今宵下弦の月の下で。










 
真っ白なシーツに包まって、伊月は目を覚ました。
枕元のデジタル時計は昼前で、うむと一つ唸ると白い腕を突っ張ってゆっくり身を起こす。五枚の高額紙幣をサイドテーブルに確認し、ぽふんと枕に突っ伏した。

「出るか。」

重たい腰を叱責するように起き上がり、誰もいない部屋を横切ってバスルームで歯を磨いて顔を洗って昨夜の後処理をして、他人の臭いを消すかに入念に洗ってバスローブを纏うとどこか育ちの良い青年を思わせる彼が、クロゼットから取り出したのは、てらりとした黒地に紫色のグラデーションのかかったタンクトップとスキニーデニムとワークブーツだった。昨夜のランドリーから帰ってきていたらしい。
紙幣を飾りチェーンでデニムに引っ掛かったウォレットに突っ込んで、彼は部屋を出た。
伊月俊には家が無い。正確に言えばあるのだが、帰るべき家ではない。生まれ育った家は焼け落ち、その後は孤児として修道院で育った。中学高校ではバスケ部に所属して、大学に行く金は流石に無いので今は都会の人芥の中でのんびりと暮らしている。
同じような環境で育った赤司は随分伊月に懐いており、そんな風な仲間が公園には溢れている。
帰る家はあるだろう。しかし、ちょっと破綻した性格が受け入れられなくて世間に後ろ指を向けられたり、単純にそんな友人が楽しかったり、野外ステージもあるその広い公園を、掃除夫の手伝いをして稼いだ黄瀬は、百円玉を二つ、誇らしげに見せてくれたので頭を撫でて置いた。彼はもうモデルとして一端に稼いでいるのではなかったか、と伊月は首を傾げつつも、おはよう、と赤司の顔を覗き込む。今日も彼の前に置かれた空き缶は紙幣や硬貨で溢れている。
実に理不尽だ。

「俊さん、おかえりなさい。」
「ん、ただいま。」

ぽんと撫ぜた頭は、何時の間にか高さを追い抜かれた。理不尽だ。

「朝飯どうした?」
「ああ、俺のロケ車で弁当余ってたんで、それ。」
「仕事一本にしろよ黄瀬。こんな場所で屯っててスキャンダルにも程があんだろ。」
「そん時は伊月サンと赤司っちは俺の家に来ればいいんすよ、冬とかカラオケ屋やネカフェに誤魔化して貰うのもあれでしょ。」
「こういうのは人脈の勝ちだろ。日向来てる?」
「日向サンは見てないっすね。高尾っちは見たッス。」
「ん、晩飯は牛丼屋でも行くか。」

いっすねーでも夕方からまた仕事ッスわ俺ー、なんて笑った黄瀬に背を向けて、ストリートバスケのコートがある一画を目指す。バスケは中学高校でやって、確かに楽しかったけれど、ある日膝を故障して辞めた。今でも手術跡は雨の前には痛むし、全力疾走も医者には止められている。理不尽だ。

「たかおー煙草頂戴ー。」
「一本二十円で。」
「これで勘弁しなさい。」

伊月さんだー!と手を振ってくれる彼に注文すれば生意気が帰ってきたので、その顎を捕まえて軽くキスしてやった。

「俺以外にはしちゃ駄目だよ?」
「さぁね?」

恋愛に性別も人目も関係ないらしい高尾は唇ひとつでボックスに残っていた煙草を数本とコンビニライターを寄越した。

「あんがと。あと、エスかなんかあるー?」
「どんだけ俺を絞る気?無理無理。エルなら確かに一枚あっけど、伊月さんエルは嫌いつってたし。」
「おー、なんか悪酔いすんのよ。カラダに合わないのかな。」

紫煙をとんと叩いて作り出した煙の輪に息を吹いて消した。

「で、何でエス?」
「ちょっとここくる前に人集り出来てて飛び降り観た。テンションあがんない。」

うわーどこー?二丁目かな。あっ伊月ー久しぶりー。二日ぶりだよばか。いづきー稼げる情報ねぇー?繁華街で突っ立ってろ。赤司くん元気?今朝は朝飯食ったっぽい。そんな風な情報交換などしつつ、太陽が中天に登る頃に彼はいつもやってくる。

「お、伊月。」
「やあ、ひゅーが。ストバスだ?エスちょーだい。」
「ダアホ!」

日向は伊月とは昔馴染みであって、唯一甘えられる相手でもある。今はアングラ寄りのクラブハウスでバイトをしている。

「確かにあるけど、品質保証しねぇぞ。」
「あ、お手軽版だ。」

切手の糊のようにそれをひとつ、ぺろりと赤い舌で飲み、眉間を抑えてそのまま日向に寄り掛かる。

「だから言ったろが。」
「んー、さっきさぁ、女が飛び降りてさぁ。」
「おー。」
「どうろちまみれではらわたとびだしててかおはんぶんつぶれててー。」
「高尾!手伝え!こいつ悪酔いした!」
「まじで!?」

そのままずるずると三人は木陰に座り込む。

「みんな、きたねぇつって。きもちわるいつっててさ。みんなつぶれたらなかみなんていっしょなのにねー。」

すぅ、と穏やかな呼吸で、淡々と、抑揚もなく伊月は言葉を紡ぐ。

「木漏れ日、綺麗だね。」

酔っているのだか正気なのだか、真っ白な喉元を晒して黒曜石の瞳は真っ直ぐに空を見た。

「赤い服の、綺麗な女だった。」
「そうか。」
「てゆか信じられる!?男と女じゃ同じ体位とか出来ないじゃん!突っ込む場所も違うのに。まじもうほんとエスきめてやりゃよかった。」

ぱんっ、と膝を叩かれて驚くのはもう飽きた。どうやら正気が戻ったらしい伊月の金の稼ぎ方も知っている。夜の繁華街に突っ立って、男でも女でも、妖艶に微笑んでやれば大概、幾ら?という言葉に繋がるのだ。氷室からは「devilishness」というありがたくない言葉を頂戴した。

「あれだね、偉い人がアブノーマルってのは真理だね。」
「おい。」
「風呂の間に名刺確認しちゃったーてへぺろ。企業取締役のひとだった!」
「ダアホ!」

何お前ひとの人生の汚点作っちゃってんのなんなのマジお前なんなの俺が引っ掛かったら泣くわお前みたいな悪魔みたいな男おおおお!と喚いたのは日向で、やっとテンションが上がってきたらしい伊月はいつものように穏やかに笑っている。高尾は伊月と会えた最初から笑顔は尽きないが、日向の崩壊で腹筋が崩壊した。

「でも、稼ぎはこんだけよ?黄瀬はいざって時は自力でなんとか出来るけど、赤司は怪しいからー、んー、いつものペースで二週間持つかな。あ、高尾、今度カラオケ奢って。」
「冬場?いいよー!てか歌うから聞いてー!」
「うん、俺、高尾の歌声好き。氷室の歌声も好きだな、高音綺麗で。」

稼ぎ、とひらり、指を開いて。やったーい、なんてテンション鰻登りな高尾に対して日向は眉を寄せている。

「なぁに、ひゅーが。」
「なんでも。バスケすっか。」

するー!待ってましたー!とコートに3on3で特攻決定。折角だからとゴール点数を一点百円玉に換算して、三千円ほど勝った。

「今何時?てか要らないならエス貰っちゃっていい?」
「15時ちょい過ぎ。黄瀬は仕事か?」
「夕方からだって。赤司ー?」

だから赤司と牛丼屋行くの、と噴水の所に座ってストバスの様子を見ていた筈の赤司を呼んだのだが、隙をついて、その赤毛の少年はいなくなっていた。伊月と高尾の視野の広さでも少し辟易するくらいの、品の悪い若者に溢れた広い公園の入り口に、やっと見つけた赤司はちいさな子供を連れていた。

「どこから攫ってきたあああああああ!!!」

夕方からは日向もバイトであるので、一緒に公園を出ようとした所で、その姿を発見して、恐慌状態に陥った日向を高尾が遠慮無く笑った。

「赤司、その子はどうした?」

公園入り口のベンチに腰掛け、伊月は煙草に火を付ける。全く癖の悪い男である。ぽんと隣の座面を叩くと、子供を膝に載せて赤司も座る。
どうした、ともう一度優しく問うた伊月に、赤司は真っ直ぐ顔を向けて。

「母親を、待ってた。」

そう、はっきり言った。

「人攫いじゃねええええええええ!!!??」
「黙れひゅーがうっさいばか。」
「どこにいた?」
「ぐちゃぐちゃの女がいた歩道橋。」
「・・・飛び降りのあったビルの近くの歩道橋、で合ってる?」

こくん、と頷いた赤い髪を伊月は優しく撫ぜてやって。

「言葉をサボるのは良くないぞ。」

それだけ言って、きょとんとこちらを見上げる子供と見つめ合う形になる。

「どうして歩道橋にいたの?」
「おかあさん、まっててって。」
「お母さんは?」
「あっちいった。」

あっち、という言葉に、伊月は昼前に通った歩道橋をじっくり思い出してみる。そう言えば子供がじっと、足元の人集りを見ていた。人相がかち合うので間違いないだろう。
あっち、と子供は指差した。はあっ、と何かを諦めるように伊月は息を吐き、千切った紙片を舐めた。

「おい、いづ・・・。」
「ひゅーが、この子、通りの交番に連れてって。多分、飛び降りた女の子だ。孤児ならあてはあるけど、そうとは決まってないから。」
「みなしご?」
「家族のいない人のこと。」
「こら、赤司。」
「いいよ、ひゅーが。知らないで大人になるより全然良いから。」

よくない、とは、言えなかった。帰るべき、帰る家のある日向には、どうしても。わかった、と口を開く前に、赤司が立ち上がり、子供の手を引くと歩き出す。

「お、おいおい!」

高尾が慌てて追いかけて、日向も着いて行く。赤司自ら交番に連れて行くのだとは、どうしても思えなかったからだ。
子供の一人を抱えているとは思えない速度で駆ける赤司を高尾と日向が追い掛けて、その後ろをのんびりと伊月は追い掛ける。赤司が行き着く場所は解っている。それに、日中をバスケで遊んだ脚はそろそろ開店休業状態だ。半分程残った煙草を名残惜しそうに路上灰皿に捨て、遠くなる赤い髪をオレンジ色の中に見る。夕陽が近いのか、薬の影響かはわからない。それでも、眩しいなぁと思って目に水が張る。砕けて落ちたものを、皆は涙と呼ぶのだろう。
ビルの外階段は黄色のテープに黒文字でKEEP OUTを叫んでいるが、伊月はそれをポケットに忍ばせてあったバタフライナイフを一度回転させるだけで地に伏せた。階段に乗せる脚が痛む。

「お前の母親は、ここから飛び降りて死んだ。」

静かな声は赤司だろう、日向が止めろと叫んで高尾の声が無いので、結構大変な事になっているのだろう、と伊月は冷静に分析し、屋上のテープを切った。

「満足か、赤司。」
「俊さん、本当のことを知るのはいけない?」
「いけない事じゃない。生きていれば知るんだから。でも、そこから子供が落ちそうになってるのを、俺は見過ごすべきかどうかはね。」

赤司は子供の首根っこを、なんて易しいものでなく、きっと子供は窒息に気絶が近いだろう、その細い首を掴んでフェンスの向こうに突き出されている。
淡く、穏やかに笑った伊月に、血色と夕陽色の目はぱちんと瞬いて、うん、とちいさく頷いた。

「俊さん、夕べは誰に抱かれたの?」
「趣味の悪いどっかの企業取締役なおっさん。」
「一昨日は?」
「一昨日・・・?聞かなかったけど、多分ホスト崩れじゃないかな?」
「去年の昨日は?」
「質問の意図が見えない、あと、そこまでは流石に覚えてない。」
「この子の母親は覚えているのに?」
「そりゃぁ、起き抜けに墜落死体なんて見せられたら暫くは忘れられないな。」
「うわっ!?」

赤司のフェンスの向こうに突き出されていた手は、そのまま子供を高尾に向かって放った。反射神経の良い高尾なら受け止められるだろうと、伊月は止めなかった。

「降りるよ。下が騒がしい。さて、誰が投身したがってた事にするかな。」

きっと、今夜もネットカフェで赤司が寝入れば、伊月は繁華街に行くのだろう。名前も知らない男や女に金を貰って身体を差し出すんだろう。こんな生活をしていても身綺麗に感じるのは、その安い宿できちんと洗っているからだ。冬場に着れる服があるのは、自称恋人が貢いで来るからだ。
その気になればぼろぼろの服で公園で寝転ぶ事だって伊月が厭わないのを赤司は知っている。そして、自分が居るからこそ、そうやって金を稼ぐ綺麗な伊月に、赤司は申し訳ないと思いこそすれ。

「俊さん、今夜は僕が抱きたい。幾ら?」
「お前から金は貰えないだろ。」

そうやって笑う伊月を、赤司は力一杯抱き締めるしか、結局の方法は無いのだ。

「俊さんの処女欲しかったな。」
「男に処女という概念はありません。」
「相変わらず赤司はぶっ飛んでんなぁ!」

いつもの公園で、群れて来た女共に囲まれる伊月の背中に赤司は抱きついて、動揺で煙草の灰でも落として服でも焦がさないかな焦がしたら僕の稼ぎで新しい服でも買ってやるのに、なんて考えながら、言った言葉に高尾に爆笑された。えいと手を跳ね上げた赤司が狙ったのは、運悪く煙草を持っていた指先であり、高尾は前髪を焦がした。

「俊さん、俊さん。」
「なにー?」
「誰か好き?誰が好き?」

きゃっと化粧の濃い女が数名色めきだったが、赤司の問いは、確信していてそれ以外の答えを求めてもいないらしかった。
理不尽だ、と伊月は思った。

***

妄想が暴走した。伊月と赤司がストリートチルドレン。昔(ってほど昔じゃないか。)読んだ漫画が元ネタというかストリートチルドレンネタいいなぁと思った結果がこれです。月総受けのつもりが結果的に赤月になった。妄想のあかつきだけに!!未成年の喫煙ダメ絶対。お薬もっとダメ絶対!!不特定多数と性交渉を持ってはいけません!!!これ全年齢でいいのかしら?■そして目を離した隙のタグ弄りありがとうございます!NO犯罪!!YES萌え!!!!!!

2012年08月23日 23:03初出。

まさかこんなに成長する作品だとは思ってなかったです。

20121114masai