あの子が欲しいと言ったなら。
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怒りや憤怒と言った感情は結構強いんだなぁ、なんて伊月は深夜のロードワークで考えた。町内を何周か、自分でこなせる距離をカントクに提示されて、坂道や階段の上り下りや、昔はこの辺で遊んだりもしたよなぁ、なんて秋風の強くなったちいさな公園で一度、弾んだ息を整えた。 あの場所であのパスで、どうしてもう少しの瞬きひとつの勝負に勝てなかったかな、いやスコアで見ればダブルスコアだった訳だけれども、エースの負傷もあった訳だけれど。怒りや憤怒も全て自分に向いた感情だ。溜めこみ過ぎるな、と日向にはよく言われるので流石に自覚もある。 「どーした、もんかなぁ。」 異様に月の明るい中、街並みが解けた。形作った線がするすると月光の下に、ただの線となった平坦な世界で、伊月は目を閉じた。 「こんばんは。」 その線は足元で絡み合い絡み付き、まるで蜘蛛の巣のようだった。 中学時代、バスケの公式試合観戦に何度か引っ張られた。今吉センパイは本当に何を考えているか解らない。県外だったり夜行バスに乗せられたこともあった。その日の目当ては次の強豪だが、その前に弱小同士のまるでお遊びのような試合があった。しかもスコアは一方的。チームを引っ張れる奴はいない。辛うじて3Pを決めれる眼鏡と途中交代で入った綺麗な髪の司令塔で一度点差は追い付いたが、また引き離されて、結局負けた。無気力にコートを去ったチームは、雑談に興じながら帰る支度をさっさと整えて、体育館を去ろうとした時に、ふとセンパイは呟いたのだ。 「あのこ、ええな。」 果たしてどれだか。どれも塵屑みたいなもんだろ。 「えっと、ごめん・・・。」 去年の夏を忘れたのだろうか、伊月の瞳は花宮の姿を映していない。迷子のように視線を泳がせ、えっと、ともう一度呟き、眉間を抑えた。 「伊月俊だろ?」 「そう、ですが。」 「花宮真。」 「はなみや・・・。」 ぱちん、と切れ長の目を飾る綺麗な扇形の睫毛が上下した。 「無冠の。」 「そう、無冠の五将ってな屈辱に塗れた肩書を持ってる、悪童こと花宮真だよ。バスケやってんなら知ってるだろ。」 「・・・バスケ。」 そうか、バスケ、とどこか気の無い声に、これは、と思わず口の端が吊り上る。 「ちょっと、ゲームしようぜ。」 「無冠と?バスケ?」 「まあ付いて来いって。」 努めて優しく笑うだとか、なんと反吐の出る行為だろう。センパイの電話番号は携帯電話に入ったままだ。時々振り込め詐欺の昔の手合のような電話がかかってくる。どっちにしたってお遊びだろう、なんて花宮は考える。 今吉はバスケ部主将の肩書の他に桐皇学園高校男子寮寮長の顔もある。門限は過ぎたが、と連絡した花宮だが、明らかに時間の法則を無視しただろう、という速度で花宮真が所有するアパートの一室にやって来た。黒に赤のラインが入ったジャージに黒いシャツはバスケ部のそれだ。 「今吉さん・・・?」 「今吉翔一。桐皇のバスケ部だ。」 「花宮、ちょぉ手伝うて。」 「はぁ?」 何を、と聞く前に今吉は伊月の青いシャツを脱がせた。 「なにやってんだアンタ!」 「はい、伊月クンばんざーい。」 「え?え?」 そのまま伊月が着せられたのは、さっきまで今吉が来ていた黒いシャツ。右胸には桐皇バスケ部の文字がある。妖怪に突拍子がないのはいつものことだが、とコーヒーを用意しながら花宮は考えると、にんまりと笑われた。読まれた、と思った。 「ほんまなんで真は桐皇来んかったん。」 「アンタと仲よく通学とか反吐が出るからに決まってんだろ。」 ラグに座った二人にコーヒーを用意してやれば、今吉は一口啜って、にがい、と苦情を訴えるが、伊月はぽかんとしたままそれに手を付けない。 「なあ、俊、ゲームしょうか。」 先程の花宮とよく似た科白。頭上にボールが放られた、あの瞬間と似ていた。 「伊月さんっ!それマネージャーの仕事ですから!」 ミニゲームに使われたビブスが体育館の隅に放られていたのを鷲の目は見逃すことが出来ずに、体育館脇の洗濯機に運んだら桃井に叱られた。私たちの仕事取らないで、とも微苦笑されながら。 「だって俺スタミナ無いし、今吉さんにも休憩言いつけられちゃって暇でね?」 ほんとごめん、なんて女子の扱いに妙に慣れている伊月は笑って、桃井と並んで洗濯機前で作業する。 「水分取りました?」 「うん。冷えないようにもしてるし。」 「あ、着せられちゃったんでしょー。」 伊月が羽織っているジャージには今吉の名前が刺繍されてある。どうにも主将はこの転校生がお気に入りのようだ。寮でもよく入り浸らされていると聞く。 「ところで青峰は?」 「私の勘が正しければ屋上です。もーほんと練習出ないんだから・・・。」 「ま、あの実力じゃぁな。こないだも若松と殴り合ってたし。」 「え。」 「あ、これゆっちゃまずかった?」 大ちゃんの馬鹿っ!と桃井が放った洗剤の箱は中身をぶちまける前に伊月が見事にキャッチした。 「若松であれだと俺は吹っ飛ぶな。流石に女子には暴力振るわないだろうから、またこ今度様子見てやってよ。俺は才能に溺れて鍛練しない奴は嫌いだし。」 それでも嫌いになれないのは、この間無人の体育館でボールを跳ねていたのを見たからだ。キセキの連中は誰もそうだ。才能に溺れてなんていない。言い様は様々のようだが鍛練は誰もが欠かしていない。時折今吉に連れて行かれる練習試合の風景でもそう思う。 「俊、ここにおった。」 「はい、ちょっと桃井さんのお邪魔してました!」 「ロード行って今日は終わるけど。」 「行けます。」 「ほな桃井、頼む。」 「解りました。」 そうやって体育館の入り口に戻れば若松に黒髪をぐしゃぐしゃにされた。女生徒に人気があるのも部内で人望があるのも変わらないのに、どこか彼の中にはすっぽりと抜け落ちた部分がある。 「キャプテン、今夜、伊月借りていいですか。」 試験休みに入る、との事で寮の食堂中に響く大きな声で言い放ったのは若松だ。その言い方誤解を招くぞ、と諏佐が言った。 「ああ、お前理数弱かったな。桜井もついでに見て貰い。青峰はー・・・。」 「俺も行く。」 「大所帯やな。ゆーか、青峰勉強出来るん?ほんまに?」 「しなかったら電話します。」 「解らんとこあったら呼びや。」 「ありがとうございます!」 「俊にゆうとんねん!」 前期テストのあまりの点数に青峰が教師から課題を出されてそれを今吉らが片付けさせられたのは記憶に新しい。地獄の夜とも呼ばれたらしいが、それは伊月は笑い話として聞いている。 「伊月―、ここの公式―。」 「ここ計算おかしい。こっちはここ代入。」 「スイマセン、連立方程式が成立しなくて・・・。」 「ん?ああ、ここの積算違ってる。」 「なあ、この漢字って何て読む?」 「・・・青峰、中学校授業受けてた?」 「赤司のシゴキが半端なかった。」 「理解。フチ、だよ。」 「サンキュ。」 「青峰お前、年上には敬語だろうが・・・!」 「あぁ?」 「喧嘩するなら今吉さん呼び出すよ。」 鶴の一声。暫く室内はシャーペンの走る音で満たされた。そんな今吉さん怖いかな、と伊月は苦笑しつつ、構文と戦って勝利した。秋の国体の時期が過ぎて、ウィンターカップ予選の時期が近くなる。桐皇は既に出場が決定しているので基本的にペースは崩れていない。今吉が居る限りは伊月はベンチ要員だし、とも若干切なく考えながら、それでもポイントガードとしての役職に練習は欠かしていない。 「指先のタッチとリズムです。僕なんかが生意気ゆってスイマセン!」 「そこで謝られても嫌味にしか聞こえないぞ、桜井。」 「すっ、スイマセン!スイマセン!!」 自分で動けて得点力があってこそのポイントガードの役職。司令塔としての役割は視野と指示力、そしてバスケというスポーツに置いては万能でなければいけない。伊月に身長は無いが、視野はある。落ち着いてフォームを崩さなければ3Pだって決められるが、その隙を数秒は奪われる。桜井のクイックにしたって、赤司には獲られるぞそのボール、とは青峰の談だ。若松相手にディフェンスしたって押し負ける。足は速いほうだが重さが無い。 「ノールックパス得意やんな。」 「まあ、そうですね。」 「その要領でボールは獲れん?」 ダム、と体育館の床を弾いて1on1で対峙した今吉がふと提案した。獲ろうと伸ばした指先に既にボールは無く、簡単に抜かれる。ノールックパスの要領、と今吉は言った。 「っ!」 バックチップに今吉が振り返り、そこから回り込んだ伊月がボールを奪って、レイアップ。 「ええ鉤爪隠してるやん?」 「能ある鷹は爪を隠すと言いますがね。」 鷲が爪を隠すのは聞いたことが無いです、と伊月が笑った。百発百中にせなあかんで、と体育館から皆が去った時間でもそれは続いた。時折花宮が訪ねてきて、大事なのは指先と肩の柔軟性だ、と指導もくれる。 ウィンターカップ予選、桐皇の連中は今吉が伴って体育館を訪れた。花宮真の公式試合が見れる、と伊月は浮かれた。あの頭脳はあらゆるチームプレイを分析してボールを盗んでいく。袋詰めで持って来られた青峰は痣だらけになったが、伊月に宥められて座席に座った。始終びくついていた桜井と、今のパスは、と忙しなく鷲の目はコートを見下ろした。 「霧崎第一、負けたな。」 くそ、と悔しげな声音がベンチで発され、次の試合に移行する。霧崎第一を破った学校のチームは一度、桐皇のブレザーを認めて、睨んでから、皆が一様に泣きそうな顔をした。 「鉄心、て花宮と同じ無冠だよね?木吉鉄平、だっけ。」 「ああ、あとは火神と黒子の一年コンビ。」 「聞いたこと・・・無い選手です。」 「あ・・・。」 青峰が楽しそうに笑ったことだとか、記念大会の特別枠だとか、忙しないウィンターカップ本線を目前に、今吉と伊月の自主練を花宮が訪ねてきた。 伊月の質問で一度今吉の顔色を窺った花宮は、清掃のモップの柄に顎を乗せて唸った。 「誠凛って新設校でな。火神大我は帰国子女。黒子テツヤはあれだ。キセキの世代の幻のシックスマン。」 「あ、ほんとにいたんだ、シックスマン。」 「いたんだよ。中学時代に面識は無いが、まあそういう事だ。」 「花宮のプレイは俺でも腹立つもん。」 「お前もイイコちゃん共の仲間入りか?」 「ん、ちょっと違う。」 タン、と軽くボールは弾かれ、綺麗にネットを潜った。 「ラフプレーって名前があるってことは、認められてるってこと。審判の死角での争いは確かにどこにでもあるし、特に花宮のチームは自分の怪我も覚悟でやってる。その姿勢は好きだよ、俺。桐皇もね、チーム自体は個人主義。練習で声は出し合うけど、試合はあくまで個人主義。自分で出来る事を極めた結果がチームだもん。聞いたところ、誠凛は鉄心と一年コンビが実力中枢のチームだし。」 「あいつらの基本はチーム一丸のランガンだ。」 くふ、と喉の奥で伊月は笑った。 「蜘蛛の糸が引き千切られた原因はそこかな?」 「いや、黒子がやりやがったな。チームプレイを無視した得意のパスだ。」 「・・・パス、だけ?」 「まあ、ボールぶん殴ったりしてるけどな。」 「それルール違反でしょ。」 それもルールぎりぎりのとこでやってんだよ、と花宮はモップを指定の場所に仕舞い、おつかれさん、と肩を回した。きっと本選出場への激励の積りだったのだろう。 「こっちも練習試合で調整して、本選やな。」 「ですね。」 「いつでも出れるようにしときや?」 「主将自ら弱気とか、先が思いやられますよ。」 自主練の汗をシャワーで流し、ロッカールームでカッターを羽織る前に、そろりと下から背筋を撫ぜられて伊月は肩を跳ねた。 「び・・・っくりするじゃないですか!」 いつもなんだかんだと悪戯を仕掛ける今吉は日常だが、振り返ると顔の横に腕が伸びてきた。 「今吉さん?」 「なあ、自分、ここが好きか?」 「仲良しこよしよりもライバルが多いほうがいいですね。仲良くやってる振りで結局世界の中心は自分です。」 「ええ答えやな。」 ガチ、と当たった歯はただ痛い。伊月のファーストキスは傷みの後に急激な熱さに見舞われた。ねとりと口内を舐めまわした舌は、ぺろりとくちびるを舐め、満足したのか、ふにと指先に柔らかく擽られた。 「・・・な、んですか、ちょっと。」 悪戯にしては度が過ぎる、と睨んだ黒曜石を飾る睫毛に真白の肌に涙が浮いている。 「試合に勝ったら、とかの告白は一種の浪漫やけどな、ワシらどうせ勝つやん?」 「あの・・・。」 「せやから、これは記念や。」 「きねん・・・?」 それは何の意味だ。何の記念だ。真っ赤に染まりゆく肌の下に渦巻く思考を読んだように、今吉は口端を吊り上げた。 「知らんでええんよ。俊が生まれ変わった記念。クサイ事も性に合わん。ワシのお気に入り、なんてもんは止めや。ワシのもんになれや?」 疑問形の語尾を、その視線は裏切った。しなやかな腕はそのまま今吉の首を巻き、踵を上げてそのくちびるに歯を立てた。がり、と柔い粘膜を傷つけられて、かさついたくちびるからは血が滲んだ。 「ちゃんと大事にしてくださいよ。」 今度は触れ合うだけのキス。あまくてやさしくあついそれ。その夜、伊月は自分の部屋に帰らなかった。息が白くなり始める時期に、その夜は熱くて堪らなかった。 調整の練習試合では幾度か伊月もスタメンで起用されて嬉しくはあったが、同時に今吉のプレイとは別の物を希望されていると知っているから、だからこそ緊張はしたし、同時に高揚もあった。バスケは素直に楽しい。練習試合の終わりに原澤監督が用意してくれたのは温泉宿で、練習試合には一切出なかった青峰以外は疲労回復に努めた。 「俊、ちょぉ。」 「はい?」 「家族風呂借りれたからそっち使い。」 「なんで・・・あ。」 ユニフォームに隠れる際どい場所は、別の意味合いで衆人環境に晒せるものでない。ばか、とくちびるを尖らせて、貸し切りの狭い温泉風呂に向かった。露天楽しそうだよなぁ、と風呂上がりのシャツとジャージで髪を拭きながらロビーへ行くと、自販機の隣のベンチで一人の青年が寝ていた。 「・・・?」 風呂で逆上せでもしたのだろうか、額にタオルを乗せて真っ赤な顔で浅い呼吸を繰り返している。スポーツ飲料でも差し入れてやるべきか、と考えたが売り切れていた。花宮が甘いと嫌う紅茶を買って、ロビーに無数にあるベンチに腰かけた。連れが居るなら面倒を見に来るだろうが、一人でそうやっているなら危ないな、と伊月はその水色の髪を見て、ふとスカウティングででも見たのだろうか、と記憶を辿った。既視感。ああ、と記憶に思い当たって顎を摘まんだ。 「誠凛・・・。」 花宮を、霧崎第一を破った後に観客席を見て、酷く悲しそうな顔をした一団。この青年は、その中にいた一番背の低い彼だ。 「なにやってんだ。」 「あれ、青峰。どこ行ってた?」 「暇だったから近所の体育館で遊んできた。」 「・・・不法侵入と器物破損?」 「壊してねーし。」 しかし勝手に入った事は否定しない訳だ、と伊月はちいさく笑った。彼が今吉の飼い子であるのは部内では周知。というか、桃井が、女の勘舐めちゃだめですよぉ〜、とか言い出した時は部員全員で背中が寒くなった。 「テツ?」 「あ、やっぱり誠凛の?」 「あん?妙なこと言いやがるなアンタ。黒子テツヤだろ?昔からこいつ露天風呂行ったらぜってー逆上せてやがっからな。テツ、起きろ。」 コツンと外ででも買ってきたのだろう、スポーツ飲料をその枕元に置いた青峰は、黒子の反応にかはりと笑った。 「伊月先輩。」 「はい?」 背後に掛かった声に伊月が振り返ると、頭髪が燃える炎の赤い、大男が立っていた。尤も伊月が小柄なだけではあるが。 「い、伊月先輩っ!」 「え、なに。かがみ、だっけ?」 「火神だ、です!」 弾かれたように黒子が起き上がった。愕然とした二人の顔に、伊月は軽く微笑んだ。 「どうかしたかな?」 「伊月さん、こいつら俺に任せろよ。」 「殴り合いとかすんなよ?特に黒子とかお前に殴られたら119番だろ。」 くつくつと笑った青峰の額をつんと人差し指で突いた伊月との遣り取りが二人には衝撃的なようで。まるで知らない相手を探るような言葉に、泣きそうに眉を寄せた。 「俊―!手伝うてー。」 「あ、はい。今行きます!はっ、枡が行きますキタコレ!」 「来てねぇよ。」 「お前も他校生に喧嘩ふっかけんじゃないよ!」 「わーってますよ。」 まるで母親か何かのように青峰に言い置いて、サウナ室で逆上せた若松を引っ張っているチームメイトを助けに入った。 「伊月。」 「あ、誠凛さんも同じ宿だったんだ、やっぱり。」 さっきロビーで噂の一年コンビに会いましたよ、と灰茶色の髪の男に笑う。 「てか何やってんですか。桜井もふらふらじゃんか、ほらー。」 「ちぃっとサウナ室で勝負をなー。」 「勝ちました?」 「負けた。水戸部クン強いわー。」 「負けてんじゃないっすよ!」 ぺしーんと今吉の側頭部を叩き、一度部屋に戻って水分や氷嚢を持って戻ると、誠凛連中は部屋に戻ったらしかった。脱衣場に服装だけを整えたチームメイトは水分補給と体の冷却に努めた。 「一応、宣戦布告もしといたで。向こうの眼鏡もだいぶ貫禄出たな。吃驚はしょったけど怯みはせんかった。」 「主将で眼鏡って今吉さんもそうですよね。」 「言いよんな。」 「スイマセン、ありがとうございました!」 「ん、諏佐さんにも回して。」 桜井が復活して、いつも通り部員の世話を謝罪を連呼しながら焼きまわる。 「ほんで俊、明後日やけど。」 「あさって。」 「練習試合組むけど、スタメンで行けるな。」 「・・・因みに相手は?」 「誠凛や。」 そんな急に、と伊月が首を傾げると、是非にと向こうの女子高生監督が頭を下げたらしい。そんなもんか、と伊月は思った。ふうん、と。ただ、その夜は眠れなかった。黒子と火神の顔がちらついて離れなかった。桐皇は学年別で部屋を取っていたので、いっそもう今吉に話を聞いて貰うという手もあったが、三年の部屋には行かないで、伊月はそのままロビーに降りた。携帯電話の発着信履歴を探り、花宮真の名前を見つけると即座にコールした。転校してからは何故かアドレス帳を探る事をしなくなった。 なんだよ夜中に、と不機嫌そうな声音に、ごめん、と告げれば、しおらしいじゃねぇか気持ち悪い、と容赦のない罵倒が来た。彼と話すのは心地がいい。優しさを隠すきらいはあるが、素直に感情は表に出る。 「なんか、変。」 『変だぁ?今どこだよ。』 「温泉宿?」 『なんで疑問形だよ。』 「露天入りたかった。」 『あーはいはい。そんで?』 「一年コンビに会った。ていうか誠凛。」 『ああ?』 「なんか、おかしい。」 『だから何が。』 「そわそわする・・・違う。なんか、ざわざわって、なる。腹の底が気持ち悪い。」 ふむ、と暫くの沈黙があった。衣擦れの音があったので起き上がったのだろう。伊月はベンチに蹲った自分に気が付いて、そっと身を起こした。心臓が熱い。胸やけがする。 「明後日、練習試合組んでるって、ゆわれて。」 『ふん?勝ってこいよ。』 「スタメンだって。」 『まあぜいぜい頑張れよ、とでも。』 「言うと思ったかばか?」 『お前ね。』 お得意の科白を横取りされて、どうも面白くなさそうに花宮は呻いた。 『場所教えろ。一応行ってやるから。』 「うん、ありがと。夜中にごめん。おやすみ。」 おやすみ、と気怠く返されて、伊月は息を吐くと通話を切って立ち上がる。横になって力を抜くだけでも違うのだ。若松の寝言がなかなかに面白いのでそれで時間をつぶそう、と客室のある階段に向かおうと廊下を向けば、伊月より少し背の高い、誠凛の主将が立っていた。 「伊月。」 「日向、だっけ?同学年の筈だね。よろしく。明後日練習試合組むって聞いた。」 「・・・お前、転校したのって桐皇なのな。」 「今吉さん・・・主将がスカウトに来た。バスケの強豪だったし、前の学校じゃ負けてばっかだったからね、楽しいよ。今は。」 会話が奇妙に噛み合わなくて、相手は眉を寄せたようだ。伊月も何かが抜けていると、気付けないまま、気付こうともしないまま、会話は進む。 「勝つのが、いいか、やっぱり。」 「負けるより。」 「・・・そっか。ごめんな。」 「謝るようなことした?ああ、負かすからごめんってこと?」 宣戦布告は嫌いじゃないよ、と伊月はくすくすと、それはもう綺麗に笑った。そのまま部屋に帰って、ざわざわと脳の奥が煩いのに蓋をして、眠れなかったが寝た。若松の寝言からヒントを貰ってネタ帳が潤った。今吉の採点待ちとなる。 「よろしく。」 マッチアップになった誠凛のポイントガードは伊月より僅かに背の低い、どこか弱気そうな茶髪の一年生だった。用心深い、丁寧なゲーム運びをする。珍しくスタメンで青峰が火神を嘲笑うように抜き去って、伊月のパスでそのままフォームレスシュートをするまでもなく得点。あの俊敏性の使い道は幾らでも思いつく。誠凛は速さはあるが高さが足りない。スクリーン代わりに使ったシューターは大柄のチームメイトとぶつかって飛ばされた。 直後にコートを縦にぶった切ったボールで10番が得点。11番の存在は要注意、と汗を拭って、ベンチを見れば今吉が頷いて、桃井の指示通り。 「青峰、10番マーク。11番は俺が付きます、諏佐さん。」 諏佐のマークから11番はいつの間にか外される。これは視野が物を言うのではないか、という伊月の判断は妥当だ。バスケのコートを駆け回った経験は長いほうであるし、彼を見失ったことを伊月は無い。 「・・・え?」 マークに対峙した彼は、目を丸くし、にこりと笑った伊月に、せんぱい、とくちびるを動かした。 「・・・あれ?」 見失ったことが無い、とはどこから来た思考なのだろう、と伊月は一瞬考えた。観戦した時も確かに見失わなかった。幻のシックスマンは桃井と青峰から幾らかの情報は入っている。影の薄さを利用して、相手の視線を誘導して、そんな戦略を持つパスの達人。 「黒子!」 降旗から回ったボールを日向に回そうと黒子は動いたが、伊月のマークに窮した。秒針が刻む。 トン、とボールが伊月の膝を弾いて、目の前を横切って行った。 「やってくれるね?」 「・・・覚えていませんか。」 「何を?」 「僕たちのことを。僕のことを、いつも先輩は見つけていてくれたのに。」 「この眼のことを言っているんなら秀徳の一年のほうが手強いよ?」 若松から回ってきたボールをぺネトレイト。 「伊月ィ!」 「俺にダブルチームとか、役不足もいいとこでしょ。」 日向と木吉のマークに思わず笑ったが、そのまま綺麗にティアドロップ。これは花宮に鍛えて貰った。正直腹芸は苦手だが、小学校二年から、中学から、高校まで、伊達にコートを駆け回ってなんていない。裏の裏は表。の、更に裏。 「それより、青峰を止めるべきだろ。」 戦略として本気で掛かる気がないのが、ただ、伊月には腹立たしい。勝つなら、勝ちたいなら、極めろ。そして勝て。負かせるなんて考えるな。勝つことだけ考えろ! 「第1Q、終了です。」 ホイッスルの音で伊月は踵を返す。ユニフォームの襟で汗を拭う不精にタオルが投げられた。花宮が桐皇のベンチの少し離れた場所にいた。 「お、真来たんか。」 「誠凛とやるってゆったら、見たいってゆってたからメールしときました。」 「ワシのメールは無視したくせにな!」 「はいはい、手応えは如何程ですか。」 たしと手を打ったのは原澤。桃井の分析と伊月の戦略はほぼ合致。このまま行きます、と声に被さる様にホイッスル。誠凛ボールから。 伊月のマッチアップは黒子だ。まだ彼の誘導についていけるほど他の目は慣れていないし、若松は血管が切れそうだ。 「先輩は夏休みの終わりに桐皇に転校したと。」 「うん?試合中に必要な話?」 パスコースを巧妙に塞いだ伊月を黒子は縋るように見る。どうしてそんなに泣きそうかな、と伊月はちくりと抜くのを諦めた棘が痛むような、そんな痛みに眉を寄せた。抜けない棘はそのまま組織を毒して膿んで腐らせるのだろう。 「どこの学校から転校なさったんですか。」 「・・・。」 言葉が出なかった。 「・・・え。」 間抜けなことに、そんな声音しか出なかった。 「黒子、だよな。」 「・・・はい。」 「なんだこれ。」 小首を傾げるように首を巡らせ、桜井にボールを回させればスイマセンを合図にスリー。試合のテンポが上がってくる。 「ナイッシュ。」 「スイマセン!ありがとうございます!」 「木吉、ブロック甘い。若松は煩い。諏佐さん、右展開で。」 ばらり、とこころの何かが剥がれる音がした。 「・・・木吉?」 「伊月。」 「あ、そか。ひゅーが、もっと走りなよ。火神は無理についていこうとするから切り返しに追い付けない。青峰にトリプルで。お前ら、得意のランガンどうしたの?降旗はもっとパス回しと状況判断教えたよね。なんで負けてんの、お前ら。そんな脆弱だっけ。あの時はもっと強かった。」 「それはっ・・・!」 「伊月先輩がいたから・・・。」 「負けの理由を俺にするんだ。」 「ち、が・・・。」 日向が息を呑んだのに、伊月は口端を吊り上げた。美麗な笑みだった。 「負けないから。」 鷲の目は、走り寄って来ようとする夏までの仲間を酷く冷たく見やった。 「俺は、もう負けたくなんてないから。」 足元から崩れそうになった日向を伊月が肩を捕まえて支えた。 「負けで諦めてバスケ捨てようとしてでも捨てられなかった日向はさ、どうしてまたバスケなんて始めちゃった?なんでこんな苦しくてしんどいことを何度だって繰り返してる?木吉もウィンターカップが終わればバスケを辞めるだろ?それくらい悪化してんだろ、脚。俺はお前らを否定したりなんて絶対しない。」 でもね、と伊月は切れ長の目で相手を射抜く。 「俺は、俺を否定したんだよ。」 角砂糖は二つ。ミルクも入れる。そうでなければ花宮の淹れたコーヒーなんて飲めない。 「これで胃を壊さない花宮を尊敬しちゃうよ俺は。」 「晩飯オムライス食いてぇ。」 「あ、ええのぉ。」 「桜井直伝でよければ。」 アパートの一室は長閑に時間が過ぎている。蜘蛛の巣に絡め取られた過去を伊月は結局拒絶も否定もしなかった。今までずっと、隠されたように見えなかった昔のチームメイトとはメールと電話くらいの遣り取りならしている。大学受験のシーズンが終わった今吉は、桐皇の寮を出て、よく花宮のアパートに入り浸っている。伊月も何だか桐皇に転校してから家族が余所余所しい気配がして、最近は花宮のアパートにただいまを告げるほうが多くなった。勝負事というのは結局、零か百しかなくて、どんな良い試合であったとしてもスコアだけで結果は決まる。 「皿運んでー。」 「ん。」 「卵買うてきたでー。」 「お疲れ様です。解いて下さい。」 「人使い荒いやろ。」 くふり、とフライパンの中でケチャップライスを切り崩しながら、伊月が笑った。 「じゃあ、今夜はどんなに酷くしてもいいですよ?」 閨の貌で二人に笑った伊月は、膿み腐ったこころの欠片をどこか、昔の仲間にでも、押し付けてきてしまったらしい。 「ふはっ、そりゃぁいい。」 「食器洗いも任しとき。」 「あ、じゃあ乾燥機の中も磨いておいて下さいねー。」 調子乗ったら明日身動き取れんなるん俊やで、なんて笑ったのは今吉だ。 かってうれしいはないちもんめ まけてくやしいはないちもんめ あのこがほしい あのこじゃわからん そうだんしましょ そうしましょ きーまった! |
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初出:2013年1月16日 19:24
千歳彷徨さまからプロット頂きました!が、どこかずれた気がします。桐皇伊月は素敵先駆者さまがおられますんで、描かないかなっと思ってたんですが・・・。夏から分岐したif世界という感じです。
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桐皇伊月、好きです。
2014120masai