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明治二年、江戸幕府解体から引き継がれた貴族階級が改められた。
江戸時代から続く公家、藩主、天皇家から臣籍降下した者や国家に勲功のある者には華族という貴族階級が与えられたのだ。 壬申戸籍によって皇族、華族、士族、平民等と禄高から定めたものでありながらも差別色も残され、不備も多くあることから、廃止検討などはされている。 また、個人の事情や災害、戦災によって届出無しの転出転入が増え、国勢調査との誤差が目立つようになっているので、そろそろ改正必要だと、彼は考える。 今吉探偵と伊月助手と夢に見た夢。前篇。 「喧嘩売ってんのか、赤司。」 赤司征十郎。御年数えで一八歳。 「侯爵?冗談だろ。」 「冗談を言うほど人生に飢えていると見えますか。」 「見えるね。」 即座に帰ってきたぶっきら棒な物言いに、赤司は思わず苦笑してしまった。赤坂にあるこの高級料亭の、季節の花が活けられ縁側からは桜吹雪舞う枯山水が見える贅沢な畳敷きの一室は、先程まで赤司とさる令嬢との見合いの一室でもあった。 新しく卓が用意される傍目に将棋盤を挟んで対峙し、取ったばかりの歩を玩びながらのその言葉は、ヒトによっては羨ましい他に無いだろうが、彼は違った。 「侯爵つったら御三家やら勲功じゃないか。それに伊月家は板垣の考えに倣って、曾祖父の代で世襲もしてない、つかお還しした筈だ。」 「確か御父上のご友人は部落解放運動家であるのだとか?」 パチリ、と癖のある香車が手駒を捕えて、赤司は夕日色の目を眇める。 「さっきまで殆どご結婚のお決まり遊ばした赤司のとっちゃん坊やは伊月なんかの長男坊呼びつけて何の用事かと思ったら。」 パチッ。 パチン。 「僕だって嫌われ役承知で呼び出させて頂きましたからね。しかし、誤解があるようなので。」 「五回だの八回だのどうでもいいから・・・。」 さっさと本題、と言葉に被され、王手、と。銀将を獲られた。 高級な料亭の先日の春の嵐に散った桜の木に桜色に染まっている枯山水に、遅咲きであろう八重の蕾が膨らみ始めている部屋に運ばれてきたのは茶道の道具で、伊月が口を開く前に、ご馳走になります、なんて赤司が簡略の挨拶を寄越すものなので、こちらもさっさと済ませてやれと、簡略化した挨拶に茶を立てる。赤司は空色と真白の羽織袴で伊月は洋装だったが、妙に様になるのは幼い頃から礼儀も仕草も叩き込まれているからだ。特に伊月は男性の作法も女性の作法も両方出来る。親がふざけて教え込ませた。余談ではあるが、春の時は助かってしまったことはある。 「御先に。」 綺麗な容に頭を下げた赤司に刺さる視線は刺々しく厳しい。さかさかと薄茶が立てられる音に、水菓子を含めば、秀麗な美貌は冷笑に彩られる。 「ここで、赤司が無様に倒れ死んだとして、変死だと判断されたとしても、俺に嫌疑がかかる割合は?」 「それを聞きますか。」 頭の中に幾つものシミュレーションを並行して行った赤司は、口の端を吊り上げる。両目で違った色を持つ、青年の狂気じみた微笑は、時折何かに憑りつかれたようにも見える。不気味だ、と伊月は正直に思う。黒曜石色の瞳に僅かに憐みの色が混じったのを図ったかのように、にこりと未だ少年の印象を残した貌で赤司は笑った。 「まず、伊月俊である事でその嫌疑は消されます。誤解というのは、爵位は伊月家にではなく、伊月俊本人に与えられる、とのことなので。」 「・・・俺、なんかした?」 ご馳走様です、と茶器を畳に置けば、今度は赤司が立てた薄茶を伊月は受け取る。 「まず、そうですね。緑間のストラディバリを無頼漢から護った。」 「紺野さんは無頼漢なんかじゃなかった。」 「とある女学生の人生を変えた。」 「宝生さんは自分で人生の歯車を回してる。」 「赤司家とグッドマン家のビジネスが上手くいってる。」 「それはイヴァンがグッドマンさんを大事に支えているからだ。」 「先日は水谷家の御子息から貧富格差の解決に力を入れたいと打診をされました。」 「康利君は利口な子だ。」 ふ、と彼は微かにまた笑う。冷淡に見せてその言葉の裏にあるのは慈愛と安堵。 「涼太の次の舞台、チケットは届きました?」 「お蔭様で。」 これは少し刺々しい。 「陶芸家、亜麻美羽の作品はどれも美しいですね。」 「彼女の如才だろう、それは。」 「優れた感性をお持ちだ。サンイチサンサン部隊の秘密文書、娼婦連続殺傷事件、そして森山由孝少尉暗殺事件を未遂で終わらせた功績。」 さっ、と茶筅を躍らせた手前を、伊月はゆっくりと、その茶器の文様を愉しむために回す作法を思考の時間に切り替えた。 「森山さんの事件は確かに誠凛と伊月の名前使ったけどね。」 「僕の聞いたところによると、結果として伊月俊本人の指示によって森山少将は軍議の後に、表向きは無期刑ですね。」 「何で俺の仕業になってんの?」 あくまで今吉探偵事務所の助手であるスタンスは変わらない。伊月とはそういう家で育った。確かに役職あった曾祖父は様々に暗躍してきたらしいが、暗躍と呼ぶのは表から見えるからだ。本物の暗躍者は表社会からは見えない。今吉や花宮といった、天野屋一門然り。尤も、今吉翔一は既に闇から脚を抜いて今は追われる身のようではあるが。 「森山由孝の件は笠松幸男からの紹介のようなので。」 「ああ、亜麻家の遺産問題ね。」 痴情の縺れに手を出さない、というのは他の家の揉め事にも手を出さない、というのと同義だと伊月は考える。茶器を懐紙で拭って、結構なお点前でした、と突き返すように茶器を置き、立ち上がると見事な庭に面した縁側に歩き、赤司からは背を向ける。 「お前、何を考えてる。」 突風に揺れる桜の枝を見ながら伊月は赤司に言う。 「赤司として動くか、どうするか。」 「どうしたい?」 「伊月さんは・・・。」 「俺は、誠凛卒業したら勘当してもらう積りだよ。で、今吉探偵事務所に永久就職だ。」 苦笑交じりに開示した今後の予定に、ぱちくりと、鮮血というには腥さの無い、鮮烈なほどの真っ赤な瞳と炎というには穏やかな橙の瞳が瞬く。 「爵位は邪魔かな、はっきりゆって。でも、使える場所はありそうか・・・。」 例えば軍、と線の細い顎を摘まむが、その美貌には熱が無い。 「伊月家にではなく、伊月俊に、と言ったね?」 「あなた本人に、それほどの功勲がある、とのことですよ。」 「その父親に、母親に、姉に、妹に、影響はあるかい?」 「伊月家は元々爵位を返上した身分ですからね。家の人間がどうであろうと。」 「と、無関係な周囲は解釈するだろうが。」 その腹の底から冷えるような声音に、赤司はらしくなく、膝の上に握った拳を動かしそうになる。着物の裏には護身用の懐刀がある。 「両親と姉妹はまあ、なんもゆわないかな。ただ、ひとの口に戸は建てられない。」 「段々今吉さんに似て来ましたね。」 「煩い。俺の名声を狙う奴はいるだろう?」 違うか、と振り返った顔はいつもと同じで冷静沈着を描いたような、鋭利な切れ長の目に整った鼻梁とすっきりとした美貌の青年だが、口の端を吊り上げれば、その奥を遠慮なく黒曜石色の瞳が貫くだろう。 「既に、赤司征十郎と伊月俊のパイプに気付いた連中が紹介状やら令嬢の御写真やら。」 「ぜってー読まねーし、見合いもしねー。」 「お見合い位は人生経験でしょう?」 結構綺麗処揃ってますよ、とまるで年相応に笑った赤司は、むっつりと黙った絶対零度の視線に晒されて、思わず笑ってしまった。冗談にしておきましょう、なんて。 「お姉様はお元気ですか?」 「モダン女性街道まっしぐら。ま、弟が見るに、いいひとは居そうだけれど。」 「そして婿養子が貰えれば、あなたとしては安泰な訳だ。」 「一応妹が嫁に行くまでは家にいるつもりだぞ。」 「親馬鹿って知ってます?」 「兄馬鹿ってか。俺が言うのも何だが、赤司になら舞をやってもいいと思ってたけどな。」 では、妾はだめ、なんて下世話な遣り取りも少し笑って。 「侯爵・・・フュルストね。今は貰えない。そこまでの勲功だとは思えないからな。森山さんの件はクーデターを起こさせてる。拝命頂けるなら貰うけど、今の俺では人生経験も勉強も足りない。身分不相応の爵位だと思う。十年後くらいに貰えないか、その話。」 言付かりました、と赤司は頷いて、伊月の背に舞う桜吹雪に目を細めた。 「爵位を与えよ、という言葉を喧嘩と取るひとに初めて出会いましたよ、僕は。」 「そらどーも。んじゃ、失礼するよ。」 あ、そうだ、と伊月は部屋の用意が整いつつある部屋を伊月は横切りながら。 「三件目。今から三件目にある話、受けて損は無いよ。」 ちゃんとゆったからね、なんて華麗にウィンクを決めて、これから追い払うことになる娘たちの、そう、言われたとおりの三人目に会うのが、少しだけ楽しみになった赤司は、十分相応だよ、と内心に笑った。 だっからとっとと治安維持法適用させろつってんだよ、と花宮が大荷物を抱えて、暫く来れない旨を今吉に伝えると、有給になったらしい、そのまま出て行った。 「・・・こんにちは。」 「お疲れさん。赤司のお話はどうやった?」 赤坂まで呼び出されてその足で街を歩いて来た伊月は嘆息した。 「それ、本人に聞いたらどうですか。」 窓の外は綺麗な夕霞。今吉探偵事務所面談室には、洛山のブレザー姿で寛ぐ赤い髪の青年がそこにいた。 「面白いお話でした。独逸の国内情勢を知ることが出来るとは。」 伊月の言った通り、三件目は宮地家の令嬢との形式的な見合いだったらしい。赤司が目を付けたのは、その父親の話だ。 「伊月さん、率直に言いましょうか。」 「喧嘩なら買わない。」 「僕はあなたが欲しい」 はっ、と流石の今吉さえもその言葉には目を見開いた。赤司は紅茶の香りを愉しむように目を細めて、二人の動揺から言い訳する気も無い。 「伊月俊に爵位を与えよ。これは僕がきちんと畏き筋から賜ってきたお話なんですよ。」 「・・・だろうよ。」 「先ほどそちらにも連絡してみようと思ったんですが。」 裏のありそうな物言いに、伊月は口の端が引き攣った。 「その前に僕の物にしてしまえと、そうすれば万事が上手くいく。どうです?」 「上手くいくか!?」 「行きますよ。僕ですから。こんな探偵事務所に燻らせておくにはどうも人材として勿体ないので。」 その言葉に、伊月は極上の笑みを浮かべる。今吉は知っている。あの笑顔が一番怖い。なまじ整った顔にうつくしく浮かぶ笑顔は、般若にも勝る。 「とっちゃん坊や、それちぃっと口過ぎるやろ。・・・まあ、月ちゃんがここに役不足なんは認めるけど。」 「翔一さん、それ以上ゆったら殴ります。」 今吉本人に言われても、まるで意に介さない、寧ろ更に低まった声に戦慄っと背が冷える。ソファ失礼します、と伊月は赤司の視線まで座り降りる。 「俺は俺の意思でここにいて、翔一さんの手伝いしてるのが最良で至福なの。解る?」 臆面も無く言い放たれて今吉は面映ゆい。にやけそうになって口元を珈琲で隠した。 「爵位持たされて赤司の駒になるって人生も面白おかしくはあるだろうさ、退屈しなくて。でも、優先順位なんて付けんのもばからしいくらいに俺はこっちの、今の生活が好きなの。赤司、今すぐ発言取り消して。」 「それは無理です。口から出てしまったので。」 この舌戦は長くなりそうだ、と今吉はぼんやりと考えた。 「埒が明かない・・・。」 「1on1でもやって決着つけます?」 「負ける勝負は受けない性質でね。」 「それだと僕の不戦勝が決まってしまいますが。」 「ばかにしてんのか。」 「正当な評価と経験ですよ。」 じっとりと室内に沈黙が落ちる。美人さんの睨み合い怖い怖い、なんて長閑に構えている今吉は、どんな形であっても伊月はこのこころを放してくれないと信じているから、特に口出しせずにいる。 急な機械音が沈黙を切り裂く。睨み合いは未だ続いているので、電話の受話器は今吉が取る事になりそうだ、と立ち上がった傍に伊月が立ち上がって、座っててください、と一言。そのまま機械に向かって、今吉探偵事務所です、と静かに告げた。 下さい。 やらんわ。 視線だけで赤司と会話した今吉は、伊月がポケットから黒革の手帳を取り出したのに視線を戻す。 「・・・睡眠中に起きだして自分でも知らない内に動作?睡眠時遊行症?」 おや、と赤司が瞬いたのを、鷲の目は目ざとく発見し、眼光鋭く睨む。 「誰や?」 「ちょっと待ってね?うん、そのまま。」 片手間にメモを取っていた伊月は今吉に振り返る。 「緑間総合から、緑間です。」 「ややこい。」 「睡眠時遊行症だそうです。知恵を、というので。」 「ん、月ちゃんの持っとる知識あげてええよ。」 「解りました。」 睡眠時遊行症。夢中遊行症、夢遊病とも呼ぶ。睡眠時、無意識に起きだして歩いたり動作を起こし、再び就寝するが、本人に記憶は無い。 「興奮状態で就寝したり、精神的に問題抱えてたら大人にもあるよ。慢性的で難治性だね、そんな場合。何か眠剤とか処方されてる?・・・そか、了解。危険行動があるなら事前に警察に報告しときな。あー、癲癇とか恐慌障害の薬とか有効らしいけど、副作用強いだろうからお勧めはしない。はい、情報が役に立ったらまた連絡よろしく。」 そのまま幾つか挨拶を交わして伊月は受話器を置くと、手帳の中身を整頓して戻ってきた。 「真太郎ですか。」 「ああ、知恵が欲しいらしい。ま、この程度ならその辺の医学書読めば手に入る情報だ。」 「薬学も精通してらっしゃる。」 「医学やるなら薬学もやるだろ。」 「そしてヒトを殺す方法も。」 「今すぐ試してやろうか。爵位賜った後でよ。」 「何、月ちゃん爵位貰うん?」 「保留ですっ!」 そこで今日の赤司の言い分を掻い摘んで話すことになる。 「侯爵なぁ、伊月の家は子爵やっけ?」 「大昔ですけどね。公家と武家混ざってるんで。元は士族です。」 戦時の武勲で華族に引き挙げられたが、その爵位は曾祖父が天皇家に還した。今は伝統ある家の一国民だ。伊月家の周辺はどこもそうである。日向家、相田家も元は華族や士族の家で、今は様々な思惑で平民として暮らしている。 「そういえば、敦が最近また夢遊病を発症したのはどうなったかな。」 「・・・なんつった?」 え、と首を傾げた赤司に、伊月が片眉を跳ね上げる。 「紫原?」 「陽泉では少々問題になったりしているそうで。」 「まさか、さっきの緑間・・・。」 「十中八九。」 「それ早く言え!ばか!」 ぱんっ、と手のひらに弾かれた大理石の表面に紅茶の雫が跳ねる。 「いいでしょう、伊月さん、ちょっと喧嘩をしましょうか。」 「はぁ!?」 「敦の件を、解決してくれましたら、先程聞いた通り、十年待ちます。」 「おい。」 「解決できなければ、今すぐ爵位を貰って、僕の物になって下さい。」 ふざけんな、と絶叫がその夕方の帝都の一等地で響き渡った。 陽泉大学付属高等学校。全国から様々な分野を学びに上京してくる学生は少なくない。中でも食品科学学科の発展には目を見張るものがある。欧米から渡ってきた食文化を日本人の舌に合うように開発したり融合させたりと、また帝都で一番大きな喫茶店、ミルクホールの経営にも食い込んでいる。食品開発、マーケティング、マネジメント、と多岐に渡る多くの先人は大概にしてこの学校の門戸を叩いている。大学のほうは特に、年齢出自関係なく勉学を励み教鞭を執り筆を握る。 そんな環境であるから、陽泉には寮がある。学校が運営してくれる有難い下宿は、陽泉の関係者であれば誰でも利用できる。 朝の春霞に目を擦れば、こら、と今吉がその手を取り上げ、眼に塵が入っていないか、網膜に傷は無いかと覗き込む。 「随分と見せつけてくれますね。」 赤司の恰好は洛山大学の白いブレザー姿で、伊月は誠凛の学生服にコートではなく取り外せるインバネスのみ。今吉はいつも通りの掠れた単によれた袴だ。 「月ちゃん、ちゃんと起きてる?」 「まだちょっと眠いです・・・。」 「春眠暁を覚えず、良く言ったものですよね。」 寝起きの悪い伊月はこの季節になると更に性質の悪さが増す。目頭をぐっと抑えて、まだ頭の片隅に居残りを画策している睡魔を追い出そうと頑張っている。 「これ晒したら爵位の話飛ぶやろうね。」 「それは僕がさせません。」 春の朝に吹き荒れたブリザードに、事前に連絡しておいた氷室辰也が寮の近くにある路面電車駅まで迎えに来てくれる予定が、何故だか随分と遅い。 「ちょ、月ちゃん寝らんで。」 「しょーいちさんぬくいー。」 「温石にせんとって!起きなさい!」 ほんまに、とその手を引いて歩き出す粗末な着物の男と普段は凛と前を向く寝起きの悪い青年に、破れ鍋に綴蓋、と赤司は思った。 「大輝じゃないか。」 寮を囲む山茶花には未だ少し花が残る。その前には自動車と馬車があった。そこで難しそうに背を預けている褐色の長身は青峰大輝に違いなく、久しぶりだね、なんて赤司の挨拶に、おう、と短く応じた。 「何かあったかい?」 「盗みだと。」 「あらま。」 今吉には敬礼を返し、やっと覚醒した伊月にも。 「誰が誰のもん盗んだん?」 「あー、それが・・・。」 ちょっと困った事に、と唸った青峰に、へぇ、と赤司は笑う。随分と御誂え向きじゃないか。 「敦の夢遊病は大輝も知っていたね。」 「中学一年時だな。合宿で歩き回った。」 「大体その時期で収まるよ、睡眠時遊行症。」 「伊月さん詳しいか?」 「医学専攻だから。基本外科だけど、精神科もやってる。」 ところで氷室はどうした、と伊月が首を巡らせれば、寮の玄関口で警官に頭を下げて出て来た美青年と目が合った。 「シュン、セイ、遅くなった。Mr.イマヨシ、お久しぶりです。」 「ミスターゆーんやめてー。こそばゆいー。どないしたん?」 「ちょっとアツシが・・・。」 「夢遊病、だね?」 「that’ right.アツシが先輩の仕送り金を盗んだ、っていう状況かな。状況で言えば。」 腰に手を当てて深く嘆息する格好がやけに様になる美青年は、なきぼくろが艶めかしく、顔の半分を前髪で隠した神秘的な雰囲気もある。基本的に気さくな性質で、いつもにこにこと笑っている印象の多い彼だが去年まで亜米利加で暮らしたその奔放さも垣間見え、時折下町で絡まれて喧嘩をしているのを今吉は知っている。籠球の腕も本物で、伊月の後輩火神とは義理の兄弟だと言うくらいに仲が良い。 「夢遊病なら意識喪失で罪にはならないというけど?」 「有罪か無罪かじゃない。アツシはやってない。これは寮生皆の見解だよ。それでアツシと揉めて遅れたんだ。すまない。」 「揉めた?紫原が?」 「夢遊病である事を本人は知っているから、俺がやったんだ、って泣いちゃってね。」 まあ頑固なコだから、と後輩を可愛がる氷室に赤司も同意するかに頷く。 「何故紫原はやっていないと?」 「あの身長だよ。部屋に入ってきたらすぐわかるだろう。それに籠球部連中は俺を含めて殆どが寮生。アツシが夢遊病だっていうのはこの間初めて聞いたけど、中学時代に治ったとも聞いてた。」 疑う余地は無いだろう、と氷室は綺麗に笑って見せて、しかし、と眉を寄せる。 「目撃者があってね。」 「つまり、紫原がやっていないと確信はあるけど、状況証拠が出た。」 「そういう事だ。」 おい、と伊月が振り返るのを、赤司は何も言わずに笑う。 「この間っていつだ、赤司?お前、事前に相談受けてたな?緑間総合に相談行かせたな?」 「ここまで見事に事が運ぶとは思いませんでしたがね。」 「嘘吐け!」 しゃあないしゃあない、と今吉が憤慨する肩を宥めて、氷室の苦笑に笑ってやった。 「では、ティップオフと参りましょうか、伊月さん。」 「ルールは。」 「手段は頭脳と手足と人脈。敦を納得させることが出来れば、伊月さんの勝ちですよ。」 「乗った。」 すっと差し出された手は握手に応じず、ぱし、と軽い音で弾いてやって、伊月は凛と前を見据えると、氷室に向かう。青峰は一連の遣り取りで、要所要所に立たせてあった部下残して車に戻らせると、後は頼んだ、とばかりに欠伸をひとつ。 寮の天井はかなり高くに作られてあるのは、元は背丈のある外国人の屋敷であった頃の名残だ。屋敷内はシンプルに改装されてあり、玄関ホール、食堂が続いて、階段。踊り場でめそめそと泣いている塊は紫原だった。 「敦。」 「・・・赤ちん?」 赤司が呼んでやれば、子供のようにちょこんと首を傾げるように振り返る。洟を啜って、目元は真っ赤だ。 「赤ちんー!俺、さいき、さいきん、また・・・っ!」 「気付かない内にお菓子でも食べたかい?」 「たべ、たぁ・・・。」 その長い腕を赤司の腰に回して泣きじゃくる恰好は、本当に図体だけ育った子供だ。知能レベルはかなり高い筈だ、と伊月は踏んでいる。特に新しいものに対する嗅覚が素晴らしい。 「かってに、ひとのへや、はいった・・・盗んだぁ・・・!」 そこでぼろぼろと泣き出してしまって、氷室と伊月と掛かって、慰める。伊月に目で訴えられて、ぽんと今吉はその肩に手を置いた。 「紫原クン、ちょっとお話しょうか。」 「おはなし。」 「うん、夢遊病やっていつから知ってた?」 落ち着いた話声に、嗚咽がゆっくりと引っ込んでいく。こういうところは年の功だからな、と伊月は傍らにしゃがみ込んで、ぽむと紫色の髪を撫ぜた。目撃者、とは一体。 「子供んころから、知ってた・・・中学で、治ったって、思ってた。」 「最近また、あったん?」 「寮監せんせーが、夜中に廊下でどうしたんだって、ゆってて。」 「寮監さんが教えてくれたん?」 伊月は手帳を取り出して、証言を纏めていく。 「だから、みどちんは、お医者さんのたまごだからって、相談、行ったらー・・・、みどちん悩んでー・・・。」 「まあ、真太郎もそこまで経験値が高くは無いさ。敦だってこの間お菓子を失敗して福井さんに叱られたんだろう?」 誰にでもある事さ、なんて目線を合わせて語ってやる赤司は、まるで保護者だ。 「薬とかは飲んでる?」 「ううん。月ちん、心配―?」 「だって、お前はやってないのにって氷室たちは言うんだよ?なのに、当の紫原がそんなじゃ悲しいじゃない。信じていることを信じて貰えないのは辛いよ。」 ね、と微笑んでやれば、こっくりと深く頷かれたので、納得はしてもらえただろう。 「紫原、どうして夢遊病だって思った?」 えっとー、と彼は幾つも思い出すように唸って。 「中学で、治ったって思ったの。」 「それは僕も証人だ。」 「了解。この間、っていうのはいつ?」 ケーキ、と紫原は呟いた。 「口のとこ、朝起きたらクリームついてて。」 「うん。」 「そしたら、朝に、福ちん先輩、食堂に置いてあったケーキ食ったの誰って怒ってて。」 「それが発端か?」 うんー、とまた少し唸って。 「うん、最初。一月くらい前。」 「他には?」 「寮監せんせーに、夜に廊下でどうしたって、朝に言われて。」 「寮監か、後で話聞かなな。」 「ですね。他にもあるかな?」 「お菓子の塵、りゅーちんの部屋落としてたり、室ちんの・・・指輪、持って来てたり・・・してた・・・。室ちん、ごめん。」 「手元に戻ってきたからいいんだよ。」 ほら、と手の中に弟分とお揃いに持っているリングはチェーンに掛かって氷室の襟元に今も昼の近くなった太陽の光に、燻された銀色が優しく輝く。 「よし、話は分かった。」 立ち上がった伊月を、紫原は、何か眩しい物でも見るかに目を細めた。 「紫原、お前はやってないって、氷室は言う。でも、紫原は、自分でやってしまったって、夢遊病を治したい。」 「うん!治したい!」 それじゃあ話は簡単だ、と伊月はぱちんと柔軟な指先でスナップを一つ。 「ゆっくり休んで、ゆっくり寝る。勿論、ちゃんとご飯も食べて、食べたかったら食べ過ぎない位にお菓子も食べて構わない。籠球は楽しい?」 「う。」 最後の問いには未だもう少し素直になれない紫原に、氷室はちいさく吹き出し、赤司はくすりと顔を綻ばせる。 「たの、しい・・・。」 「なら、籠球もやろっか。へとへとになるまでしっかり勉強して、籠球やって、それこそ寝てる間に動ける体力なんて無くしちゃうくらいにね。」 「月ちんも。」 「籠球?いいよ。翔一さん、いいです?」 「はいはい。氷室クン、一先ず紫原クンの精神安定にかかろか。」 「あ、じゃあ体育館の使用許可貰ってきます。アツシ、一緒に行くかい?」 「行く!行きたい!籠球したいし!」 「じゃ、よろしく。」 踊り場からばたばたと騒がしく駆けていく二人を見送って、昼飯どないする、と今吉が笑えば、その辺の煮売り奢って下さいよ、と愛しいひとは遠慮なく強請ってくれる。 「ちょっと、伊月さん。」 「何だろうか、赤司?せっかちな男は嫌われるぞ。」 ふふ、とどこか悪戯花に笑った伊月は、インバネスの裾を翻して階段を上がっていった。 「月ちゃん、すぐおいでやー。」 わかってまーす、と階上から帰ってきた声は、どこか楽しげだ。 「赤司、どうやら勝負は月ちゃんの勝ちやで。」 「・・・解ってますよ。」 そんな赤司だって、くすくすと楽しそうに笑っただけだった。 続く。 |
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乱歩読んでたら描きたくなった!w
2013年4月8日 20:06初出。
はい、乱歩の「廃人」が元ネタでした。
20130516masai