私立海常大学付属高等学校。体育会系に力を入れたその高校の籠球部には、伊月が尊敬する一人の男が所属していた。
硬派な風格と言えば通じるか、同輩の森山由孝に言わせれば女が苦手なだけなのだが、籠球という競技においては尊敬するプレイヤーであり、キャプテンシーも年齢にしては相当だ。
この秋の国体を期に引退し、付属大学への進学を既に決めている彼は、今日の練習試合では、応援の声が出ていない、と後輩を叱咤する姿が認められた。













今吉探偵と伊月助手と不思議な花瓶。前篇。














冬期休暇が始まる直前の日程に組まれた練習試合は、前半は一年のスタートで度胸を試させ、後半に伊月と日向の投入、という形で点数としては辛い勝利だった。秋の国体の後に痛めた膝を施術した木吉が参戦できなかったのが大きな穴だった、頼り過ぎだ、と課題を残して、着替えて解散の形と相成り、挨拶をして体育館を出た所で黒子と並んで末尾を歩いていた伊月は笠松幸男から声を掛けられた。
「あ、こんにちは、笠松さん。」
「ご無沙汰しています。」
「よ。透明少年も健在だな。あとはDFもうちょいってトコか。」
「かっさまっつさーん!」
「あー!高尾っちずるー!!」
「・・・黄瀬・・・はともかく、高尾?」
「高尾君ですね。どうしたんですか。」
よう、と声を掛けてやれば、一年二人は犬猫のように懐いてくれる。ぷくっと黒子が頬を膨らませたので伊月はその頭も撫ぜてやる。
「偵察でっすよー!海常対誠凛。見ないわけには行かないっしょ、秀徳の司令塔はこの俺よ☆」
「お前も相変わらずだな。」
黄瀬はこの秋の国体に練習過多で途中交代の憂き目にあっているので、今は役者本業傍らの部活動は本格参加出来ていない。どうやら秋の温泉旅行はその膝の治療も兼ねていたらしい、とは風ならぬ花宮の噂。
「で?笠松さんはどうしました?」
「ああ、司令塔会やるぞってよ。福井が正月は田舎に帰るから、その前に騒ぎたいんだと。」
年末のオヤジか、と笠松はその短髪を掻いて太い眉を寄せて言うが、籠球で司令塔をやる連中で暇があれば集まる、というのは時たまやっている。日向だって合宿所が度々重なる秀徳との合宿で緑間と話し込んでいたりもするので、そういった横の繋がりも少なくは無いのだろう。まあ、司令塔会と最初に命名して借り切った料亭の一室で連中を集めたのは中学で籠球は趣味程度にしてしまった赤司だったが。彼の場合、籠球部の面倒は見るが試合には参加しないスタンスらしい。因みにそこで花宮と顔を合わせた初回、伊月は色んな意味で顔が引き攣った。
「場所は?」
「赤司君に連絡します?」
「いや、春日に連絡したら、クリスマス期間、帝都のホールで食べ放題やってるらしいからよ。」
それに合わせて集合だとさ、と甘味はあまり好まない笠松は苦笑気味だ。
「解りました。笠松さんと福井さんと春日さんと俺と・・・花宮、って所ですか。」
「そうだな。降旗もいけるか。」
「俺は大丈夫です。フリは聞いときます。高尾も来る?」
行くに決まってんじゃないっすか☆なんて陽気な彼は相変わらず、今度は黄瀬が拗ねたが笠松は放置した。
クリスマスは欧米から渡ってきた文化である。靴下を置いてあればプレゼントを寄越してくれる精霊と、その神を樹木などで星を飾って祝う一種の神事だが、日の国は元々樹に精霊が宿る道があったため、定着は簡単だった。
「伊月―!黒子―!」
「はい、主将。」
「あ、待ってひゅーが!黒子、先行っててってゆっといて。」
後半をこそっと耳打ちのように言いやれば、はいと頷いた黒子は素直に先輩や同輩と合流し、相田がこちらを見たので軽く手を振っておく。
「黄瀬、練習戻れ。」
「え?あ、はいッス。」
名残惜しそうに黄瀬も体育館に戻り、さて、と伊月は企むように笑った。
「本題は何でしょう?」
「流石。」
鷲の目は伊達では無い。時折、話があると訴えるような視線を寄越す笠松の存在をきちんと捉えていた訳だ。
「ここではまずいっしょ。」
「だな。」
高尾も幾らかの詳細は知っているようで、伊月は現地ミーティングを終えたチームメイトと別れると笠松と高尾に連れられて一つの喫茶店に入った。笠松があまり好まない、可愛らしいモダンインテリアの喫茶店では一人の少女が待っていた。
「あれ、笠松さん、女性恐怖症治ったんです?」
「恐怖症じゃねーし。」
まあ座れ、と。そして三人分の紅茶が運ばれてきて、彼女は頭を下げた。
「従姉の亜麻美羽。亜麻家は知ってるか、伊月。」
「ちょっと待ってくださいね。」
すいません、と前置きして、伊月は黒革の手帳を出した。
「・・・俺の記憶が正しかったら、一年前に陶芸家の亜麻泰寛氏が、えっと、百二歳で大往生なさった亜麻家ですか。陶芸の一家だと。」
「話が早いな。」
「ね、やっぱ正解っしょ?」
「高尾煩い。」
「そうです、和成さん。」
「ちょ、美羽ちゃんまで!相談したいっつーから紹介したのに!」
亜麻家の美羽嬢の隣には高尾、伊月と笠松は対面に座り、ひとくち紅茶をストレートで含んでから伊月は砂糖とミルクの量を選ぶ。
「相談って?」
きょとりと首を傾げた伊月に、そこはほら、と高尾が片眼を瞑る。
「笠松さんが困ってんの、見過ごせないじゃないっすか。んでほら、いまよっさんに相談するんだったらどの道カネ必須っしょ?だったら伊月さん辺りが良心的かなって。」
「ふうん?金銭云々は良い判断だね。翔一さんは気に食わなかったら値段が法外だから。」
気に入ったり気が向いてたらロハだけど、とは一応黙っておく。じゃあまずは、と口火を切ったのは笠松だ。
「泰寛は一応俺の母方の曾曾祖父に当たる。亜麻家の分家だな、笠松も、まあ。」
笠松の家は代々体育会系の教職か選手か軍人だ。彼は現在教職目指して勉強中、という訳だ。話は逸れるが伊月の家は代々様々な分野の人間が多く、高尾の家は江戸時代から続く建築屋だ。
「んで、美羽ちゃんは此間、課外講義行ったこっちの芸大で意気投合しちゃったの。うっかり。」
「ええ、うっかりでした。」
「美羽ちゃん、容赦ないね。」
「こっちの、って?」
「海常総合芸術大学。彫刻、陶芸、建築っとまあ立体造形系なら何でもござれ。俺建築設計士目指してるんで。」
「ん、じゃあ本題は何かな?」
粗方メモを終えて、伊月は手帳を閉じて万年筆のキャップを閉めるとテーブルに置いた。
「亜麻泰寛の隠された作品が見つかりました。」
「見つかった、だけ?」
美羽嬢はこくりと頷いて、上品な所作で紅茶を含む。
「はい。遺品を整頓して、形見分けも済ませました。そうしたらつい三日前に、泰寛の部屋の屋根裏からひとつ。」
「泰寛と美羽さんの関係は?」
「私は亜麻泰寛の玄孫に当たります。」
「形見分けに集まったのは?これは好奇心だから別に話さなくてもいいですけど。」
「あら。」
ふふと笑った美羽嬢は、そうですね、と指先を顎に持っていき。
「百二歳という大往生でしたから、幸男さんもいらして下さった葬儀もゆったりとしておりましたし。あ、でも父と伯母が揉めてはいましたね。」
「理由をお聞きしても?」
すぅっとその切れ長の目が、獲物を見つけたように眼光を鋭く変える。美羽嬢はその美しい瞳に一瞬魅入ったが、伏し目がちに少し声を落とした。
「身内の恥部ですので・・・情けないお話ですが、泰寛の作品はどれも高値で取引されます。最期の作品を誰が貰い受けるのか、それを揉めました。この間裁判が終わったところで、結局伯母に譲られましたが。」
「裁判沙汰に?」
伊月は再び手帳にペン先を滑らせ、要点を纏める。
「ええ、情けない事に。」
「どうして決着は?」
「父が手放しました。」
「金銭で決着では無く?」
「はい。嫁に行った伯母よりも、この目で多くの作品を見てきたから、と。」
ふむ、と伊月は線の細い顎を摘まむ。
「それで決着していたと思ったら、かーらーのー!」
「高尾!」
「和成さん、今から説明しますから黙って。」
「ほーい。」
すんません汁粉ひとつー、と高尾は給仕に注文して勝手に食っている。後でなんか食おう、と笠松もメニュウを睨んでいる。
「そして決着がついたと思ったら、出てきてしまった、という?」
「簡単に言うとそうなります。」
「見つかった切欠は?」
「電気の配線を最近触ったので。」
「どのような品ですか?」
そうですね、と美羽嬢は少し言葉を選びながら。
「こう、下のほうが広くなっていて、一輪挿しの太い造りのような。捻じれのような造形が造られた花瓶です。」
「現品を見ることは可能ですか?写真でもいいですが。」
「あ、はい。大丈夫です。」
解りました、と伊月は手帳を閉じてにこやかに笑った。
「そして現在はそれの相続で揉めている、という内容でよろしいですか?」
「はい。祖父母はもう、好きにしなさいと言う様相で、やはり伯母が。」
遺産相続系か、と伊月は腕を組み、きらきらと耀くプラチナブロンドに紫色の瞳を思い出した。そういえばこの間赤司経由で手紙が届いていたらしいが時間の都合上、未だ読めていない。
「サンドイッチで良いか。」
「え、あ。はい。食べます。」
裁判記録は花宮辺りに頼めば手に入るか、と伊月は考え、それでは一旦この件はお預かりいたします、と美羽嬢には頭を下げた。よろしくお願いします、と彼女にも返されてどこか面映ゆい。
帰路は高尾と同じ列車に乗った。
「どー思います?」
「まあ、遺産相続云々は置いといて、亜麻泰寛の隠された作品ってのは気になるな。」
「陶芸に造詣は?」
実の所それはあまり、というのが伊月の素直な言葉で、じゃあ、と高尾はそのまま秀徳高校付近の骨董屋に立ち寄った。
「ここ、真ちゃんの行きつけなんすよ。ラッキーアイテム埴輪とかね。」
硝子ケースに入れられた、遺跡から発掘されたらしいそれは値札が付いていない。扉脇の花瓶は伊月の現在の財布の中身なら買える。それくらい幅広く陶芸品が扱われている店舗に踏み入って、第一印象は、圧巻、の一言に尽きた。
「いらっしゃいませ。」
「あ、こんにちはー。亜麻泰寛の作品ってあります?」
「泰寛の?それならこの棚かな。向かって右三つがそうですよ。」
教えて貰った店の奥まった場所の棚の中身には、安いアパート住まいなら三年は家賃を滞納しなければならない値段が付いていた。
壺と皿と花器だった。真っ白な皿は魚の画が掘られてあって、花器は幾何学模様が描かれて、壺には坊主と女の童が二人遊んでいる。
「・・・画家、ではなかった?」
「絵も描いたと思いますけどね、多分壺のはこれ、別の作家との合作じゃないっすか?」
そうですね、と店主であろう初老の男が笑った。
「誰だったかな、泰寛と懇意にしていた作家だそうだよ。春山ミカイ、だったかな。愛媛の。」
「「愛媛!?」」
「なんでも砥部焼の絵付師だったらしい。これも泰寛の作品で五つしかない砥部焼の一つだよ。」
亜麻泰寛が愛媛に旅行に行った際に意気投合したらしい。春山の絵皿も一枚だけしかないけれど、と店主は見せてくれた。
「これがサインだね。」
絵皿の裏には《海》と雅号と印があった。
「海・・・?」
「ミカイ、のカイじゃないっすか?」
「あ、なるー。」
雅号なんて師が無ければ自分で勝手に名乗る物だ。泰寛の壺も手袋をしてくれたらいい、と許可が下りたので、壺の底を見せてもらうと、《海》のサインがあった。印は無かった。
「というわけで裁判記録見せて下さい花宮さん。」
きちっと九十度のお辞儀に思わず花宮もたじろいだ。私立今吉探偵事務所に伊月が来て、今吉に挨拶もそこそこ、約一分の出来事である。そして二分で伊月は要点を抑えた説明をし、その三分後には山崎が明日には届けてくれる手筈が整った。
「珈琲淹れますねー。」
「今日は海常との練習試合やってんな?どうやった?」
「辛くも勝利ってとこですね、やっぱり木吉の抜けた穴は大きいです。」
「ふはっ。鉄心ざまぁ。」
「頭から熱湯被るのと頭から熱湯かけられるの選ばせてやるよ悪童。」
「どっちも一緒ちゃうん?」
「やだなぁ、被るのとかけられるのじゃぁ全く違うでしょ。」
「ああ、自殺か他殺くらいにちゃうなぁ。」
それぞれの好みに合った珈琲を用意してやって、今日の茶菓子はパンプキンパイだった。
「ああ、今吉、伊月に。」
「ん?妖怪に何か用かい?」
花宮が珈琲を噴いた。
「いやこれさー昨夜急にキタコレってさー。」
「月ちゃん、駄洒落ノート燃やしたるから持っておいで。」
「え、嫌ですけど。」
げっほげほと咽ている花宮は笑いと怒りと呼吸困難が一気に襲ってきて、抜糸が済んだ傷が開くのを半ば覚悟した。やった悪童ザマミロ、なんて伊月は笑って、亜麻泰寛をご存知ですよね、と断定口調で述べた。花宮の用件はぶった切られた。
「陶芸家やな。どないしたん。彫刻来たら今度は陶芸?」
「あっちょ、翔一さんっ!嫌なこと思い出させないで下さいよ!」
今吉の僅かばかりの人道から外れた意趣返しに伊月はむくれたが、このカオスの原因である自分の発言を顧みる気は無いらしい。
「亜麻泰寛の最期の作品ってどんなのか知ってます?」
「んー?せやね、でっかい真っ赤な壺や。月ちゃんくらいやったら入れるで。」
「別に小さくないですけど俺。」
「いや、せやなくて。ほんま月ちゃんやまこっちゃんくらいやったら中でちょこんと座っても不自由せんくらいにでっかい壺なんよ。」
「・・・因みにお値段は。」
「泰寛のはどれも高値やからなー。しかも最期のっちゅーことは、帝都でちっこい家くらいやったら持てるやろ。」
「うわ。」
それは欲しがる気持ち解るかも、とあまり物欲も金欲も無いほうだと自覚している伊月でさえ思った。尤も伊月の物欲の無さは育った家にも関係するが。
「因みに彼が隠した作品を遺したとしたら?」
「値段のつけようがあらへん。そもそも泰寛はデザイナーで芸術家。デザインもんっちゅーのは依頼主が居って成立する、まあビジネスやから値段はハッキリしとるわ。けんども芸術作品ちゅーのは値段つけるんが無粋なん。月ちゃんやったら解るな?」
「一応。」
「まあまあええお返事。芸術作品に金額つけるとしたら、それはもう人生売んのと同じや。芸術っちゅーのは基本、身ぃ削ってするもんやさかい。」
まあ時々玩びが芸術品になることもあっけども、とも今吉は語る。
「見たひとの感じ方や価値観、感性で変わってくる、と。」
「オメーの駄洒落ノートも駄洒落が世界から無くなればそれこそ島でも買えるくらいの価値になるかもな、そんな日は永遠にこねーけどよ、バァカ。」
「はいどうも!」
パイをフォークで突き刺して、伊月は口に含む。
「で?解決しそうか?」
「ん、まだもう少し調べてみませんと。」
もくもく、とフォークでパイを崩しながら、そうだな、と伊月はもう少し考える。亜麻美羽。彼女も芸術家だ。高尾から聞くに、文芸も趣味程度にやっているらしい。陶芸が専門。絵付けもやる。既にクライアントが数人いる、職人でもある。整った爪の先は土の色が染みついていて、毎日土を水で練って轆轤を回しているようだ。明後日にはまたあの喫茶店で隠されていた花瓶を見せてもらえることになっている。
「ま、捜査の基本は?」
「現場百回。」
一回で済ませる今吉には言われたくないが、気になる場所や物はとことん調べろと、そういう事だ。
「あ。花宮さん、福井さんが実家帰る前に司令塔会やりたいって。」
「面子は?」
「福井さん主催、笠松さん、春日さん、俺、降旗、そんで高尾。場所はホールでケーキ。」
「あー、フリ君とやらも見ときたいし、行くかな。」
「了解。笠松さんに連絡しとく。」
「福井さんじゃねーの、主催。」
「笠松さんとは明後日も会うから。」
「今吉、伊月が堂々の浮気宣言だ。二階使っていーぜ。」
「よし、月ちゃん今夜お泊りしょーか。明日の部活は?」
「はっえっいやいやいやあっても無くても帰りますよなにゆってんですかばかですか!?」
その夜はどうなったか割愛するとして、翌日、件の大きな壺の裁判記録が花宮から手渡された。欠伸を噛み殺しながらもきちんと情報を処理すれば、壺が売れたらその金額の四割を弟に譲渡する、という条件で壺が譲られていたことが発覚した。情報の齟齬だ。
「確かに金で解決したとは言いづらいな・・・。」
くちびるに指をやってデスクで考え込んでいると、ひらりと写真が落ちた。確かに赤い、縦長の丸い壺だ。比較対象にヒトが隣に立っており、確かにその腰よりも少し上辺りの場所で丸く大きな口を開けている。
「むーむーうっせぇぞバァカ。」
「確かに俺や花宮くらいだったら中で隠れてたり出来そうだね、これ。」
「まあな。そういう狭い場所ってなんか落ち着くし。」
「え、そうなんだ?」
「え?」
「あ、胎内回帰願望!」
「うるせぇよ!」
そうこうする内にやって来たその日の客は、夫の身辺調査を依頼に来た女だったので、今吉所長は浮気調査やそれに準ずる依頼はお受けしません、と丁重にお帰り願った。
「月ちゃん、珈琲頂戴。」
「自分で淹れる気は?」
「月ちゃんの入れる珈琲が飲みたい。」
「ったく!」
そろそろ脳の糖分を補ってやろうと言う今吉の考えが解るから、伊月は結局甘えてしまう。三人分のカップを用意して、珈琲と紅茶を用意する手元はいつもと変わらない。茶請けは芋けんぴを今吉が出してきた。
「金額の四割を譲渡、ゆうことはやで、その伯母ちゃん、なんや伝手でも持ってんちゃうの?」
「あ、それは俺も思いました。でもどうやって調べようかなぁと。」
ソファ使いや、と気遣いは有難く貰って、ふむと今吉は口の端を吊り上げる。
「行っておいでや。交通費出したる。」
「まじっすか!」
「まじやでー。稼ぎはちゃんと使うたらな可哀想やん。まこっちゃん。」
裁判記録の一部をざっと読み上げた花宮に、今吉が電車やら何やらの時刻表や路線図を見ながら算盤を弾く。頭の中で。
「ん、ヨユーや。余ったら銀座で好きな紅茶葉でも買うておいで。」
「なんだこのお使い感覚・・・。」
言いながらも伊月はその紙幣が入った封筒を受け取って、ぱたぱたと服装を整えると地図を頭の中に叩き込んで事務所を出た。
向かったのは千葉の中部ほど。列車を降りてバスに暫く揺られ、最寄りの駅に着くころは、日が落ちた。ぼつぼつと灯る家の生活の光に伊月は歩みを進め、目当ての表札を見つけて、奥に明かりがあるのを確認すると玄関を訪ねた。
「遅くに失礼します。」
時刻としては夕餉もまだだが、何せ冬の日は短いので田舎では早々に夕餉を済ませて寝てしまう事が多い。
「はぁい!」
どちらかしら、とつっかえ棒を外して玄関を開けた女性に、伊月は深々と頭を下げた。
「こちらに、亜麻泰寛の最期の作品があるとお聞きしまして。」
誠凛大学の伊月と申します、と無難に名乗れば、遅い時間にまあまあ、なんて笑われた。金銭目的に家族と揉めたとは思えない、田舎の恰幅の良いおばさんは、若くて可愛い子、なんて伊月を玄関に通した。田舎独特の広い玄関に、それはあった。
「こちらですよ。」
しかし、彼女が持ってきたのは極普通の花瓶だった。成程そういう事、と伊月は思い、しかしそこは無難に頷いた。
「あの、不躾ですが御幾らほどですか?」
「御幾らほどお持ち?明日には新しい持ち主が決まってしまうのよ。それより高い値段でないとお売りは出来ないわ。」
ひとが良い顔をしておいて、とんだ守銭奴だ。
「貴女はこれをどうやって手に入れられたんです?」
「あらやだ。お気に入りの骨董屋さんがあってね、そこで一目惚れよ。」
何故そこで嘘を吐く。しかも偽のそれを持って来て。
「・・・失礼ですが。」
真っ直ぐにその女性を射抜いた眼光は、酷く、怜悧。
「手に取って見ても?」
「あ、ええ。」
碧く花の描かれた花瓶は、底に《海》と印が伊月によって認められた。
「泰寛の物でない作品に、お支払する金は持ち合わせておりません。」
ほほっ、と彼女は笑った。
「ええ、本当はそちらの壺よ。」
「何故嘘を。」
「価値が解らない人間に売っても無駄でしょう?」
悪意なく彼女は笑い、買い付けの契約は既にあるの、と教えてくれた。所詮学生風情が手を出せる金額ではないと、言外に。
「俺、名乗りましたよね。」
「え、ああ、そうね。えっと、ごめんなさい、もう一度。」
「伊月、です。・・・伊勢の伊に、空にある月。俺はそこの長男です。」
「・・・交渉の価値は、ある、わね。」
くすり、伊月は嘲笑うかに笑ってやった。
「奥さん、旦那様は今どちらに?」
「あのひとは、今日は御香で、遅くなる・・・わ?」
「そう・・・。」
その厚ぼったい顎に指先を掛けて、くちびるを湿すと彼女の喉はこくっと上下した。
「折角だから、さ。」
伊月の口調から礼儀が消えた。弾力ある肌を擽るように指を滑らせ、顔を近付ける。田舎の陽だまりのような香りが優しくて、ふふと伊月は笑ってしまう。そろっと伸ばされた手が頬を包んで、睫毛は下された。
シュ、と空気の摩擦音に、彼女は崩れた。伊月は口元に袖を押し付け、それが風に流されるのを待ちつつ、その体を敲きに寝かせた。手の中には麻酔の濃度を調整圧縮した細い管を玩ぶ。
「効きすぎだろこれ。」
美少年の誘惑に接吻を期待した彼女は鼻の穴に管を入れられそのまま眠らされたわけだ。結局使っちゃったよとコートのポケットに押し込み、そのまま暖簾を潜って土間を歩けば電話機が置いてあって、手書きの住所録もある。
「失礼しますよ。」
言うだけ言って、ぱらぱらと捲っていけば、帝都にある緑間行きつけらしい骨董屋の名前も私立の有名美術館の名前もあった。
「・・・伝手・・・。」
捲れやすいページがあった。何度も捲っている名前があるのだ。ハ行。ここだな、と伊月は手帳に全て写したが、骨董品や陶芸品を扱う店舗らしい名前は無い。一応そちらは別のページにメモしておく。
「こんなもんか?」
さてと伊月は立ち上がり、玄関につっかえ棒を掛けると、そのまま勝手口から出た。最終バスには間に合って、最終目前の列車に乗れた。土産物無理だろこれ、と家に帰ってから、明日事務所に向かう際に差し入れに何かを買っていくと伝えてそのままルーチンをこなして寝た。
「おっはよーごっざいまっす☆」
「煩い黙れ。」
「真ちゃん!?伊月さんの中身が真ちゃんに!!」
「煩い黙れ寒い。」
翌朝は日曜の早くから随分と喧しかった。黒のセーターの中にブラウスを着込んだ伊月はそれにいつも通りインバネスコートを羽織ってこの間買い換えた群青色のマフラーを巻いている。
「やーっぱ寝起き悪いんすねー。」
「おきてるー・・・。」
「寝てんじゃないっすか!立って寝るとか器用すぎるのだよ!?」
「うっさいみどりまー。」
「俺高尾!」
向こう着くまでにちゃんと起きて下さいよ、と引っ張られて駅舎に入った。神奈川に入った辺りでやっと会話が成立しだして、ハイカラな街並みを歩く頃にはすっきり起きた伊月は、おきてるーうっさいみどりまー発言を覚えていなかった。
「遅くなりました。」
ぺこ、と笠松に頭を下げた伊月は既にいつも通り、高尾は合宿の時に鉢合わせた寝起きの悪さは常なのか、と達観した。
「すいません、ちょっと昨日夜遅くて。」
「いや、俺等も今来たっつーか、店開くの十時だし。朝飯は?」
「俺は喰いましたけどー・・・。」
「逃しました・・・っ!」
「朝食は喰え!シバくぞ!」
ゴン、とド突かれた側頭部に、ぐおおと唸った伊月を尻目に紅茶を四人分、伊月の目の前にはサニーサイドが乗ったトーストが出てきた。
「いただきます。」
涙目のまま手を合わせて珍しくパンで朝食を採り、紅茶はブラックにしておいた。
「美羽ちゃん、持ってきた?」
「はい、これです。」
伊月が食べ終わった食器が下げられたのを見計らって、厚手の紙袋の中から新聞の塊が出てきた。美羽嬢はぱらぱらと新聞を解いていき、妙な捩じりの加えられている花瓶が姿を現す。
「なんかキラキラしてね?」
「私も金箔か何かを貼ってあるのかと思ったのですが、これは元になった土の加減です。光の加減で色が変わりますよ?」
ほら、と窓越しの日光に今度は銀色に輝いた。波打つ両面が綻ぶ花弁のように輝いて、ほお、と笠松は感嘆した。
「・・・これ。」
はい、と手渡されて、伊月は角度を改めた。
「高尾、解るか。」
その空間認識能力は、何も広い範囲で発揮されるだけでないのだ。
「横顔、っすね。」
「ああ。」
「・・・えっ。」
「あ?」
この角度、と掲げて見せた。捩じられたように見えるそこは、ヒトの横顔が向かい合っていた。
「これは、隠されてあった?」
「あ、はい。」
「誰も見つけられないように?」
「えっと、そう、です。電気配線なんて触ったのは私が生まれる前ですから・・・。」
「ご実家の築歴は?」
「泰寛はが五十の頃に立てたと。」
伊月はその向かい合う横顔を凝視っと眺め、そして漸く息を吐く。その、若い横顔。
「これが造られた年と場所、判りますか?」
「場所は判りませんが・・・。」
感覚としては五十年は経っていると思います。そう、亜麻泰寛の玄孫は応えた。


続く。

***

っというわけで第八弾!!20本目ですってどういうことよちょっとwwwこれ前後篇の一話予定じゃなかったっけ?!高尾ちゃんでーす!笠松先輩でーす!!これ色々アイデア頂いたのを一気にぶっこみました!!因みに話の大筋というかタネは身内であった本当の話wwwよく私存在したよなーと思いますwあとあのなんか、前作の後編評価点えらいことになってんですけどちょ、どうしたんですかなにがあったのありがとうございます!!www強請ったんじゃないのよ!?www■タグありがとうございます!頑張って守って上げてくださいwww「月ちゃんの駄洒落ノートは私が守る!私が守るんだ!」で是非!w(12/13

2012年12月12日 19:46初出。

この花瓶、実在しました・・・。亜麻美羽さんのお名前はSpecialSunxMIUさんです!

20121224masai