯りの零れる孤児院を眺めた。今吉の下宿の周りにいた親の無い子供はこちらに住まいを移して、伊月が今吉の家に来る機会は減っている。 「月ちゃんはほんまに、女神かなんかみたいやな。」 与えるためにそこに現れた、宗教画の世界でも見たかの錯覚に、静かに今吉は踵を返し、足音を立てずに帝都の外れ、下町にまでのんびりと、酒精と戯れるような足取りを、ふと、止めた。 「・・・お前、なんしょんねん・・・。」 「水飴食うとる。」 シャツに掠れた単とよれた袴。擦り切れた下駄を毛羽立った足袋に引っ掛け、まるで今吉にそっくりのそれは、藍色のマフラーに顎を埋めていた。今吉の下宿の階段の下に、粗末な出で立ちに、視界の隅を薙ぎ払った刃物が舞った。 「おいこらぁ!今吉には手ェ出すなって契約したよなぁ!?」 「ザキ!?」 今吉を庇って立った作業員は帽子を取れば見知った顔で、仕込みの箒を振り回せばその獣のような身のこなしで逃げた人間は、獣のように笑う。 「契約、かぁ。確かに署名して捺印した。」 うんうん、と一人で頷くと赤茶けた毛先がぴょこんと尻尾のように跳ねる。 「それ盾にされると辛いなぁ、山崎。ほんならまた。」 「逃がすかっ!」 槍を持つ腕を捕まえたのは今吉だ。 「待て。契約って、何や。」 「えっ・・・。」 あからさまに狼狽した格好に、ぎちりと骨が鳴る。花宮の密約を話していい筈がない、と山崎は穂先を今吉に躊躇わずに向けた。 「お前らが監視しとんの気付かんワシか思うたか。」 「思いませんよ。」 引き攣った笑みが獣のようだ。今吉も獣じみた嗤いを零し、脱臼覚悟で腕を捻った、右肘の骨が嫌な軋み方をしたが、奥歯を噛んで耐えた呻き声を、嘲笑するような眼光に、思わず、戦慄っと背を駆けあがった悪寒に体を引く。 「忘れもんや。」 取り落した槍は仕込みに隠され、ただの箒になって帰ってきた。 「死なんと、帰りや。」 安穏としていたこころが、急激に冷えたその夜、今吉は堪らなくなって、生まれて初めて、寝入りばなだったのか、眠そうに、湯で温めた痩躯が、どうしたんですか、と怪訝に事情を乞うのを抱きしめ攫い、伊月に自ら愛を囁いた。 島村力は伊月との交友を経てから、奇妙な現象が起こる回数が徐々に減り、学年が上がる前にはペンの一つも、触らなければ動かすことは出来なくなったという。 今吉探偵事務所、明日も通常業務予定。 歪み始めた世界の中、彼はただ一つの真実を抱きしめる。 |
初出:2014年1月28日 20:02
このもとになったのはBJでした。ここまでなら世界観壊さずに行けるかなと。ギリギリのラインですね!ここ!!
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上記キャプションのようにBJで扱っていたのを自分なりにスライドさせたんですが、一番の発端になったのは秋に仕事中にカッターが降ってきたという事故からただで起きて堪るか!!というのが本当の種です。
20140421masai