|
彼は狭い昇降機の中で生きている。
女性の社会進出が進む今、白い手袋と礼装と、そして綺麗なお辞儀で今日も笑う。 「いらっしゃいませ。ご入用は如何でございましょうか。」 ガシャン、と昇降機の扉が閉まる。 今吉探偵と伊月助手と昇降機の中の美青年。前篇。 伊月の家というのは元は二千万石の大旗本であった。それは伊月家がどれだけ国に尽くしたか、というわけでは実はなく、獲り潰しが決められた家々を、悪い言い方をすれば利用したのである。その実貧しくなった公家の再建に尽くし、借金を肩代わりすれば元々その所有してあった荘園等が蘇り使用人が帰ってくる。それでも伊月の家の人間の熱に、尽くそう、と彼らは言ってくれた。詰まる所、それは人望のなせる業であった。取り潰された武家があると聞けばその奥を子の乳母として同じ屋敷に親子で雇い入れ、武家も公家も関係なく暮らした大きな屋敷は昔から江戸城に仕える家でもあって、また上からの覚えも目出度く大旗本まで上った。上から与えられた二千万石を何に使ったかと言えば、それはもう使用人として雇い入れてあった者たちの、現在の言葉を使うのであれば自立支援である。 今で言う相田家はその中に在った。ひとを育てるのが上手く、どの仕事に向くのかを確実に堅実に組み立て、更に大きく育てて自立させたのだが、ひとというのは恩義に忠実だ。特に大和国民はその誠実を、忠義と呼んで主に尽くす。恩義に尽くす。 維新の折に無血開城した江戸城。その際に伊月家の処分は事実上決まったものだったが、伊月家は尽くされた公家から今度は恩義を受けることになる。即ち華族の称号だ。過去にあの家から受けた恩義は金でこころで尽くし返し、また返しきることも出来ない。よって、幾つかの有力者は伊月家を国家中枢への、認められた立場への、そしてそこからの発言権を許可した。 しかしそこは伊月の家だ、と言われることは多くある。華族に与えられる様々な特権や称号を世襲しなかったのである。これは現伊月家当主の亡き祖父に言わせると、だって面倒臭いんだもん、という本音だか建前だか分らぬ言葉で、板垣退助の言葉に則り、華族院からは出て行った。しかしながらその際よくよく自分の事を調べなかったのが彼の祖先と言うべきか、永世華族であった伊月家は今でも無自覚ながら華族の末席に居り、そして一年前、跡継ぎであった長男には侯爵の爵位が与えられてしまったのは、皮肉かどうだか。昔は華族会館での社交界や学習院にも通わされていたようではあるが、伊月俊は碌に社交界にも参加せず、また学習院に通える身分であったと知ったとしても、普通に、と述べるには変な話だが、尋常小学校に通い中学で無二の親友とも学び舎を共にし、師範学校や大学でも自分のしたい事をして、成し遂げ、また次の勉学の道に通っている。相田家と日向家は終身華族であって、相田家は現当主が武勲を持ったことはあるが、そこはそれでこれはこれ。どちらの家も元を正せば伊月の家に何かしらの恩義があり、共に導き導かれ、今の形で存在している訳だ。 そしてそんな伊月家の跡継ぎであった彼の今日、ちょっと頭を抱えたい事態が発生している。 あんま堅っ苦しく言いたくないんですけど、と伊月は前置きした。 掠れた単によれよれの袴に、毛羽立った足袋と歯の潰れた下駄。本人は愛着があるのだというのであろう言い分も尊重したいが、流石に先ほど依頼にきたのであろうモダンなご婦人が、失礼しました、と逃げるように私立今吉探偵事務所を出て行ったのは目に余った。 客人の態度でなく、今吉の有様に、だ。因みに先ほどのご婦人は奈良の方面から遠路はるばる伊月家の長男が勤める先を見て来いと先日亡くなった祖父に言われて帝都に来たのだが、割愛させて頂こう。 ヴィクトリアとバロックが綺麗に融合した面談室に、霧崎第一大学の上品なブレザーと緋色のタイ姿で花宮の姿でもあれば違ったのであろうが、生憎仕事中毒者は二階で別の案件の処理の真っ最中であって、伊月は白衣を羽織って誠凛の研究室にいた。事の次第は花宮から聞かされたのだが、それならお前も接客出ろよ、という話であったが伊月にも見事なブーメラン攻撃となった。因みにブーメランとは、濠太剌利の先住民族アボリジニの狩猟に遣われた飛来武器である。投擲後にある程度の飛距離のもと、手元に帰ってくるという面白い発明品だ。花宮はいつか実用してやろうと考えている。 「よし、折角なんで一式揃えて新調しましょう!」 ぱしん、と花宮の思考を遮るように伊月が手を打った。 「ええー!?」 「どっちにしたってこの間古くなったの捨てたじゃないですか。いい機会ですよ。」 あからさまに不満の声を上げた今吉と、それに振り返った伊月はまるで子供を宥めるような柔らかい視線を持っていた。 何で捨てたって知ってる、と花宮は沈黙は金を行使。しかも古着は伊月が経営運営している施設で子供用に作り直したり、巾着や鞄に縫い直したり、あとは福祉として金のない人間にも無償で配られたりともなった。よくもそこまでやるな、と今吉は苦笑し、裁縫の腕上がりました、と伊月の報告に、だったら縫ってやれよ嫁さんよ、と花宮はやはり沈黙は金を行使。 「それにね、またこちらもいい機会だと思いまして?」 ひらっ、と一枚の依頼書面を伊月は翻した。警察からの調査依頼書は二階の本棚の一角の隅に花宮がファイリングして完全に記憶してあるそれであり、何かしら事件や依頼の際に、関わりがあるのでは、と引っ張り出すそれが、今は伊月の手に在った。 「・・・それ。」 「ああ、去年からまるで捜査の進んでいない華族や成金の子供が行方不明になった。」 その一件から、事実上伊月は手を引いていたはずだが、やはりやらかしたか、と今吉も花宮も揃って額を抑えた。 「まこっちゃん、月ちゃんは当分あの本棚に近付けたらあかん。」 「合点ですよ、所長。」 「鷲の目舐めんなくださーい。」 表面上は和気藹々、水面下で火花を散らす三人は何時もの如く、珈琲と紅茶、そしてカスタードプリンのパイが出来上がったから試食に、と紫原が赤司を伴った差し入れでお茶を楽しんだ。赤司公爵家跡継ぎと伊月侯爵はその際に密談を交わしたようだが、赤司が微苦笑したのみ、交渉は決裂したらしかった。やはりあちこちの水面下で飛び散る火花に、赤ちんー?と紫原は焦れたように声を掛けた。好戦的な部類ではあるが、自ら仕掛けに行くのは面倒臭い、と紫原も割と特殊な人種である。 伊月が探り出したその書類の中に問題になっている百貨店は、震災復興に乗じて興された起業仲間が手を組んで作っている。その経営に実は伊月の義兄の実家が噛んでいるので伊月にとって他人事では無くなったのだ。彼の家は店子も多く持つ呉服屋だ。こちらの百貨店にも着物屋を出していると聞く。様々な家の店舗が入った、仏蘭西のボン・マルシェを彷彿とさせた洋装内装の豪華な建物であり、アーチに刳り貫かれた窓や渡り廊下に手摺、長い階段を上って下りて、その手間を省くための昇降機もある。案内には男女関係なく見目の良いものが揃っているのも社交界では話題の的で、伊月は先立って案内人の打診もされてあった。生憎学業優先、既に今吉の事務所で働いていたため断ったが。 事務所で話題が出てから三日後、伊月は渋る今吉を連れ出し、百貨店の扉を抜けた。案内人の男が伊月に気付いて頭を下げてきた。 「失礼ですが・・・。」 「こんにちは。伊月俊です。保也義兄さんから電話が来ていると思います。」 待遇はそれこそ上客なのだが、その差別染みた区別を伊月は許さなかった。案内人はドレスコードを確認しようとした態度から一変、レセプションに足早に急ぐと確認を取り、手のひらを返した勢いで改めて深々と頭を下げた。 「紳士の着物の店舗は何階です?」 「和服でございましたら・・・三階です。」 案内を付けましょうか、との提案には伊月は首を横に振り、無言を応えとした。案内人は今吉を足元から観察し、中折れ帽の、こちらも鐔は歪んでいるのに、少々言い淀んだ。その観察眼は悪くないが、客によって態度を変えられると、はっきり言えば困る。庶民には少々高い売り物の並ぶ装飾品売り場を横切り、不躾な店員の視線に、昇降機の到着を待つ間、伊月は舌打ちを隠さなかった。 「月ちゃん、ワシどう見てもそこらの貧乏人やろ。」 「ほほう、そう言うならその財布の中身を見てみたいものです。」 時折依頼に関し、手間賃や助手が貸し出される事に法外な値段を吹っ掛ける事のある今吉の財布は、その実かなり潤っている。最近は伊月の工面に出世払いと称して手助けしてやる事はあるが、それはそれでこれはこれだ。 広い吹き抜けは震災の教訓から彫刻の見事な、それでも頑丈な柱が並んであって、シャンデリアには火は入っておらず、エレキテルの反射で輝いている。一階の奥には食事処もあるので、買い物が済めばそこで適度に休憩しても良いだろう。 「男が着物を贈るんは、それを脱がして楽しむためやそうやで、月ちゃん。」 「あ、じゃあ俺の趣味で選んでいいです?」 茶金の帯を流し見ながら、随分と強かな返し方をした愛人は、誠凛の学生服とインバネスコートで、女物の着物が人形に着せられている店舗の奥に和服姿の男が佇んでいたのに頭を下げた。伺っております、と頭を下げた男性は、婿入りした次男から連絡を受けていたらしかった。 「翔一さん、単だけでいいんです?」 「あー、せやねぇ・・・。」 今吉様ならこのお色が、と聞いております、と店員の男性も様々見繕ってくれて、それもそれで助かる。足袋は何足、下駄は履いて帰られますか、とこまごまと用意してくれる。流石に下駄の再利用は思いつかなかったので、焚き物にでもしてもらおうと頼んだ。 「煮え切らないですね。袴も用意してやろうっと。色はどうしようかな。茶金綺麗なんだよなぁ。」 「派手であらへんのがええ。」 「はい。先ずは身体測定ですね。」 そこで駄々を捏ねるように伊月のインバネスの裾を引いたのは今吉の手で、仕方ないなぁ、なんて伊月は苦笑してしまった。店員に紐を借り、必要になる数値は伊月の目と手が弾き出し、裾の詰め方や袴の長さなどを見繕い、深緑と新緑迷います、あ、キタコレ、と今吉の襟に合わせながら笑った。袴は無難に深い焦茶で、これならあまり汚れも目立つまい。 「支払いは事務所にしときます?」 「いや、払ってまうわ。」 素材を確かめはしたが、それなりの桁になった金額を今吉は一括で支払い、店員は目を丸くした。不景気にも金のあるところにはあるのだ。 「次、洋装ですね。」 「洋装でしたら、紳士物は二階です。階段をご利用さなるより、昇降機のご利用のほうが便利ですよ。」 単純に近いんです、と言葉をくれた店員に、なるほど、と二人して笑ってしまった。吹き抜けの大階段には二本の階段が螺旋状に繋がっているのだが、こちら側の近くに階段は向いて無い。代わりに昇降機が近いのだ。 「ありがとうございます。」 和服店にはそうやって微笑み、今更ながら二人の身分を再確認したらしい従業員は丁寧に対応してくれる。 昇降機の管理は線の細い、痩せてはいるが綺麗な顔の青年が行っている。白い手袋で扉の開閉を行うその手は嫋やかでいて力強い。綺麗な男、だと伊月は思った。劇団俳優のような華やかさはないが、それに準ずるものはあると思う。柔らかな物腰に、笑うと少し幼く見えるところだとか、奥様方の話題の的らしい、とは伊月の姉からの情報だ。ぱっちりと奥二重の気味の眼は実年齢より若くに見せているだろう、しかし意志の強そうな黒い目には少々の影があり、少し俯き加減であるのは客に失礼の無いようにだろうか。白い手袋に白いシャツ。黒の背広を身に纏い、伊月が懐中時計を出そうとしたのを見止めたのか、時刻を教えてくれた。昇降機の檻の向こうには広い吹き抜けの、大きな花を模した時計があった。 キリキリと昇降機が上下する足元が不安定なのも、ご安心下さい、とこころ配りを忘れない。一日中檻の中に閉じ込められる気分とはどんなものかしら、と伊月は考えた。勿論不自由させない待遇はあるだろうが、それでも出勤から退勤まで、彼はこの上下する檻の中にいて客人に尽くすのだ。 「紳士物は、降りられてすぐ右手にございます。足元にお気をつけ下さいますよう。」 「あ、はい。」 しまった、と伊月は思った。これは相応しくない態度だ。彼は雇われの身であって、客人をもてなすために雇用されている。この辺りの線引きが弱くていけない、と伊月は非礼を詫び、昇降機から降りる際、一人の婦人とすれ違った。肩が触れそうになって慌てて身を捩る。 「あらっ。ごめんなさい。」 「いいえ、重そうですが、お手伝いしましょうか?」 「ありがとう、もう迎えを呼んであるから大丈夫よ、学生さん。」 伊月は一度昇降機内の青年を確認すると、彼は実に爽やかく笑顔で見送ってくれて、一度降りてくると昇降機に案内するために青年が恭しくご婦人に手を貸し、ご婦人はそのまま昇降機で一階まで降りたようである。昇降機の出入り口には数字の文字盤に針が、現在の所在階を示してある。 ご婦人が昇降機で下ったのを背後に、伊月が入店した店舗は洋装礼装を扱う店で、難しそうに腕を組んだ今吉に苦笑した。 「帽子、新調します?」 「これもなかなか愛着あるさかいなぁ。」 帽子越し、くしゃくしゃと黒髪を掻いた姿に伊月は微苦笑。流行よりも伝統のその色と形で、身長や腕の長さ、股下の数値をメモで伝え、専門の測量であろう、裏方の男が腕捲りしたシャツとよれたスラックス姿で出てきた。 「これはこれは・・・。」 「全く新しく作ってしまいたいんです。差し色はそうだなぁ。」 翔一さん、と呼ばえば、飾られてある丸帽子をしげしげと見ていた今吉が、なんや、と返してきた。 「あの旦那さんか。」 測量士は独り言のように呟き、爪先から頭の天辺までこちらも見られる事になるが、先程とは全く違った意味を持つその視線に、伊月はこっそりと微笑う。 「寸法を正確に測りたいのですが。」 「翔一さん、ちょっと来てください。難しいですか?」 今吉を呼びつけ、測量士はどうやら下町の伝統ある店の育ちのようで、時折言葉遣いが乱れるのを、店主が苦そうに見ていたが、職人とはこういう生き物であろうな、と伊月は少々達観した眼を持っている。寧ろこういった手合いのほうが気取らず差別も区別もなく伊月にも今吉にも接するだろう。事実今吉は彼に手首の位置を探られ苦い顔はしなかったし、お客さんあんまり洋装はしないだろう、と声に、ばれました、と軽く笑った。若いの、と彼が呼べば、弟子だろうかの測量士見習いがメモ帳やメジャーを持って奥から出て来た。こちらは随分と育ちがよさそうである。 「差し色は紅が良かろうな、旦那の長身に似合う。」 「あ、やっぱ身長が肝か。」 伊月は全くもって平均身長から少し高いくらいなのだが、今吉はそれよりまだ高い。猫背の気味であるのであまり目立たないが、はい背筋ただして顎引いて、と伊月が命じ、胸元にタイを当ててやあると、なかなかに格好の良い男だ。 「肩幅と胴回りを失礼。」 「なんやこそばいー。」 「我慢。今度社交界一緒に出ません?」 「出ません。」 「なぁんだ、連れないの。翔一さんとなら我慢して出てやるのに。」 この二人の関係性は何だ、と不躾な女性店員の視線を無視して、職人の手際は見事に、この数字であるなら、とサンプリングを見せてくれた。 「あ、ダブルいいですね。サイドベンツあるんだ。翔一さん、好みあります?」 「あんま着ぃへんて。」 「試着出来ます?」 「試着室をお使いください。靴はこちらを。」 伊月が履いているようなロングウィングチップの上等な革靴を店側から貸出され、そうだ靴、と伊月は手を打った。伊月の通学にも通勤にも使われる上等な革靴は大学入学の記念に銀座の老舗で誂えて貰い、職人が鞣して作ったそれは成長の都度、店を訪れて鞣し直して貰う。 「靴の手配は、こちらで出来ますか?」 「こちらの店でも取り扱ってはおりますが、恥ずかしながらオーダーメイドとなると、一階の靴屋を尋ねられたほうがよろしかろうと存じます。」 「はい、ありがとうございます。翔一さん聞いてましたー?」 「おー、聞いとった聞いとった。」 試着室から出てきた今吉は、なかなか様になる。鍛えた体躯に濃紺の背広はよく似合い、シャツの襟元をだらしなく開けてあるのは、みっともない、と慌てて正させたが、逆に気怠い色香に見えるというから不思議なもので、女性店員が色めいたようだった。油断も隙も無い。 差し色がくれないのタイを伊月が選んでやれば、着慣れない背広姿はきちんと様になり、肩を張って、胸を張って、と姿勢を正し、測量士がチェックを入れて、肩幅と袖の長さが足りないのを作っておくという旨を預かり、待ち札を貰うと、伊月の名前でサインをして店を出た。着物を入れた荷物が少し重くなった頃、階段で降りた靴屋では、靴下も選べた。出来上がれば連絡します、とこちらも伊月の名前でサインを。これで下準備は整った。 「さて、どっから行きましょう。」 大階段を昇ってみて、最上階は三階。吹き抜けにかかる手摺に肘を置いて一旦休憩。時折女性客が伊月の見目に色めきたった。 「着物って重いねんで。」 「昇降機で行きます?」 「その傍に階段あったやろ、狭いとこ。」 ありましたね、と伊月は手帳に地味に描き込んできた百貨店内部見取り図を開く。屋上はまだ見てきていないが、子供相手の遊び動物が置いてあり、小さな劇団がショウを見せることもあるが、この時期はまだまだシーズンオフだろう。繋がる筈の階段には綱が張ってあった。子供の入店は時折見られるが、さて。 大階段のある吹き抜けの三階から見下ろせば、煌びやかな店内に最初の内は誰もが目を輝かせ、レセプションで目当ての店の場所を聞く。昇降機なり階段なり、それぞれが蠢く店内に、時折ぽつりと子供が残る。小学校に入るか否かの年齢のそれらは親や連れに手を引かれて歩き出す。 「何軒あった。」 「報告書では三件でしたかー。」 「いやいや、店の。」 「ああ、失礼しました。キタソレですね。店内は吹き抜けを囲む形で十二店舗程度が放射状に並んでます。服や着物はやっぱり場所を取るんで、そこで二店舗規模、と考えて下さい。」 それぞれ裏から行き来できる扉はそれぞれの店舗を覗き込んでみれば奥に確認出来、それがまた更に繋がるのは昇降機横の狭い階段を挟んだ部屋で、《従業員休憩室》という小さな看板が貼ってあった。 「ふむ、まあ、飯にしよか。」 ほれ、と顎をしゃくるように今吉は伊月の視線を導き、私服警官が同じように観察しているのを見せてやった。 「確か、午後から諏佐さんでしたね。」 その休憩交代体制も前もって伊月も今吉から情報を手に入れてあって、手帳を捲ると何名か、接触しやすい名前はあった。諏佐か青峰辺りがやはり一番話しやすいし気心も知れている。 「ん、やから飯。」 「レストハウス、と言うそうです。」 「何でもかんでも横文字にしたらええと思うなや。」 その一階の奥にある広い空間は、サロンのように絵画や書物が置いてあり、頼めば新聞も出てくる。上等な喫茶として、テーブルに招かれ、酒の有無やコース料理も長々と説明されたが、そこまででない、と今吉は手を振り、それぞれ食後に珈琲と紅茶を頼み、運ばれたのはランチと言う名の定食だ。伊月は魚を中心に、今吉は珍しく肉を選んだ。よほど腹が減った上に不機嫌らしい。 家族で買い物に来たのか、またレストハウスを覗いてみたいのか、客層は成金が多いが、出資者でもある華族もちょくちょく鷲の目は見つけている。一度本格的に社交界は参加しなくてはならないかもしれない。成人の折でいいかな、と考えると少し落ち込んだ。しかし浮上の代わりに思考を切り替える。 「三件、ですか・・・。」 行方不明になった少年たちはどうしているのだろうか。 「ん。どれも成金の三男四男や。」 「考えたくないですけど、・・・要らないから、売られちゃった、んですかねぇ。」 「もー、この不景気やし、手段選んでられへん、ゆーこっちゃ。」 うむむ、と伊月は珈琲豆から作られたゼリーをクリームと絡めてスプーンで口に運ぶ。銀の鍍金は綺麗に磨かれたままだ。永世華族ならまだしも成金の跡継ぎで無ければ、存外にして扱いは雑になる。農家のように人手はあって困らない世界で無く、政略に不必要であればいてもいなくても同じ、寧ろ金と交換できれば僥倖とは、それは果たしてまことに親の思考であろうか。 「経済ゆーんは泡みたいなもんでな。一気に膨らんで、なんかの拍子で弾けてまう。独逸の今の経済なんか、ほんまそれやで?」 今吉の言葉に、ぱちぱちと伊月は瞬きを繰り返し、軍を介して手に入れた、独逸の新聞に載った写真を思い出す。国内の不景気を嘆いた記事で、給料という名の大量の札束に囲まれ途方に暮れる社員たちの写真であった。 「あ、なんか金銭価値が一致しなくなるんでしたっけ。」 「さよう、札束で給料が支払われても、札束で花一本買うたらそれで終い。物価が高うなって、一が百にも千にも膨らむよって、けど価値が変わらんもんも、あるゆーたらある。土地とかな。」 「農家の土地は何時だって二束三文だって伯父さんゆってたなぁ・・・。」 カラリとスプーンが美しく装飾された器に回る。伊月は微苦笑気味に、三箇日に一度帰宅した折に集まった親戚と交わした少々の世間話を思い出す。中学生になる従兄弟が軍事教習に困惑しているのも聞いて、頑張って来なさい、と無責任に励ました。伊月は軍事に於いては完全に上層部の扱いであり、そうでなければ研究員だ。ひとの生かし方を知るために、殺し方を極めていくのが伊月の仕事に、なるかもしれない。 「なあなあにーちゃん、この器どこの?」 徐に今吉は通りすがりのウェイターに声をかけ、デザイナーの名を告げる。西洋式の美しい装飾なのだが作ったのは日本人だった。シャンデリアも、仏蘭西様式を真似ながらも日本人が美しいと感じるのは所々に日本人の遊びこころが入っているからだ。特に仏蘭西芸術と日本人の感性は近いとも言われるので、相性も悪くないのだろう。 「これから仰山歪んでくるで?」 「・・・お金、ですか?」 それは宛ら泡沫の如く。 「いや、人間が。」 金を扱うのは人間だ。金が歪んだ扱いをされるということは、その担い手、人間のこころも歪むということだ。最近は海外からの客人を多く受け入れた大和国は、震災の際に一切の外国人を排斥しようとしたのを伊月は思い出す。人間は、自分の事以外には、酷く残忍になれるという。蹴り殺された外国人は、瓦礫と一緒に埋められてしまったらしい。 「月ちゃんはええ子やね。」 「二十歳も近い男捕まえて何を言うやら。」 「月ちゃんは、ずっと変わらんでおってな?」 「それは無理じゃないですかねぇ。」 ふぅ、と猫舌に優しい温度まで紅茶に息を吹きかけ、一口含む。どんなものかと注文してみた紅茶ラテは結構に好みな味だった。 「年取りますし、変に太ったりはしないと思いますけど、Asylの経営とか絡んで、赤司のあれもありますし、従軍も、そうですねぇ。誠凛はないと思うんですけど、・・・全部推測ですし、これ。」 「せやねぇ。お酒でどんだけ乱れるか、いっぺん試してみんと。」 がんっ、とテーブルクロスの下で膝を蹴られて今吉は悶絶した。他意はない、と今吉は降参した。支払いは、自分で、と言い張った伊月を手のひら一つで宥めすかした今吉に速やかに行われ、伊月は何だか立つ瀬なく、しかし途中で立ち寄った装飾品売り場でタイピンを買った。こっそりと贈り物用で、と飾ってもらったそれを鞄に丁寧に収め、お待たせしました、と何食わぬ顔で今吉と青峰に合流した。 「あれ、諏佐さんじゃないんだ。」 色黒の私服警官はがりがりと頭を掻いて、まあな、と連れない返答を寄越した。また近いうちに依頼でもありそうである。 「一件、来たぜ。」 「えっ。」 「さっき、母親らしき女に連れられた男児、使用人かもな、あの様子じゃ。女だけ出て行った。」 そいつが買い物に使ったルートは、と軽く説明を受けて、なるほどなぁ、と今吉はにんまりと、偽悪に笑う。 「あー、なんだ、伊月さん、ここの社長に顔通るか。」 「名前なら通る。社交界出てないから、俺。」 「ほな月ちゃんはそっち。」 「はい。」 汚れ役はワシの仕事や、と今吉は、伊月に向かって、酷く優しく笑った。 一年間も放置してしまったその悲劇は、もう二度と繰り返さぬように、伊月はレセプションのある一階入り口、最初の案内人に向かって、社長へのアポイントを、迷うことなく取り付け、そして受け付けられた。 奇しくもその、出会いの日は今吉の背広と靴の出来上がった旨の連絡が入った朝だった。 続く。 |
初出:2014年2月10日 21:40
最後の事件。このトラップをあなたは解けますように。
***
どうやら解けた方はおられなかったのか、番外編第一話から皆さん滂沱の涙だった御様子なんですが・・・申し訳ありませんでしたぁ!!
20140421masai