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日向はなかなか妻を娶ることが遅れた。それは彼の弱視が原因であった。
「弱視の遺伝か。考えたこと無かったな。」 伊月は親友の相談に、眉を寄せ暫しその線の細い顎を摘まんで、そういえば鷲の目は遺伝なんだよな、でも人間って年取ると絶対視力弱くなるし、力君の緑内障は突発っぽいし、とうんうん唸った結果。 「ごめん、ひゅうが、宿題にさせて。」 後にも先にも、伊月が約束を破ったのはこれっきりだ。 今吉探偵と伊月助手と外伝・伊月太一。 伊月太一はAsylから一番に学校に通い始めた少年で、尋常小学校から帰ってきては、今日はこんなことが、あんなことが、ときょうだいに触れ回った。 「学校は楽しいか。」 「俊兄!」 春の日差しの中で、淡く微笑む彼の義兄は、いつだって美しかった。生まれはそれなりの家であったが、人情厚く、下町のひとにも、下町だからこそ、好かれた。産婆の手伝いをすることもあったし、予防接種法にも様々に方法を試し、成人してからも暫く学校に通った伊月俊は、中等教育に進んだ太一にとって、いつも尊敬出来る真実の兄よりも秀でた存在で、また、暖かかった。兄には日向順平という親友がいた。家が近く幼馴染と呼んでよかったが、小学校は別、中学から学び舎を共にし、日向は伊月より一年早く卒業すると、その後稼業である床屋を継いだ。教師とどちらか選んだようだが、じゃあ両立しちゃえば、との伊月の声に、ダアホ、と。 「そんなじゃどっちも中途半端で終わっちまうだろ。」 「じゃあ、Asylでの教師もやってくれないか?案外に学校に行く金の工面というのは難しくてな。」 太一は知らぬ事で良いのだが、伊月俊は金はあった。子供を皆学校に通わせる事も出来た。だが、国の政治の方向を考えると、その学校教育に関わらせたくなかったのだろう。そんな思想家は昭和七年に殺された。 太一は小学校を卒業して、軍事演習の片手間、日向の床屋を手伝うようになった。青空理容室、と称して子供の髪を整える日向の背中は、一介の中学生には憧れだった。因みに例に漏れず太一も反抗期真っ最中というのも経験していた頃には、伊月が何を言っても聞かん、と酒を飲むと日向に管を巻いていた。伊月が自分で愚痴を許したのは今吉でも花宮でもなく日向にだけで、時折場末の蕎麦屋に蕎麦切りなど食べに行っていたようで、俊兄さんにもお付き合いというものがあるわ、とそら達を昌美が窘めた。 あれはなに、これはなに、と弟や妹はよく太一に聞いた。 「聞かれたのは太一だろう?違うか?お前なりの言葉で、お前が示してやりなさい。ただし、俺は太一に聞かれた身として、これだけは言おう。ひととひととが分かり合うのは、酷く難しい。」 それが、太一が義兄から授かった最後の口頭の哲学だった。 《バーバー日向》には何度も世話になった。どこか物思いに耽りながら太一の髪を刈ってくれた日向は、酷く泣きそうな顔をした。 「そういえば、俺の髪、初めて切ってくれたのも日向さんだったね。」 丸坊主にしたのは演習に髪が邪魔になってきたからだ。まだ伊月が死んでから半年というそんな季節、日向はやっと嫁をもらって、健康診断での弱視を、構わないわ、と優しく微笑んだ女だった。 誠凛に入学するのは大層骨が折れた。小学校高学年、中学校、と使ってきた鞄には誠凛の校章と伊月俊という名前の刺繍があって、太一はずっとその鞄を、自分の手で繕い直しながら使っていた。金が無い訳でも、新しい鞄が売っていないわけでもなかった。ただ、あの写真だけになってしまった兄の、学生服の下がりを着れた時は、涙が出た。バスケットボールのコートとゴールのある体育館でもボールを追い掛けた。誠凛に軍属は無い。理系が強いのは伊月俊の功績であり、誠凛の卒業生であれば徴兵もされにくい。軍の研究室が利用するからだ。様変わりしたのは、日米戦争が開戦した、昭和十六年だった。日向の旧友や後輩、同輩にも赤紙が届き出し、弔電が届いた。あのダアホ共、と日向は泣いた。 《バーバー》の看板は、《理容店》と塗り替えた。目の悪い日向が位置を測れず、太一が書いた。近所からの嫌がらせに、馬鹿馬鹿しい、と言いつつ、しょうがない、とも言った日向夫妻に腹が立たなかったといえば嘘になる。 「伊月太一!」 「はい?」 「お前の勤務先、非国民なんだってなぁ?」 「この度山田の父上が英霊になられたぞ!」 万歳の唱和の吐き気がした。 「英霊が目に見えるか?日向さんが非国民だとして、そこに生きて、何の罪がある。非国民という言葉の意味を考えたことはあるか。」 淡々と、知る者が見れば、伊月俊にそっくりだったのやもしれぬ、その強い眼差しは凛と佇み、誠実に相手と向き合った。しかし太一は懲罰対象となり、殴られた。 「へいたいさんはえらいです、にっぽんだんじにうまれたからには、せんじょうにいかないことは、はずかしいことです。」 何度も復唱させられ書かされたのは、勉学や反省文で無い、彼にとって世界を否定する言葉だった。人殺しのどこが偉い。生まれたからには活きろ。戦場を回避する勇気のほうが。戦争なんてただの人殺しで、戦争というのは間違ったもので、世間を見ろよ、喜んでいるのは一部の軍人と財閥だけだろう。しかし太一の行動が原因で、一度日向は特高に呼ばれた。殴られはしなかったが、亡き親友を侮辱され、その忘れ形見を貶められ、とかなり参って帰ってきた。謝るな。伊月が否定されたみたいで、俺も嫌だ。太一は考えを変える必要は無い。ただ、もう少し世界を広く見ような。日向はそう、苦そうに笑った。 そうして静かに生きて行くうち、空襲警報がしょっちゅう鳴るようになった。 「若松さん!」 消化訓練時、同級生の父親に出会った。役所の人間は本土空襲に備えて防空壕や防火訓練を区画で行わせ、Asyl近辺の担当者は若松孝輔だった。子供らが疎開する際の手続きも彼が率先してくれた恩義を太一は忘れていない。 「おう、太一は元気か。」 くしゃりと色素の薄い男が笑う。彼は母親の腹の中で十月十日過ごさず生まれたので、色素に問題があったという。籠球で鍛えた体も強いほうではなかったので、完全に兵役免除されていた。Asylの子供達はそれぞれ関西の方面に疎開したが、半分程度はこちらに残っており、太一は中でも古参に入る。 ある日、日向は太一を呼んだ。腕前は一端の床屋で大学では医学研究もする、まるで伊月俊の足跡を追うような人生で、ただ違うのは、中学以来、頭がいつも丸坊主であった事のほど。 「何でしょうか、話とは。」 畳に座した太一に、父親のような存在であった日向はけろりと言い放つ。 「防火訓練してるよな。あんなもん役に立たん。降ってきたら、みつ連れてとっとと逃げろ。」 みつ、というのは日向の妻の名で、当時子供が腹にいた。 「いやいやいや、若松さんもあんだけ熱心に指導してんだし、全く役に立たないって事は・・・。」 「世の中に絶対は無い。」 絶対ってのは無いんじゃないかなぁ、幾つもの不特定要素が集まっての今だもん。 「俺が逃げ遅れたら、助けようと思うな。太一はきっと生き延びろ。」 「いや、日向さん、その冗談面白く、ねーぜ?」 「みつには言うなよ。間宮さんには・・・そうだな、伝えとけ。」 その翌日、日向順平には赤紙が届いた。 たった五銭で命の遣り取りがされる世界を、太一は憎む。万歳三唱に反吐が出る。皆泣きながら出征する彼を見送った。みつは臨月の腹を抱えて静かに泣いて、面倒を見てくれる産婆に太一は床屋の商売で扱っていた石鹸を渡した。金より物に価値のある時代、配給の石鹸はどうも質が悪くてね、ありがとうね、と笑った産婆と、みつと、太一と。太一にも赤紙が届く日が来るであろうと昌美は心配していたが、その日は意外と早かった。日向の床屋を太一は預かっており、隣室からの呻き声に目を覚ました。警報は鳴っていない。 「産婆を呼んで来ます!」 伊月太一は轟音を聞き、照らされた空を見上げた。B29は夕立のような音と共に焼夷弾を降らせ、太一は知らず立ち止まっていた足元に転がってきた腕を拾い上げた。 「水戸部さん!?」 この手は、聾唖を相手に勉学の指導をしたり小児科医であったりと、ペン胼胝がしっかりと罅割れるほど使い込まれた指を持つひとを、彼は他に知らない。唖故徴兵されなかった彼は、彼の家は、太一の目の前で悲鳴を上げる時間もなく燃やし尽くされた。日本家屋というのは主な原料が紙と木だ。米軍はそれを効果的に壊し燃やすためにこの爆弾を開発し、炎の凄まじい熱風の中で火の粉を撒き散らし更に炎を育てた。腕に散った火の粉が燃え上がる。反射的に防火用水を被ったが、桶の底には赤ん坊の体が沈んで、脇には女が燃えていた。 ひとも物も、あっという間に、燃えた。 昭和二十年三月十日、午前零時。東京大空襲、と後にそれは呼ばれた。 「なにが、空襲・・・何が戦争・・・っこんなものは、ただの虐殺だ!!」 炎に巻かれて死にゆくひとびと、家屋の下敷きになって動けず、鳴きながら燃えたのは本当に人間だったのか。逃げ惑うひとびとのなかに産婆を探すが、どうやら逃げてしまったらしい。くそ、と呻いた太一は走る速度を上げる。籠球のために鍛えた体は、皮肉にもこんなところで役に立つ。 「みつさん、産婆は逃げたと思われる!万一は俺が取り上げる。それでもいいですね。」 やるしかない。伊達に伊月俊のきょうだいとして育っていないのだ。日向順平の弟子でもあった彼は、それぞれの、精神的な強さと冷静で臨機応変であった長所を余すことなく吸収して育った。 防空頭巾や毛布を水に濡らして火の粉を除ける。避難場所は国民学校なのだが、中に火が入ると木造の内装とコンクリートの外装の中をあっという間に焼け広がる。これは関東大震災の教訓として日向に教えられてあった。 リヤカーに乗せた妊婦を運ぶ中、凄まじい熱風と飛んでくる火の粉で呼吸が出来ない。ゴム底の靴は直ぐに使い物にならなくて、死体の下駄を貰った。真っ暗な空き地には同じような避難民がおり、遠くに焼ける東京を、呆然と見て、また俯き、火傷を負った背中にAsyl特製の塗り薬は酷く染みた。 「太一ちゃん!」 「産婆さん!?」 酷い目にあったね、生きててなによりだ、と産婆はみつに向かい、産湯を太一に急かした。その空き地の中に響いた赤子の声を、太一はその場で蹲って泣いた。すぐそばでは、生まれたばかりの赤ん坊が避難中の熱風に耐えきれず死んでいた。何の因果か、その空き地は昔昔、強盗に入られ滅びた孤児院の跡地だった。 「風向きが変わったっ!」 焼け野原がやっと落ち着いたのは一週間以上経った頃。太一は日向理容店の近くにあった防空壕から、蒸焼かれた死体を引き摺り出し、国民学校の校庭に作られた死体置き場に埋めた。若松とは会えなかった。防空壕はそのまま筵を敷いて狭い寝床になった。日向理容店のあった場所には、櫛と鋏と剃刀と、全て埋めてあった場所で無事に、熱に曲がること無く発掘出来た。日向の弔電が舞い込んだのはその直後で、みつは随分と落ち込んだが、赤ん坊の存在が唯一の支えのように、生きた。 太一は嘗てAsylの庭で行われていたように青空理容店を始めた。防空壕の中での窮屈な生活で、しかしこころは決して死ななかった。 たらればを忘れるな、と伊月俊は言ったことがある。 もし俺と出会わなかったら、この考えを太一は出来なかったろう?この疑問が当然だと、思わなかったんじゃないか? 彼の言葉の綴られた冊子は、空襲の中で何処かへ飛んで行った。焼かれてしまったやも知れぬ。 しかし、言葉は綴られずともここにある。 二時間余りの爆撃は大凡十万人が死んだと言われる。その約五ヶ月後に日本は降伏。 伊月太一は回想する。 もしも俊兄さんに出会わなければ。 もしも日向順平に弟子入りしなければ。 もしもAsylのあの時間が無ければ。 考え始めればきりの無いもしもの世界は、もう彼には思い出せなかった。そして彼らの存在を、一生忘れなかった。 伊月太一、享年二十三歳。 死因は連合国により肺炎と改められる。 水戸部凛之助、享年三十四歳。 東京大空襲の折、消息不明。 若松孝輔、享年三十四歳。 東京大空襲の折、消息不明。 日向みつ、享年七十歳。 子を育て孫を育て、日向理容店の再建に尽くし、また戦争の語り部として、心不全。 |
初出:2014年2月20日 15:43
今月探偵番外編、第五段。
20140421masai