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「やあ、術後経過、どうだい?」
伊月は青峰の見舞いに来て、桃井が慌てて花瓶を用意して出て行ったタイミングを、図ったと思われた。 いい加減小狡くなったもんだ、と初対面の頃の甘ちゃんっぷりを思い出し、青峰は笑った。 今吉探偵と伊月助手と外伝・青峰大輝。 百貨店での怪我を切っ掛けに、半月、青峰は仕事を休むことになる。諏佐に、働きすぎだ、と苦笑された事もあり、まあ実際今吉にはこき使われてきた自覚はあったので、肩に貫通した怪我をきちんと手術してもらい、といっても体内に異物はないかとの確認であったそうで、火傷のあった入射傷は伊月が縫ったそのままだ。銃創ひとつで死ぬ人間じゃないからな、とのこと。機会も良い事だし大安には桃井さつきとも籍を入れ、彼女は結納を終えてからは社交界では既に青峰の夫人を名乗ってあった。 「術後経過、順調でよかったよ。」 清潔な病室は冬だというのに寒くない程度に風の通しはよく、青峰は無事な腕の筋力維持にダンベルを持ち込んでいた。 「あー?撃たれろつったの、あんただろ、伊月さん。」 「宗助君を折るにはあれが一番いい、と俺が判断した。間違っても翔一さんや花宮を恨むなよ。」 「ほんっと強かだよ、あんた。テツにそっくりだ。」 「あは。昔からか、黒子の折れない様子は。」 ことりと用意された皿には綺麗に林檎がうさぎを模して四つに切り分けられた。他にも果物の入った籠はあり、オレンジを笑顔の形に切り抜いた伊月に青峰は笑ってしまった。 「おい。」 「あ、ごめん。子供への癖が。」 果汁に濡れた手をハンカチで拭った伊月はそうやって苦笑し、綺麗に刃の輝くナイフを折り畳んだ。常々、あの事件から、便利そうだと思っているナイフは、決して人を傷つけることなく、剰えこうやって青峰に林檎を細工してやる。 「そのナイフ、いいよな。」 「花宮の特注だ。良いだろう。」 ぱちん、かしゃん、と柄を回せば綺麗に磨き上げられた刃は翻り、くるりとそのしなやかな指に回され、柄の中に刃は収まった。春の空気になる前に青峰は退院した。今吉の探偵事務所に走らされるのが最初の仕事だった。諏佐が作成した依頼書を、今吉は伊月に投げやった。 「・・・うそ。」 それだけ、彼は口を押さえて立ち尽くした。仕方ねぇな、と花宮が濃い珈琲と銀座のボーロを出してきて、しかし食う気は起きずに珈琲だけ乱暴に飲み干した。 「青峰っ!今すぐ!今すぐ監察室、入れて!会わせて!」 「月ちゃん、落ち着きなさい。青峰、この依頼は前々から言われとったな。引き受ける。」 そんでないとこの子が壊れてまう、と酷く優しい手つきで伊月の頭を胸に埋めた今吉は、そうやな、会いにいこな、ご家族に帰して、おうち帰してやらんとな、とその形のいい頭を撫ぜた。 被害者の名前は中村真也。月夜に背後を包丁で切りかかられた。この春から、臙脂の軍服を用意された男であった。 その儀式めいた作業に、青峰はいつも魅入った。死者の魂の抜け殻を綺麗に拭いて、相応しい格好に整えさせる。遺族に会える姿にしてやって、葬儀社に送るまでの仕事だった。公にあまり知られた職業で無いが、給金はいい、と上野監察医は定年前に言っていた。彼は完全に後進となった監察医と伊月にこの部屋を任せて去った。今は緑間総合病院で患者と医師の間の、医師に言えない相談事を預かる立場であるらしい元監察医は、光彩の色が少し明るかったと青峰は記憶している。 凶器は刃渡り三十センチの肉切り包丁で、内臓まで達した傷に、冬の深夜、人知れず息絶えた被害者は多くあった。監察室は死体を扱う特性上、暖房が一切入らない。冷たい消毒液に一定時間浸された白い手を、今吉が握るように温めていたのを彼は覚えている。 「似合います?」 被害者の倒れていた場所や残されてあった足跡などの写真や図面を見ながら、伊月は机を囲んで作戦会議中の諏佐と青峰の間に割って入り込んだ。 「伊月、なんだそれ。」 「翔一さんの眼鏡です。似合います?」 「それ視界ぼやけね?」 これ貸してやる、と諏佐が伊月に手渡したのは、彼が日常の変装で使う度の入っていない丸縁の眼鏡だ。どこで恨みを買っているやも知れん、と彼は子供の前や妻の前でも眼鏡を掛けていた。事実、諏佐の六歳になる息子は物心つく前に二度ほど誘拐されかけており、子供が大量に行方不明になった春の事件の解決は、個人的にもずっと調べて追いかけてあった彼の功績と呼んでいい。 「ありがとうございます!翔一さん、これ返しますー。」 「諏佐、止めたって。この子囮するって聞かん。」 「だって俺、一回やられてますもん。いけると思いますよ、今回は。」 その黒曜石色の瞳は仄かな怒りに凛と燃え、かしゃん、と眼鏡をその整った鼻梁に正した。誠に見事な志を持つ男だ、と青峰は少なからず憧れた。中学時代に友人に向けた感情とそっくりだった。 確保されたのは元は遊女であった女で、赤線が閉鎖された恨みを持っていた。金を稼ぐ手段が無くなってしまった。中村の財布からは金の一切が抜かれており、巫山戯んじゃねえ、と取調室で伊月は怒鳴った。伊月が血を吐きそうに叫ばなければ青峰が叫んでいたが。鷲の目の視野に包丁が引っ掛かった瞬間、合気の要領で頸を当てられた女は、喚き散らし、泣き叫び、己の悲運のみを只管訴えたが、連続殺傷の容疑は当然ながら免れられず、首を括られて死んだ。伊月は今吉と花宮に頼み込み、青峰さつきが趣味で営んでいた花屋で大量に花束を作らせ、一週間ほど、出かけてはAsylに泊まってまた花束を持って出かける、というのを繰り返していた。女が処刑された日、青峰はとある墓を訪れ、黄瀬が慕っていた笠松という男に出会った。 「墓参りくっとさ、ぜってー俺より先に綺麗に花を供えやがった奴がいんの。おかげで俺がすんのは墓石磨きだけだ。」 だそうである。 中学時代の友人と集まることも、実を言えば割と多くあった。人数が揃わないこともあるといえばあったが、それは主に黒子か赤司か黄瀬だった。紫原は一端の菓子職人であり、緑間は職業軍人であったが、職業は違えど縁は途切れず、尊敬尊重し合っていた。確かに友情はそこにあった。共に学友であって盟友であった彼等は、ずっとずっと、どんな職業であったとしても友人だった。 黒子とは個人的にもよく会っていた。妻の真実の初恋は黒子であって、子供が生まれた際は両親より黒子が喜んだほど、赤ん坊がそれなりに理性を持つようになると、本の読み聞かせもしてくれた親友は、青峰の若夫妻には、ずっと、テツ、テツくん、と親しまれてあったが、とある冬を目前に、少し露西亜まで出かけてきますね、と本屋にでも行くような声音で出かけて行った。あまり表情豊かとは言えない親友だったが、その時の黒子テツヤは確かに微笑み、そして少しだけ哀しそうだった。 黄瀬は銀幕に華々しい活躍をしていた。青峰が覚えていた彼は、仲間に弄られ、青峰っちー、と漢気はどこやった、とよく泣かされていたが、女に好まれる華やかで美麗な容姿をきらきらと銀幕や舞台で披露した。よく赤司と観に行かされた。赤司の言い分としては、一人で出かけてはいい顔をされなくてね、でも警官のお前と一緒ならそうでもあるまい、である。 赤司は期待を裏切らず、政治家となった。何が国に国民に有益となるか考えた男ではあったようだが、徐々に負け戦の色が強くなると単身外遊し、内密に交渉し、天皇陛下や軍神に進言し、いつも正論を言う厄介な男であったようだが、その英雄めいた存在は、しかしある日突然いなくなった。少し広島のほうを見てくるよ、と青峰さつきには言ったらしい。 らしい、というのは青峰大輝はその日はもう、日本にいなかったからだ。 マニラで熱病に魘され、伊月さん、と譫言を言ったらしい。持ち前の体力のみで復活した彼は、仲間から、イヅキってのは恋人かい、と笑われて、いや恩人、女房これ、と戦地での仲間に写真を見せた。一個小隊を育てた青峰は上層部の覚えも目出度く准尉の階級はあったが、最前線で部下が生きるか死ぬかを生きるのに、基地で悠々としていられるか、とその野生の勘じみた実力は部下を適材適所させ、また上官としても戦友としても慕われた。 「うおおおおお者ども出合えええ!美人じゃああああ!美人を奥に持つ男が現れたああああ!」 「なんとお羨ましい!さつき殿と申すか!一度合間見えて見たいものよ!」 「そしてさらにイヅキという妾もおるそうな!者ども青峰殿は生まれる世界が違ったようであるぞ!」 「お前らいつの時代の人間だよ。」 生まれる世界が違う、というのは中学時代によく言われた。キセキの世代、なんて皮肉られた彼等は、籠球で、企業で、職で、芸能で、軍隊でも華々しい功績を遺したのだから。 「生まれる世界が違う?巫山戯んな。みんなみんな、生まれて死ぬまで自分を通して見た世界しか知らないくせに。」 伊月はそうやって鼻であしらったことがある。黒子も隣にいて、ごもっともです、先輩、とバニラセーキを飲みながら言っていた。青峰は、なんだか意味は解らないが、すとん、と腹の底に落ちてきたような気がして、柄にもなく安堵っと息を吐いた。世界はひとつだろう。 ひとつの比喩表現だとして、世界が違う、などという日本語はこの世界に存在することさえ否定された気がした。しかし伊月はその比喩表現に含まれる反問律さえ利用した。利用出来るものはなんでも利用してやる、と言って憚らかなった彼は、やっぱり彼だった。 家族の写真と、同僚の写真を青峰は持っていた。 青峰に生まれた子供の名は夏炉という。さつき、五月の季語で、伊月と黒子が唸りながら名付けてくれた。五月に輝くもの、と言って二人で、これだ、と。字数画数を数えたかどうかは知らぬが、かろ、と響きは学の少ない青峰も気に入った。 同僚の写真には諏佐もおり、部下もおり、今吉に引っ張られる形で伊月も花宮もいた。あの珈琲は好きだった。戦地で飲む珈琲は味がしない。さっき笑いあった仲間が今もう息をしていない。 「これ、あげる。」 IとSの彫刻が入ったナイフは青峰があの退院の折に伊月から貰った。Asylではもう、護るための刃は要るかもしれないが、傷つけるための刃は要らない、との事だった。 「だいぶ使い込んじゃってるけどね。切れ味は保証する。花宮特製だし。もう俺は。」 まだ学生服を着ていた伊月は、その胸に白い手を当てて。 「それを持っていてはいけないんだ。」 意味は今になって漸く解った。重い死体を基地まで持って行くのは凄まじい重労働で、その小指を切って軍服の階級章や指名を縫い付けた雑嚢と共に運び、連絡船に乗せる際、青峰は必ず一筆、大ちゃんの字ってほんと汚いよね、と妻に言われ続けた文字で、一筆認める。どんな最後であったと。そして自分の署名と、その両刃が傷つけた親指で拇印の真似事をする。 「他人を傷付けては、自分も無傷でいられない、か。」 傷だらけの手に佇むナイフは、南国の夕日の中で血塗れになりながら、今日もあの男のように、凛と誠実に煌めいている。 青峰大輝、享年三十二歳。 マニラにて二階級特進。 青峰さつき、享年六十歳。 旧姓桃井。子供を育て、孫が生まれた後、風邪から気管支炎を併発、呼吸不全。 黒子テツヤ、享年三十歳。 ロシア会談での際、要人を凶弾から護り死亡。 赤司征十郎、享年三十八歳。 広島県での不自然な連合国の思惑を探ろうと、そのまま消息不明。 紫原敦、享年三十二歳。 軍訓練場にて自殺。めんどくさい、と書かれた遺書は軍部により燃やされる。 黄瀬良太、享年四十三歳。 徴兵逃れの疑いを世間から浴び、自責の念から自殺。 笠松幸男、享年四十歳。 無事戦地から帰国するも、戦地での怪我が壊死を起こし死亡。 諏佐佳典、享年三十七歳。 フィリピン沖にて二階級特進。遺体は回収不可能。 中村真也、享年十九歳。 森山由孝の部下として入隊直前、通り魔に襲われ失血死。 |
初出:2014年2月19日 19:31
今月探偵番外編、第四弾。
20140421masai