生まれてきてくれて、






 日向の母親は、女性としてスタイルがいい、という訳でなかった。
下世話な話ではなく、骨盤の形状があまり広いとは言えないのである。若い頃の写真を見せてもらうに、聞かせてもらうに、スタイルの良い女性ではあったようだが、一言で表すならばスレンダー。女性の身体としては申し分無かったが、母親となる身体としては些か横幅が無かったようである。
「結構な難産だったらしーわ。」
日向は何事もなかったかにそう語るが、出産直後の朦朧とした頭に、産んだはずの赤ん坊の産声が無い、というのはどれだけこころの冷える現象だっただろうか、産んだ身としては。
幸いながら聞くところによれば、医師がそのまま逆さに赤ん坊の体を揺すり叩き、けこ、と蛙のように喉を鳴らすとそのまま無事に羊水を吐いて酸素を取り入れる、所謂産声をあげたという。
そのタイムラグ。
母親となる日向順平を産んだ女性は、その体の子宮に種を植えた父親となる男性は、どれだけ不安で泣きたくなっただろうか。絶望にこころを打ちのめされなかったのは、ひいて、その息子の産声を聞く事が出来たからだ。妊娠は色々な方法が研究されるが、出産というのは今も昔も大変原始な仕組みを使っている。
そのうち父親になるかもしれぬ、17歳になったばかりの高校生は、母親の拵えた弁当を既に空にして購買の惣菜パンを齧っている。運動部の男子として、食べる量はそれでも平均だ。
「それでも、ひゅーがはここにいる。」
「おう。」
そこで終わったいのちは数しれず、産まれも赦されなかったいのちも、産まれても望まれずにいのちに蓋をされた数も、彼は知らない。未だ、知らない。若い身空で知るような血生臭い話は、きっとこれから知って行く。
自分がどれだけ愛されて産まれて育まれて生きてきた人生で、識って、学んで生く。
「はい。」
「ん?」
「プレゼント。」
素っ気なく渡されたラッピングは、毎年よっぽど欲しいものか要らないものが入っている。今年はどちらだろう、と姉妹に挟まれた中間子は割と小まめだ。
「ありがとな。」
「こちらこそ。」
そうして、年来の親友は、今年も変わらずに、生まれたこと、生きていくことに、奇妙に固執した講釈を繰り広げてくれるのだ。
「楽はするな。」
「楽しめ、ってんだろ。木吉か。」
「いのちを磨いて極めていけ。」
「言われるまでも。」
しゃぐ、と惣菜パンに含まれる湿気ったキャベツが咀嚼される。
「ありがとう。」
「おう。」
「産まれてくれて、ありがとう。」
「お袋にもゆっとく。」
産んでくれてありがとう、だなんて。
初めて言った日には母親に泣かれた言葉を、また今日も食卓で日向は両親に告げて、追い越した身長の父親に頭をぐしゃぐしゃと撫ぜられ、母親に泣きそうな声音で、笑いながらも言われるのだろう。
年に一度の生まれ日の、ただ一つの、子供からの感謝のこころを。

日向順平、今年で、今日で、彼の両親も17歳になる。



「俺を産んでくれてありがとう。」

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初出:2013年5月16日 03:35

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若い子を泣かせてしまったという私の中である意味問題作。

20141026masai