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昔々、とても人望のあるお侍さんがおりました。
お江戸のお城に招かれた際、その人望を羨んだ別のお侍さんが刃傷沙汰を企み起こし、人望のあった彼は切腹して死んでしまいましたとさ。 お侍さんの部下は大変悲しみ、切腹させるようにお沙汰を出したお城にも、勿論他のお侍さんにも警戒されました。部下を率いた筆頭家老は特に監視の目は厳しかったのですが、毎日のように遊び歩き、放蕩を尽くしました。 そんな様子に、いつしか周りもその警戒を解いてしまい、緊張の紐が緩んだ隙、時は元禄、とある冬の日の出来事。 四十七士に追い詰められた吉良上野介義央は、その場で首を落とされ仇討と言う名目のもと、殺されてしまいましたとさ。おしまい。 今吉探偵と伊月助手と官軍の初詣。前篇。 毎年元旦、近所のカメラ屋の主人を呼んで、玄関先で家族写真を撮って貰うのは伊月俊が物心つく前からの習慣だ。 「寒い・・・。」 「兄貴だらしねー。」 「舞は口汚くなったね。」 なにをー!と膨れた妹も正月だけの金色刺繍の入った晴れ着を着ていて、先程一通り父親に褒められてきた。 「お前も年頃なんだし、もう少しお淑やかにしてたらね。」 「兄貴が口煩いよ姉貴―!」 「こら。」 「舞の言葉遣いはあんたのせいもあるんだからね、俊。」 「自分の責任も認めていなくはない、と。」 「・・・俊が口煩い。」 姉と兄のいる妹は結構な放任主義の下で育っている。外面は姉や兄を見て育ってきたので要領も良いしよく笑う器量良し。中身はざっくばらんに、豪華絢爛なお着物よりも動きやすいシャツとズボンや短めのスカートを好む。今は萌葱色に紅梅の咲いた振袖を翻している。姉は藤色に寒椿でこの春に母親から下がった銀糸の蝶を帯にしている。伊月は蘇芳の袷と生成りに紺の縞が入った袴に家紋の入った羽織を着ているが写真を撮り終って速攻純白のマフラーを巻いた。普通は紋付にマフラーなんて邪道も良いところである。 今吉探偵事務所は大晦日から三箇日は休む。伊月も大晦日は大掃除の済まない事務所から遅くに帰宅して、日付が変わるかどうかにいきなり今吉が訪ねてきたと思ったら、除夜の鐘聞きに行かんか、と来たもんだ。事務所の大掃除も終わってないのに本気かと伊月は呆れ、お蔭で今朝の時間は結構厳しいものだった。地方の分家から親戚を迎える準備にうつらうつらと参加して、手早く支度を整えて家族写真、これからお節料理を神棚から下げて朝食となる。 「月ちゃん、おはよーさん。」 「・・・来たよ妖怪・・・。」 「聞こえてるでー。」 あらあら今吉さん、と母親が頭を下げて、あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします、今朝はご飯どうなさいました、昨夜は俊の面倒を預けて仕舞ってご迷惑では、とつらつらどこから出ているのか文句を連ね、流石の今吉も苦笑する。 「紋付やん。」 「まあ、仮にも長男なんで。数えの十五過ぎたら着せられました。」 「元服基準か。えらいもんやなぁ。綾ちゃん、舞ちゃん、お年玉いるー?」 「ひとの姉妹を気軽にちゃん付けで呼ぶんじゃありませんよ、翔一さん。姉さんもお年玉って年齢じゃないですし。」 「あ、お気遣いありがとうございます。俊は後で覚えときなさい。」 「わぁ!ありがとうございますっ!」 「お雑煮でも食べてらっしゃいます?」 「あ、ええですなぁ。」 こうなったら今吉のペースだ。伊月は姉に小突かれながら諦めた。 「月ちゃん、後でお詣で行こ?」 「朝食、つか昼食終わってからでいいです?」 「えー!兄貴、一緒に明治神宮行こつったじゃん!」 「舞が欲しいのは財布だろ。姉貴や伯父さん達と行きな。今年も行くって仰ってらしたから。」 こっちです、と玄関を渡して、普段より靴の多い玄関先に今吉はまた苦笑した。 「どうしました?」 「いいや?月ちゃんはやっぱ伊月の長男なんやと思うてな。」 「そうですか。お雑煮、二種類ありますよ。」 「ほらまたなんで。」 「翔一さん、来ると思ったから。」 来なかったら事務所に持って行ってましたけど、とも照れ隠し気味に。雑煮や汁粉は地域によって大きく味が違ったりするので、上方の人間らしい今吉への気遣いだろう。 「ほな、それはまこっちゃんにも食わしたろ。ワシは伊月の作法に従うでな。」 「あ、はい、解りました。」 伊月は一度廊下の奥まで静かに駆けて行って、紋付羽織を錆色の羽織に着替えてくると広間に今吉を通した。親類の集まるそこは硝子の嵌った縁側に続く窓辺から、獅子脅しの音がする。 「俊、これ持ってってー。」 「りょうかーい。翔一さんは母さんのがいいって。」 「あら、フられたー。」 「花宮さんにも持ってけってさ。明日にでも事務所に差し入れるから、器代えるの頼んでいい?」 「ん、頼まれました。お父さんから伯父さんの順番でね。」 「はいよ。」 下座で申し訳ありませんが、と綾に座布団を差し出された今吉は、ええよ、と軽く笑って勧められた酒に猪口を早速貰ってしまった。 「父さん、空きっ腹にお酒はどうかと思います。」 これだよ、と父親は兄弟に笑う。 「あけましておめでとう、俊君。」 「おめでとうございます、伯父さん。飲み過ぎたら伯母さんに叱られますよ。」 おや本当だねぇ、なんて兄弟は揃って笑って、しゅんにぃしゅんにぃ、と親戚の子供が袴に纏わりついて、注がせて頂きますよ今吉さん、と伊月の父に徳利を差し出されて新年の挨拶を卒なく述べる今吉は、俊君ええこですやん、と笑った。ワシには勿体ない助手ですよ、なんて。親戚中が集まった家のピークは昼過ぎだ。特に子供たちは半端が無いが、伊月は今吉の誘いでそれからは解放された。 「今年も俊をよろしくお願いします。」 「いや、こちらこそですわ、それ。去年はえらい迷惑しといて年賀状も出さん不精もんですんません。今年も何ぞ、俊君の糧になればええと思て、契約更新させて頂いたんと・・・まあ、本音は俊君がおらんと情けない事にウチの事務経理が回らんので。」 あんじょうよろしゅう、と今吉はいつもの掠れた単に寄れの残る袴に毛羽立った足袋と擦り切れた下駄という恰好で、中折れ帽を取って頭を下げた。 「しゅんにぃ、どこいくの?」 「ん、あのひとと初詣。」 「なんで?」 「だぁれ?」 「お仕事の雇い主さんでお友達の今吉さん。初詣に誘われたから行ってくる。お母さん達の言う事、ちゃんと聞けるひと!」 「はい!」 「はーい!」 「よし、行ってきます。」 「ほな、お預かりします。」 草履の足元を整えて、玄関の扉を閉めると家族全員の名前が書かれている表札の下に注連飾りが目に入る。 「・・・誰が作ったん?」 「さっきお話してらした、俺の伯父に当たるひとです。稲作と酪農をしてらっしゃるんで、毎年作って送って下さるんですね。」 「ええなぁ。」 「いいでしょ。」 大人同士の遣り取りも、大人と子供の遣り取りも、子供たちの幼い遣り取りも。どれも、今までの生きた道程で捨て置いて来た今吉に、伊月の家は眩しくて暖かくていけない。決まり悪そうに頭を掻いた横貌に、伊月は苦笑気味に笑った。 「また、夕食もどうぞ?少なくとも姉貴と母は喜びます。」 「お義父んにはしっかりご挨拶せなあかんやん?」 「今、漢字変換おかしくなかったです?」 道行は徒歩。路面電車は元日を休む。八百万は元日に働かせてはいけない。お節料理だって元を正せば元日に台所の神を休ませるために大晦日に保存食を作っておく習慣に元担ぎが進化したそれだ。 からりからりと軽い下駄の音に連れられて、行き着いたのは帝都の裏通りにひっそりと佇む神社だが、それなりに参拝客はいる。御守りも御御籤も売られており、無料で汁粉や甘酒も配られている。 「甘酒いる?」 「はいー。冷えましたー。」 白い息で遊びながら、純白のマフラーに埋まる真っ赤な鼻先を突いてやれば、くすくすと伊月は笑った。 「御御籤と御守りは?」 「要ります?」 「ワシは要らん。」 「じゃあ参拝終わったら行ってきて良いですか?」 「どれ買うん?」 「安産ですね。今回身重で来れなかった方がいまして。」 「ほーか。汁粉は?」 「あったけー。ありがとうございます。」 配ってくれた巫女に頭を下げて、人波に紛れ込む。これは体重気を付けなきゃだぞ、と考えながら伊月は汁粉を含み、ほっと息を吐いた。他愛ない雑談はいつものことで、ゆっくりと進む参拝客の列は進んでいく。 直後に肩にぶつかってきた衝撃に眉を寄せ、月ちゃん、と今吉に手を引かれ、冬の空を劈くような子供の泣き声に弾かれるように二人で顔を上げた。 今日のために磨かれている参道に血飛沫が散って、女が倒れているのを子供が縋っている。気付いた群衆はその光景に、包丁を持って立っている男に悲鳴を上げて、参拝の行列は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。 「どこだっ、どこだぁああ!!」 男の怒鳴り声で再び日常を切り裂く悲鳴が上がって、刃物は振り回された。簡素な単姿の男は無茶苦茶に腕を振り回し、殺してやる、隠しても殺す、と叫んで、宥めようと近付いた神主に切りかかる。巫女も行き場を失くして長い髪を振り乱して、参拝客を落ち着かせるには逆効果な声音で騒ぎ立てた。 「にいさん。」 隣に居た男の肩に今吉が手を置くと、大袈裟にびくつかれた。 「ちょお、これ預かっといて。ほんで、そっちのねえさん、お巡り呼んできて。正月警戒でその辺ぶらつきよるわ。」 「あ、はいっ!」 女は慌てて駆け出して、男の手に渡された二つの碗には中途半端に汁粉が残っている。悲鳴渦巻く中で迅速に指示を終えた今吉は、しゃがみ込んで脚の筋を伸ばしている伊月を見下ろす。 「月ちゃん。」 「どこまで行けます?」 「肩くらい貸すで。」 「了解しました。行ってください。」 「ほいよ。」 軽い調子で返答をしながら、今吉は刃物を振り回す男の背後に下駄の音もさせずに近寄り、振り回された右腕を取った。指先に刃物を捕まえ、肩越しに振り返った男にはにこりと胡散臭く笑うと薬指の付け根から手首にかかる位置に指の先を減り込ませた。 「づっ!?」 腕に走った激痛で男は包丁を取り落し、今吉を血走った眼で睨み、ぎりと奥歯を噛む。 「慣れない履物なんで。」 たっ、と軽い音を足元に、その影は冬の空に躍り上った。 「手加減できなかったら。」 美しい黒髪は、冬の澄んだ空気に銀色に煌めいて残像を残した。 「ごめんなさい、ね!」 ゴリッ、と鈍い音が響く。その肢体は今吉の肩に手を置いて、にこりと美しく笑うとそのまま中空で姿勢を横倒し、踵を思いっきりその暴漢の首筋に打ち込んだのだ。 「あ、防弾チョッキ着てんじゃないっすか、ずっりー。」 ばさりと袴の裾が宙を泳いで綺麗な折り目に戻ったのは、腕を引かれた今吉の胸だ。姫君でも運ぶような形に抱き上げられて、衝撃に飛んで行った草履はそのまま伊月の胸に落ちてきた。 「紐下さい。」 「覚えとる?」 「覚えてますよ。ふざけんな。ちょっと変なとこ蹴った気がするんですよ・・・。」 「大丈夫か?」 「だからちょっと診てみますって。警察来たら対応してくださいね。過剰防衛になんないといいな・・・。」 賽銭箱に前歯が折られた男はそのまま苦しそうに呼吸はしており、伊月はそれを引きずって人波から避けると今吉から教わった、もがけばもがくほどきつく締まる縛り方を後ろ手に男を拘束した。練習の今吉と花宮以外には初めて対人で縛った。 「大丈夫ですか?」 倒れ伏していた女性は脇腹を刃物が掠っていたが、出血の割に傷は浅く、布を当てて幾重にも布を巻いた。毎日清潔にして病院にも行ってください、と指示。彼女自身と子供が落ち着くまでは布団を用意して横になって貰った。正月休みで病院はまだ営業していない。腕に布を当てている神主の腕はざくりと広い範囲に綺麗に割れて出血も多い。肩からきつく止血して、お神酒で消毒した裁縫の道具を借りてぱっくりと割れている傷の中央とまた傷の端から縫い目までの中央と合計三か所応急処置として縫った。麻酔も無しに、と申し訳なさそうな伊月に、戦地で撃たれた傷に比べれば全く痛くは無い、と神主は豪快に笑った。それでも三箇日が終わったら病院に行ってください、何でしたら紹介状書きますから、と言い募って伊月は簡易の手当と診察を終えた。使わせてもらった部屋は社務所の裏口で、境内のほうへ出てみると男は項垂れながら両側を警官に固定されて連れて行かれるところだった。 「ラッキーゆうんもおかしいけんど、青峰が番に残っとった。過剰防衛にはならんやろ。軽い状況説明にだけ行ってくるわ。そこの角のポリ箱な。じき戻る。」 「解りました。」 いってらっしゃい、と手を振れば、あのう、と声を掛けられて、冷めきった汁粉を渡された。一部始終を見ていた神主が、もう一度温めさせましょう、と巫女を呼んだ。 「ありがとうございます。」 「これ、本当に病院行かなければならんかい?」 「行ってください。俺は応急処置しか出来ません。」 包丁はあちこち掠ってボロボロだったし縫合も裁縫道具使ったから感染症とかも不安なんです頼みますから、と伊月は年嵩の頑固さに少々挫けそうだ。 境内はまた賑やかさを取戻し、片手は布で固定された神主が足場用だが、と腰掛を持ってきた。だから血の巡り速くなったらやばいんすから止めて下さい、と伊月は思わず半泣きになった。参道の血飛沫は早くに流され、伊月は座り込んだそこでマフラーを巻き直した。 地を蹴って、今吉が後ろ手に寄越した片手を借りて宙に上った、ヒトの脊髄反射では最も弱いと言われている頭上からの攻撃。まあまあ成功。 巫女が温め直してくれた汁粉は明らかに量が増えて餅も入っていた。まあ仕事じゃないし、と伊月は有難く受け取って、暴漢撃退と怪我人の処置に出た汗が冷える体に暖かい甘味を垂らし込む。 ぱちぱち、と手の弾む音がした。 「ん。」 箸で摘まんだ餅がよく伸びる。ふつっと千切れた頃にその人間は笑った。少年、というには華やかで、女性、というには粗野。男性というほど雄々しくも無く、少女というほど儚くもない。子供というには落ち着いていて、大人というには迫力も無い。 無造作に伸ばされた髪は肩の所で一つにまとめて、今吉と似たような跳ね方をしている髪は毛先が赤茶けている。紋付き袴という様相だが、家紋は狂という漢字を丸で囲ってある。どこの傾奇か数奇か婆娑羅、と伊月は思った。 「先ほどはお見事でしたなぁ、おにいさん。」 「・・・どうも。」 喋りの訛りは上方。茶色い光彩が、にこっと笑った。猫のような眼だ、というのが伊月の印象だった。 「ここであの糸目の兄さん待ってはんの。」 「そうです。えっと・・・。」 「お隣構へん?おねえさん、汁粉貰てええかな?」 はいはい、と巫女は穏やかに汁粉の入った碗を手渡し、また次の参拝客に配って回って、抱えていた丸盆が空になると御守り受け渡しの窓から新しく受け取る。神社の鳥居の所にも碗を回収している巫女は居る。 「さっきの立ち回り見事やったわ。」 男か女か、大人か子供かも解らないその人物は、汁粉に息を吹きかけながら語る。 「ああ、自分、天野ゆうねん。覚えたって?」 「伊月です。上方の方ですか?」 「うん。つい最近こっち来てな。折角やから地の神さんにも会うとこー、思て。そしたらあの騒ぎや、お兄さん見事やったなー。捕まえた糸目さんも勇気あっけど身軽にあんだけ動けるんは素晴らしいで。」 かっこよかったで、とも。 「怪我人の手当でもしはったん?」 「え。」 「羽織の袖。血ぃかすっとるよ。」 「あ、まじだ。」 手当は羽織を脱いで袷に襷掛けで行ったが、どこかで飛んだのだろう。幸い、錆色に混じって帰路にはそんなに目立たなそうだ、と伊月は安心しつつもどこか違和感に、餅を器の中でくるりと回した。 「なあ、忠臣蔵、知っとる?」 「赤穂浪士ですか。」 「博識な子ぉは嫌いやないよ。」 「いや、この辺は一般常識かと。」 最近はそんなジョーシキも知らん非常識多いんやで、なんて天野は笑った。 「・・・天野・・・。」 「ん?」 「天野屋利兵衛、って忠臣蔵にいますよね。四十七士じゃなくて、武器商人か何かで。」 「詳しいな!」 きらっ、とじゃれる猫の様な目で天野は笑った。 「おるで。笞打ちで肩の皮膚から肉から骨まで砕かれて、石抱きで脚砕かれて、海老責めで内臓潰されて、天井からの釣責めで全身の関節が砕ける。終いには目の前で子供が焼かれる始末や。そこで飛び出した言葉が?」 「天野屋利兵衛は男でござる!」 「ええノリやん!」 ぱちぱちと、膝に碗を置いた天野は手を弾いて笑う。 「いや、上司・・・あの腹黒眼鏡なんですけどね。あのひとも時々妙なノリ遊びするんで。」 「腹黒眼鏡て!」 あっはっは、と晴れがましく笑った天野は、一頻り笑った後、真っ直ぐに伊月を見た。 「利兵衛はなんであっこまで出来たんやろ。一介の商人やで?拷問で生き残ってから、忠臣蔵の事件から更に三十年生きとる。えらい根性しとるもんやで。」 そうですね、と伊月は餅を食んだ。もくもくとあまい米の味を堪能して。 「手伝いたかった、んでしょう。浅野内匠頭長矩に忠誠を誓っていた、赤穂の浪士が、きっと格好良かったんでしょう。武士への憧れもあったかも知れません。だから、手伝いたかった。急な沙汰で殺された主の仇を誓った彼らを、利兵衛は愛したんですよ。」 「子供は目の前で鉄板に乗せられてんで?」 「それでも。彼らに協力できるなら、自分はどうなってもいい。意志を貫いてくれ。俺はあの台詞を聞いてそう感じました。」 「随分な身勝手やん。」 底冷えするような声音で、天野は汁粉を啜った。 「確かに大坂商人の誉れや、ゆう言い方もあんで?でもな、よお考えた事あるか?浅野内匠頭は、ほんまに仇討して欲しかった思うか?当時の切腹かて武士の誉れやろ。所詮講談で脚色されたエエオハナシやん。」 「まあ、そう考えると。」 そんな言い方をされてしまえば、脚色された物語しか知らない伊月には言えることが無い。舞台などでは復讐劇のあったその日に雪が降る演出は多いが、どんな歴史の資料を漁ってもあの日に雪が降っていた史実は見つかっていない。過去は残酷で傲慢だ。 「あれは、江戸時代に上演される際には室町に時代を変えたらしいですね。幕府反旗だとかで。」 「せやで。よう御存じやわ。」 あとは吉良上野介義央臣下にとっても赤穂浪士は敵や、と天野は続ける。 「勧善懲悪なんて、お芝居の中だけですよ。」 「ふうん?」 「世間は色々なひとで溢れていて、吉良は状況だけだと野党に襲われたも同然ですし。実際そういう意見も審議では出たと記録があります。」 「うん。自分、伊月のこと、好きやわ。」 「はあ・・・?」 「好きか嫌いかでええんよ。伊月は知識も自分の考えもしっかり持っとる。気に入った。あんじょうしたって。」 「あ、こちらこそどうも。天野さん。」 「で、その天野屋利兵衛やけどな。」 どうして掘り返すのだろうか、と伊月は首を傾げた。 「自分のご先祖があの男や、ゆうたら信じる?」 「・・・さあ。証拠でもあるなら信じます。俺は基本、自分の眼で見た物や事しか信じません。天野屋の家紋も諸説ありますしね。天野屋利兵衛に関しても事件とは無関係である史実もありますし?」 「あは。かっこええなぁ。」 他にも七十四士と言えば前原伊助の存在もありましたねぇ、だとか、赤穂浪士や新撰組や、過去の英雄たちの物語を幾つか語って笑った。 「正しいとか正しくないとか、間違うてるとか間違うてないとか、そんなんはどうでもええねん。研究したい連中はしたいだけ研究したらええ。問題は好きか嫌いかや。研究もそれが好きやからするもんやし、議論はあっても討論は要らん。座談でええ。人生オモロく生きてなんぼやん。伊月もそう思わん?」 「ですね。そうじゃなかったら俺も勉強や仕事はしません。」 「ん?お仕事何してはん?学生さんに見えるけど?やっぱお医者さんなん?」 どう話そうかな、と一瞬迷った。 「俊!」 「あ、翔一さん。お疲れ様です。」 今吉の背後を鷲の目が見やるに、どうにも人波を掻き分けて駆けてきたようで、参拝客の一部が迷惑そうにこちらを見て去った。僅かに上下している肩に、走ったのか、と伊月は考えた。 「何の用や。」 「え?」 真っ直ぐに睨み下ろす剣幕に、伊月は思わず肩が跳ねた。そして、違う、と隣を見た。 「天野、さん?」 「お連れの兄ちゃん帰ってきはってんな。ほなら自分は失礼すんで。またどっかで会おうや。」 「あ、はい・・・。また。」 ぴょこんと身軽に立ち上がった天野はまだ汁粉が残った碗をその場に置いて、そのまま歩き去った。凝視っと今吉の眼鏡の奥で鋭い眼光が天野の背を追うように睨んだ。 「俊、あれと何の話した。」 その低い声音は人波を睨んだまま発された。 「あ、っと。さっきの見てたみたいで、その辺の話と、後は世間話ってとこですけど?」 「なんもされへんかったな?」 真剣な瞳が見下ろして、天野が放置した碗を巫女に返す際、今吉はその汁粉の表面を少し揺らした。 「月ちゃん、汁粉寄越し。」 「え?」 新しいものをお持ちしますね、と巫女が下がって、伊月は碗をそのまま取られてこくりと一口含んだが、ほっと息を吐くと伊月に返した。 「なんですかもう。巫女さんに気を使わせたでしょう。」 「お持ちしました。怪我をした女のひとは、先程取り調べを受けられに警察の方と帰られました。」 こそっと教えて貰って、今吉は先ほどまで天野が座っていた場所に腰を下ろした。 「住所はお巡りにでも聞けばええか。まあ、あの男の様子やとどうもならんが。」 「どうでした。」 「さあ。まあ、暫くは拘留されるやろ。」 「さあって・・・。」 無責任な、と頭を抱えそうになって、はたと伊月は顔を上げて汁粉を啜る今吉に目を向けた。 足音が、天野はしなかった。今吉も時折下駄の音さえ消して歩く時がある。先ほども暴漢を拘束する際には足音を綺麗に消していた。アンタッチャブルな気配に、すっと伊月の脳が冷える。 「ま、あんじょうなるわ。処置は上手く遣ったみたいやけど、月ちゃん羽織汚してるやん、ええ色やのに勿体ないのぉ。」 あんじょうしたって、と天野の声が再生される。目立たない血痕を指摘され、怪我をしたのかではなく、怪我人の手当をした、と言い当てられた。 糸目の兄さん、と天野は今吉を評した。今吉の周りには、眼鏡と評するひとは多いが、糸目の、と評する人はなかなかいない。 「・・・腹黒眼鏡。」 「はぁ!?」 突然の罵倒に今吉は目を剥く。 「って、よく言われてますよね。」 静かな言葉を伊月はほぼ無意識で紡いでしまった。 「・・・せやな。」 「糸目とか狐目って、あんまり翔一さんには言いませんよね。」 「・・・何が言いたい。」 すうっと眇められた目に戦慄っと背が冷えた。 「俺が訊いて、翔一さんが答えられるのは、どこまでですか。」 あぐりと今吉は餅を口に入れた。珍しく大口を開けて咀嚼する姿に、伊月は瞬く。いつもと様子が、違う。どこがどう違うのかは、上手く表現できないが。 「あんまり、詰問とか、俺、嫌いなんですけど。」 「嫌いなことはせんでええ。」 好きか嫌いかだけで世間は十分だ、と天野は言った。 「今吉翔一は、俺が・・・俺が知ってる翔一さんは、」 「月ちゃん。」 くっ、と喉仏を圧迫されるような、そんな空気に白い息が細く流れた。 「それは、ここでしてもええ話か。」 言われて、伊月は汁粉に目を落とす。自分でも信じられないくらいに泣きそうな顔が小豆色の水面に浮かぶ。 「月ちゃんに泣かれたら、ワシはなんもでけんなるよ。」 あんなぁ、と優しい声音に伊月はくちびるを噛みしめる。 「勝てば官軍、負ければ賊軍、ゆうやろ?この言葉は英吉利から入って来たと言われとる。一種の合理主義や。でも、ワシの解釈はちょっとちゃうねん。勝ったら官軍になれる。負けたら賊軍でしかない。でも、賊軍かて軍やねん。賊軍なりの根性やら誇りやらあって、また立ち向かって官軍になれる、っちゅーてワシは思う。ほら、この国の昔の侍とか兵隊なんかあれやん?負けたら腹切ってそこで終わりや。首落とされて殺される。でも、今はちゃうやんか。戦争で負けた国の捕虜でも占領下でも大事にしよるやろ?官軍は賊軍を護る義務があって、賊軍は官軍に従う振りをしながら虎視眈々と機会を狙ってる。どうや?」 わかります、とちいさく頷いて、伊月は目元を拭って顔を上げた。随分と冷めた汁粉を飲み干して、ご馳走様でした、と巫女に声を掛け、神主にはもう一度通院への注意喚起。 「御守り買って、帰ります。」 「ん?おいでや。聞きたいことあるやろ?」 ここで頷いても良いのだろうか、と伊月は逡巡する。 「両隣が帰省してもて寒いし。」 「じゃあ、お雑煮持って伺います。」 「うん。」 そうして御守りを無事購入し、伊月は一度帰宅した。 「・・・そう、だ。」 事務所に連絡を入れたら同僚が腹を空かせているらしいと言われた、なんて嘘八百を掲げ、宿泊してくる旨を家族に伝え、ふと伊月は思い出す。 「どこだって、ゆってた・・・。」 あの男は、何を、誰を、探して刃物を振り回したのだろうか。 続く。 |
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あけましてどうもです。昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。■タグありがとうございます!!あけまして、お待たせしました!!
2013年01月01日 00:04初出。
個人的には新章突入やってみようかなという。今のところ決着見えないんですけどw
20130118masai