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ころりと転がったヒトの腕には出血もなく、切断面の脂肪や筋肉の隆起も認められない。
暖房設備の一切無いこの部屋は、しんと冷たく黒い液体を操る指先も冷たい。だからといって息を吹きかける訳にもいかず、はぁ、と白い息が室内で静かに固まっていくそれらに切なく含まれる。 今吉探偵と伊月助手とチョコレイト工房。前篇。 伊月俊の同輩には、変わった二人がいる。 一人を水戸部凛之助。先天性の失語症で声は出ないが、頭も良く体格も良い。大家族の長男で、落ち着いた人物。聾唖学校に行くと言う手段もあったのに、誠に凛とした未来のために健常と変わらぬ大学へ通い、医学部に所属。また籠球でも心身ともに鍛練を絶やさない、誠実な男だ。意思の強そうな太い眉が特徴的な、部類するなれば美丈夫の類だろう。もう一人はその水戸部と同じ中学から進学してきた小金井慎二。猫のような愛嬌ある口元にいつも笑みを絶やさず、きょろりとした三白眼で、面倒見も良いくせに時に厳しく熱いが器用貧乏。主に籠球部ではお調子者と声出し担当。水戸部とは古い付き合いが関係するのか、言っている事がなんとなく解る、という特異な特技も持っている。所属は心理学と人間行動学専攻という結果、以前より正確に水戸部の言う事がはっきり解ってきたとのこと。喋ってないのに何故わかる、と誠凛大学籠球部では七不思議のひとつ。因みに他の六つは一年の黒子テツヤが担当する。 まあ、そんな二人がどうして紹介に、と聞かれれば簡単で、部活終わりに伊月俊に声を掛けたのだ。 「あの胡散臭いひとって誰の何をどこまで解んの?」 と。 「んー、だいたいの事は解んじゃないの?なんか謎だし。」 話聞くだけで事件解決しちゃったこともあるよ、と。そして、あのひとを胡散臭いってゆっていいの俺だけだから、なんて伊月は見事に無意識に惚気た。 「えっとー、照栄中学の島崎ってヤツのこと、水戸部が知りたいって。」 「え、あー・・・。」 それは秋の国体の直前だったか、日が落ちるのがまだ遅い時分、部内で唯一彼女持ちの土田聡史の愛しいひとは誰かと彼を尾け回した際に水戸部の妹の千草と鉢合わせした事が発端だろう。水戸部は衝撃で鞄を落とし、妹の成長に感涙だか悔し涙だかを流したが、気になることは気になるという、親心ならぬ兄心だ。 「暖房消すぞー?」 「あ、待ってひゅーが。鍵俺が預かるし、暖房も切ってく。コガは着替え早く。」 冬場は汗を冷やさないように暖房が設置された部室に残るのは部誌を書き終えた日向主将と、雑談していた伊月と水戸部と小金井のみになっており、小金井は練習着から着替えてもいなかった。 「おぎゃっ、ごめん!」 「ん、じゃあ鍵預ける。」 「はいよ。」 日向順平とは同じ中学出身の気安さで伊月は部室の鍵を受け取り、それじゃぁな、と帰っていく背中が寒さで竦められたのを見届けながら、部室内の軽い清掃を水戸部が行い、小金井が慌てて着替えると、伊月はストーブの火を落とした。 「で、水戸部は妹さんの恋路が気になると。」 「中学生だしねー。」 不純異性交遊とかギリっしょ、と小金井は寒さに背を丸めた。大学指定のインバネスコートの裾が木枯らしに靡く。眉を寄せて水戸部も肯首。 「で、翔一さんに身元調査を頼みたい、と。」 「そゆわけ。」 「りょーかい。照栄中学の島崎君ね。この後事務所行くから聞いてみる。」 ね、と水戸部に首を傾げれば、眉を下げて、苦笑するように、申し訳なさそうな表情が返されたので、問題ないよ、と笑っておいた。 「ねね!折角だから一緒に行っていい!?」 「コガ全開だね。いいよ。」 でも遅くなるよ平気、との心配は、今日は千草ちゃんが晩飯当番だからヘーキ、と小金井は笑って、お前はどうなんだ、と伊月がその額を小突いた。 路面電車に乗れば、煮売りや住宅街近くでは夕餉の香りがして、ぐうと三人揃って素直に腹が鳴った。 「こんちわーってさっぶ!!」 冷える冬の夕方に、ストーブ焚いてるから多分温い、と期待していた伊月はこころを折られた。探偵事務所面談室にはひとつの大きな紙袋と珈琲カップが三つ出ていた。事務室のほうに聞き耳を立ててみるが、何だか静かだ。 「とりあえず入って。ストーブつける。」 「おお・・・!」 さみー、なんて小金井は伊月が火を入れたストーブに駆け寄り、水戸部はインバネスコートを脱いで小脇に抱えた。きちんと鍛えている彼はちょっとやそっとの寒さでは弱音を吐かない。マフラーを解いた伊月は手を擦り合わせてある程度の温度を取り戻すとカップを取った。 「ふむ。」 線の細い顎を摘まんで、カップを持ち上げてくるりと一周観察。 「二階かな。さっきまでお客さんだったみたい。」 「へ。」 「ここは開けてから閉めるまで基本的に電気つけっぱだけど、カップは温度が残ってる。一つは口紅拭いた形跡があるから女性だ。ストーブ消してるって事は紙袋の中身は多分温度に弱い。から、ちょっと片付けてくる。珈琲?紅茶?」 「紅茶!水戸部も紅茶だって!」 「アッサムのチャイを作り置いたはずー。」 伊月は事務室の扉を開け、やっぱり人影はないが、階段の奥から微かに聞こえた声音に、無人じゃない、と息を吐く。暖房が入っていないので、紙袋はカトラリー脇に放置。今吉も花宮も珈琲党なので、昨夜気まぐれに煮込んだチャイは魔法瓶の中でまだ少しだけ温い。鍋をコンロに掛けて中身を注げば三人分は余裕だろう量はある。 「お、月ちゃん。」 「ども。お邪魔してます。客になるか解りませんけど、水戸部とコガ来ました。」 「さよか。すぐ降りる。あ、紙袋は冷蔵庫放りこんどって。」 「解りました。」 カトラリーを用意しながら紙袋を冷蔵庫に入れて、頑丈な階段をよれた袴が下って来るのを横目に、茶こしを使って暖かいミルクティを三つのカップに注ぐ。 「おまたせ。おー、あったまったー。」 ストーブの上のケトルがしゅんしゅんと湯気を吐いて空気を湿し、部屋を暖めて、小金井もコートを脱いでいる。 「そこの棚に何ぞあるやろ、月ちゃん。」 「どうする?帰ったら晩飯じゃない。」 「あ、そっかー。」 こくんと水戸部も頷いたので、それぞれクッキーを紙ナプキンに包んで渡してやった。 「ほんで?相談事?」 「じゃ、コガどうぞ。」 伊月はひとくちチャイを含み、味を確かめて、仕事用の手帳と万年筆を構えた。 「水戸部が、妹ちゃん、千草ちゃんってんだけど、島崎って男子に告白されて付き合うかーってなってんのが、兄貴としては心配なんだってー。」 「素行調査か?」 「そうゆう事になんのかな?うん?話聞いて貰ってから?うん、わかった。」 少しだけ視線を交わして水戸部と小金井は頷きあう。なんで会話成立してんだろうなぁ、なんて小金井の無限の可能性に伊月は頭を捻った。 「その、島崎っていうのは中学籠球強いあの照栄のね。谷ってオカネモチの家で暮らしてんだって。そんでね、谷っていうのがよく解んないひとなんだって水戸部がゆってる。」 「谷・・・?谷文雅?」 「あ、伊月知ってる?」 「ここ五年くらいで急に有名になった。芸術家だったと思う。えっと・・・。」 面談室の壁に設置されてある本棚を伊月は覗き込み、あった、と硝子戸を滑らせて一冊の本を取り出した。 「これが画集。どれも高値で売買されてるから、最近じゃそうだな、まあ、成金みたいなもんだけど・・・。」 「お?」 「確か、建築デザインやってたんを画家に転向したかなんかや。何回か桜井も会うたらしい。」 「へえ・・・。」 「今のところ、傑作って呼ばれてるのは《君がミセスでなかったら》かな。後ろ向きの女性の画。」 ぱらぱらと二人が覗きこんでいる画集を伊月は捲って、これ、と白いドレス姿の女性の油彩画を見せた。 「みせすでなかったら。」 「ミセスは英語で既婚女性の敬称だろ?つまり、既婚女性に惚れたってストーリーの画だよ。」 「オークション掛かったか?」 「どうでしたっけ。油彩はあんま興味ないです。特に肖像は。文雅は雅号。本名は文乃助。絵は独学でやってた筈。親父が詳しくってね。どうかな?水戸部。」 つまり、谷という画家に面倒を見て貰っている島崎少年が水戸部の妹に恋慕している、とそういう事だ。島崎少年自身は水戸部が見た所、普通に勉強が出来て籠球を楽しんでいる、明るい少年だと言う。特に問題は無いだろう、と水戸部は納得したらしい。頷いて、ありがとう、とでも小金井でなくても解る風に笑った。 「まあ、世間話ってトコやろな。高校大学籠球部ほぼ最高峰部員からの貴重な相談やし、カネはいらんよ。また千草ちゃんに進展あったら教えてやー。」 進展、という言葉に水戸部は固まった。カントクの料理試食会で似たような様子になっていた。告白して、恋が実って、進展、と言われれば、どういうことなの、と思考が一瞬止まったらしい。 「み、水戸部っ。とりあえず今日はお休みっ、伊月!」 「翔一さんも余計なこと言わない!水戸部もしっかりしろって。兄貴だろうが。」 ちゃんと無事帰りついてね、と小金井に託し、二人が路面電車の停留所に向かうのを見送って、若干ふらふらしている水戸部を慌てて支えた小金井が手を振ってくれるのに伊月も返して、帝都の一等地から路面電車が動き出したのを確認して扉を閉めた。 「誰が来たんです?」 二人のティーカップを片付けながら、天井を見れば、今行ったら邪魔やて追い返されるで、と伊月の先を読んで今吉は応えた。 「噂すれば影ゆーか。その谷や。」 「は。」 「あと、陽泉の雅子ちゃん。」 「荒木監督・・・と、谷・・・?なんで・・・。」 今吉が画集を仕舞ってくれたので、とりあえず伊月はカップを洗ってカトラリー棚に伏せた。 暫し考える風情を見せたが、ふとあの紙袋が脳裏に過った。どうせ考えても答えは出ないだろう。芸術家なんてそんなもんだ、と伊月は思っている。 「そんじゃ、お客さんも無いみたいですし、俺は帰りますね。」 「えっ。」 「明日の風紀検査と部活の鍵当番預かっちゃったんで。それでは。」 失礼します、と伊月はコートを羽織ってマフラーを巻き、おやすみなさい、と笑って今吉探偵事務所の扉を閉めた。かくっと今吉は頭を垂れた。ワシの恋人淡泊過ぎるやろ、なんて。 「あ?伊月じゃねーか。」 「あれ、ひゅーがどうした。」 今帰りか、と煮売りに寄っている日向には頷いて、あ、大学芋、と伊月が目を輝かせれば、ほいよと買ったばかりの竹皮に包まれていた一欠けら寄越してくれた。 「やたっ。ひゅーが大好き!」 とろとろととろける甘味は空腹に優しく、ふは、と白い息が一層濃くなる。 「今日は御袋が実家でよ。」 「あは。また夫婦喧嘩だ?」 「勘弁してくんねーかな。喧嘩して帰省して平謝りして仲直りして新婚ごっこして喧嘩してループ。」 だいたい三ヶ月に一度周期である仲の良い両親の様子を、息子は割と達観して見ている。昔は伊月に泣きついて飯を強請りに来たりもしたものだ。 「仲のいい証拠じゃない。何だったらなんか作りに行ってやろっか?」 「まじで?助かるわ。煮売りつっても買うんじゃ金がかかって仕方ねぇ。」 「おっけ。とりあえず何喰いたい?」 「あったかいやつ。」 「じゃあ、大根と・・・人参、蓮根。竹輪と、たまご。」 素材ままだと安く手に入るそれらを買って、向かうのは日向家。電話を借りて、日向の家の事情と夕食の算段を伝えると姉に爆笑された。 「女性が大口開けて笑うもんじゃねぇっつの。」 そういえば今日の部活で、授業で、と雑談を交わしながら、少々味と煮込みは足りないがおでんと茹で卵を作ってやって、仕事から帰ってきた日向父を交えて夕食。明日は肉とはんぺんも加えて煮込めばちゃんとおでんになる、と鍋に残ったそこに平天や白滝、厚揚げもあったので少し出汁を足しておく。 「あ、伊月、明日風紀の当番あんだろ。鍵貰うわ。」 「サンキュ。」 そうやって玄関で恰好を整えていると、玄関脇の花を飾ってある靴箱の上に、見覚えのある本があった。 「・・・ひゅーが、これ。」 「ああ、今回の喧嘩の原因。タニナントカって画家の画集?」 「え、これが原因で喧嘩したの?相変わらずお前の両親可愛いな。」 「うっせーよ。」 ぱらぱらと新しい紙の匂いを捲っていくと、先ほど今吉のところで観たものと相違ない画集だが、《君がミセスでなかったら》が別の画に差し替えられてあった。 「・・・え?」 「どした。」 「俺が知ってるのと違う。」 「は?」 「翔一さんとこにあるんだよ、この画集。でも、一枚だけ絵が差し替えられてる。なんだろうこれ、《消えたAugust》?Augustって八月だっけ?」 「・・・だな。なんかあんのか?」 花畑にいた後姿の女性は、夏の木漏れ日の中で笑う少女になっていた。刷りは進んでいない。明らかに不自然な画集に、伊月は手帳と万年筆を取る。また下らない駄洒落でも思いついたのかと日向は殴る準備を整えようとして、その黒革の手帳は探偵助手としての仕事用だと気付いて拳は引っ込め、そのままぱらぱらと画集を捲って何やらメモを取っていく様子を二人で敲きに座り込んで、ぱたん、と伊月が手帳を閉じた音で日向は我に返った。 肖像や風景はモチーフを通して何か感情が流れ込んでくる、そんなものばかりでうっかり見惚れた。あとは真剣な伊月の横貌だとかもうつくしすぎていけない、と日向は責任転嫁甚だしい。 「ありがと。そんじゃ。」 「そこまで送るわ。」 「ああ、助かる。」 とりあえず、刷りの数が進んでいないのに絵が差し替えられていたのが気になる、と伊月は語り、後は早めにおばさんに帰ってきて貰いなよ、なんて笑って、るっせぇ、と日向が返せばいつも通りの親友で仲間の二人は十字路で別れた。 「ただいま帰りました。」 「お帰りなさい、俊。ひーちゃんまた家出したの?」 「だってさ。ひゅーがも料理いくらか出来るようになってた。」 「それはいいわね。」 いつまでも男子厨房に入らずなんて古いわよ、と伊月の母親はころころと笑って、居間でラジオを聴きながら新聞を読んでいる父親に。 「谷文雅をご存知ですか?」 広い卓を挟んできちりと正座をした息子の問いに、父は新聞を閉じてラジオから流れる歌謡曲を消した。 「谷君がどうかしたかい?」 「いえ、高名な画家だとお聞きして、交友があるのなら、と思っただけです。」 「俊がそこまで気に掛けるのは珍しいな。」 母親がコートを畳んでマフラーを解いた伊月のところに湯呑を用意してやって、夫にも冷めたそれと取り換えた。 「うん、谷君・・・文乃助君と呼んでしまおうかな。中学と大学が同じで・・・順平君とお前ほどの交友はなかったけれど、友人と呼んでもいい距離ではあったかな。」 伊月の母はきょとっとした奥二重で黒目勝ちの大きな目をしているが、子供らの目元はどちらかといえば切れ長の一重の父親によく似ている。顔の造詣は全体的に母親似ではあるが、すっきりと涼しげに整った目元は父親似だと日向の父にはよく言われる。お互いの母同士父同士は旧知である。 「今でも連絡は取ろうと思えば、かな。でも最近有名になったからなぁ、彼・・・。」 中学大学の同輩と言うだけで連絡は繋いでくれるかな、と父親は苦笑した。 「えっと、同輩の、水戸部の妹さんに・・・慕っている中学生がいるそうなんですね。どうもその子が谷さんにお世話になっているそうで。」 「ああ、そういう事か。安心しなさい、俊。文乃助君は困っているひとを見過ごせないひとでもあったよ。人望も厚かった。」 「そうですか。それは安心しました。」 長話を失礼しました、と頭を下げ、正座を崩して息子が妻に礼を伸べて茶を貰ったのに、父はまた新聞を広げて、ふと思いついたように。 「上司とは上手くやれているか?」 と聞けば、大きく咳き込んだ。 「あら、今吉さんにお歳暮用意しておかきゃ。」 「いいって、そんな気遣い要らないよ、翔一さんには!」 「仮にも仕事の上司だろう。その態度はいかんぞ、俊。」 「そうよ、お給金まで頂いているのに。こんな不肖の息子。しかも学生を雇って下さるんですし。ね?」 「なあ?」 けほっ、と気管に入ったらしいお茶で咽た息子は、いやまじたぶんあのひとにお歳暮送っても返礼来ないから、とすすーっと視線を逸らした。返礼するなら多分伊月か花宮の仕事になるだろう。 「じゃあっ、お歳暮は俺が個人的に送っとく!ちゃんと名義は伊月家にしとく。それでいい?」 「何がいいかしら。」 「今吉さんの趣味は?」 競馬とか花宮苛めとか俺弄りとか言えるか、と、無難に珈琲豆とか紅茶葉とか菓子折りで良いんじゃないかな、と伊月は再び視線を逸らした。親が息子とその上司だと思っている相手が実は恋人同士とか、親不孝にも程がある。こころが痛い。 「文乃助君には一度連絡が取れるか試してみるよ。直接話が出来れば安心も出来るだろう?それに俊、医学部か建築学部で悩んでいたじゃないか。いい機会だ。」 誠凛には数多くの学科があるが、医学を取れば他は取れない。医学の門は狭く厳しい。 「えっ、ありがとうございます、父さん。」 「どういたしまして。」 さあそろそろ寝ないと明日起きられないわよ、と母親の声に、伊月は風呂に入って就寝の挨拶を両親に述べるとそのまま部屋でその日の復習を済ませ、予習もやってからその日を終えた。全くよく出来た息子である。恋愛面と寝起き以外は。 「おはよう・・・。」 「あ、俊おはよ。」 「うえ・・・?姉貴なんで・・・。」 教職目指して師範高校に通う姉が随分早い時間に食卓にいるのに、伊月はあとはコートとマフラーを装備すれば登校出来る恰好で目を擦る。うにうにと唸っている弟の手を取り上げて、擦んないの、と注意をくれる。 「今日から実習入るの。照栄中学行くから、ちょっと早めにと思ってね。」 「しょうえい・・・。」 ん、と覚醒し始める思考に、顔を上げ、食卓にて手を合わせて、母親がにこにこと微笑む中で、頂きます。 「あ!」 「なに?朝から騒がしい。っていうか俊が朝から騒がしいとか珍しいんだけど、母さん。」 「そうだ、照栄中!」 「ん、籠球強いとこよね?木吉さんの出身校。」 「島崎って男子生徒、見つけたらなんか教えて。」 「・・・いいけど?」 なんだこの弟の剣幕は、と怪訝そうな綾と、伊月は綺麗なタイミングで揃って、ご馳走様でした、行ってきます、と席を立って広い玄関ではぶつかることなく家を出て、途中までは同じ路面電車、途中で別れて伊月は学校に到着すると、マフラーを綺麗に巻き直して、教員から渡された風紀の腕章を着けると校門前に立った。鷲の目の有効活用である。 「おはよーさん。」 「おはようございます。」 別段これといった校則違反も上手く隠れており、当番が終わって担当者の名前にサインをしておく。寒さに凝った肩を回して体育館。隣の校舎からわざわざ来てくれる相田の指導下、朝練をやって、身体を暖めれば割と日中はなんだかんだと暖かく持つ。仲間と共に昼食にと弁当を持って廊下に出ようとすると教師に呼び止められた。 「伊月君、宿直室前に。お姉さんから電話だ。」 「へ?あね・・・姉さんですか。」 何でだいきなり、と思って近くに走ってきて教師に叱られた小金井に託けて、伊月は言われたとおりに宿直室前の電話機に向かった。 「もしもし?」 『あ、俊?』 「どうしたの、昼休憩?」 『そう、ちょっと気になって。言葉は省くわ。』 「うん?」 『目がおかしい。』 「目・・・?」 『俊が言ってたこ。他にも何人か。』 「・・・なにそれ・・・。」 『なんていうか、暗いの。でも、異様に爛々としてるっていうか・・・わかんないけど、おかしい。』 「ん、了解した。深くは踏み込まないで。気を付けて頑張ってね。」 『ありがと。あんたも頑張んなよ。』 「うん、ありがとう。」 向こうの音がきちんと切れてから、伊月も受話器を置く。目がおかしい、とは何ぞや。鷲の目は遺伝なのかそうでないのか、伊月が医学の道を選ぼうと決意したのは曾祖父から隔世遺伝したと親戚中から言われているそれの原因解明が大きい。何故なら姉妹も似たような目を持っているからだ。 単に視野が広いのか、脳の情報処理速度が常人より速いのか、医学の基礎を学んだ後は目と脳を研究したいと思っての志望動機である。目がおかしい、とその表現は何となく解る。目は口ほどに物を言う。気分や機嫌に左右される、目つき、眼光。 「すいません、電話お借りします。」 近くを通った教師に言って、繋がるかな、と試した電話は果たして交換手が繋げてくれた。 『はい、今吉探偵事務所。』 「・・・なぜいる。」 『自主休校。』 つまりズル休み、と花宮は平然と言い放ち、で?と話を促した。 「谷文雅。本名谷文乃助。経歴と現在を洗って。特に現在。」 『阿片でも出たか。』 「は?なん・・・。っそれって!!」 『俊か。真、代われ。』 今吉の声が固い、と伊月は胸元に手を結んだ。 「翔一さん。」 『おー、月ちゃん。今ガッコやんな?どないした。』 知ってるくせに、と思った。 「さっき照栄中にいる姉さんから電話ありまして。谷文乃助の世話になっていると思わしき生徒の様子がおかしいと。」 『昨日ゆうとった?』 「その子も含め、です。他にも数名確認したそうです。」 さよか、と溜息交じりに今吉は呟く。 『今日来れるか。』 「行けます。俺も確認したいこと、あるんで。」 『ん、気を付けておいで。』 気を付けて、という言葉が少々引っかかるが、そのまま電話の回線は切る。屋上は吹きっ晒しで寒いので、ミーティングついで、屋上に続く階段の踊り場で籠球部は弁当なり購買の出来あいなりを摘まんでいて、近く海常との練習試合があると知らされて伊月は思わず天を仰いだ。 「伊月どうした。」 「ごめん・・・今日は練習参加出来ないかも。」 「おい。」 棘の生えた日向の声音に伊月は潔く頭を下げる。 「フリの新しい陣形試しとくか。練習試合は?」 「そこは大丈夫。あーも!コガ、今度自主練付き合って!」 「おお!?心得た!!」 「僕も参加したいです。」 「俺も入れてくれ!ださい!」 「えっ、黒子と火神ずっり!」 「俺も!俺もやりたいです、伊月先輩!!」 自主練がいつの間にか試合できる人数まで集まってしまったので、伊月は眉尻を下げて苦笑し、俺も混ぜろな、と日向の言葉に、うん、と笑ってその場は収まった。時折今吉と花宮と青峰と伊月なんてメンバーで青峰行きつけのコートで遊ぶが、鷲の鉤爪は必須だわ視野も限界まで使うわ体力も途中で底を突くわで洒落にならない。一度それでカントクには練習過多になりかけて叱られている。あの面子の中では技術も体力も追い付くはずもない。だが時たまやるととてもいい練習になるのは事実で、花宮なんかは今の陣形だとこうでああで、と的確な助言もくれたりする。 そして放課後、今吉探偵事務所への道行、路面電車に乗って、最寄りの停留所で降りた。ざわりと背を駆け上った悪寒に伊月は勢いよく振り返った。 「ああ、俊。文乃助君、これが息子の俊だよ。」 「と、うさん・・・なん・・・で。」 そこに立っていたのは壮年の男性が二人で、一人は見慣れた背広姿だった。父親だと瞬時に判別出来る。その傍らに立つ、袴姿の男に見覚えが無くて、目を見開いたまま硬直していると、谷文雅君だよ、と紹介を受けた。 「ほら、気にしていただろう?連絡して見たら、アトリエに来ないかと言われてね。今吉さんへのお歳暮もほら。」 掲げられたのは百貨店の紙袋で、中には熨斗紙のかかった箱が入っていた。 「無難にクッキーのアソートにした。」 「それは、わざわざありがとうごいます、父さん。渡しておきます。」 「今から事務所か?頑張って役に立って来なさい。」 あと谷君からも話を聞くといいよ、と父は谷の肩を叩くと、そのまま勤める会社の方面に、ぱりっと綺麗な姿勢で歩いて行った。また連絡するよ、と笑って。 「探偵さんの所で働いているって聞いたよ?今吉さんだったね。昨日俺も知人に連れられて尋ねたところで、正直驚いている。」 「あ、はい。学業本分なので・・・片手間・・・ですが・・・。」 握手を求められた手が、異様に熱い。 「あの体調でも?」 「どうして?」 「・・・体温、高いんで・・・あ、俺の手が冷たいからかな。」 「確かに俊君の手は冷たい。」 そっと手の甲を擦られて、摩擦は熱を生んだが本能の部分が拒否を、拒絶を叫ぶ。白いシャツを着込んで紅の単に生成りの袴。首にはプレートの付いたチョーカーをしている、父と同じ年の男は随分と若くにも、そして老いても見えた。黒髪の狭間に耳には十字のピアスが嵌って、単にも髑髏が刺繍されており、芸術家に在りがちな変人肌だ、とも思ったが、握った手はそのまま離されないで歩き出す。 「お母さん似だね。目元は伊月君・・・お父さんにそっくりだけれど。」 「よく言われます。あ、岩に言われる。キタコレ。」 「・・・中身はお母さんを引き継いだね。」 なんだかげんなりとした表情で、近くのカフェに連れられる。 「あ、あの。」 「いいよ。ちょっとお話しようか。医学と建築と迷ったんだよね?聞いているよ。建築の世界についてちょっと話そうか。」 ぐいぐいと静かなカフェに引きずられるように入って、奥の席に座らされて、しまったな、と伊月はマフラーを解きながら思った。 「ごめんね、煙草。」 「あ、いえ。翔一さん・・・今吉さんも煙管吸うんで。」 「翔一さんって呼んでるんだ?」 やっちゃったか、と瞳が揺らいだが、まあまあ、とテーブルの上で重ねられている手を宥めるように握られた。 「じゃあ、俺も文乃助で。文雅だと目立つしね。」 「えと、はい。文乃助さん。」 谷はそのまま紅茶を注文し、するっと指の間を這った指先に意識がいった瞬間、給仕に谷が何かを握らせたのを見た。鷲の目が無ければ見逃した、と凝視っと谷の顔を見た。 「何か?」 「それは、貴方でしょう、文乃助さん。」 ぷかり、シガレットの甘い馨りに伊月は目を眇めた。あまり好きな香りではない。 「翔一さんに、荒木さんに、何を持たせたんですか。」 「最近、立体造形に興味があってね。」 ぷかりぷかり、鼻腔がその香りで満ちていく。 「ほら、チョコレイトなんかを削って溶かして、なんて面白いじゃないか。食べれる彫刻像、なんて。」 紅茶が運ばれてきた。飲むな、と本能が叫ぶ。 「ああ、外は寒かったからね、冷えるだろう。俺の奢りだ。飲みなさい。」 判断が、鈍る。 「ココアもいいよね。あれはホットチョコレイトとも言うらしいよ。チョコレイトを溶かして暖めたものらしい。」 甘い馨りが思考を鈍らせ、視野が徐々に狭くなる。 外は凍てつくように寒くて、ストーブが焚かれた店内はコートを着ていると熱いくらいで、目の前に暖かく揺れる紅い水面と、握られた熱い手が。 そこで、伊月の意識は途切れている。 続く。 |
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ディスコと迷った★今回ちょっと後編投稿すんの時間開くかもですすいません。水戸部先輩きっかけに誠凛ズ出ましたきゃっはーい!■キャプションの一部なぜ消えたし?加筆修正箇所また誤字に戻ったし?直った・・・と思います信じたい!!ブクマ、ブクマコメ、タグありがとうございます!!(12/14
2012年12月07日 22:50初出。
タグやブクマコメで「翔一どこだ!」と叱られてて笑いましたwww扱いの差www
20121224masai