聖ローリエ女子高等学院。郊外に作られたその学び舎は糸杉が青々と耀く冬の日に、伊月が訪れた場所だった。
雪のちらつく白い校舎は、少しだけ年季があって、少し前に悲劇があった。
それは、喜劇のような悲劇の話。













今吉探偵と伊月助手と聖母の血涙。前篇。













いやこればれるだろ、やばいって、無いってこれは。
さらん、と肩を滑った黒髪がどうにも慣れなくて、それでも下手に触るとボロが出そうで、袴を捌く足を聊か速め、あどけなく笑う少女たちの合間を縫って歩くのは、家庭環境か、割と慣れた様子ではある。
「背高い・・・。」
ああほら!
「宝塚で土方役なんて、どうかしら・・・。」
「そこは沖田さんよ!」
だから!
「お声も低くいのに綺麗で、ねぇ。」
まずいって!
「凛としてらっしゃる姿は・・・。」
ゆったじゃんか!
「まるで男装の麗人!」
翔一さんのばかあああああああああああああああああああああ!!
「伊月さん。」
その腰まで真っ直ぐに伸びた美しい黒髪に勿忘草のバレッタを飾った長身の『彼女』は、聞き覚えのある声に恐る恐る振り返った。
「なんでしょう、花宮センセイ?」
高い位置に作った声音に、ひくっと花宮と呼ばれた男は頬を引き攣らせた。勿論笑いそうになってだ。呼び出しを食らった教職員室まで、あとは扉を開けるばかりとなった廊下の片隅、ここでは何ですから、と教職員室を通り過ぎた談話室に彼は『彼女』を招き入れた。
パタン、と静かに扉は閉められ、花宮は壁に背を預けるとそのままずるずると座り込んだ。
「ど、して、く、くれんの、おま・・・っ。おれ、まだ抜糸済んでねぇんだけど・・・!?」
「笑いたいなら腹の底からどうぞ大声で笑って下さいな、花宮センセイ。そんでそのまま傷開いて病院の消毒液臭いベッドにゲッダンしやがれですわ。」
「そのっ、こえっ・・・!おま、まじどうした・・・!!」
「・・・っせーな。翔一さんに目隠しさせてまで挑んだのに負けたんだよ。笑うな。いや、爆笑して傷開かせてもっかい花畑見て来い。」
因みに勝負はババ抜きだった。傷のせいで大きな運動が出来ない花宮はそのままひぃひぃとひきつけでも起こしたように笑い、ソファに座った。ん、と顎をしゃくって女物の着物に袴姿の鬘を被せられた伊月に着席を促した。
「なんっで俺。何で俺。」
「今吉にその恰好似合うと思うか?」
「どうして俺も教職にしてくれなかった。」
「瀬戸が間に合ったから。」
けろっと言い放った花宮は、ふむと頷く。
「うん、ちょい女学生としちゃ筋張ってるが、まあまあだろ。案外宝塚歌劇の土方役なんか似合いそうな?」
「お前、女学生と同じ事ゆってんぞ。」
「まじかよ。」
「まじですよ、センセイ?」
「ちょ、その声まじ止めろ傷開く。」
くつくつと喉を鳴らした花宮は、その妙に可愛らしいカバーが掛かっているソファにふんぞり返って脚を組んだ。伊月は膝に置いてあった教科書を捲って、折り畳んだ紙を狭いテーブルに広げる。
コン、と静かなノックの音に、瀬戸か、と花宮が言うでも無しに呟けば、足音無く入室した彼はスーツ姿で眼鏡を掛けており、ぐしゃぐしゃの前髪をざっくりと掻き上げた。
「やあ、伊月春さん?」
「どーも、瀬戸センセイ。」
韻で選んだ漢字はあまりに愛らしくて伊月は若干泣きそうだ。棘の生えた声音を瀬戸はひょいと交わして、花宮の背凭れに肘を置いた。
聖ローリエ女子高等学院は伝統ある、良家の深窓の令嬢が通う学校として有名だ。帝都の外れのその広大な敷地には四季折々の庭があり、生徒の大凡半数は寮生でもあり、英吉利のパブリックスクールを真似た姉妹制度なんてのもあったりする。今日から、『伊月春』はこの学校に転入してきた生徒であって、それがまた結構ふざけた設定をしているものだから伊月俊はいっそ笑い飛ばすかどうにかしてしまいたい。
曰く、伊月春は帰国子女なのだそうだ。伊月家の分家、伊月俊の母親の姉の義理の弟の従妹の母親の姉妹の義理の父親の姪、と割と訳が解らないがぐるっと回って本人である。十二年前に独逸へ越してから世界各地を転々としてきたらしい。誰だそれ。独逸語は専攻しているが他は少しの露西亜語と英語しか出来ない。
「いや、お前、『伊月』の名前を生かさない手はないだろう。」
「翔一さんみたいなことしないの、瀬戸。で?呼び出したって事は何か分かった?」
とん、と広げた敷地平面図を爪先で叩くと、大理石の表面がコツコツと鳴った。
事の次第はこうである。今吉探偵事務所に聖ローリエ女子高等学院名義で手紙が届いたことによる。裏を取りに古橋が調べたところ、学長自らが筆を執ったのだと判明し、許可を得てこんな事になったのだ。全ては今吉が悪い。月ちゃん女装するか、とか言いだした今吉が悪い。
「その前に、伊月、マリア像は見てきたか。」
「見て来た。昼の礼拝時間に生徒に教わりながら調べてみたけど、あれ、色水か何かだ。」
そして、事件の概要として一番は、敷地の片隅、寮の隣にある大きな礼拝堂の聖母マリアの石膏像が血涙を流した、という発端で、礼拝堂を夜中に彷徨い歩く子供が目撃されたり寮の自室で眠っていたはずが礼拝堂の椅子に寝転がされていたり、徐々に怪談じみた現象が起こっていて困っている、という。
「もう何日か観察しないとわかんないな。同室の子にも聞いてみる。」
「襲うなよ。」
「なんでそうなる。」
「襲われるなよ?」
「なんでそっちのが心配そうなんだ!!」
ったく、と痛んできた頭に指先をやって、自分の姿を顧みてまた溜息。
「なあ、ほんとに俺じゃなきゃダメなの?」
「俺らじゃ背がありすぎる。」
「俺だって人並みあるわ!」
周りがでかすぎんの!と不貞腐れて、数日の欠席を余儀なくされてきた大学の同輩や後輩が脳裏をよぎる。そういえば降旗と黒子とコガ以外皆俺よりでけーわ、と。籠球という競技も関係するが、何喰ったら身長貰えんの、なんて半ば真剣に唸っている。
「学外活動は?」
「一応、今日から幾つか見学してくる。どこか目ぼしい場所は?」
「演劇部は見て来い。」
ん、と伊月は広い紙の中にある演劇部が所有する部屋を確かめた。半月前に一人自殺者が出ている。思春期の女子、しかも隔絶された学校と言う施設は、華やかで陰湿だ。実際、伊月も廊下で羨望や憧憬の眼差しの中で幾つかの暗い視線を受けた。
「ブーツの調子は?」
「悪くない。」
「作ったのはザキ。」
「お礼ゆっといて。」
袴の下のブーツは飾り紐ではなく隠しファスナーで履く造りになっていて、下駄や草履より足元は安定するし、何より幾つかの仕込みがあるのがありがたい。紐が解けたと言い訳をしてナイフを取り出すのだって可能だ。
ぴりっ、と花宮の、瀬戸の雰囲気が一瞬強張った。扉の向こうの人の気配に反応して、花宮はポケットに手を入れた。よろしいですか、と声を掛けてきたのは五十代の女性で、瀬戸が扉を開けると、シスター服を纏ってぎこちない笑顔で立っていた。学長だ。
「では、本日から本格的に働かせていただきますね。」
凛とその場に立ち上がって、伊月は地声で述べた。綺麗な形のお辞儀に学長も返してくれて、にこっと笑った『彼女』に、花宮が半目で見やった。
「何か言いたげですね、『先生』?」
「いいえ、何も。それでは伊月さん、また後程。」
授業に遅れなければいいなぁと思っていた伊月は、教科書や教師の板書を見て、それは杞憂だったと安心した。予科の授業には遅れそうだが、高等教育としてはかなり高いレベルで授業は進行している。
「解らないところはありません?伊月さん。」
「あ、えっと、宮前さん。」
「はい。副級長ですの。」
終業のベルが礼拝堂の上にカランカランと鳴り響き、学外活動や帰宅に教室内はざわついている。クラスメイトの名前と顔は事前に把握済みだし、今朝の転校してきた際に一限目が終わってからは自己紹介と質問攻めの嵐を食らった。
「級長の赤司さんに代わって学内の案内でも、と思いまして。ご迷惑かしら?」
赤司征十郎の遠い血縁である少女はこのクラスの級長だ。おそらく学園内を牛耳っているのでは、と簡単に想像がつく。が、身体が弱く、秋から冬への変わりの際から寮の自室で療養しているらしい。
「あ、ではお言葉に甘えます。」
革製の上品な鞄を持ち、立ち上がればやはり頭一つ分、伊月の長身は目立つが、立ち居振る舞いが逆にそれを美女っぷりを惹き立てた。しなやかな長い指先までうつくしい所作で操り、絹糸のような耀く黒髪の狭間に覘く切れ長の目元は鋭利な刃物でも思い起こさせるが、ぬばたま色の瞳が時折切なげに揺れるので、どこか儚い印象もある。本人としては乱暴になりそうな動作を宥めるのに必死でなんでこんなことにと割とガチな悩みがあったりもするが、それが今の『伊月春』を尚美しく造っているのは皮肉な話だ。
「私は茶道部にいつもおりますの。庵は暖かいですよ。」
「あ、では今度お邪魔したいです。」
「ええ、いつでもいらっしゃって?今日はどこか見たいところはあります?」
「えっと、秋の総合文化祭で演劇部が好成績を残していたのは気になります。」
これは事実。それから仕事。
「弓道部も国体で好成績を出していましたよね、確か。」
「よく知ってらっしゃいますね。」
「あ、まあ、これから皆さんと一緒に学んでいくんだったら知っておかなくちゃって思ったんです。」
宮前は廊下を歩きながら、伊月の言葉を静かに聞いて、暫く沈黙してから。
「ええ。」
と笑った。歓迎します、と。
「他に部活動やサークルはあります?」
学校側の情報と生徒の情報で齟齬が無いか、伊月は好奇心任せに見せかけて踏み込んでみる。
「そうね、運動部でしたら、弓道、柔道、剣道、道のあるものは殆ど揃っています。文化部もそうですね、書道、茶道、香道、華道、と言ったところでしょうか。あとは同好会がぽつりぽつりと。」
「同好会・・・。」
「ええ、先に申し上げておきますね、伊月さん。」
正面玄関から少し離れた階段を上がれば上に演劇部の部室である視聴覚室に行ける。その踊り場で、人気が無い事を宮前は確かめて。
「文芸部には、近づいてはいけません。」
「・・・え?」
「行きましょう、冬休み公演の準備期間で忙しいと濱さんが言ってらっしゃいましたので。」
階段を上がりきって、四階。視聴覚室からは発声練習の発達な声が聞こえて、ぱちっと伊月は黒曜石のような瞳を輝かせた。
「濱さん、よろしいかしら?見学ですわ。」
「おや、宮前ちゃんじゃない!あ、噂の転校生さん!イヅキさん!」
「伊月春です。」
いい加減違和感の無くなってきた自分に違和感を覚えながら軽く会釈して、高い位置で髪を纏めた、部長の肩書がある濱は女性にしては背が高く、ぽんっと伊月の肩に手を置いた。
「いいねぇ、シュンさん。」
「は?」
突然の名前呼びとどこか強かなまなざしに、伊月はちょっと付いていけない。
「なー!此間の衣装、まだあったー?」
「えっ、どれ。」
「この総文にやった白鳥の湖!王子の衣装あったよねー!時間ある?着てみない?」
「ちょ、ちょ、まっ!」
髪纏めてー、うん寸法大丈夫だ、と濱は伊月の肩幅やら腰回りを近くにあったメジャーを当てる。そこは触られたらばれる!と焦ったが、胸ちっさいね、で済まされた。女学生とは気に恐ろしき。視聴覚準備室とは逆方向にある名前の無い部屋は演劇部が衣装部屋として使っており、危うく着物を剥かれそうになって、自分で着替えるから、と慌てて部屋を出て貰った。
「女装して男装て・・・。」
聊か笑えない冗談に、あ、やっぱ肩張るか、と思ったブラウスは面白いくらいにサイズが合った。思わず首を傾げると、あまりに自然と着れてしまったので一瞬気付かなかったが袷が男物だった。一度脱いでタグを確かめると、確かに紳士物として百貨店で買われている、伊月も洋装礼装に持っているものと同じようなそれだ。
「・・・なんで。」
ゆったりとする腰回りに、もっと鍛えよう、なんて思いながら、スラックスを穿いてベルトを通す。使われた形跡の穴の位置が随分と緩い。
「シュンちゃんー?」
「あ、もう大丈夫です!」
呼ばれて、ベルトをしっかり自分のサイズで通して、髪は後ろで束ね、タキシードを羽織る。
「んふふー。で、このマント羽織ってー!」
濱は随分と楽しそうに、渋みの濃いこげ茶のマントを取り出す。
「あ、いった。」
「え?」
「うわ、なにこれー。」
はい、とマントを伊月に手渡した濱は、伊月がそれを羽織って胸元のチェーンを飾ってやりながら、ほら、とマントを掛けていたハンガーを示す。鈍く光る針が外に向けて、画鋲がテープで貼り付けられてあった。
「え、刺したりとか・・・。」
「ちょっと掠っただけ。誰よこんなの!」
そのままテープを剥して画鋲はスケジュール表が貼られているコルクボードに刺し、テープは丸めて屑籠に捨てられた。まったく、と苛立ちながらも完成された伊月の恰好を見て、やっぱ私の目に狂いはなかったわー!なんてきらきらつやつやした彼女は伊月を視聴覚室に連れ込んだ。
「みてこれすっごい!」
「あらやだ、かっこいいですわ、伊月さん。」
「王子さまみたいー!」
きゃぁー!なんて騒いだ女学生に押されながら、伊月は少し笑ってみる。小道具を触っていた裏方たちもいつの間にか混ざって、半月前に仲間を亡くしているとは思えない長閑さだなぁと思わず遠くを見た。そして、いや、逆だ、とも思った。たった半月前にそんな悲痛なことがあったからこその、この空元気だ。冬の公演は一般人も招くと言うが、殆どは身内ばかりの自主公演だ。それに向けて遮二無二取り戻そうと、彼女たちは笑うのだろう。
「も、もう脱いでいいですか。」
「ん、いいよー。」
「失礼しますね。」
衣裳部屋に戻って、ふ、と呼吸を逃した彼は、とりあえず女学生に戻らねば、と開いたハンガーを幾つか取ろうとして、手を止めた。
「さっきの・・・。」
画鋲は、何だ。
脳がざわりと情報処理速度を上げる。鷲の目が見回した室内の、ハンガー、引出の取っ手の内側に、やはりテープで留められた画鋲が見つかる。
「やっぱり・・・でもなんで・・・。」
窓際にあった机にそれを撒き散らし、ひとつ、ハンカチに包んで鞄の隠しポケットに入れた。着替えて部屋を出て、入部しないのー、と強請る濱に手を振って、宮前のちいさな背中を追いかけるように階段を下りた。
「家庭科室へ行きましょう?」
「家庭科室?調理部ですか?」
「いいえ、お菓子作り同好会です。茶道部も時折お菓子を作って頂くんですのよ。」
ころころと笑った宮前が家庭科室の扉をノックして開けると、瀬戸がいた。
「あ、確か非常勤で・・・。」
「瀬戸先生?どうかなさったんですか。」
「糖分があるなら貰おうと思ってね。」
ジンジャークッキーを指先に掲げて瀬戸はそう語り、旨い、と零せば女学生は若い男性教師に色めいている。
「伊月はどうした。」
「宮前さんが、お菓子食べませんかって。」
「やだ、それじゃあ私の食い意地が張っているみたいじゃないですか、伊月さん。」
「え、違うんですか?」
そんな風にじゃれた様子に瀬戸が吹き出し肩を震わせているのに、後で遠慮なく蹴っ飛ばそう、と伊月は考えた。
「宮前さん、今日はクッキーです!」
「わあ、五条さん、いろんな形を作ったんですね!」
「うちの池田が見つけてきてくれたの。今度はこれで生菓子を作っておくわ。」
ちょこんっ、と頭を下げた池田という少女は、お菓子作り同好会会長の五条とは姉妹契約を結んでいるそうだ。
「相変わらず可愛らしい妹さん。」
「えっと。」
「伊月さんも、妹か姉をお持ちになればわかりますわ。」
「月に一度の姉妹会なんてとても楽しいですし。」
「いいじゃないか、伊月も。」
遠慮の言葉を選んでいると、瀬戸の悪乗りが来た。ああ処刑決定、と思ったら、悪い悪い、なんて手が掲げられたので思考パターンは把握されているのだろう。紅茶とクッキーで世間話に花を咲かせながら放課を楽しみ、冬場は十八時には門限の寮に戻る。夕食後は当番制で礼拝堂に祈りや掃除に行く。礼拝堂と寮は渡り廊下を挟む扉二つで繋がっており、出入りは自由。両方とも門限には正面玄関が施錠されるが、鍵穴にヘアピン一本で礼拝堂は出入りが出来ると今の伊月が証明した。
「内鍵ねーのな。」
「無いみたい。帰る時閉めといて。」
「了解。で?」
「一応演劇部。」
礼拝堂の片隅にランプを灯して、パジャマにカーディガン姿の伊月は、花宮と瀬戸、先ほど到着した古橋を交えて手帳を開いた。
がらんと広い礼拝堂はカーディガン一枚では少し寒々しく、ぱらぱらと手帳を捲る音がやけに響く。古橋は三つ編みにされた髪を横に流した剥きだしの白い首筋にマフラーを掛けてやった。
「これ。ハンガーとか引出の取っ手とかに貼り付いてた。テープが一部乾いてたから、半月以上は前。」
「ん、解析かけとく。何も塗られてねーな?」
「塗られてても半月経てば腐食す
「してても毒素は多少残っただろうがな。」
「被せ
「無理。」
ハンカチごと言づけて、くしゃっ、と小さくくしゃみをした伊月を古橋は瀬戸を睨み抱き込む。なにやってんのお前、役得、なんて遣り取りして、あ、そうだ、と伊月が花宮に向き直る。
「俺以外に、女装とかして潜りこんだのいる?」
「生徒に?」
「うん。え
「いない。演劇部の自殺した女生徒は、確かに背の高い、多分、伊月と同じくらいだったな、情報によれば。」
「それただ
「正しい情報だ。」
かぶせん、無理、とか遣り取りしつつ。瀬戸は昼間の伊月の決意通り、背中を蹴られた。件のブーツの威力に四人で目を剥いた。ザキの野郎、と瀬戸が呻いて、報告ここまでか、と花宮が伊月を振り返る。
「それじゃあ解散。襲われんなよー。」
「大きなお世話だ。」
礼拝堂の扉がこっそりと閉まり、外から鍵が落ちたのを聞き届け、伊月も踵を返した。ぱたぱたと軽い足音がした。
「・・・え。」
ランプを消した礼拝堂は酷く視界が悪く、ぱたぱた、足音か、と把握した伊月の目の前に、マリア像の前に、ちいさな子供がいるのに瞠目した。五歳前後であろう、髪はざんばらに乱れているが、桃色の頬にきょろっと大きな目が伊月を捉えると、弾かれたように駆け出した。
「だ、待って。」
誰、ではない。とりあえず捕まえよう。そうして骨と皮だけの痩せ細った腕に、戦慄っとした。
「おにいちゃん?おねえちゃん?どっち?」
鬘は三つ編みで背中に流している。このガキ、と伊月は内心舌を巻く。
「お前は、どこから来た?」
「おにいちゃん?おねえちゃん?どっち?」
「名前は?」
「あんた。」
「は・・・?」
あんた、って?と一瞬思考が止まった。
「あんた、ってお前の名前?あ、キタコレ。」
「きたこれ?」
「いや、何でもない・・・。お姉ちゃんは、春。君は?」
「しゅん?あんたは、あんたって、かあさんよぶから。」
「・・・かあさん?母親・・・お母さんはどこ?」
ちらとステンドグラスが輝いて、黒髪が碧く耀く。紅の欠片と金の欠片がちらちらと頬に散る。
「ねちゃった。」
寮生が寝静まるのを待っての伊月の行動は、既に深夜だ。目覚まし時計で起きれますように、とどこか場違いに願う。六時には起床、礼拝堂の清掃と朝食、始業の予定だ。
「・・・そうか。」
どこから入ったんだ、と思って伊月はその体温があるだけが生きる証のような手を放して、施錠された扉を振り返った。
「なあ、家に帰れな・・・。」
帰れなくなったんじゃないか、と問うはずの声は冷たい礼拝堂の空気に消えた。子供は、そのまま消えていなくなった。服装はこの季節に半袖半ズボン。性別の判断は付かなかったが、きっと怪談にされた子供だ、と伊月は弾き出す。幽霊では無かった。体温が手のひらに残っている。どこか外部から入れるのか、校舎内の役割が無い古橋に調べて貰おうと手帳に書き込んで、寮への渡り廊下に扉を開く。窓が締め切られた狭い通路は少々息苦しく、寮の一階ロビーに繋がる扉を開けた。
「きゃ!」
「うわっ!?」
ロビーを抜けて部屋に向かおうとすると、一人の少女とぶつかった。尻餅をついて転んだ彼女に、怪我はありませんか、と伊月は手を伸べる。大丈夫です、と少女はそのままロビーを駆けて、寮母の私室を乱暴にノックする。目を擦りながら出てきた寮母は迷惑そうに、どうしたんだい、と言うが、お医者さまを、と言葉で電話に走った。
「どうしたの?」
「あ、あのっ、三年の、濱さんが・・・っ!」
「濱さん?演劇部の?」
「っはい!急に苦しみだして!」
「・・・っ!部屋どこだ!?」
「案内します!」
寮母が医者に連絡をやって頷いたのを確認すると、少女は伊月を連れて三年が使用する部屋まで階段を駆けた。走るのを禁じられている敷地内をその広い視野は観て、深夜に明かりをつけた廊下に集まる生徒の顔が演劇部やクラスメイトの様々と合致するのを一瞬で確認。
「熱は?」
「は、はかってない・・・っ!」
野次馬を掻き分けて濱の手を握っている同室者に問う。妹分も来ていた。
「ちょっと貸して。」
うなされる額に、礼拝堂で体温を奪われて体感温度が馬鹿になっている手は袖を撒くって前腕の内側で確かめると随分と高熱が出ている。首筋にあてた指先は速い速度で血管に弾かれる。
手帳を膝に開いて、高熱、血圧、脈拍、と医学部で学ぶ専門独逸語交じりに数値を書き込んで、高熱でがたがたと震える右手の指先に絆創膏を見つける。脳裏を過るのはハンガーに仕掛けられた画鋲。
「あの、い、伊月さん・・・?」
「あ、悪い・・・。消毒液あるかな。」
鬼気迫る伊月の様子に少女は戸惑うように声を掛けた。低まっていた声にはたと我に返り、医者が来るまでどれくらいになる、と聞き、水分を含ませ、解熱を促すようにてきぱきと作業と指示をして、医者と一緒に来た花宮に、遅い、と怒鳴った。症状の粗方を説明すると、医者は伊月に礼を述べて最善の処置に掛かった。
部屋を出て、他の寮生は部屋に帰るようにと花宮は作った笑顔で、しかし警戒姿勢は崩さないで、濱の処置が終わるまで廊下で待った。
「ニコチンだった。毒素は殆ど腐ってやがったから、心配なのは破傷風だ。消毒してりゃぁいいが。」
「とりあえずさっきやっといた。」
「ふはっ。すげーな伊月お前、明日っからヒーローなんじゃね?」
「うっさい。致死量は無かったんだな?」
しつけーな、と花宮はその愛嬌ある眉を寄せる。ニコチン自体は殆ど成分としては残っていなかった、と解析表を見せてやった。それと濱の症状を照らし合わせて、死ぬことはなさそうか、とほっと息を吐く。
「は、花宮先生・・・?」
「お?数林か。どうした?」
部屋に帰れつったじゃねーか仕事増やすんじゃねーよ、と毒吐きが聞こえそうだなぁと伊月は思って、窓の外、暗い糸杉の林を眺める。ムササビか何かが木々の間を飛んだ。
「あの、えっと・・・。」
「ゆっくり、落ち着いて話せばいい。暫く一緒にいてやる。」
ちょっと何匹猫を被っているのか引っぺがして数えてみたいなぁ、なんて伊月は思って、それじゃあ失礼します、と階段に向かう。
「あ、花宮先生、彼のお子さんはお元気ですか?」
すうっと花宮の目が細まる。獲物が掛かるのを待つ蜘蛛のような眼光。
「気になるなら電話してやれ。あいつも喜ぶ。」
薄氷のような笑顔に、伊月も薄く笑った。そのまま階段を下りると、濱の妹分が伊月に縋るように見上げてきたので、今夜はもうおやすみなさい、と安心させるように言いやって、とぼとぼと肩を落として部屋に帰っていくのをどこか沈痛な思いで見やり、彼女が部屋に入って同室者と話をしているのを聞き届けてから一階まで降りた。
「お電話、お借りします。」
「はいよ。お医者さんはどうかね?」
「解りませんが・・・あ、あの、さっき私、礼拝堂で子供を見たんですが・・・。」
誰の、と寮母に聞こうと思った瞬間、彼女は顔色を失い、そそくさと部屋に帰ってしまった。
「ちぇ。」
そのまま電話の交換手に繋げてもらった番号から、鼓膜が破れるかと思える声が届いた。
『つっきっ・ちゃ――――――――――――ぁ―――――――――――ん!!』
「煩いですよ。時間考えて下さい。ただでさえこちとら入寮一日も経ってないんですからベッドも使ってないんですから煩いですよ。眠いんですよさっさとお話させて下さいませんかね。」
ノンブレスで言いきってやれば、やってやってぇ、なんて駄駄を捏ねる子供のように言われたので、チン、と受話器を置いた。
リャン、と鳴った電話を取る。
『ふざけ過ぎましたすいません。』
「解ればよろしい。お子さんお元気ですか?」
『なるほど?』
事柄関連には、こうやって隠語を事前に決めておいた訳だ。
「五歳になったんですっけ?今でも半袖半ズボンで走り回ってたりします?」
『性別は?』
「あら、それは知りませんでしたわ。」
『やばい月ちゃん勃っ「ではおやすみなさい?」
ある程度自衛しないとこちらが大変だ、と伊月は今吉のふざけた声音をぶった切る。
「ね、コバシさんはお元気です?」
『古橋に用事か?』
「だって、お子さんに次いつお会いできるか知れませんので・・・。」
『礼拝堂周りか。』
「そうですね、戸締りはお気をつけて。」
『鍵は仕舞っててんな?』
「はい、頼りに出来そうな先生もいますし、大丈夫ですよ?」
『あの三人が見逃すとか、んな阿呆な話あんのか?』
「ではこちらに来て下さるんですか?十八時には門限ですが。」
『了解や。古橋が調べに行く。見取り図はこっちにも来てるから安心せぇな、月ちゃん。』
「あら、本当ですか?ありがとうございます。」
『月ちゃん。』
微かに相手の声音が濃くなった。おい、と思ったが。
「はい。」
『好きや。頑張り。』
「・・・。」
『月ちゃん、大好きや。おやすみ。』
「あ・・・っ。」
おおやすみなさい、と思わず返答の声が揺れ、通話を終えて、腰抜けるかと思った、とロビーの椅子の一角に蹲るように座り込んでいると、ゆっくりと足音が聞こえた。相変わらず足音のしない奴だ、と思って、伊月は顔を上げると医者に頭を下げた。
「いやいや、お嬢ちゃんの判断と処置と報告がなけりゃ、あの子は危なかったよ。」
ほんとうにありがとう、と頭を下げられて、一介の医学部所属大学生は慌てて首を横に振った。
「あ、の、濱さんが、助かって・・・。」
「うん。」
「よかった、です。」
「うん。そうだね。」
それではしっかりお休み、と医者は寮を出て、足音のしない花宮は伊月の隣に腰かけた。
「数林さんは?」
「惚れた腫れたと忙しいね、女学生は。」
「えっ。まじでか。何匹も猫を被ってらっしゃるからでしょ。私から見たらただの性悪だわ、花宮先生なんて。」
「やめ・・・傷開く・・・!!」
「わざとやってんんだ察せ。」
やっと伊月も安堵の息を吐き、腹を抱えてぶるぶるやっている花宮の肩をぽんと叩いた。
「では、おやすみなさい。」
「おお、よく休めよ・・・ふっ・・・ふはっ・・・。」
あいつあのまま笑い死にそうだなぁ、なんて考えながら、伊月は階段に足を掛ける。初日から随分目立っちゃったなぁ、と考えながら、重たい鬘に指を通す。何度か任務を共にしているのでさらりと三つ編みの紐を解くと応えるように解けて揺れた。
「宝生さん。」
同室の少女は同じクラスの、目立たない位置にいる少女だが、先ほどの騒ぎに起きており、なかなか部屋に来ない伊月の事を待っていてくれていたようで、ただいま、今夜からよろしくお願いします、と笑えば、部屋のミニキッチンに走って、ミルクとはちみつを混ぜて煮たそれをマグに注いでくれた。
「伊月さん。」
「ん?なぁに?」
「マルヒってノート、何?」
「ん?見る?」
大きめの鞄にひとつ、下着の代えやアメニティを突っ込んであるそこに無造作に置かれた手帳は無駄に目を引く。三桁の数字が表紙に書かれたノートに示された興味に黒曜石の瞳はきらきらと輝いて、宝生はそのノートを捲った瞬間に飛び込んできた、綺麗な文字が綴った下らない駄洒落に、うっかり笑ってしまった。駄洒落が面白かった訳では無く、こんな美女がこんなノートを三桁数字に達するほど駄洒落を考え付いて書き留めている事実がとにかく可笑しい。才色兼備に見せて伊月春は残念すぎる。
あっ笑って貰えた!というような伊月の表情が可愛らしくて宝生はくすくすと静かに笑い、これとか自信作、と語る残念な美女とはすっかり仲良くなった。


続く。

***

またまたやってきましたやたけたミステリ!もういくつ目だよいい加減にしろよと思ってたら絵チャで今月モア!!ってなったんで調子に乗ってますwww伊月の名前が尊敬する某さまのにょたちゃんと同じで危うく「物書きは宇宙から同一電波を受信している」都市伝説を信じかけましたwwwてゆかぶっちゃけ誰か翔一さんと月ちゃん下さいwwwww自家発電もええとこすぎるやろwww絵茶ありがとうございました!色んな方に来ていただけてまじ幸せでした!!これがうっかり誤爆ったあれでございますwはなみゃーも復帰しましたよー!!■タグ弄りありがとうございます!!今月探偵シリーズそこまで好いて頂けて嬉しいです!!服は着ろよバァカ!風邪ひくぞ・・・ってまこっちゃんゆってましたよ!!wwwもっと!?いいんですか!?調子に乗りますよーwww(12/3


2012年12月02日 22:47初出。

タグが豪華になってビビりました。小心者なのでw

201206masai