くるくるくる、レコードはきらきら輝く水面に音楽を奏で、本来は楽しめる役割を、すっかり放棄してしまっている。
蓄音器が叫ぶ悪夢の呼び声は、屋敷を混沌の渦に呼び込み、彼らは踊らされたのだ。
慣れた体温に埋もれる中、彼らは確かにその声を聴いた、と緑間響子の幻影に戦慄した。
この屋敷は、緑間響子の怨念に囚われている。













今吉探偵と伊月助手と悪魔の指先。後編。












相変わらず雨が強くなったり弱くなったりを繰り返す今朝の朝食に、詩音はいなかった。
「詩音さまは朝食を一人で採られます。」
こっそりと教えてくれたのは緑川だ。
「芸術家は誰しも厳しい規則を自分に強いるけれど、彼は異様ですね。」
盛田はパンを千切りながら苦笑気味に笑った。
「あ、知ってますよ。俺。」
高尾は行儀悪く身を乗り出し、肘を突くな行儀が悪いのだよ、と手厳しく指摘をされながらも。
「なんですっけ?日に三回はシャワーを浴びる、寝る前にバーボンロックで二杯、ドレッシングは振ってから使う。あと何でしたっけ。」
「部屋から出るときは右足かららしいが?」
「そーそ!真ちゃんか!ってくらいにゲン担ぎもすんだよね。真ちゃんやめて今日のラッキーアイテムちょう物騒。」
「ハンマーだっけ。確かに物騒。」
緑間がゲン担ぎによく使う、朝のラジオ番組最後の星座占い。運勢補正のラッキーアイテムが入手困難だったり平気で持ち歩けないものだったり、いっそ物理的に持ち歩けないものだったりすることも多い。事実、昨日はグランドピアノだったそうだ。空気を読んでいるのか読んでいないのかも悩みどころである。
「そういえば、無線って繋がるんです?」
高尾の声に、試してみましたが、と緑川は言い淀む。
「こんな天気やもんなぁ・・・。」
言葉少なにダイニングは一人分の食事を残し、皆は部屋を出た。
「緑間クンと高尾クンはちょぉおいで。」
呼ばれた二人は顔を見合わせたが、きゅっと視線を真っ直ぐに今吉にやると静かに頷いた。今吉の部屋に四人は集まって、ほなお仕事や、と伊月が昨夜のうちに作業を終わらせた屋敷の見取り図を翻した。
「ここがダイニング、海部さんの部屋、ここに盛田さん、詩音さん、と並びます。階段を上がって、紺野さん、緑間先生、階段の脇に緑川さんですね。」
「二人を呼んだんは、ワシの中で犯人の条件から遠いさかいや。」
「あ、よかったー。」
いや犯人自ら依頼持って来るとかないやろ、と今吉は笑ったが。
「外部犯の線は消えとらん。なんでかゆうたら、あれは時間差トリックやからや。」
「時間差トリック?でも検死・・・ですっけ?伊月さんしたじゃないっすか。」
「うん、死んだ時間だけね。眠らされてるならわかんない、解剖でもしてみないと。」
それは流石に設備が無いと無理、と伊月はあっさり寄越した。
「蓄音器が音鳴らしたやろ?多分共鳴振動使うたんちゃうかと、ワシは思うとる。」
「共鳴振動・・・。」
「音と音で物が振動するのだよ。なるほど、海部さんを眠らせ、首元にナイフを固定、そして本棚の上に花瓶を置いて、その花瓶を共鳴振動で落とす。ポルターガイストの原因の一つとも言われているのだよ。」
「流石緑間、頭の回転が速い。」
「ん?でもよー・・・。」
高尾は見取り図を見下ろしながら、頭の後ろで組んでいた手を解く。海部さんを殺したのが単独じゃなくて複数だったらアリバイもへったくれもないっすよね、と様々なシミュレートをしながら指先を紙上に滑らせる。そういえば地下の見取り図は、こっちです、アリバイ成立と見なすなら犯行可能は緑間統のみ、と様々な可能性を出しては潰していく。
「それにしちゃ、なんか・・・。」
「そう、それや。多分高尾クンはワシと同じこと考えとる。せやからまず・・・。」
瞬間の悲鳴に、弾かれたように四人は顔を上げ、緑間が先頭を切った。ダンスホールを通って、玄関前、そしてダイニングに続く扉の前で、胸元を真っ赤にした緑川が蹲っていた。
「どうしました!」
怯える彼女はダイニング内を指差し、怪我はありませんか、と問うた伊月には首を振る。
口から血反吐を吐き、倒れた男は、詩音晴太だった。ぶるぶると痙攣を繰り返していた体は、呆気なく最期を迎えてしまった。
「青酸、ですね。」
ドレッシングの掛かったサラダからは微かなアーモンド臭があり、青酸中毒という死因が手帳に書き込まれた。
「月ちゃん。」
「はい、翔一さん。」
かぱりと取り外されたドレッシングの蓋の内側には、何かが貼り付けられてあった痕跡が見つかった。短時間で現場検証を終えて、詩音の遺体は詩音の部屋のベッドに安置し、カーペットに染みついた血の跡を拭き取って、くそ、と今吉は呻いた。
「このドレッシングは?」
「あ、あの・・・!」
「俺、ちゃんと覚えてますよ。それ、今朝俺も使いました。緑間先生、盛田さん、高尾、緑間、俺、翔一さんの順で使ってます。皆、使いました。」
みんな、と伊月は繰り返し、指先を口元にやった。
「これ、分離しませんから、誰も振らなかったんですよ。唯一、詩音さんだけが、ドレッシングを振ってから使う習慣のあった詩音さんだけが、殺せるように、こんな風に仕掛けたんです。」
「折角や、海部さんの部屋も見とかんか。」
「あ、はい。」
そうして入った部屋は随分気温が低い中、ざっと破片を取り払い、やっぱりか、と今吉は思った。
「無い、ですね。」
「無い・・・?」
「緑間、この灰皿割っても平気?」
普通にその辺りで売られているような、硝子製の灰皿だ。安物ですし、と緑間が頷けば、パン、と鋭い音でその灰皿は砕かれた。叩きつけるというより、そのまま手の中から滑らせて綺麗に床とぶつかり合って粉々になった。
「これ見て。」
「あ、やっぱり。」
そう頷く高尾の隣で、緑間は硝子がぶつけられた衝撃で凹んだ床板を見せられた。
「これが、無いの。で、海部さんは破片に埋もれて死んでたけど、あんな場所に刺されていたにも関わらず、破片に血飛沫は飛んでいなかった。」
「そういうこっちゃ。判るか。さっきのトリックは。」
今吉は蓄音器のスイッチを押した。ターンテーブルが周り出し、針の付いたアームをセット。スピーカーから悪魔のトリルが紡がれる。昨夜、大音量で館内に流されたそれだったが、途中でガリガリと音が乱れた。
「これやな。誰が殺したか、はまあ置いといて、トリックはこれや。あんな音したら誰でもびびるわな。」
かちりとテーブルの回転を止めて、アームを持ち上げると、そのまま部屋を出た。
「あのぉ・・・。」
「あ、着替えたん?帰ったらお巡りに提出するから、服は洗濯せんと袋かなんか入れとき。で、状況説明貰えるやろか?」
「あ、はい。」
そのために来ました、と緑川は頭を下げる。食後の珈琲を用意した所で、苦しむ詩音に胸倉を掴まれ、吐血を浴びた、ということだ。
「まさか・・・。」
詩音さんまで、と彼女はちいさく嘆き、顔を伏せた。
その後、昼食の支度に緑川は厨房に入り、四人は今吉の部屋に戻った。
「ある程度の正解は見えてるんだけどね。」
はあっ、と伊月は肩を竦め、部屋から緑色のファイルを持ってきた。
「緑間響子さんの死因を知っている?」
「いいえ。」
愕然といった様子で応えた緑間に、伊月は眉を下げて笑った。
「お前たちにとっては辛い話になる。でも、聞いておく義務がある。」
「・・・はい。」
高尾も重重しく頷き、その様子を見届けて伊月はファイルを開いた。
「緑間響子。享年二四歳。死因はおそらく頸動脈切断による失血死。」
「おそらく・・・?」
「ここに来る前に花宮さんたちがある程度の調査をしてくれていてね。先月、日本海の海岸で白骨した遺体が引き揚げられた。歯型鑑定から、緑間響子本人のものと断定。首の骨、第四頸椎の一部に傷があったことから、死因は特定された。近所の一軒家から彼女本人と思われる目撃情報もある。家の名義は紺野真琴だった。」
「こ、紺野さん・・・?」
「まだ続けるよ。彼女は両手の指を失ったことから、バイオリニスト生命を絶たれた。欧州公演成功の直後だったから当時は騒がれた。これは、四つの偶然が重なったことから起こった悲劇だ。」
「偶然が許されんのは二回までやで。」
「解ってますよ。」
今吉の声に伊月は一度嘆息し、それでも文章は噛み砕いて読み上げられる。
「まず一つ、紺野真琴。彼は『偶然』悪天候の日に響子さんの演奏会をセッティングした。二つ目、海部鈴。彼女は『偶然』スキー旅行に行く際、響子さんから防寒具の一式を借りて返し忘れた。それから三つ目、詩音晴太。『偶然』彼は響子のの車をガス欠寸前まで乗り回した。ついでに言うと、ガソリンメーターは壊れていたらしい。で、四つ目、盛田真由美。彼女はその前日、車にあった無線に『偶然』水を掛けてしまって無線機を壊している。演奏会会場に向けて運転していた車は雪の中で立ち往生し、暖房も切れ、無線も使えず、防寒装備も無いまま緑間響子さんは車の外へ出て、長時間歩き続け、結果、指先に酷い凍傷を負い、切断する羽目になった。大筋はここまで。翔一さんが言ったように、俺も偶然が通用するのは二回までだと思ってる。これは、四人がちょっとした悪戯にと偶然を装った、必然の悪意だ。」
そんな、と緑間の声は色を無くし、すとんと椅子に座り込んだ。こくっと高尾も息を呑み、顔を覆ってしまった緑間の様子にぎゅっと眉根を寄せた。
「・・・れは、聞いて、いたのだよ・・・。」
震える声音の独白は、ファイルには無いものだった。伊月は書類の備考欄に万年筆を走らせる。
「俺は、大叔父さんに、統先生に、聞いていたのだよ。ストラディバリウスを誰に譲るか。俺はピアノを習っている身分だったから大叔父さんも・・・幸せそうに弟子を自慢してくれていたのだよ。俺は聞いた。誰に譲るのか。もう三年ほど前から、大叔父さんは心臓を患っていて・・・だから・・・。」
「真ちゃん・・・。」
「大叔父さんは、少しだけ笑って、何も言わずに、悪魔のトリルを弾いたのだよ・・・。悪魔のトリルは・・・響子さんの、最も得意とする曲目・・・だ!」
「それ、まさか、他の、キセキのクインテットが偶然聞いたとしたら・・・。」
「かも、ね。」
かつん、と万年筆の動きを止めて、伊月は見取り図に、殺された人物の名前の前に印を付けながら、ペン先を操った。
「だとしたら、これは仲間同士の口止めの殺し合いか、それとも。」
バン、と窓を叩いた雷鳴に、伊月は肩を竦めて今吉に頭を撫ぜられた。
昼食時、盛田の姿が無い事に胸騒ぎを覚えたのは今吉だけでなかった。緑間と高尾をこちらに引き入れたのは、一番の理由に、犯人に成り得ない、という根拠があったからだ。この屋敷に呼ばれた面子はあくまで、緑間統氏の所有するストラディバリウスの譲渡を受ける権利を持つ者だ。しかし、緑間はピアニスト、高尾はバイオリニストの末席だが、音楽はあくまで趣味だと言って憚らないので、犯人枠から除外したのだ。ナチュラルボーンキラーならば解らないが、そんな存在が今吉の目の前を無事でうろうろ出来る訳がない。
「盛田さん、入りますよ?」
緑川が持ってきた鍵で扉を開けると、盛田は手に注射器を持ち、窓際で事切れている姿で彼らを出迎えた。その腰脇には、一枚の紙が落ちていた。
《緑間響子の怨念の元、私が二人を殺しました。盛田真由美》
そう、タイプライターで打たれたメッセージを遺して。テーブルの上には確かに小型のタイプライターがあって、万年筆も転がっていた。
「やられた!」
今吉はくしゃりと前髪を握り潰し、その遺書が書かれた紙を見下ろす。
「え、嘘。盛田さんが全部・・・?」
「ちゃう!せやったら何で万年筆があんねん!何でタイプライター使うた遺書や!筆跡鑑定から逃れるためや!」
がりがりと頭を掻き毟り、伊月は部屋から鞄を下げて戻ってくると、注射器の中に僅かに残った薬品を紙に垂らした。
「青酸ですね。同一犯とみていいでしょう。服の上から注射してます。自分で注射するなら袖くらい捲るでしょう。余程取り乱してない限りは他殺です。」
道具は丁寧に仕舞いこまれて鞄を閉めて、伊月は立ち上がる。
「現場保存です。このまま部屋は施錠しておきましょう。」
「あ、はいっ!」
鍵が落とされたのを見届けて、考え込んでいた今吉が顔を上げた。
「下の大浴場使うてええか。変な汗出たわ。月ちゃん。」
呼び寄せて、こそりと呟かれた内容に、伊月は頷いて、そのまま今吉は地下浴場に続く階段を下りた。不安そうな面々には、ダイニングに固まっとき、と言い置いて、彼は浴場に入ると脱衣場で足袋を脱ぎ、一つのシャワーの栓を捻った。水が徐々に温まり、浴場を暖めていく。地下にあるという性質上、実に温まりにくい空間だが、一度温まれば長い時間暖かく使える。しかしその暖める暇が厳しいのか、広い湯船には今回誰も浸かっていないらしく、シャワーも幾つかは錆が手に付いた。
「さて。」
脱衣場に戻り、棚や籠を漁ったが目ぼしい発見は無い。硝子扉を滑らせ、頭上のダクトの位置を確認して、ちくりと足元の刺激で、瞬間、しまったと気を抜いていた自分を見せつけられた。くらりと視界が傾ぐ。
「翔一さん!」
しゅっと空気を裂いた投擲で、ハブの首はメスで落とされた。
「月ちゃん、あった、か。」
「ありました!血清打ちますから。」
ハブの毒が齎す末端の痺れに今吉はそのまま壁際に座り込み、腕を差しだし、伊月は適切に処置をして、シャワーの湯を止めた。
「ちょ、いまよっさ、っていうか蛇!!」
「ハブなのだよ!」
近付くな、と高尾を制した緑間に、伊月はそのタイルに転がっていたメスでハブの頭部を突き刺して掲げた。今度は違う意味で悲鳴が上がった。
「ななっ、な、なんなのだよ!?」
「ひょ、っとして、噛まれ、たり・・・?」
「うっかりやったわ。」
脱衣場で包帯の上から足袋を履かされた今吉は袴が水浸しだ。伊月が学生服を羽織らせて、真っ青な顔色に手を当てる。
「いやー、月ちゃんおって助かったわ。持つべきは使える助手やんなぁ。」
「冗談言ってる場合ですか。報告行きますよ。」
「せやな。」
「伊月さん、ハブの血清まで持ってたんすか・・・。」
準備万端っすね、と溜息交じりに高尾が感嘆したのに、今吉はにんまりと口の端を吊り上げた。
「準備が万端なんは、探偵だけちゃうで。」
「え。」
「事件現場に置いて、準備が万端なんは、探偵やなかったら、それは犯人だけや。」
そうやって笑った今吉の顔色は、時間経過とともに徐々に戻っていき、夕飯前のダイニングに緑間統、緑間真太郎、高尾和成、緑川みつるを集めた。
「月ちゃん」
「はい、こっちです。」
がらがらと運ばれてきたカートには、大量のキューブアイスとドレッシングの瓶が乗っていた。
「さて、問題や。トランプをワンセット。そこから一〇枚引っこ抜いて、その中に黒がある確率はどんだけや?」
「は・・・?」
ええ、と高尾は指を動かしたが、馬鹿め、と緑間に小突かれた。
「何が言いたいんですか。そんな確率はほぼ100%なのだ・・・よ。」
「・・・真ちゃん?」
言い淀んでそのまま口元を抑えた緑間は、そういう事か、とドレッシングのキャップを開けて回った。
「見ろ。」
「え、うわ。」
数にして一〇種類二〇本近く。全ての中蓋の裏に、オブラートで張り付けられた粉末があった。
「触るなよ、手に付いたの気付かずに舐めたとか大惨事だからな。念のために手ぇ洗っておいで。」
苦笑気味に伊月は蓋を閉めて回り、さて、と今吉に向き直った。
「詩音さんはこれでやられた。あのひとはめっちゃ拘り強かったなぁ。ドレッシングは振ってから使うたり、日に三回はシャワー浴びたり、寝酒が洋酒のロック、やっけ?」
「はい、氷もこれ、青酸入りですよ。冬場で幸いしました、氷を使う機会なんてあんまり無いですからね。ただ一人、詩音さんを除いて。これは一つの自動殺人ですよ。犯人が何をしなくても殺害出来る。この屋敷に、いなくたって。」
ギシリ、重々しくダイニングの扉が開いた。
「紺野、さん・・・?」
「お、遅く、なりました・・・。崖崩れも電話線も、駐在所に報告してきて・・・。」
「食料は?」
え、と泥だらけ水浸しの紺野は、スーツもシャツもネクタイもバイオリンケースからも水を滴らせ、今吉の冷たい声音に肩を跳ねた。
「あ、いや、だから・・・。」
「まず、時系列で行こか。最初の海部さん。刺し殺し、その際にはちゃあんと窓の外で靴脱いでな。体温が無くならんギリギリの時間計って、あのレコードをセット。物が割れる音と同時に殺されたと思うたけんど、あれは殺してから、そうや、破片を巻いて、共鳴振動トリックに見せかけて殺した。せやから音の直後に中庭を見ても誰もおらんかった。間違うとる?紺野さん。」
「僕ではありません・・・!」
「どないしたん?誰も死んでへんやろ?紺野さんはおらんかったんやから。殺された、言われてもなんでやねーん、でお終いの筈や。なにゆうてんねんこのキチガイ、が正しい返答や。自分やない、ゆうんはな。」
ゆらりと立ち上がった今吉に、気圧されるように紺野はじさった。
「犯人の言葉や!」
そう突き付けられた言葉に、チェアに崩れたのは緑間統だった。
「紺野君・・・。」
「なん、何のことだか、ねえ、先生?」
「まず、さっきゆうた通り、海部さん殺害。詩音さんは勝手に死ぬ。99%以上の確率で死ぬように仕向けられとったからな。で、盛田さんには窓の外から声でも掛けたんちゃうの、玄関が開かへん、入れてくれ、とでも。窓際に少し雨が降り込んどってな、ほんで偽装の遺書を滑り込ませて青酸注射して、どうや?」
ほんで何食わぬ顔で今ここに到着、ゆう寸法やな、と今吉は畳み掛けると、椅子の背凭れに体を預けた。
「こ、紺野君、どうし・・・。」
「しょ、証拠は!」
尚も言い募る紺野に今度は伊月の冷たい目が向けられた。
「高尾は。」
「え、俺っすか!?」
「ここに来る時、車と玄関先の短い距離だったのに、小雨の中、何重にもバイオリンケースをビニールで包んでた。あなたはどうですか。」
ほたん、と彼の持つバイオリンケースからは、言われたことを証明するかのように水滴が零れ落ちた。
「多分、この近所の山小屋か何かを使ったんでしょう?その距離を身軽に移動するためだ。」
その手からバイオリンケースを奪い、伊月は実に舐めらかな動作で振り上げて。
「い、伊月さんストップ!!」
高尾の声に止まることも無く、床板にケースを叩きつけた。幾度か床に跳ねて留め具を潰されたケースは、静かに蓋を開けた。
「・・・バイオリンは、どこに忘れてきましたか?」
にっこりと、言い含めるように伊月は笑う。
「ゆ・・・。」
ゆるせなかった、と紺野が言葉を弱弱しく紡いだ。
「去年の演奏会・・・スケジュールを組んだのは間違いなく僕だ・・・。それを、つ、伝えた、時の・・・あいつらの、表情が・・・!」
カラン、と床に落とされた軽い音に振り返った。
先ほど、珈琲の用意に、と席を立った緑川が呆然と、その場で包丁を取り落して突っ立っていた。
「みつるさん!?」
「大丈夫、調べはついてる。紺野さんは。」
「響子と僕は・・・愛し合って、いた・・・。」
突然の告白に、緑川は肩を震わせ、顔を覆った。
「響子は、指を失くしてから、心を病んだ・・・。」
緑間は紺野を椅子に座らせ、話を促す。
「海の見える場所が良い、と響子が言ったから・・・僕はあの家を買って・・・僕の仕事も終わったら、一緒に住もうと・・・。」
静かな慟哭に、彼は語った。一年前の事件からの話を。
「ある日、尋ねたら、響子は自分の首を裂いて死んでいた・・・。遺書は、僕たちの裏切りと、怒りと悲しみで満ちていて・・・先生のストラディバリウスは誰にも渡したくない、死を持って知らしめる、と。」
これですね、と伊月が差し出した、『脅迫文』に紺野は頷いた。何枚にも綴られた遺書の最後の一文が、この事件の発端として送られて来た訳だ。
「キセキのクインテットは、日本の全国から世界の各地で成功を収めて来ました・・・。それに比例するように、ソロ活動も増え、結果、不協和音を生み出してしまった・・・。私の失敗です・・・。」
緑間統の懺悔で紺野は崩れ、外聞も憚らず声を上げて泣き、緑間は眉を寄せた。
「あなたたちの罪はどこにあるのだよ・・・!」
「どこにも。無意識の罪、少しの嫉妬は悪意のタネんなって、そのまま育ってしもうた。そんだけや。」
「少しの悪意を重ねた偶然だって、少し痛い目を見ればいいって思っただけだよ、きっと。」
床に落ちていた包丁を伊月は拾い上げ、静かにテーブルに置いた。
「俺たちを巻き込んで事件を起こそうっていうのも、計画的だ。翔一さんも言ったでしょう、準備万端なのは探偵じゃなければ犯人だって。俺たちは急な客だった筈だよ。それなのに一度も食料が途切れることも無かった。紺野真琴さん、これは計画殺人です。重い、ですよ。」
その罪は、と静かに引かれた惨劇の幕に、三日後、地元の警察や救急隊の到着で各自身柄を確保され、保護され、帝都に返ってきた。
「月ちゃん、生きてるー?」
「死んでます・・・。」
「生きてるやん。」
そうして帰ってきた伊月は無断欠席のツケが回ってきて、日々をレポートやら部活のシゴキに忙殺されている。
「はい、紺野の家から海部、詩音、盛田への通話記録。」
「ああ、それですか・・・。」
報告書に走らせる万年筆は、若干筆跡がよれている。検査の名目で一日入院した今吉は、花宮を見舞うことで精神的に回復してきたらしい。全く妖怪とは不思議な生き物だ、と思えば考えを読んだかに首筋をそろっと撫ぜられた。
「っぎゃ!」
「もうちょい色気のある声出さんかい。」
「理不尽!!」
纏め終わった報告書に伊月は息を吐き、ファイリングが終わると茶葉を蒸し終えたポットから紅茶を自分のカップに注ぐ。
「翔一さんの被害届、出します?」
「ええよええよ。普通はハブなんておると思わんし、都合良く血清を持ってることもそうそうあらへん。」
「左様ですか。」
ソファの背凭れに沈んだ伊月の目元に影が下りたと思えば、向かい合うように座った今吉の腕が真っ直ぐに伸びてきて、長方形の紙を二枚差し出していた。
「あ、緑間みつるさんのコンサート!」
緑間みつる。緑間統の養子として緑間一門に入った少女。元の名前は西条みつる。緑川みつるの名前で翡壮館のメイドをしていた彼女である。
「ほんっま、この天然タラシが。」
「人聞きの悪い。彼女は初日に全部話してくれましたよ。自分は緑間響子の異母妹だって。安物のバイオリンは夜中にこっそり練習してたみたいですね。安物と言っても死んだ母親が家を担保に買ってくれたものだそうですが。」
「それが一気に緑間音楽学校のお嬢さんやからなぁ。」
世の中何が起こるか解らんで、と白々しい溜息に、じとっと伊月の目元が眇められた。
「いやに突っかかりますね。」
「べーつーにー。」
「ガキじゃあるまいし。」
はあ、と肩を竦めた伊月は中腰まで立ち上がって、眼鏡の蔓を摘まんで引き抜く。
「ちょ。」
輪郭がぼやけた影がぽすんと隣に座り、片膝をソファに乗り上げ、そのまま今吉のくちびるを掠め取ると、そのまま元の席に座って、今吉の手を引っ張るとその手のひらに眼鏡を突き返した。
「こんのっ、天然タラシ!」
「誑されるほうが悪いんですよ。」
ふん、と拗ねるように視線を背けた伊月の耳元はじわじわと赤く染まって、引かない熱に、彼は立ち上がるとすっかり背を向けてしまった。
「一九時開演でしょう。急ぎますよ、翔一さん。」
ハンガーに掛かった今吉のトンビを投げるように渡し、伊月は自分のインバネスコートを取りに事務室へ向かう。摺り硝子に頭を預けてそのままずるずると座り込んでいく様子に今吉はうっかり噴出して、今笑ったでしょう、と喚かれた。
「あ、遅いですよーいまよっさん、伊月さん!」
「お前は煩いのだよ、高尾。」
「緑間、ここでタキシードは目立つ・・・。」
緑間音楽学校の敷地の一角には一般立ち入り区域として音楽ホールがある。ここの生徒ならば出発点の一つとして、誰しも立ちたい舞台だ。
「俺はそろそろ準備に向かうのだよ。」
「うん、頑張って。」
「ヘマすんなよ、真ちゃん。」
「馬鹿め。」
ふん、と鼻であしらって、これみつるさんに、という伊月の花束を受け取って彼は控室に向かった。交換に預かった手紙は、綺麗な文字で伊月俊様と宛名があり、中身は今回の事件に関する侘びと礼、そして拙く恋を告げられた。
「ありゃま。伊月さん相変わらずー。」
「煩いよ高尾・・・。」
こりゃ花束とか気を持たせちゃいかんっしょ、と茶化した高尾は、持ち前の視野を後悔した。案外舞台からは見えるもんやで、と今吉は後々こっそりと笑って伊月に殴られた。その舞台が奏でた悪魔のトリルは美しくも儚い、翡壮館の雨の夜に聞いた、その音にそっくりだった。
「ね、高尾。」
「なんすかー?」
「今も人生は面白くないかい?」
小切手を預かってきた高尾だが、今吉は生憎病院へ花宮をからかいに、訂正。見舞に行っていた。
「えーと・・・。」
「昔昔、神童と呼ばれた少年が居りました。何をさせても人並み以上に出来てしまうことから、周囲は囃したてたのです。彼は何でも出来ました。勉強、籠球、音楽、そして思ったのです。人生はなんと簡単で面白くない事か。」
「ぎゃあああああ俺の黒歴史なんでえええええええええええ!!!!」
「まだ俺がここに来る前、翔一さんに相談しに来てた。違う?相談内容も相談者の顔も、俺は知れる限り知ってるよ。」
「うえぇ・・・。」
あのひとに守秘義務ってねぇのかよぉ、なんて呻いてテーブルにすっかり突っ伏した高尾に、おかしそうに伊月は笑った。
「だって、緑間に会う前は、本気でマジ、そう思ってたしー。」
「だろうね。でも高尾は、あらゆる事が出来たくせに、どこにも名前を残していないんだ。」
「だって俺、一番には絶対なれなかったっすから。」
ふうん、と伊月は甘ったるい紅茶を含んだ。
「今でも?」
「いいえ?今は緑間真太郎をどっかの分野で追い抜くのが目下の目標なんで。」
「そうか。」
その場を広く観れる視野から、彼は現状に絶望し、向上を望まなくなった。しかし、緑間真太郎をその視界に入れた瞬間、その思想は一転した。なんとかしてこいつを追い抜きたい、こいつに勝ちたい、そう願うようになって、無心に、子供のように走り出した。
楽しいと、再び思えるようになった。
「そういえば、緑間音楽学校、今年度で閉めちゃうらしいね。」
「あーはい。師匠と弟子とか閉鎖的だって叩かれて、過去の栄光もどっか風前の灯火って感じ?まあ、音楽なんて誰でもどうやってでも楽しんで磨いていけますし。」
緑間統門下がなくなる訳じゃないっすからね、と高尾はいつものように場を茶化す笑みではなく、そっと、柔らかな笑みを零して語った。
「高尾の理想は高尾山くらい高い!キタコレ!」
「強引すぎやしませんかね?」
「月ちゃーん、帰ったでー。」
「はぁい!翔一さん、お金が高尾に運ばれて来てますよー。」
「ちょっ、俺オマケ!?」


今吉探偵事務所、本日も通常業務で運営中。
失せ物探しに人生相談、何でもお気軽にお越しください。

***

続き待機&バイオリニスト高尾に賛同あざっす!!高尾描きやすいわ困ったわwwwというわけで後編です。あと緑間語難しかったのだよ★毎度閲覧評価ブクマコメタグ弄りなんかもおおきにさんです!!実は冬インテ日月で申し込んだんですけど(いい加減ジャンル流浪を止めなさいw)多分今吉探偵と伊月助手、コピ漫画本出ますwww(ここで宣伝とかwwwあ、高尾が昔、今吉の事務所に相談に来たっていうのは愛すべき平穏参照とのことで。それではやたけたミステリ、後編へどうぞ!

2012年11月09日 22:19初出。

バイオリニスト高尾、いいと思います・・・。

201211114masai