ほんの半世紀前の話。
この国は厳格な父権社会でありました。











今吉探偵と伊月助手と外伝・伊月空之助。












長男とはなんと生きづらいのであろうか、と空之助は小学校に通いながら考えた。家を継がねば、財産を護らねば、期待を背負わねば。
空之助は長男ではあったが、第二次大戦の折に家は焼け、父親は養子だった。母によく似た可愛らしい顔立ちであると母の父母即ち祖父母に言われて育ち、責任と誇りは家ではなく自分の手で掴み取るものである、と父親に言われて育った彼は、それはもう、やんちゃだった。
女みたいな顔だ、と言われてからかわれることはあったが、先頭に立つより二人目の位置に佇んで、橋の下に秘密の基地や、工場の裏手のゴミ入れから遊び道具を作ったり、かなり自由に生きてきた。
「ばあちゃん、明日のお弁当なんだけど。」
ただいま、と帰って来た空之助は、この後友人と遊びに行くつもりだったが、台所に弁当箱を置き、家中を見回した。
こんなにもこの家は古かっただろうか。
「やあ、おかえり。」
「ただ、いま・・・。」
写真でしっかり覚えている母によく似たその男は、親戚だろうか。何処と無く見覚えがあって、空之助は差し出された手に空になった弁当箱を渡した。
「今日は何処に遊びに行く?」
「空き地でベーゴマ。」
「一緒に行ってもいいかな?」
「子供の集まりだぜ?」
「だからこそ。」
彼は大変美しく笑み、シャツにスラックスという極々普通の格好で、からころと下駄を鳴らして空き地に入る空之助の後ろをのんびりと歩いて、景色を楽しみながら、あれはなに、と空之助に聞いた。
「火力発電所。」
「へぇ。大規模。」
「あれが動くと空が真っ黒になるから嫌だ。やちよちゃんも咳が出るし。僕も視界が狭くなる。」
「視界が?」
「僕の視野、他の人より広いんだ。」
「おや。」
そこで瞬いた彼は、そうか、と微笑み、空き地で子供らが駆け回り、泥で遊んだりおもちゃを出してくるのを、空き地の奥、材木の積まれたそこに腰掛け、ちょこまかと所狭しと駆け回る子供の姿を、夕日が落ちる時刻になってものんびりと眺めて、鐘が鳴ったのは近所の神社のもので、毎日十八時に鐘を撞く。
「置いてかないでよ、酷いな。」
「ひどかないさ。僕には僕の歩き方がある。お兄さんにもお兄さんの歩き方があるだろう。」
おにいさん、と彼は自らを指差し首を傾げ、こくりと空之助が頷いたのに、何が面白かったのか噴き出し、あはは、と実に軽快に笑った。
「なんだよっ。」
「いいや、そうか、お兄さんか。悪くない。空之助、そらは元気?」
「えっ。」
その青年は何の衒いもなく父親の名前を慣れたように呼び、まったくなぁ、と少々のほど感慨深そうだった。
「・・・元気、だよ。よく咳をしているけれど。」
「何故咳を?」
「煙が・・・。」
「そうか、あれか。」
河川敷の通り道、自転車が二人の脇を走り抜けた。ちりんちりん、とベルの音が少々遅い。
「もしも、お父上が働けなくなったらどうする?」
「僕が働く。学校も行きながら。」
「そうなの?」
「そうするしか無いなら。」
「それだよなぁ。」
幾ら意欲があろうと先立つもの、というのはなんでも必要であって、そうだよなぁ、ともう一度彼は呟いた。
「ま、今日は良いものが見れた。いつの時代でも、どんな環境でも、子供は風の子元気な子、だ。」
大層美しく笑う彼は、スラックスのポケットから黒革の手帳を出した。
「これ、親父さんに渡しな。」
一頁を破り取ると丁寧に折り畳んで、手を出して、との声に空之助は手拭いで手を拭いて差し出す。その畳まれた紙片がなんであるか、考えようとして、だぁめ、と悪戯しく笑われた。
「一つ約束だよ、そらの息子。それを誰に渡された、と聞かれたら、今吉さんだと答えなさい。」
「い、いまよし?」
「ああ、その嘘なら誰も怒るまい。」
「僕に嘘を吐けって?」
「だって、真実を言うとそらが泣いてしまう。悲しませるために嘘は言ってはいけないけれど、喜ばせるためなら嘘は多少許していたよ、俺は。」
そうやって夕陽の中に佇む彼は、白い肌を橙色に染め、美しい黒髪を風に遊ばせ、ふんわりと微笑む。
「ねえ、お兄さんさぁ。」
「うん?」
ロングウィングチップの上等な革靴は、なぜ足音がしないのか。
「お兄さんのこと、ゆったら、父ちゃんは泣くの?」
「うーん、泣いてるそらしか知らないから。俺の知ってるそらはまだ夜だった。まあ、もうお前もあることだし、立派に昼間の空になれたんだろうが、そうだなぁ。」
そうだなぁ、と今度は些か楽しそうな声音で。
「お前は、今の伊月の長男として、何を考えて生きている?」
「どうやって活きる自由と誇りを見失わないか。その前にどうやって見つけるか。」
「まだ見つからない?」
「儂の鷲の目に見つからんとは対した隠れん坊だ!」
「隠れん坊は覚悟しなければね。」
「「キタソレ。」」
に、と歯を見せて笑いあった二人は。
「分かった、いまよしさんから預かったって言ったらいいね?」
「おう、頼んだぞ。頑張って生きろって伝えて。」
「悩みながら、疑いながら、だろ?」
いやはや、とその亡霊は笑って、夜空色の帳に覆い隠されるよう、惜しい、時間切れ、しょーいちさんのばーか、なんて笑い声だけ遺して消えた。
一年後、その故伊月俊の隠し財産として関西の銀行に大量の金塊が保管されていたものが見つかる。現在の伊月家はそれを資金に建築され、今でも庭に水が入れば鹿威しが鳴く。

伊月空之助、享年八十九歳。
一度脳溢血を患うも、自宅の縁側で談話ののち、少し休む、と言ってそのまま。

初出:2014年2月24日 19:39

今月探偵番外編、第十弾。

20140421masai