あんたは部屋から出ちゃいけないの。
どうしても出たいと言うなら、夜中だけ、礼拝堂に行くことだけは許します。
「かあさん?」
私はあんたの母さんなんかじゃない。
「かあさん。」
母さんなんて、呼ばれる資格が無い。












今吉探偵と伊月助手と聖母の血涙。後編。












じりじりと煩い目覚まし時計に、さらりと美しい黒髪がシーツを滑って、朝日がきらきらと耀いた。
「・・・う・・・。」
「春さん、春さん。」
「うー・・・。」
「朝ですよ?朝ご飯食べそこなっちゃうよ?」
「・・・うん。」
おきる、とやっと起き上がった伊月春は黒髪を梳いてくれる櫛に、撫ぜられる猫のような心地でうっとりと、本当に『彼女』が猫なら喉がごろごろ言う筈だ。こてっとそのまま小さな肩に頭を預けて、やわらかなあまい馨りにうっすらと瞼が持ち上がる。
「・・・まい・・・?」
「春さん?」
「んー・・・。」
「起きなきゃ。」
「ん・・・おきてる・・・うん。おきるよ、まい。」
「ちょっと、舞ちゃんじゃないですよ、妹ちゃんじゃないです。宝生です。起きて、春さん。」
「・・・。」
ばちっ。
例えるならそんな音が脳に弾けた。顔と名前しか知らない少女の肩に懐いて何やってんだ、と腹の底にころりとドライアイスでも放り込まれたように爪先から背筋、髪の一筋まで綺麗に冷えた。
「うあ、・・・ごめん。寝ぼけた。」
「わかってる。」
くすくすと宝生は笑い、春さんの朝ご飯も確保しておくわね、ともうすぐに登校出来る恰好を整えて、そのまま部屋を出て行った。洗面所で歯磨きと洗顔を済ませ、どんな作りになっているのかは伊月には不明だが、頑丈にセットされている鬘には今回ばかりは感謝である。多分この展開を花宮は読んでいたのだろう。
「妹と間違うか普通。」
我ながらねーよ、と扉に気を遣いながら背を向けて着替える。室内での事故を防ぐために内鍵は無い。外からは出かける際に施錠出来るが、基本的に使わないと宝生は教えてくれた。まあ寮生の間で盗難事件とか嫌だもんな、と伊月は納得した。だが、つい最近まで内鍵はあったらしい痕跡は見つけた。
足元まできちっと整えて、勿忘草のバレッタで耳に掛かる髪は後ろで留める。よしっ、と恰好が整ったところで、扉がノックされた。
「おはようございます。」
「あ、宮前さん。おはようございます。」
「眠れまして?」
「はい、おかげさまで。宮前さんは?あと濱さんの様子は。」
「私は大丈夫です。濱さんは熱がまだ引いていなくって。」
休憩時間にでもお見舞いに行きませんか、と伊月が笑えば、宮前も肯首してくれた。伊月の笑顔で何かが吹っ切れたような、そんな様子だった。
「おはようございます、宝生さん。」
そのまま一階にある食堂に降りて、こっちです、と手を振ってくれた宝生は、宮前の同席に少々怯んだが、朝食を済ますと礼拝堂で各自祈りを捧げて当番は清掃だ。寮母に見送られて大きく扉を広げられた礼拝堂の中は、石造りの壁にステンドグラスとシンプルすぎる作りがしんと冷える。
「おはよう、御嬢さんがた。」
「おはようございます。」
用務員がバケツや箒を運ぶのに手伝ってくれて、受け取った箒の柄を軽く弾かれて顔を上げると、帽子のつばの下に更に前髪で目を隠した若い男が、にっと歯を見せて笑った。りょーかい、とくちびるを動かすことで伊月は応え、竹箒の柄に丸めて詰められてあった紙を取り出す。
《上下ナシ。周辺不明。古》
地下室も屋根裏も隠されていなかった、周辺は未だ調べている、という古橋からの言伝だ。塵と一緒に塵取りに入れて、きゃあっと悲鳴に伊月と礼拝堂入口の清掃に当たっていた数人の少女らが中を覗き込む。宮前がマリア像の前で祭壇を拭うための布巾を持って立ち尽くしていた。原も遅れてやってきて、隠してある目元を眇めた。
「貸して。」
伊月は宮前から布巾を奪って、マリア像の赤い涙を拭う。感触は水。臭いも無い。強いて言うなら少々金臭いが、血液のそれではない。液体が染み込んだ布巾を原に渡し、そのまま宮前の手を引いて礼拝堂を出た。過呼吸を起こしかけている。
「宮前さん、大丈夫。落ち着いて。」
指先に少し滲んでいる赤色は、拭うと消える。
「い、づき、さ。」
「深呼吸して?」
「・・・っ。」
ふ、と落ち着いた呼吸を彼女は取戻し、ぎゅっと伊月の手に縋った。細くて小さな手は簡単に伊月の手に収まる。冷え切ったその手に体温を分けるように握り返せば、じっと見上げられた。大丈夫、と笑ってやれば、少女は花が綻ぶように笑った。
「あれって結構あるの?」
「・・・最近、増えたの・・・。」
「ふむ。ちょっと調べようかな。」
伊月は線の細い顎を摘まんで、礼拝堂の入り口で固まっている一団に笑いかける。
「ちょっと待ってて。」
どこ仕舞ったんだっけ、と羽織の袂やら帯の前板やら探って、小さな紙片を取り出した。石膏像に近付く度に少女らは肩を寄せていくのが小動物のようでちょっと可愛い。伊月が摘まんだその紙は、ぺたっと石膏像の、赤子を抱く腕に貼り付けられた。じんわりと赤く染まった。
「な、なにそ・・・!」
「試験紙。この石膏像、結構不純物多いみたいだな。この学校も設立して五十年は経つよね。てことは、これも年月で朽ちてんじゃないかなって思ったの。そしたらこうやって、不純物が浮いて出てきてって感じじゃないかな。」
化学の基本だよ、とぴらっと紙を見せてやれば、あからさまにほっと安堵の息を吐かれた。
「この世で判明しない事なんて、ひとのこころだけで十分だと私は思うよ。」
そうして学び舎では七不思議が一つ消えた。そして増えた。
曰く、寮の使われない部屋が夜中に扉を開けるのだ。これはひょっとするな、と花宮が当てた見当は正しく、古橋はそこから半袖と半ズボンを数着、見つけてきた。残念ながら子供は見つからなかったが。
血涙のマリア像は世界各地に結構ある。マリアだけでなく、キリストも涙を流す。科学で解明されているものからされていないものまで、とそんな話を伊月は飽きるほどさせられた。二日目の収穫は特に無かったが、放課に花宮が教室まで伊月を迎えに来て、羨望のまなざしに花宮の猫を三匹ほど剥ぎたくなった。
「思ったより呆気ないな。」
「花宮先生、濱さんのお見舞いに行きたいんですけど。」
「おう、俺も行く。」
何故寮に入るのに花宮の許可が要る、と思ったら、そのほうが便利だと思ったから担当させて貰っている、としれっと回答が来た。ああそういう仕事だっけ、なんて花宮の隣の伊月は呆れきった。
「花宮先生と、どういう関係、なのっ!?」
寮の談話室で図書室から借りてきた本を読んでいるとそんな質問が飛んできた。夕食も入浴も終わってあとは寝るだけ、となっている少女たちは結構解放的だ。伊月は皆の入浴時間が終わってから清掃看板を掛けて、こっそりと利用することを学長から許可されている。遅い入浴時間が終わって、鷲の目は速読で本の半分ほどを消化させた頃の質問で、思わず本を取り落した。すっげー気になる所だったのに異常快楽殺人の心理、と思いながら座ったまま、仁王立ちで睨み下ろしてくる少女らに、あ、こんな目してんだろうな、とぼんやり思った。
「いえ、花宮先生も私が転入初日に赴任なさったので、新参者同士、というところですね。」
苦笑交じりにそう返し、でも、と言い募る少女に何だか嫌な予感がした。
「好きなひとはいるんですか、って聞いたら。」
おい、なにしくさった花宮。
「なんだか、伊月さんを見て、て・・・。」
なにしくさってんだ花宮。
「あの・・・ね?」
ああもう帰ったら覚えてろよ悪童貴様、なんて内心では頭を抱えながら。
「わたし、す、好きなひと、っていうか、恋人、いる、し。ね?」
「えっ。」
「どっどこの!?」
「どんなひと!!」
なんだこれ!と話題の舵取りを見誤った事に今更伊月は気が付いた。うわあ翔一さんの事聞きたがる時の姉貴の目にそっくりなんですけど怖いんですけど!!なんて半分くらいパニックを起こしている。
「と、しうえ・・・。」
しん、と談話室が静まり返る。間違ったか、と視線を上げると、きらきらと好奇心全面の瞳が待っていた。宝生さん助けて!と隣の椅子にいた彼女を見るも、にっこりと、話の先を促すように笑顔が寄越された。
「・・・う。話さなきゃ、だめ?」
「聞きたい!」
「どんなひと!年上ってどれくらい!?」
「優しい?」
「最後に会ったのいつ?」
うっわー・・・、なんて女学生の本気のハイテンションに伊月は若干達観した。
「う・・・ぇっと。ちゃんと年、聞いてないから、何歳上かは・・・わかんない。優しいけど・・・性格悪い・・・。えと、最後・・・は、ここ来る前に、ちょっと会って・・・。」
あの男を優しいとか表現できるお前の神経どうなってんの、と談話室の入り口で聞き耳を立てていた花宮は思った。今夜も礼拝堂で会議は待っている。
「皆さん、そろそろ消灯時間では?」
ぱしっ、と手を打った花宮に、耳元を真っ赤にしてなんやかや聞かれていた伊月の肩が大きく跳ねて、にっこりと笑顔のお手本のように笑った花宮はその顔色が更に赤くなったのにまた傷が開きそうになった。
「ふはっ・・・まじお前・・・っ。」
そうして仕事にならない花宮をほったらかして、今夜は古橋が進行した。原も加わって人口密度を増している礼拝堂の片隅は、今夜は交代制の不寝番らしい。寝袋が持ち込まれてある。
「子供の拠点は掴んだから、その内捕まえると思う。で、演劇部なんだが、伊月、もう一度行けるか。」
「行ける。どうして?」
「半月前に自殺した娘がいるだろう?」
平坦な声は淡々と、伊月を抱き込んだ腕の中に書類を用意した。顔写真と経歴と、享年。
「この、中江弘子についてもう少し調べて欲しい。」
「中江さん。」
確かめるように名前を読み上げ、経歴と写真をランプの陰が踊る中で観ていく。
「あ。」
「ん?」
「これだ。」
秋の総合文化祭の打ち上げに、トロフィーを掲げて笑う姿に見覚えがある。顔では無く、衣装だ。初日に演劇部に顔を出した際、着替えさせられた一品だ。将来は宝塚歌劇に、と将来の希望が、どうやら進路希望面談であろう、語ったと記されている彼女は黒髪をひっつめて細面の、目鼻立ちのはっきりした美人だった。身長は伊月より高かった。それだけちょっと凹んで、体重やそこから弾きだされた情報が連なる項目に伊月は眉を寄せた。
「・・・これ、本当?」
「ああ。」
「嘘書いてどうすんだバァカ。」
「どういたしまして!」
そこには学校での交友関係も勿論記されている。
「・・・瀬戸。」
「あるぜ。」
「・・・ありがとう。」
そちらの個人情報も頭に入れて、まじかよ、と伊月は頭を抱える。
中江は姉妹契約を結んであった。文芸部所属の、宝生という娘と。
「これ、仕組ん
「でない。」
「・・・そう。」
あーも、と伊月は本格的に頭を抱え、そういえば初日に文芸部に近付くなと言われたな、と思い出す。
「文芸部については無い?」
「文芸?何故?」
「いや、宮前さんが、ああ私のクラスの副級長の方なのですが。」
不意打ちを食らって花宮が体を折った。
「文芸部には近づかないほうが良いって言われたのです。・・・はなみやー息してるかー。」
「犯すぞお前。」
「俺で勃つんなら是非どうぞ。その後翔一さんの拷問が待ってるけどね。で、宝生は文芸部所属。文芸部の部誌は月一発行ね。過去ナンも読める限り図書館で読んできた。でも、作品目次にも奥付にも宝生の名前は無かった。」
はあ、と古橋が首を傾げ、あり得るのかそんな事、と瀬戸が呟き前髪を掻く。原はぷかぷかと風船ガムで遊んでいる。
「教員は俺が当たる。」
「じゃあ生徒は俺じゃん。お前一部に熱狂ファンいるから任せていいか。」
「ふはっ。しゃぁねぇな。」
悪辣に笑う姿はまるで蛇。つくづく人道が似合わない男だと伊月は思う。自分を抱きかかえている古橋も変態臭いと常々思うし、本当に何かに秀でるひとは変人や変態なのだと噛みしめる。
「じゃ、今夜は解散。お前等は、見張り、頼んだぜ。」
「おー。」
「おやすみー。」
夜は夜の仕事、昼は昼の仕事だ。
「どこ行ってたの!?」
「えっ。」
ただいま、も言えない内に、伊月は宝生に怒鳴られた。深夜をとっくに回って部屋も電気消えてんだけど、と伊月は月明かりが仄かに照らす室内で、ベッドに腰掛けてちいさく震えている肩を見てしまった。
「春さん、どこ行ってたの・・・心配するじゃない・・・。」
「え、ちょっと斉藤先生に数学・・・。」
数学担当の斉藤教諭は三十路前の女性教師だ。学長からの内々の指示で、伊月が免罪符に許される教師である。彼女が生徒に問いつめられても回避出来るよう、彼女にも伊月の名前を出されたら、自分のところにいたと答えるように根も這っている。
「斉藤先生が好きなの?」
「はえ?」
凄く想定外の言葉が来た。女学校マジ解らん、と戸惑ってしまう前に、ふと姉妹契約が過った。兄弟契約を真似た姉妹契約。英吉利のパブリックスクールの、上級生が下級生の手助けをして、下級生が上級生の世話をする、大雑把にしてしまえばそういう制度だったが、さて日本ではどうだろう。兄弟、という言葉は昔の男同士の恋人をも含めた日本語でもなかったか。
ああ、そういうことか、合点がいった。
「宝生さん。」
ぽろぽろと頬を滑る涙を優しく拭って、本当に妹の舞が幼い頃にしていたように、安心させるように抱きしめる。くっつきすぎたらばれるな、と伊月は内心苦笑しながら、細い手がぎゅうっとカーディガンを掴んで朝まで放してくれなかった。
「随分眠そうだな。」
「眠ったら何しでかすか解んなかった。」
「オメー寝起き悪いもんな。」
何があったか話さなくても理解してくれるのは有難い。尤も、花宮のそれは理解ではなく把握だが。事情を把握して、展開を読んで、そうしたら展開通りの行動に伊月が出た。それだけだ。結局昼食を採れば眠くなってしまい、丁度午後一の授業で花宮が講師を務めた授業で伊月は見事に寝こけた。そこで起こしてくれないのが花宮で、次の授業は瀬戸が来て、額を突かれた。しかも結構強く。反射とは恐ろしく、そのまま筆箱に在ったボールペンを伊月は翻して瀬戸は伊月の目に、伊月は瀬戸の首筋に、それぞれボールペンを突きつけるトンデモ展開が繰り広げられた。寝るんなら養護室行け、と殺気の滲んだ瞳で告げられ、あ、すいません、おはようございます、とぼんやりした頭で述べるという謎の遣り取りを繰り広げて、養護室では花宮が学長と何をか語り合っていた。そして今に至る。
「だからはなみゃー、寝ていいー?」
「いいですか、学長先生。」
「ええ、お疲れさまです。」
陽だまりのように笑うひとだなぁ、と伊月は思って、そのまま養護室のベッドに横たわろうとして、ふと口を突いたように問いかけた。
「姉妹制度って、恋人だったりすることもあるんです?」
「・・・あら。」
聖ローリエ女子高等学院以外にも、その制度を取り入れる学校はある。全寮制の男子校などは御本家パブリックスクールを倣って真面目に取り組んだりもしている。これを恋愛に結び付けるとは何事か、と叱られそうだが実際に、宝生の様子を見て思ったのだ。そして何より、宝生と死んだ中江は同級生だった。
「おい・・・。」
「まあ、時折そういう子達も中にはいますね。」
「はっ!?」
「あ、やっぱり。」
「私の時もそうでした。」
「はあっ!?」
猫剥がれたぞ花宮、と思ったが、学長の昔話では、彼女はこの学校の第一期生で、彼女自身には解らなかったが、同輩には確かにそんな者もあったと、そんな話だった。
「こころが出来上がら無い内での恋愛は依存です。」
「耳痛ぇんじゃねぇ?伊月ィ。」
「黙れ悪童。」
「でも、依存だってひとには必要ですよ。」
「依存に異存。キタk「黙れ女装男。」
「・・・うるせぇな。」
「もう寝ろお前は!」
眠気に不機嫌になって口汚くなりつつある輩を花宮は強引にベッドに詰め込む。
「仲が良いわね?」
「「よくないですよ!!」」
彼女にとって若造二匹は可愛くじゃれ合っているようなものなのだろう、くすくすと笑って、でもねぇ、と学長は懺悔のような声音で呟いた。
「中江さんには・・・申し訳ないわ・・・。」
そうして、暫し口を閉ざした。
ざあっと糸杉が揺れる中に男は立った。その敷地は広いのに、どこか狭苦しく陰鬱にも見えた。
「おおきにさん。」
「現地集合現地解散てか?アンタらしーな。」
傍らに立った色黒の警官から書類の入った茶封筒を受け取り、どないなもんかなー、なんて謳いながら終業の鐘を待つ。
「青峰帰らんの。」
「女学生だしな。」
「歪みなさすぎやろ。」
こう、と胸の辺りで手のひらで球体を遊ぶように動かしたが、念のためにもう一度、警官である。
「おお、出て来よる。」
カランカランと終業ベルは礼拝堂の上、修道女が鳴らしている。数人の少女らと校門で擦れ違って、期待外れだったらしく、青峰は、じゃーな、と素っ気なく帰って行った。
「さてっと。」
情報は揃った。人手もある。助手に任せっきりも少々憚られてきた。どうやら伊月はやらかしてしまったようだし、と今吉は中折れ帽を玩び、ぽすんと被った。
伊月は花宮と共に演劇部を訪れた。副部長の許可を得て、衣裳部屋に入った。
「ここか。」
「これだね。」
カーテンレールはポールに輪を通して布を吊り下げている形で壁から頑丈に設置されてある。その鉄で造られているポールの中央部分には不自然な凹みがあった。
「ここに縄括って、首吊ったんだと。」
「私も読んでおりましてよ、その資料。」
「お前わざとやってへんか。」
「あら、マジ切れモード?」
まあそうなんだけど、としれっと伊月は言い放ち、窓の向こう、校庭で佇む人影に、おい、と花宮を睨んだ。
「文芸部は?」
「その辺は午前中にちゃんと調べたよ。」
まったく、と嘆息して、踵を返した。
「文芸部は隠れ蓑だ。正式部員は十二名。生徒が知ってる表向きはね。」
「顧問に聞いた数は倍だった。」
文芸部。そこにいたのは、いじめが日常化された人物が所属する場所。しかし文芸部に入ると何故か苛められなくなる。何故なら文芸部部長は赤司の名字を持つ少女で、顧問は学長だからだ。学長は何度か中江を文芸部に勧誘している。勿論あらゆる妬み嫉みを一身に浴びた存在だったから。そして事態は最悪な方向に転がった。
中江は妊娠していた。
秋の総合文化祭の時にはもう腹が目立つようになっていた。王子の衣装のスラックスの、緩すぎた腰回りはそれが原因だった。
「おお、月ちゃん、まこっちゃん。」
ひょいっと帽子を脱いでいつも通り胡散臭く笑った今吉に、助手二人は顔を見合わせ肩を竦めた。全く仲が良い。
「月ちゃん。」
そして何を思ったか今吉はそのまま手を広げた。
うげっ、と伊月が呻いて、花宮を押し出す。
「な?え?なっ、こら伊月テメェ!!」
「つーきーちゃん。」
うぐぐと猫が威嚇するように花宮の後ろで伊月は唸り、スーツの裾を掴んでいる。見放したら泣きそうである。しかしここで巨大な問題が発生している。校庭なのだ。校庭のド真ん中なのである。つい数日前に赴任してきた、可愛らしい顔立ちの若い男性教師と才色兼備な外面の転校生は、妙な季節だとか突然だとか、あとは見目なんかも関係して何かと未だに話題の的だった。その二人が仲良く一人の男を警戒している。しかもいつも優しい先生は口汚くなっているし、いつも凛としている転校生は彼を盾にして怯えているのかなんだか、と校庭が見える場所からは視線が集まっている。
「おいこら。」
「月ちゃん。」
「あの眼鏡、俺には用無いみてーだし。」
「月ちゃん。」
「黙らせろ。」
「月ちゃーん。」
「関わりたくない関わりたくない!」
「つーきー?」
「いい加減にしやがれ。」
「月ちゃんやーい。」
「助けろ下さい先生!」
「腹黒眼鏡がいるってこた先生ごっこも終わりだバァカ!」
ふはっ、と吐き捨てるように笑った花宮は、ひょいっと伊月の縋る手を取り上げた。
「や、え?まじで?やんの?やんなきゃだめなの?」
「うっぜぇ。」
「月ちゃん・・・。」
「ほら、何かしゅんとしちゃってんじゃん。」
「月ちゃん・・・?」
「俊もシュンとしてるよ!?」
「月ちゃん。」
「あれはお前がやれば丸く収まる。」
ざっ、と御誂え向きに強い風が吹いた。糸杉の林がざわと唸り、ふわっ、と天使の輪色に耀く黒髪を靡かせた。
「・・・っ、しょーいち、さん。」
風に掻き消されそうに『彼女』は呟き、にこりと笑った男に、向き直った。凛とした横貌はゆるりと歪み、泣きそうに、もう一度、相手の名前を呟いた。
「月ちゃん。」
そんな風に、いつもと変わらない様子で男は笑うから。
「翔一さんっ。」
ブーツは軽やかに地を蹴って、何の柵も無く男の胸に飛び込んだ。鮮やかに抱きとめた彼は、その手を腰と肩に回し、胸に顔を埋められて、その鼻先を美しい黒髪に埋めた。
「はいカットー。おつかれさんしたー。」
「しょ、いちさ、はな、してっ!くるしいくるしい!!」
パンパンと手を打った花宮は抑揚なく言ってやり、伊月は抱きすくめられた格好のまま、骨が軋みそうにぎゅうぎゅうと抱きしめられながら喚く。
「伊月がその恰好したら毎回やってんな、今吉サン。」
「やらなあかんやろ、はいからさんごっこ。」
「知るかよ。」
「警察からも来たで、調書の複写。」
もぞもぞと伊月がその胸元から茶封筒を取り出した。
「い、伊月さん・・・?」
「あ、宮前さん。」
恐る恐る、といった様子で声を掛けてくれた相手には、だいじょぶだよー、と今吉の脇の下から手を振った。とりあえず放してほしい。
「翔一さん、放して。」
「えー?あ、オトモダチ?」
「宮前さんっていうの。いいひとだよ。可愛いし。」
「月ちゃんもかわええ。」
キスでも交わせそうな距離でそう笑い合っている二人に宮前含め、女学生たちは顔を真っ赤に染めて、一部ではきゃああと歓声が上がっている。
「あんな腹黒眼鏡でもいいのか?」
花宮は思わず近くにいた女学生に話しかけたが、彼女は花宮から声を掛けられたことで真っ赤になって答えられなかった。あかん、と素直に諦めた。
「とりあえずどうします。」
「学長さんに挨拶か、マリア像も見たいけどな。」
「では、礼拝堂へどうぞ。」
ざわっ、と人波が割れた。お待ち申し上げておりました、と学長は頭を下げた。
ほうほうこれが、と今日も赤い涙を流しているマリア像を今吉はしげしげと見つめ、礼拝堂の入り口には瀬戸も古橋も片やスーツ、片や用務員服で扉の両脇に突っ立ているようでさりげない警戒態勢では崩していない。
「断罪の時間や。」
暴れんなっ、と寮に続く扉から聞こえた声に、伊月がそちらに駆けた。原が顔を覘かせて、大丈夫か、と花宮の声に、ダイジョブ、と苦笑した。頬に引っ掻き傷を負っている。
「いやあああ!」
そして原が担ぎ上げた子供に、一人の女子生徒が駆けてきた。宝生さん、と伊月が咎めるように呼んだ。
「春、さん・・・っ。」
「どうして、名前を付けてあげなかったんですか。」
その子供は、横浜の倉庫街で両親とはぐれたところを連れ去られた、と花宮が今吉に渡されて読んでいる調書にはあった。痩せ細っているが写真の少年に違いなかった。もうすぐ五歳になる。
「時間はあるでな、のんびり話させて貰うわ。ああ、でも中江さんには謝らなあかん連中おるやろ、出て来い。」
あくまで、穏やかに今吉は述べた。血涙のマリアを背に、伊月を隣に立たせ、ミサの椅子には花宮が調書の複写を読みながら脚を組んで座っている。
「まあ、出て来たないか。月ちゃん。」
「推論ですが。」
伊月はそう前置いた。凛とした姿勢は崩さず、切れ長の鷲の目はぬばたま色の瞳で容赦なく狙いを射抜いている。
「この学校、いじめがありましたよね。まず、中江さんのケースが記憶に新しいのでは?率先していじめを行っていたのは?言いたくありませんか?では一生その罪を背負って生きて下さい。」
ここには血の涙を流す聖母がいますから、と伊月は冷笑する。
「画鋲は中江の置き土産だった。指紋が出た。」
「だそうですよ。心当たり、あるでしょう?」
調書が花宮から伊月に移る。彼の脳は凄まじい速度で情報を処理していく。
「なんや、勝手に礼拝堂に来てるってあったやん。」
「あれも中江さん。そして、宝生さんです。」
子供をその細い腕の中、びくりと細い肩が振れた。
「宝生さん、立って。貴女は誘拐事件を確かに起こした。貴女の事情はお話しますが、向こうのご両親がそれでも得心されない場合は実刑です。誘拐って結構刑が重いんですが、まあ未成年ですから・・・。」
少しの間耳を塞いでくれますか、と辛そうに笑ってくれた伊月に、黙って目を閉じて子供を抱きしめたまま、護るように自分と子供の耳を塞ぐ。
「寮の門限、どうして十八時になったと思いますか。冬になって日が落ちるのが早くなったから?去年はそうですか?違いますよね。どうして中江さんと宝生さんが知らない内に礼拝堂に連れてこられたか。どうして部屋の内鍵が外されたか、知っているんでしょう、貴女たちは!!」
徐々に語気が荒くなるのを止められなかった。推論は、調書の手によって真実だったと、判明した。
「男が五人、捕まりましたよ、全員。」
びくっ、と震えた肩の、伊月の記憶が正しければ、彼女は演劇部だった。
「五人中四人、まあもう一人は時間の関係で取り調べが出来てないそうですが、・・・。」
「いけるか。」
珍しい、花宮の心配そうな声に、く、っと伊月は顎を上げる。背筋を伸ばし、前を向く。過去に犯した罪に怯える彼女らに、道を示さねば、ならない。妹のような彼女たちに。
しゃらん、と作り物の黒髪が背に揺れた。
「中江さんは妊娠していましたよ。寮に無断侵入、させた連中がいたと、男たちは供述済みです。中江さんを妊娠させたのはその男たちです。彼女は直ぐに病院で検査を受け、妊娠が発覚。でも堕胎を選びませんでした。担当医の言う事ですと、私たちは子供が造れないから産むと、言ったそうです。そんな彼女を、彼女たちを、殺したのは貴女ですよ。覚悟をして下さい。過去は貴女を蝕む。」
真っ直ぐに、彼は誰かを見た。自分かも知れないし、隣の人かも知れないし、それでも黙っていじめを見過ごした、そのひとを。
「何故死んだか、死にそうな思いをさせられなければならないか、貴女は考えることも出来ませんか。考えて下さい。そして苦しんで下さい。彼女たちが死んだ事を、記憶に刻みなさい。・・・悔しいですが、もう、俺から言う事はありません。」
「流石、イイコちゃんは反吐が出る。」
「倫理では月ちゃんに敵わんなぁ。ワシら。」
らっていうな、と花宮が視線を逸らし、伊月の足元に座り込んでいる宝生の肩を叩いた。
「もういいぞ。よく耐えた。あとは謝りに行けるな?」
「・・・は、い。」
ぎゅ、っと得られなかった恋しいひとの魂を確かめるように、宝生は子供を抱きしめた。
「春さん?」
目元を真っ赤にして、睫毛に雫が輝いているうつくしいひとは、泣くのを耐えるように浅い呼吸を繰り返している。
「春さん、暫くだけでも、ひろちゃんが帰ってきてくれたみたいで、嬉しかった、・・・っ。」
ぐしゃりと美貌が嗚咽に歪んだ。
「ごめん、宝生さん。ごめんなさい。弘子さんになれなくて、ごめんなさい。」
愛しいひとには成り変われない、切なさが胸を握るように苦しくて、立っていられなくて、しょういちさんごめん、と呟くとそのまましゃがみ込んだ。膝に隠して泣くんやなぁ、と、今吉はぼんやりと考えた。
泣ける胸を貸すことが出来るのに、借りることが出来ない伊月の不器用さが美しくて、血涙を流す赤子を抱いた祭壇の聖母より、石造りの床にしゃがみ込んで嗚咽に震える肩を抱きしめて膝に顔を埋めて涙を噛みしめている彼のほうが余程。
日が落ち、生徒も帰るべき場所で体を休める時間に、陰鬱な空気の校舎前、学長が今吉と伊月と花宮を見送った。瀬戸と古橋は宝生を警察へ、原は次の仕事へ。
「こちら、謝礼になります。」
「ええんですか、ワシらのやったことで学校潰すかも知れませんのに。」
「ええ、私が出来なかったことを、して下さいました。」
深々と学長は頭を下げ、今吉は封筒の重みに目元を眇めたが、しゃあないな、と袂に押し込んで帽子を取って頭を下げた。伊月と花宮も続いて、特に二人は足元に大きな鞄を置いてある。
「閉鎖よりも解放を、私は望みます。」
「前途、応援しとります。陰ながら。」
きっと次の桜咲くころに、この学校は体制を変えてしまうつもりなのだろう。伊月は偽造の、といっても学校側がきちんと手配してくれてあった生徒手帳を無意識に握りしめた。
伊月春は、この事件をどう思うだろう。伊月はふと夢想する。自分ではない、子供を産める体を持つ、伊月春。強姦に孕まされた魂を、『彼女』はどうするだろう、それだけは答えが出ないまま、今吉の背中を追いかけて校門を出る際に一度振り返った校舎は、確かに自分が通った場所で、敷地の奥にある寮も礼拝堂も、暮らして祈った場所で、それには嘘は無い。神がいるなら、と少し馬鹿げた笑い飛ばせそうなそれでも切実な祈りを捧げてみたり、女の子のテンションで恋の話をしたり、恋をされたり、
「あれ。」
「月ちゃん?」
「あ?伊月?」
ぽつんと取り残された気がして声を上げると、やっぱり二人は少し離れた場所で、昇り始めた月を背中にこちらを見ている。
「・・・俺、男だって、言いました・・・よね?え。っていうか、流石に気付きますよね、皆さん気付いてくれてますよね!?」
「・・・ゆうてへんで?」
「宝生はわかんねーが、他は変な妄想しないなら気付かねェよ。」
校庭であんだけ派手にあんな茶番やっといて男同士カップルとか普通ねーよ、とさっさと歩き出した花宮に、嘘だろばかあああもっと早く言えよばかみゃー!!なんて伊月が喚いて、忽ち、間抜けだってんだよバァカ、助けてくれたっていいじゃんばか、と子供のような口論をしながら、とりあえず到着地点はいつも伊月が珈琲を用意してくれるあの部屋へ。喜劇は悲劇で出来ていて、悲劇は喜劇でしかない現実は、今日も今日とて残酷で醜悪で平凡で幸福で鮮烈で美しい。
「もー絶対女装やんないー!」
「宝生の面会は俊より春のが喜ばれるだろ。」
「あ、今度その恰好で熱海いこーやー。」
「新婚旅行か?」
「翔一さんも花宮もただのばかだぁああ!!」


今吉探偵事務所、明日も臨機応変運営予定。
有能な助手がどんなイレギュラーにだって立ち向かいますとも。

***

水戸部先輩お誕生日おめでとうございます!本編関係ないけど!!でも水戸部先輩だったらいつかこのシリーズに出せそうな予感がする!!というわけで服は着て!服は!!女の子がそんな簡単に肌を出すんじゃありませんって月ちゃんゆってた!!wwwというわけで今吉探偵空気なやたけたミステリ、後編行きます!!実はこのお話のきっかけは嫌われの流行と100質問の強姦関連に浮かんだ構想なんで事件自体は結構ありきたりで重いです。でも所詮私が描いた結果ですからねwww■タグありがとうございます!!私も春ちゃん可愛すぎて息が苦しいですwww新婚旅行とか画いてみたいっすwwwしかしすでにあっちこっち今月探偵旅行済みの件www■ブクマコメ毎度ありがとうございますー!誤爆事件これで時効にwwwならんかwww!またやらかしたらその時はよろしくお願いします!w(12/5

2012年12月03日 04:55初出。

これを発表する前に伊月絵茶やったんですが、これ打ちながらやってて見事にカーソル違ってんのに気付かずエンターを押し、次回予告誤爆事件を引き起こしました。

20121206masai