天野屋利兵衛は男でござる。
子供の情に絆されたりなどせぬ男じゃ。














今吉探偵と伊月助手と外伝・天野屋利兵衛(仮名)。












それは子供だった。
それは大人だった。
それは男だった。
それは女だった。
それは人間だった。
それはひとではなかった。
それは。
「なんや、つまらんなぁ。」
伊月が死んで、その一年後に今吉が行方知れずになったとの知らせに、それは呆れたように、また感心したように、言った。報告した花宮は酷い顔をしていたので、おそらくは、との検討も出してしまえば、本当につまらない世の中になったものだ、なんて。
天野屋利兵衛と名乗ったそれは、親の顔を知らず、きょうだいはいたが、そこに情はなく、また興味すら無かった。じきに殺しあうと知っていたから。今思えば一つの処世術だったのやも知れぬが、泣く事も笑う事もなく、同じ家で共に育ったそれらを淡々と殺したそれは、さぞ異様な光景であったに違いない。
今吉は天野屋の部下だった。花宮も天野屋の部下だった。道具であった、というほうが正しいが、しかし自分を傷つける、刃向かう道具とは、とやれやれ、今吉に関しては肩をすくめたのみで、殺さななぁ、と考えていた矢先、面白い男が現れた。
花宮の報告であるなら今吉の表向きの部下であり、飼い猫だった。愛人だった。妻だった。仮初めの家族だった。
上層部から与えられた椅子に鎮座しているのも飽きた頃、小柄だったそれは、相手に警戒心を抱かれにくい武器があった。
ほほう、と思った。伊月という美しい青年は、初めてそれを見た時から、決して警戒を解こうとしなかった。毒を汁粉に甘酒に仕込む手立てもあったし、雑談にも笑って、その見事でしかし気取らない哲学は、素直に面白かった。
「こら負け戦か知らんなぁ。」
「何の話ですか?」
「んー、葉山にはちと難しいやろなぁ。んで、御苑の建て直しは終わったん?」
「はーい!誠凛籠球部のおかげですねー!んでー、こっちの損害がー・・・。」
客人に紛れて侍従の入った歓菊会は、なんだかんだで無事に終わった。なんだかんだで、と一言で済ますのはそれの特性で。
夕闇の中で刃を交わし、麗しい黒曜石色の眼球を刳り貫いてやろうとの思惑は外れた。綺麗事で作られたような男は取り乱した声にもずっと冷静に応えてきた。こっちは生きるか死ぬかの、生かされるか殺されるかの世界で生きてきたのに、のうのうとただ平凡に生きてきた男が今吉の寵愛を一身に、とはなんと憎らしい。
「生きるやの活きるやの、ただの屁理屈やんなぁ・・・。」
駄洒落遊びが好きな男は、やっぱりそうやって、己の哲学に生きた。今吉は毒された所があったらしい。何度かそれの姿をただ無為に視界に入れることがあったから。あの演技だかどうかも知れぬ驚きの表情は、少なからずそれのお気に入りではあったが、いつも殺す気で来てほしかった。そして殺して欲しかった。
ほしい欲しいと子供のように考えて、全てを悟った大人のように殺せと言う。女のように彼らに愛を囁き、男のように闘志を燃やす。
花宮真という子供は、なんだかんだで聞かん坊だった。いつまでもあの狐を恋しがる子供のようで、なかなか笑えた。愛しいからこそ自分で殺す、と歓菊会で伊月は言った。大切な言葉であったから壊した、と。そんな綺麗事を、とそれは呆れた反面、かなしかった。くやしかった。子供のように大人の理屈で喚いてしまった。
紋付袴は遊びで来ていたが、黒い背広も紅い制服もある天野屋利兵衛と名乗った生き物は、詰まらない世の中に只管その目の前の出来事を綴って行く。硝子ペンは書き味が一定していていい。
国内が乱れて花宮が駄目なら瀬戸でいい。
今吉がいないならもう楽しい事は一つとして無いな、と悟ったように、日々の出来事を延々と綴って行く。
木吉鉄平は誠凜大学を作った際の駒だった。要らなくなったので花宮に壊させた。
花宮真は腹心でもあり、今吉の監視のための部隊長であったが、先ほど酷い顔をして帰って来た。
実渕玲央には赤司の腹心であり、密偵。
葉山小太郎は赤司の部下として、また皇室の侍従としても。
根武谷永吉にはその腕っ節を試すように様々な格闘技を仕込んで要人警護、無論赤司も含まれる。
夜叉と雷獣と剛力には未だ赤司家の若き当主を警護する役割があるので消せない。鉄心はもう体が使い物にならないか、強かな男であったが、と解雇通知を送ったと同時、悪童には大東亜省への通告を出した。
それはあくまで裏にいた。意図を操り巣を張った蜘蛛は、やはり日陰で身を潜めて獲物がかかるのを待つのである。ごくたまに獲物を誰かが持ってくるから人間というのは変な生き物で。
「つまらんなぁ。」
伊月が欲しかった。今吉に戻ってきて欲しかった。
あの知識と類稀なる才覚と頭脳が欲しかった。
夜叉より優しい言葉、雷獣より回る頭脳、剛力に勝る才覚。
しかしながら、伊月を殺させたのは、今吉をずっと狙ってきたのは、それであり。
「あかんなぁ。」
あかんな、と真っ赤に燃えた部屋を眺めながら、上役に許された椅子の背凭れに、ぐうっと体重を預けて、かつん、と軍足が弾ける。昔は下駄を愛用していたものだが、部下に示しが着きませんので、と軍服に軍足であることが望まれた。
「さぁて、誰にでも初体験はあるらしいが、月ちゃん?」
ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ・・・。
「流石に自分、ちゃんと死ぬん、初めて、なんよ?」
日本刀は今吉の事務所の二階から花宮が持ってきた物だ。美しい業物は、凛と佇む伊月のような美しさと、獣のように嗤う今吉の醜悪さとを同時に思い起こさせた。

天野屋利兵衛(仮名)、享年不明。
東京大空襲の際、軍部司令室にて自決。

実渕玲央、享年三十九歳。
広島県での不自然な連合国の思惑を探ろうとする赤司に同行、そのまま消息不明。

葉山小太郎、享年三十九歳。
同上。

根武谷永吉、享年三十九歳。
同上。

初出:2014年2月24日 12:21

今月探偵番外編、第九弾。

20140421masai