私達は書くこともそれを消すことも出来る。
それでも、それを書かなかったこと、にはならない。
読んだ人間の記憶を消すことも、不可能だ。
そして、読者がどの部分に感銘を受けたとして、その文章を後に削除したとして、その感銘を消すことも不可能だ。
どんな偉人であったとしても、それはきっと、絶対だ。
ひとの感情というものほど、強いものは世界に存在しないのだ。












今吉探偵と伊月助手と不幸の手紙。前篇。












ばさりと翻された臙脂色のマントにカツリと踏み出される軍靴。艶やかな黒髪を七分で撫でつけた男は馬車から降りて創立二年の新校舎を見上げた。生憎の曇り空はしかし晩冬独特の、もう直ぐ南からの風で流れていくだろう。
「師範女子の前で降りたらよかったかなー。」
小脇に抱えた軍帽はまだつばに癖も着いていない真新しいもので、マントや軍服の襟にもその片鱗は窺える。年齢と体格は申し分ないが、もう暫く着こなさなければならないという自覚もある。
「とっとと行け。蹴り殺すぞ。」
「あーはいはい!あーはいはいっ!」
ごすっとサーベルを挿した腰を蹴った長い足の持ち主も臙脂色の軍服で赤いマント。帽子は持たず、父親譲りの金髪をふわりと遊ばせた男が馬車を下りれば、駄馬などではない血統のある馬の曳くチャリオットはそのまま校門脇に身を寄せた。
「うおー、新校舎―。」
「まあ、俺らもう関係ねーけど。」
二人は校庭を渡りゆく下校生徒の注目を浴びながら、あっこか、と金髪の男が提示した建物に、生徒に声を掛けている男の頭を引っ叩きながら連れ立った。運命の出会いがどうこう、はいちいち突っかかっても疲れると、最近やっと学んだ。
「あ、いっづきくーん!」
そうして元気よく校庭に声を響かせ、うっせぇよ焼くぞ、と怒鳴る声も続き、呼ばれた彼は普段怜悧な切れ長の目を真ん丸にして、ぽかんと水分補給中の口元から相田試行錯誤伊月考案水戸部特製の砂糖とクエン酸の混ざった水を吹きそうになった。周りにいた仲間も殆ど同じ反応を寄越した。
「・・・はい?」
「あ、え?海常の森山さん、と、秀徳の宮地さん!?」
「え!えええ!?」
「なんっなんでぇ!?」
「ちょっと騒がしいわよってえええ!?」
騒がしい表に顔を出した相田も二人の軍人に目を真ん丸にして練習メニューの書かれたバインダーを落とした。そして名指しで呼ばれた彼はと言えば。
「・・・うわぁ・・・。」
何とも言えない生暖かい眼差しで二人の珍客を見やった。
森山由孝。私立海常大学付属高等学校出身。春からの進路は軍学校。先祖から菊の紋に尽くしてきた栄光に既に少尉の肩書を持っている。もう一人は宮地清志。公立秀徳高校出身。こちらも春から進路は秀徳軍属大学だが、高校時代から予科専攻は医学。軍医師として軍籍を貰った。父親が独逸人で、頭髪と瞳の色が純粋な大和民族よりかなり明るい色をしている。
「まだ軍服に着られてる感が否めませんね。御似合いですよ。」
「わーい、伊月君に褒められたよ宮地―。」
「遠回しに七五三とか言われてっけどな。ふざけろ。」
「にしてもまあ、目立つ目立つ。」
「勝手に凸ってきて言う科白じゃないですよね?」
「何よー。軍服姿の俺見たいつったの伊月君じゃん。」
「いや、こちとら部活休憩中なんすけど。」
「あ、籠球やりたい。」
「久々にスカッとダンク決めてぇ。殴りたい。」
「俺もシュート混ざっていい?いいよね。やった!」
「どこまでマイペースですか!?」
森山の口が回る事、そして宮地の容赦ない暴言。うわぁ、と伊月は内心頭を抱える羽目になる。
海常、秀徳、共に誠凛とは対戦経験もあり、黒子の中学時代の同輩が通うと言う接点もあり、特に籠球の横の繋がりは強かった。誠凛が創立二年というのも関係してくるが、相田は古豪や強豪と練習試合を組む事でチームの結束や強さを高めていったので、道で擦れ違えば挨拶するくらいの交流はある訳だ。高等学校を卒業すれば国民の約半数は軍属の進路になる。海常も秀徳も例に漏れず、森山は家系から、宮地は成績から、この春には既に座る椅子が用意されており、少し前に会った折り、軍服着られるようになったら見せて下さいね、なんてお世辞半分に伊月は言っておいた訳だ。そして森山の案で休暇の取れた今日と相成った。因みに森山の悪癖も影響している。
「今日も美人だね、伊月君。相田さんも!」
「カントク口説くとはいい度胸です。」
めきっ、と横隔膜に真っ直ぐ伊月の拳を突っ込まれて森山はその場に崩れ落ちた。
「埋めるぞお前。」
そうして容赦なくアーミーブーツで脇腹を蹴り上げるのは宮地だ。
「折角だし、何か相手してもらう?」
「あ、いいね!籠球やりてぇ!混ざっていいか、相田さん。」
「暇なんですか、軍人って。」
「馬鹿言うな。資料の読み込みカルテ整理ばっかで体鈍ってんだよ。野球同志はあんだが籠球同志は無い。バットで殴って回っていいよなもう。」
「いいわけないでしょう。作っちゃえばいいじゃないですか、籠球同志。サークルってんでしたっけ?」
「学生部活より簡単だしなー。木吉見習ってやっちゃうかなー。」
マントを脱ぎサーベルを降ろし、臙脂色の軍服の上下で肩の筋肉を解し、軍靴は草履に変え、上衣を体育館の舞台に置いて、宮地はボールを跳ねた。
「伊月、1on1。」
「ミスマッチでしょうよ!水戸部やる?」
「お、1on2でもいーぜ。」
「うっわ、余裕っすね。」
「俺伊月君と同じチームでー。」
「だったらもうゲームにしちゃいましょっか。日向くん、森山さんマーク。宮地さんは水戸部くんね。降旗くん、伊月くんに怯んじゃ駄目。黒子くんと火神くんは別のチームね。」
伊月と降旗を軸に二つ采配した相田のホイッスルでティップオフ。森山も配属は小隊指示なので体力も体の機微も伊月の目には明らかに落ちていた。
「これ、こまめにやろーや宮地―。」
「ああ、そうすら・・・。」
籠球ってこんな疲れるもんだったか、と二人は五分間ゲームの後で息を吐いた。汗を冷まさないように早めにマントも羽織った。夕方はまだまだ冷えるし先ほどは狐の嫁入りがあった。
「籠球のゴールどうする?」
「航空部隊の宿舎の裏に丁度いい高さの木ィあったから、あれにポストとネットはっつけて1on1でもやってりゃ誰か来るだろ。お前んとこ、小堀も来るじゃね?」
「あー、うん。一平卒からだけどね、あいつ。」
「この七光り!」
「やめて劣等感!!・・・にしても小金井君はイイ肉付きしてんね。」
「相槌に困るわ。撲殺されてーか。」
「あと、日向君の二の腕。なんで今胴着でやってんのかね?」
「お前の目から逃れるためだろ。その眼抉っちまうか。」
「さっきから苦情が俺に来てんすけど!?」
ばしこんっ、と伊月が掌底でぶん殴ったボールは綺麗に森山の顔面を直撃した。可哀想に誠凛籠球部の連中はそんな伊月を盾にするように肩を寄せ合っていた。木吉ですら相田の隣を離れない。森山の目は真剣だ。
「可愛い綺麗な人間は誉めなきゃ失礼だろ!伊月君もうちょっと肉付けよう!?太腿!挟まれたい!!」
「穴があったらいいとか最悪な思考だろお前、刺されるぞ。」
「刺されて下さいまじほんと、てゆかいい加減にしないと俺が刺します。」
ええー、と森山は不服そうにくちびるを尖らせ、真っ赤に染まった鼻っ面を撫でながらも時折、あ、今の仕草クるよね、なんて宮地に同意を求めて殴られを繰り返し、相田のほうに視線が向く前に、木吉の黒い笑顔に出会ったが、腹黒いのもいいよね、なんて全く改善されなかった。なんでこんなのとつるんでんだ、とはきっと宮地にとって一生の課題になるだろう。
時折入り混じった部活動時間が終わり、各自自主練の後解散。
「伊月くっ!?」
飛びかかってきた森山の腕を引いて脚を掛けて襟は取らずに身長も体重もある相手をそのまま一本背負いの要領で投げ飛ばした。おお、と宮地は思わず拍手を贈ってしまった。このまま肩外して引き千切っちゃいますよ、とバイオレンスな言葉に、おお、と二三歩後ずさったのは伊月の同輩のほうだった。
「ここじゃなんですから、そこの喫茶入りましょう。カントク!」
ん、と首を傾げた相田に、一言二言、降旗と日向を指示して遣り取りすると頷きあって、伊月は二人を体育館の入り口に呼び、廊下を渡って部室の扉を開け、ストーブに火をつける。
「日は長くなりましたがもう少し冷えますからね。着替える間に話聞きますよ。」
「あ、やっぱし。」
「森山さんは兎も角、宮地さんが何用も無く俺を訪ねるのは珍しいですからね。」
さっくりと汗を拭って荷物の整頓と着替えを同時に伊月は進める。
「まあな。笠松の依頼を伊月が解決したってのは聞いてたし。相変わらず綺麗な肌してんねー。肩甲骨とこ蚊に食われてるけど。」
「ひ!?」
慌ててシャツを羽織った背中は耳が真っ赤だ。くつくつと森山が笑ったのに振り返りながらベルトを調節。この手合は大概にして伊月と彼のひととの関係を見抜いている。
「手短に。変な手紙が送られてきた。海常、今ちょっとパニック。」
「手紙は?」
「持ってきた。」
「お預かりします。喫茶入りましょ。腹減りました。」
手早くコートを羽織って鞄を引っ提げ、消印の無い茶封筒を伊月は見る。ストーブの火は宮地が落としてくれた。
「中を拝見しても?」
帰れば夕食があるし、いつもはこのまま事務所に直行コースだが、誠凛大学近くにある落ち着いた喫茶店を伊月は選んだ。駐車場に上等の馬車を見つけたからだ。
二人の軍服と近所の私立大学生の出現とその見目で店内はざわつき、特にウェイトレスや女性客が色めき立つが、この付近は良家の深窓やその世話人くらいしか客はいないのでホールなどに比べると値段は高いが客の質も高い。この喫茶店はきちんと客層も捉えており、店内は大人しい調度で派手なインテリアは一切無い。店長も店員も足取りを危ぶむ事は無いし喫茶も軽食も上品な味がするくせ、季節限定のシャーベットや量を食べるなら、と種類は幅広く流行を捉えている。
「いいよ。消印が無いってだけで不審だとは思わないから。」
ウェイターが述べるメニュー表片手に森山は紅茶を注文。同じものを、と伊月が続いて宮地はそれと、と何か食べるつもりらしい。
茶封筒には筆で宛名書きがあり、《森山由孝様》ときちんと記されているし、住所もあるし切手もあるが郵便局を通過した記録にもなっている消印が捺されていない。ひっくり返せば差出人の名前は書いておらず、封をした上に〆と記された。ペーパーナイフで綺麗に開けられているそこからは便箋が出てきた。
「結構あるんです?差出人の無い手紙。」
「いや?恥ずかしがり屋さんの仕業かなって流してる。」
「お前ほんとまじ夜道の背後気を付けろ?」
「そしたら宮地が護ってー?」
「きっしょくわるい!刺されて死ね!」
極普通の封筒に入っていたのは極普通の便箋だったが、内容が普通でなかった。あと、折り目も少し曲がっていたので急いで作ったか、まあまともな神経でないのは確かだろう。
《森山由孝様
突然のお便り失礼します。
これは、不幸の手紙です。
この手紙を10人に送らないと、私に災いが訪れるそうですので、申し訳ありませんがあなたに送らせていただきました。
3日以内に、同じ文面で10人に同様の手紙をお送り下さい。
そうしなければ、あなたには、想像を絶する不幸が訪れることになります。
明治58年3月に、この手紙を止めた千葉県の広田くんが、原因不明の死を遂げました。他にも同様の不幸は、多々生じています。
私はあなたに、彼女と同じような不幸を体験してほしくありません。ですから、ぜひとも、この手紙を止めないでいただきたいとおもいます。
最後になりますが、あなたに不幸が訪れないことを、心より、お祈り申し上げます。》
特徴があると言えばある、無いと言えば無い、そんな筆跡が綴る文面に、伊月は苦笑しながら運ばれてきた紅茶にミルクを垂らしてくるりと食器を掠れさせる音も無くスプーンをソーサに戻すと薄紅色の水面に息を吹きかけ、一口含んだ。ミルクの甘さがとろりと喉を潤してやわらかな香りが腹の底を温める。
「これ、十人に回しました?」
「いんや。」
「賢明です。理由は?」
「消印の無い手紙。これは時々ある。主に親父宛でね。で、この手紙は色々それっぽく書いてあるけど、《広田くん》とあるのに。」
とん、と白い手袋を纏った指先が紙面を叩く。
「ここには《彼女》とある。原因不明の死体なんてその辺に転がってる。幸福や不幸はこんな手紙に踊らされず自分で決めて完遂させるものだ。違う?」
森山は男女を問わず恋愛枠に入れて対象者にはその出会いを運命と語ったりするが、頭は良いし素行だって時折の奇行を除けば断然。人付き合いに関してもなんだかんだと良好で、学生籠球世界では名前が通る。整った鼻梁に切れ長の目の面差しはすっきりと秀麗で、黙って座っていれば美青年で通じる。立ち上がればその均整のとれた長身は背筋も伸びて、男の目からでも憧れる。恋愛面を口に出させなければ。
「流石、流した浮名が違いますねぇ。」
「それ意味違うくね?」
「なんなん、それ。」
「俺も持ってますよ。」
鞄を探った伊月は白い封筒を取り出した。万年筆の綺麗な文字が、《伊月俊さま》と住所も綴ってあり、指先に隠されたが送り主の名前もあるらしい。
「えっと?」
「神戸新聞社に親父の知り合いがいるんですよ。同人誌扱いで文通相手募集とか若者向けの雑誌やってんですけど、その相手方が、」
「紹介して?」
「すると思いますかばか野郎。学校で妙な手紙が流行ってて困る、って仰ってらして。一枚くれませんかって頼んだんです。調べた結果、不幸の手紙と呼ばれるものですね。明治の初期、郵便施設が整う前に幸福の手紙、という名前で流行してます。」
「容赦なくぶった切ったな伊月。」
宮地と森山が覗き込んだ文面は、森山が寄越した便箋とほぼ同じ。ただ、いつ誰がどこかで死んだ、という記述や手紙を出す日程、出す人数などが違っただけで、内容としては本当に、不幸と言う得体の知れないものに脅かされて流行と言う名の連鎖が広がっている、との事である。
「手紙一枚でそうそう不安になるもんか?」
尤もな疑問を口にしたのは宮地だ。古代アーリア人の血を引く、金色の髪と明るい光彩の瞳の眉目の美しい童顔の優男だが身長はかなり高い。特に脚が長い。森山のプロポーションがこの国で理想的だとすれば、かなり高い位置に腰がある。日本に住むなら扉毎、場所によっては背筋を伸ばして立ち上がる事も難しい。籠球という競技に置いては武器である長身は日常生活の邪魔でもあるらしい。喫茶店の扉を入った時も目の前に扉の淵があり、結局頭を下げて通ったのを、軍服だというので店長が謝りに来たが、いつもの事だ気にすんな、と嫌味にならない程度の市井の言葉と微苦笑で追い返した。注文は冷える真っ赤な夕日の中でプリンと杏仁豆腐を悩んで森山が爆笑した。
「A10神経は御存じですか、宮地さん。」
「脳科学?ドーパミンだろ、A10神経。」
さらりと回答が来たのを、ごうかく、と伊月はカップで隠した口元で笑う。秀徳高校が推薦しての軍医になる男だけにある。
「はい。医学において、こころを生み出すのは脳だと言われてます。約五十億個の神経細胞から成る、そうですね。」
「あ、てめっ。」
宮地が突いていた杏仁豆腐を伊月のスプーンが奪う。片や軍人、片や私立大学生の遣り取りだが故になんだか笑える。
「脂ぎった灰色の杏仁豆腐、っぽい感じです。」
「おま、食えなくなるじゃねーか切るぞサーベルあるし・・・。」
「サーベルは切るより突くほうがダメージ大きいですね。フルーレの訓練やるんです?で、脳味噌は大脳新皮質、大脳辺縁系、視床下部、の三つに分かれます。」
スプーンの花を描いた柄がこめかみ、額をなぞってぱちりと器用に片方の睫毛が下された瞼の上を滑るのに、何だか森山は見惚れてしまった。
「大脳新皮質、宮地さん。」
「脳の一番外側。理性。」
「はい、大脳辺縁系。」
「感情。」
「視床下部。」
「生命維持欲求、食欲睡眠欲性欲。」
伊月から投げられた言葉にすらすらと宮地の回答は述べられる。
「以上の三つの構造でこころは造り出されます。医学的には。」
「あ、うん。」
「A10神経っていうのは活動自動抑制装置の、えっと。」
「オートレセプター?」
「それです。宮地さんいると会話のテンポがスムーズですねぇ。」
「からかってんのか。」
殴るぞ、と額を軽く指先に小突かれ、伊月はちいさく笑った。宮地の知識と頭の回転も本物だ。しかもそれは全てが努力と言う何物も裏切らないそれで裏打ちされている。
「オートレセプターが通らない。故に人間の想像力や精神力、そういったものは無限に広がるんです。」
「ってことは。」
「はい、恐怖という感情が何かを想像したとして、それが無限に広がって、物によっては、まあ、この手紙もそうです。伝播していきます。海常のパニックはこれに似た症状では?」
あはは、と森山は少々苦笑気味だ。どうやら正解らしい。
「いやぁ、武士の子がそんなもんで惑わされてるとか情けないよねー。」
「あ、そっか。海常って元士族多いですよね。早川とか中村もそうでしたね。」
「うん、多分あいつら来年も俺の後輩。中村は親父の代もそうだから多分そう。」
「お疲れ様です。」
「あー、俺んとこアレだな、独逸留学の話出てるわ。」
「独逸労働者党、でしたっけ?」
そうそれ、と杏仁豆腐を平らげたスプーンを宙に回す。
「あんまり良い評判聞きませんよ?ロマやユダヤを差別したり。」
「ロマ?」
「ジプシーの言葉でヒトって意味だそうです。」
「古代から流浪してんだっけ?」
「諸説はありますが、埃及で占い師を騙ったのが流浪の原因だそうです。」
お前らと話してると勉強なるなるー、なんて森山は笑う。
「好きこそものの上手なれ、ていうのは先ほど話したA10神経が合成するドーパミンのせいなんですよ。」
「あれ、A10神経っていい奴?」
「悪い物じゃないですよ。ドーパミンは一種の脳内麻薬です。幸せな気分を起こしたり幸せな気分にさせたり、あとやる気を出させるのもこれです。籠球してる時は大概出てる筈ですドーパミン。」
「あー、不幸の手紙はそれがマイナスに働いちゃった、てこと?」
そうなりますかねぇ、と伊月は線の細い顎を摘まんで、鋭利な黒曜石が住む怜悧な切れ長の目を伏せた。白い肌に睫毛の影が窓から射す夕日に綺麗だ。
「例えば、不幸の手紙が来た直後に森山さんが宮地さんに轢かれたとして。」
「すっごく想像出来ちゃうから止めてそれ。」
「ね?不幸の手紙のせいで災厄がーって思うでしょ?」
あ、なるほど、と森山は切れ長の目を瞬かせ、すごい賢い、なんて伊月の髪を撫ぜた。
「やばい宮地、伊月君の髪の毛ちょう触り心地良い!」
「え、まじで。」
「御父上方に通報しますよ!?」
悪い悪い、と手を振って宥めにかかる二人に、うむー、とこれまたあざとく唸った暁には宮地からパンケーキの一欠けらを貰った。この男は甘党だ。熟したパイナップルをよく同輩に強請っていた。熟す前の物はよく後輩の脳天や頬に刺さっていた。
「知識としてお渡ししておきますね。幸福の手紙は五世紀頃には既に仏蘭西の書簡に登場してます。大陸から渡って来てます。当時は呪殺が主流でしたから、科学が発展してから不幸の手紙が出来ました。指定人数も増えてます。」
へぇ、と何の気なしに呟く傍ら、うん、と宮地が首を傾げた。
「幸福の手紙は《あなたは運命の手紙の運び手に選ばれました。これと同じハガキを複製して、7人に送ってください。3日以内に送れば、あなたには幸せが訪れますが、送らなかったり、このハガキが届いたことを他人に話せば、必ず交通事故に遭うでしょう》ってとこが主流でした。」
「どこかで不幸に書き換えた奴がいる。」
「そういうことになりますね。言霊とも言いますし。カルトな方面から考察しますと、蠱毒ってご存知です?」
知ってる、と頷いたのは森山だ。さっすが、なんて伊月は笑ってしまった。
「コドク?」
「大陸にある呪いです。壺の中に蟲を閉じ込め共食いさせ、残った一匹を呪いたい相手に送りつけるんです。大量の金品と一緒に。そうすると蟲は相手を食べる、という寸法だそうです。犬神なんかはこれと似た手法で行いますね。飢えさせた犬の首を刎ねる。」
「うわ。」
「あと、海常で恐慌起こしてるんですっけ?」
あー、と森山は呻く。
「ちょっと失敗だったわ。この手紙、俺だけじゃなかったらしいんだわ。」
「海常で不幸の手紙が蔓延してしまった?」
「あとテーブルティッピング。」
「あ、それ知ってるわ。水入れたグラスに悪魔降ろして文字追いかけていく。」
「稲荷神じゃなくって?」
「違うの?」
ちょっと待ってください、と一度伊月はコートのポケットから黒革の手帳を取り出す。数頁捲って、あ、と文字を解き再構成。
「ヴィジャです。これも不幸の手紙と同じく流行してますね。降霊術の一種と言われてますが、道具は文字を書いた板とそれを追うための道具・・・はコインだったりタイルだったり鉛筆だったり、ですね。それを複数で指を置いたり握ったりする。ルールがあるんですよ、絶対に一人でしてはいけない、って。」
「なんで?」
「動かないからです。」
ぱたん、と手帳は閉じられた。
「森山さんはやりました?」
「いや?黄瀬はやったらしい。つかアイツの辺だな、流行りはじめたの。」
「そういう時期ってありますから、まあ、飽きたらどうでもよくなると思います。テーブルティッピングの要領ですと、そうですね、お冷一つ頂けますか?」
ウェイトレスはほんのり頬を赤く染め、少しで良いです、と伊月の声に、グラスに半分程度の水を用意してくれた。
「この縁に指先当てて下さい。」
力入れないで、と伊月の声に、三本の指が硝子のコップの縁に乗る。
「解ります?水の表面波打ってるの。」
「あ、ほんとだ。」
「何だよ筋肉の無意識活動じゃねこれ。」
「どういうことよ宮地センセイ。」
「伊月がチカラ入れるな、つったろ?チカラ抜いたろ?指先も動かさなかったよな?」
「うん。」
「でも、脳神経やら筋肉の収縮やら血管の運動やらで生き物ってのは絶対に動く訳。で、さっき水面揺れたみてーにっ。」
とつとグラスの曲線を宮地の長い指先が弾くと、磨かれたテーブルを滑って伊月が指先で捉えた。
「何人かで用意した道具は勝手に動く訳。で、無意識の意識が働くから、さっきのA10細胞と理論は同じか?好きな文字へ勝手に行って勝手に文章が作られる。」
「ほーぉ。」
「テーブルティッピングに関してはそれでほぼ正解だと思います。ヴィジャに関しては亜流が多いのと実際にちょぉっと精神ヤっちゃってるひといるんでー。」
「まじでか。」
「英吉利の事件ですね。宮地さんがゆってた悪魔を降ろすあれです。悪魔はどこにいるって聞いたら、グラスはテーブルの下だ、と応えたそうで。」
え、と宮地と森山の声音が引き攣る。
「タブーらしいんですよ。悪魔の居場所や名前を聞くのは。」
そっと潜められた声音、徐々に明るくなる店内照明。窓の外はいつの間にかすっかり暗い。店内に流れていたラジオにノイズが混じって、ウェイターが周波数を探っている。
「でも、その日は酔っていて。テーブルの下を覗いた男は。」
パンッ、と窓が鳴ったのは急な気温低下に突風が吹き荒れたからだ。目の前の軍人は強張った面持ちでそのうつくしい学生を見た。
「・・・そのまま発狂した・・・。」
ジジ・・・ッ。
最初に声を発したのは誰か、ラジオの局があったのか、歌謡曲が陽気なテンポを刻んで店内に踊っている。
「というこれもフォークロア。伝説や噂の域を出ない怪談話という娯楽ですが。」
すっと静かに紅茶を含んだ青年に、おい、と硬質な声音がかかる。
「なんでお前今そんなムード作っちゃった?ムード作るの上手すぎるちょっとそのテクニック頂戴。」
「偶然に偶然を重ねたものを運命と呼ぶのでしょう?森山さん曰く。」
まじ怖かった、とテーブルに突っ伏した森山を突いている宮地はカツカツと爪先を鳴らしている。
「ああ、因みに。」
「「何か!?」」
「今夜みたいに風の強い夜、友人と酒を飲んでの出来事だそうですよ。」
「「飲まないっ!」」
「じゃあこんな警告させないで下さいよ。ヴィジャが科学的に証明されていないのは事実なんで、テーブルティッピングなんかも止めて下さいね。実際に死人が来ちゃったら嫌でしょう?」
「殴るぞ!」
「海常のほうには機会を見て一度訪ねてみますね。飽きちゃってたら吉、やってたら今みたいに脅して辞めさせますんで。」
黄瀬泣くわ、と森山が笑って、案外緑間辺りも腰抜かすかもなぁ、なんて苦笑している宮地だが、やっぱり爪先が鳴っている。
「さて、俺はこれで失礼しますね。あ、そうだ。」
折角なんでこれ、と渡されたのは壮絶に美しい黄金比で抜かれた上質の紙で、《今吉探偵事務所 所長助手 伊月俊》という肩書と名前、探偵事務所の住所と電話番号が書かれた名刺で、森山と宮地に一枚ずつ。
「緊急の際は裏の電話番号で呼び出してください。俺の家の電話番号です。事務所のほうも絶対誰かいますけど、まあ、今回お話させて頂いた御縁、ということで。」
「何が御縁だ。ぜってー千切ってやんねぇよ。」
「そうだね。伊月君とお話しするの、俺好きだし。」
「それは良かった。すいません、お会計。」
「いーよ、奢られとけ。紅茶の一杯分くらい出すから。」
でも、と伊月は言い募らせ、先に続くであろう言葉を宮地は待ったが、ふわっと花が綻ぶ様な笑顔で肩を竦められた。
「では、ご馳走になります、先輩方。」
綺麗にお辞儀をして笑って、聊か乱暴に頭を撫でられたが、悪い気はしない。少し髪が乱れる程度、すぐ直る。この温度を、伊月は覚えておきたい。
二人はそのまま軍学校の寮まで馬車に乗せられるらしく、伊月を路面電車の停留所に送ったところで別れた。
「こんばんはー。遅くなりました!事務経理今からやりますー!」
ぱたぱたと駆けこんできた足音に花宮は顔を上げた。最近伊月はちょっと表情が変わった、と同僚は思っている。
「翔一さんは?」
「私立海常大学付属高等学校の集団ヒステリーの件、まだかかるらしい。遅くなるって伝えとけだとよ。」
「解った。秀徳のほうは?」
「特に収穫無かった。で、俺らがそんな風に駆けずり回ってた間にお前は呑気に紅茶とー?ソフィアかよ。あっまったるい臭いさせやがって。」
「俺にだって収穫無かった訳じゃないよ。」
デスクに向かって領収書やら小切手やらを整頓しながらもう片手は算盤をばちばちと鍛えられた指先が弾いている。かなりの速度で弾いても追い付かないで、結局頭の中のそれに頼るのだが、算盤自体の重さが赤ん坊位の重さがある。不安定に錘を仕込んだ花宮の意図には気付いているが、気付かない振りも、もう慣れた。
「軍に食い込むのは骨が折れるって、前にお前、言ってたじゃない?」
柔軟な指先が玩び、ポケットの名刺入れから本日三枚目に取り出されたる名刺の裏には、森山由孝少尉と宮地清志医学研究班班長の肩書とホットラインの電話番号が書かれてあった。
緊急の際に連絡しますので一応、なんて下手に出た他校の後輩に、先輩二人は随分と甘ちゃんだった訳である。
「どんな詐欺だ一体。」
「人徳ってゆってくんない?はい、計算終了。会計報告所長のデスクに置いとくよ。」
ぴらり、一枚の書面に数字の羅列が並んでいて、それが正確なものだと把握している花宮は、お疲れさん、と気の無い返事をしておいた。


続く。

***

何本目になるのこれ。森宮月イエー!!というわけで!!月ちゃん凄く強かになりました!!というお話?あっ翔一さん空気だwww後編はちゃんと出てきます。多分。■加筆修正しました。(2/26

2013年2月24日 06:41初出。

全国の森山さんファンを敵に回した気がする一本。

20130404masai