その脅迫文は、弱い筆圧で、それでも歪むことなく、丁寧に一文を刻んだ。
《死をもって知らしめる。》
たった一文が書かれた便箋に、なんだか伊月は首を傾げるのであった。












今吉探偵と伊月助手と悪魔の指先。前篇。












「緑間響子って知ってます?」
ストーブがしゅうしゅうと音を立て、ケトルに入れられた水を沸かしていく。珈琲を啜りながら、一枚の便箋を翻した青年、高尾和成はにひっと悪戯気に猫のような目元を細めた。
「あれやん、音楽界のキセキの世代の一人?一年ほど姿見とらんけど。」
「さぁっすがいまよっさん。」
シュークリームをくしゃくしゃ頬張りながら、高尾はそのままくるりと指先を回す。
「立場的には俺の姉弟子になんのかな。真ちゃんのはとこさんかなんからしいの。俺も何回か音合わせしてもらったことあるの。真ちゃんピアノでね、トリオっての?」
「キセキは多芸やのぉ。」
緑間真太郎、籠球世界のキセキの世代ナンバーワンシューター。緑間総合病院医院長の嫡男であり、緑間音楽学校学長、緑間統を大叔父に持つ、ピアニストでもある。高尾和成は籠球という競技に置いて緑間真太郎の相棒でもあり、浅く広い趣味の中に、バイオリンという特技も持っていた。趣味程度と本人は言うが、緑間統の指導下ピアノを叩ける緑間真太郎とのジャズセッションは趣味程度の腕前では到底無理だ。
「響子さんの十八番は『悪魔のトリル』。天使が奏でる悪魔のトリルってな洒落が効いてたもんですよー。」
「あ、それ知ってる。姉さんと聞きに行った。なんか凄かった。」
「月ちゃん、音楽に造詣あったっけ?」
「一般知識程度ですね。楽譜は読めます。」
ほお、と今吉は顎を摩り、高尾に目をやる。
「で、その響子さん、実はもう一年前に行方晦ましてて、半年前に死亡届が出てるのに、これが届いたタイミングで判明したんですよね。ちょっと面白くないっすか?」
「別に?」
「えー、いまよっさん乗りわっりぃー。」
ぶーぶーとブーイングに忙しい高尾に伊月は眉尻を下げて笑った。
「あのね、緑間響子さんは、一年前に事故で指を無くして音楽業界から去った、ってある程度の調べはついてるの。この手紙もそうだね、拝み描きっていうんだけど。」
こうやってね、と伊月は胸ポケットにあった万年筆を拝むように合わせた手のひらで挟んだ。
「へえ?」
「元は指が無かったり指が不自由な画家なんかが使った技法でね、この状態で文字を書いたんだよ、これ。筆圧強くないし。あと、この一文と署名だけなのに、便箋の端と端しか使ってないのは違和感だ。これに続く文章が、他の便箋にあって、誰かしらがこの一枚を送りつけてきた、が正しいんじゃないかな。死人に口なしって言うしね。」
「月ちゃん喋りすぎ。」
「はーい。あ、高尾、プリン食べる?」
「ちょ、それワシのやん。」
「いいじゃないですか、翔一さん。プリン一つで済むと思えば。」
「さりげなく俺を邪魔者扱いしないで下さいよー。もー、緑間門下、まじ雰囲気悪いんですって、これが届いてから。統先生もそろそろストラディバリウスを弟子に譲り渡すとかでお呼び掛かるし。俺ちょう末席なのにちょう居心地悪いの!」
「それは大変だな。」
伊月はその空になったカップに新しく珈琲を注いでやって、にまっと笑った彼に、なんだか嫌な予感がした。
「・・・もしかしてさぁ・・・。」
「伊月さんのそういう察しの良いところ、俺は大好きですよ。」
にまにまと笑った彼は、そうして今吉に向き直り。
「っちゅーわけで、翡壮館でお弟子に火花散る、真ちゃんの命運はどっちだスペシャル、二名様ご案内よろしくでっす☆」
真ちゃんたっての希望なんだけど、あいつが素直に頭下げるわけねーべ、と白々しく珈琲を含んでいる高尾に、今吉も伊月も、酷く脱力してしまった。
「相談料は緑間音楽学校からちゃんと出ますって。けど、響子さんの例があるんで、何か問題の発生に応じて、って感じっすかね。これ、音楽界キセキの一人、紺野真琴さん代筆、緑間統先生からの正式な依頼状です。」
月ちゃぁん、とデスクに突っ伏したい今吉は助手を呼び、呼ばれた助手は事務室の扉へ向かった。ばさばさがたがたと色々とひっくり返している音が止んだと思ったら、よれよれになってまた相談室に戻ってきた。
「花宮さんのデスクどうなってんですかあれまじで。」
「トラップもひとの嫌がることもワシ仕込みやから許したって・・・。」
一月前から入院している彼のデスクからは、やっぱり必要な資料があった。どんな基準で選別しているかは知らないが、何かあれば即座に対応できる程度に彼のデスクにはあらゆる資料が入っている。
「紺野真琴、ありました。音楽界キセキの一人。主に雑用担当というか、お弟子さんなのにマネジメントが中心ですね。」
「翡壮館は?」
「緑間家の所有する別荘の一つですね。名義人は緑間統氏です。高尾、予定の日は?お前が行けるってことは、日曜か。あ、今週末って秀徳の練習休みだったな。」
「さっすが伊月さんも情報早い!」
「此間の課外講義で宮地さんと一緒になってね。今週末なら、俺も行けますよ。」
きーまりっ、と手を打ったのは、今吉でも伊月でもなく、高尾だった。
音楽界、キセキの世代。キセキの世代、という名称を最初に使い出したのは誰だか、それは定かでは無いが、最初に名称化したのは籠球界での五人だった。それから五人組の、一〇年に一人の逸材が一堂に会した、それを『キセキの世代』という名称で括ったのである。それのカリスマを讃える名称として、将棋、音楽、分野を問わずに様々な全国に存在する。将棋界でもキセキの称号冠する赤司征十郎曰く、頭が高いぞ、との事ではあるが、そんなこんなで浸透しているのは事実である。良い意味でも悪い意味でも使われているのは苦々しい事でもあるが、事実、籠球界でのキセキの世代はヒーロー役でもありヒール役でもあった。
「着きました。」
霧雨の中、紺野の運転で連れられた山奥の建物は、独逸の城を真似た外見の、石造りの建物だった。眼鏡を掛けた、細身の優男という印象の強い紺野は、そのまま急な客、つまりは今吉と伊月の分の食糧を買い出しに行くと言い、また車で山を下りた。何か余分に欲しいのもがあれば連絡を下さい、と車に積まれた無線機を指差して。
しんしんと雨が骨に沁みるほど冷たい中、助手席から降りた高尾はバイオリンケースに何重もレインコートを巻きつけて傘をさして、重厚な扉を開けた。
「真ちゃーん?」
声がよく響くホールには、決して華美ではないがしかし豪奢なシャンデリアが掛かってあって、伊月は今吉から傘を受け取りながら、右手にあった扉を見る。ギィとこちらも重重しく開かれた扉の向こう、目礼をくれた緑色の髪の男がいた。
「伊月さん、傷の経過は如何ですか。」
「もう問題ないよ。」
「下手な傷跡残しよったら告訴も辞さんかったでー。」
中折れ帽を手に遊び、また重たいボストンバックを下げている今吉は、トンビの肩に付いた雫を叩き落としながら笑った。緑間はひくりと頬を引き攣らせたが、こちらへどうぞ、と左手の扉に向かった。
「ま、花宮さんも術後経過良いみたいだし。」
「あれは応急処置が適切だったからだと父に聞いています。」
扉を開けるとそこは広いダンスホールで、玄関で靴や下駄はスリッパに履き替えて、螺旋を描くシャンデリアが下がったダンスホールを取り囲む、広い階段を上らされた。
「天井高いなー・・・。」
緑間が一度も首を傾げたりすることもない広くて天井の高い屋敷。案内された部屋は、高価な花瓶などを調度に、伝統を崩さず、それでもモダンにインテリアされている一〇畳位の洋室だった。広いベッドカバーは上品に落ち着いた翡翠色だった。
「高尾の部屋は俺の部屋の向こうだ。今吉さんはここを、伊月さんはこの隣を使って下さい。」
「おお、おおきに。」
からっ、と窓を上に滑らせ、今吉はダンスホールから外に出ることが出来る中庭を見下ろした。バスとまではいかないが、各部屋にシャワーはあり、狭いが洗面所もトイレもある。
「大浴場は地下にあります。」
「真ちゃんがよく話しかけてるライオンさんにお会いできまっす!」
「うるさいのだよ、高尾。」
「ちょっとしたお茶目なのだよー。」
「真似をするな。もう直ぐ夕食になります。」
高尾の悪乗りをぶった切って、案内しますので、と二人は宛がわれた部屋に荷物と上着を置いて、廊下に出た。
「ストーブってあれ、自由に使って平気?」
「はい、灯油が無くなれば用意します。」
「ちょっ、真ちゃん、俺の部屋ストーブ無かったんだけど!」
「本当か。緑川さんに言っておくのだよ。」
そんな風に話をしながら、広いダンスホールの奥にあるグランドピアノを伊月は見つける。
「今夜の演奏会にでも、弾いて差し上げます。」
「演奏会?あんの?」
「はい、音楽家が揃えば必然的に。」
「つってもあのメンツじゃ息を合わすのは大変なのだよかも?」
「滅多なことを言うな。彼らもプロだ。事実、去年の欧州公演では成功を収めているのだよ。」
「でもそれって響子さんがいたからじゃん?」
「・・・彼女は、惜しい人材だったのだよ。」
響子の名前に緑間の口調が重くなる。はとこという血縁関係だったのだ、当然だろう。緑間だって演奏会では彼女のバイオリンにピアノを合わせた経験だってあるのだ。
「実力以上に人望もあったのだよ。あんなに魂の美しいひとも他にいないだろう。」
享年二四歳、緑間響子はその短い生涯を終えている。
「そっかしら?」
髪を綺麗に短く揃えた女性は、花柄の襟を広げた白い膝丈のワンピースを着て、玄関を過ぎた扉で待っていた。
「海部さん。」
「どーも、鈴さん。」
ちゃきっと高尾は手を掲げ、緑間は客の前で平気で煙草を吹かす女性に眉を寄せた。
「へえ?それがオトモダチ、真太郎くん。」
「海部さんには関係の無い事です。」
良く言えば艶っぽい。悪く言えば下品。そんな所作で彼女は緑間に近付き、今吉と伊月を流し目で見やった。
「こっちがダイニング。私の部屋はその向こうの扉よ。」
「女性が簡単に自室を晒すもんじゃないっすよ。」
飄々とダイニングの扉をあけながら高尾は言い放って、どぞ、と今吉に笑った。バロック彫刻に大きな暖炉、手前に広いテーブルが用意され、メイド服姿の女性がからからと皿を運んできて頭を下げた。
「あ、緑川さーん、ストーブ余分にある?」
「どうかなさいました?高尾さま。」
「部屋にストーブ無いのよ。流石に厳しい。火傷もアレだけど、凍傷もね。」
直後にぴりっと室内の空気が張り詰め、あ、しつげん、と高尾は頭を掻いた。
「物置?自分で取りに行くし。」
「いいえ、後程お持ちします。」
「重いっしょ。自分で持っていくって。」
恐れ入ります、と緑川と呼ばれたメイドは頭を下げた。緑間の案内で今吉と伊月は席を貰い、ぐるりと席に就いた面々を見やる。
「誰、あんたら。」
今吉の目の前には肩幅のがっしりとした男。詩音さん、と緑間は呼んだ。
「演奏会が見たいとおっしゃったので、折角なのでお呼びした友人です。」
「へえ?真太郎の友達?」
「中学時代の同輩を通じて知り合いました。今吉さんと伊月さんです。」
ほう、と上座に座った白髪の男性が笑った。張り詰めていた空気はいつの間にか消えて、緑川に酒を要求する声や食器が擦れあう音に変わった。詩音晴太。弟子の中では一番経歴が長い。上座の緑間統は、気難しい緑間真太郎を良く知っている、大叔父という立場か、友人という言葉に和やかに笑って、ワインは如何かと今吉に笑った。
「あ、ご相伴預かります。」
掠れた単によれた袴という恰好ではあるが、どこか上品さの漂う仕草で今吉はワイングラスを受け取った。伊月は未成年だという事で断った。
優しい所作でサラダにドレッシングをかけた女性は清楚なロングドレスにボレロを着て、あら上方のかた、とちいさく笑った。
「盛田さん、ドレッシング。」
「はい、高尾くん。」
盛田真由美。弟子歴は浅い、若い女性だが、音感と技術は他者に引けを取らない。籠球仲間なんすよ、と笑った高尾に、それはいいわね、とおっとりと笑って、上品に魚を切り分けた。海鮮サラダに伊月もドレッシングを貰う。
「これで全員です。」
緑間の声に今吉は頷いて、こんがりと焼き目の入った肉にナイフを通す。いちいち様になるので、どこで作法を習ったんだろう、と伊月は首を傾げる。
「あ、みつるちゃん。」
食後の珈琲を配って回ったメイドを詩音が呼び止め、その背後から手を回す。びくりと怯えるように振れた肩に、伊月の眉が寄った。
「ねえ、今夜はみつるちゃんも演奏に参加するかい?」
「あの、仕事がありますので・・・。」
そんな連れない事言わないで、と言い募った詩音は、直後、熱い、と悲鳴を上げた。
「ああ、失礼。珈琲のおかわり貰おうと思って、うっかり手元が。」
しれっと言い放った伊月に、詩音はぎちりと歯噛みし、いい根性してやがる、と低く言い睨んだ。伊月は穏やかに笑み返すと、危ないですよ、と強かに笑った。
「乱暴にされると、うっかり、このポットをぶちまけそうです。」
うっかり、部分に語気を強め、熱い珈琲の入ったポットを片手に、伊月は笑っていない目元で笑った。お見事、と高尾は思わず口笛を吹き、緑間に窘められた。
「相変わらずのフェミニストさんですこと。」
「煩いですよ、翔一さん。ただ珈琲が欲しかっただけです。」
「珈琲党でもないのにおかわりかいな。」
楽しそうに今吉はくつくつと喉を鳴らし、ではホールへどうぞ、と緑川の案内にダンスホールへ向かう。ピアノ椅子に腰かけ、テーピングを外している緑間の会釈を受けて、二人は一度頭を下げてホールに踏み入り、用意された壁際の椅子に座った。ホール中に反響する演奏は、少し歪だ。
「不協和音ちゅーのは一種のスパイスなんやけどなぁ。」
クラシックをジャズアレンジした緑間と高尾の演奏は聞いていても楽しかったが、他の三人はどこか合わない、合わせようと思わない、そんな音色で、伊月も腕を組み合わせた。しかしそんな苦い空気は、高尾と緑間の演奏でかき消され、最後に緑間統の演奏で、鳥肌が立った。最初の音でまず息を呑む。そして引き込まれる。その世界に引きずり込まれる。
「う、わ、ああああ!!」
悲鳴の主は詩音だった。視線をやれば、真っ青な顔でがたがたと震え、そのままダンスホールから逃げ去った。
「え、っと。」
「・・・悪魔のトリル、なのだよ・・・。」
何故このタイミングで、と緑間が呟いた。しかし演奏は途切れず、最後まで続いた。真っ青な顔をしている弟子たちを置いて、静かに静かに、緑間統は頭を下げた。
「やっぱり、ストラディバリは違うわ。」
そう零したのは海部で、深く息を吐くと、ダンスホールの隅のガラスケースに戻された名器をうっとりと眺め、硝子面をなぞった。しなやかなボディラインとあの音に、正直誰もが圧倒された。
「やっぱ名前で変わる訳?」
「単純な演奏ならやっぱり。でも、結局は誰が演奏するかなんで。」
「やっぱり響子さんに継がせたかったんでしょうねぇ、先生・・・。」
盛田は溜息交じりに述べて、でしょうね、と海部は同意する。
「でも、あの子はもういないのよ。死人に口なしって言うじゃない。」
「そうね。貰うのは・・・。」
おい、と若干語気を荒げたのは高尾の声で、緑間はそれをテーピングされた指先で制した。
「お客様もおられるまえで、見苦しいのだよ、姉様方。」
「あら、ごめんなさい、真太郎さん。」
逃げた詩音はそのまま帰ってくることは無く、誰も咎めず、その場は解散になった。
「悪魔のトリルって響子さんの十八番やったアレやんな。」
「ですね。」
ふつっ、と蓄音器が回り出し、レコードの上を走る針から、その曲は紡がれた。音楽学校の学長が持つ別荘らしく、各部屋に蓄音器はある。くるりくるりと小さな音で回される音に、大音量で館内に流れた音で、今吉は顔を上げた。
「うわっ、なにこれ、翔一さん・・・。」
反射で耳を塞いだ伊月は呻くように言って、ガシャン、と何かが割れる音に二人は飛び上がる様に立ち上がった。
「月ちゃん!」
「大丈夫です、行けます!」
突如飛び込んだ音の情報処理に踊らされた三半規管を瞬きひとつで黙らせて、二人は音がした方向を見やった。窓から見えたそこは窓が開いていて、遅くになって雨足を強くした雨によって窓際を荒らし、カーテンが風に嬲られている。
「海部!」
「鈴さん!?」
部屋の前で詩音と盛田が扉を叩いており、ぱたぱたと駆けてきた緑川が鍵を開けた。
「ひっ!?」
扉を開けたそこには、ベッドを足元に、洋書の詰まった本棚に頭を向け、仰向けに、首に飾りナイフが刺さった海部鈴の姿があった。
「月ちゃん。」
呼ばれるまでもなく、海部の体に駆け寄った伊月は口元に手を翳し、死んでます、と冷たい声音で言い放った。
「おい、おま・・・。」
「やだ・・・死んでる・・・。」
「頚動脈切断、失血性ショック死で即死でしょうね。体温から考えてさっき死んだばっかりです。」
首に手を当て脈や体温を確認し、見開かれた目を閉じてやって、手を合わせた伊月の横貌は戦慄っとするほどうつくしかった。雨に降られている窓辺に近寄り、ざあざあと雨風が降り注ぐ中、顔を出したがひとの姿は無い。
「誰・・・!外から!?」
「ちゃうな。」
伊月に手拭いを渡してやって、今吉はそのまま窓を閉める。
「外から来たんやったら、泥の後でも残ってへんとおかしいわ。まあ仮に外から来たとして、それやったら頭濡れてるあんたを。」
詩音の顔を見た今吉は、にぃと口の端を吊り上げて。
「疑うわ。」
そう言って、洗面所から戻った伊月から手拭いを受け取った。
「お、俺はシャワーを浴びたんだ!」
「ええ、確かに音がしていたわ。」
「ほんなら誰が殺した?」
ぺたん、とスリッパを鳴らして、今吉は部屋中を眺めまわした。首にナイフが刺さった海部の遺体があって、その上に様々な陶器の破片が散っている。花瓶や燭台、部屋の調度の一部が粉々に割られ、死体の上に周りに散らばっている。
「なるほど、これが割られた音か。」
「ですね。」
「え、と。」
「なんや、高尾。」
「誰か、入って来たとかじゃ、ないんすか。」
「多分ない。これが証拠や。」
今吉はベッドサイドにしゃがみ込み、そのまま身を屈めると、ベッドの下に手を入れた。
「バイオリンはカネになる。みすみすこれ売っぱらわん手ぇないわ。」
引き摺り出されたのは、使い込まれているが丁寧に手入れされているバイオリンケース。ぱちん、と留め具を外すと、中には綺麗に磨かれた、それでも使い込まれている、演奏会で彼女が扱っていた物に相違無い、バイオリンがきちんと収まっていた。
「じゃあ・・・。」
「っていうか、お前、何者だ!勝手にずかずか入り込むわ、平気で死体触るわ・・・!!」
あれゆうてへんの、と視線を向ける今吉に、必要ないかなと思いまして、と高尾は頭を掻いた。
「ワシら、探偵さんとその助手や。月ちゃん医大生。」
「医大生っていうか、医学部所属ですよ。」
張り詰めた空気に苦笑気味に訂正した伊月は、ベッドから剥したシーツで海部を覆うようにかけた。じんわりと血が滲んだが、そこはもう仕方がない。緑川に箒と塵取りを頼んで、歩き回れる程度に陶器の破片を片した。
「あのっ、電話が繋がりません!」
警察に電話を、と駆けて行った緑川が、悲痛にそう訴えかけて、ダイニングにあった電話を今吉は確認したが、完全に通信手段としての息は途切れていた。確認してきます、と玄関から回って傘をさして伊月は目ぼしい場所を回ったが、電柱に登る途中で綺麗に切断されていた。
「駄目ですね。」
雨に濡れた服を暖炉の前に乾かしながら、各々の状況を整理する。
「俺は・・・シャワーを。」
「さっき聞いた。で、その音は雨とはちゃうかってんな?」
「違っていれば気付きます。天井のパイプがシャワーの度に鳴りますから。」
何分古い造りなもので、とシャワーやトイレを増築した際の弊害だと緑間は語った。
「俺たちはダンスホールにいたぜ?」
「おったな。途中で合流したわ。」
「私は、明日の仕込みに・・・。」
通されたキッチンには、演奏会が終わった後からでないと到底追い付けない量の食材が溢れており、そうやな、と今吉は頷いた。
「月ちゃん、緑川さんのお仕事、最後まで手伝ったって。一人やと危ないわ。ワシは緑間クンと高尾クンと一緒におるさかい。」
「はい。」
明日にでも麓降りて連絡せんか、と早々に皆は部屋に帰らせた。
下手に手伝いをしても邪魔になるだろう、という伊月の判断は正しくて、調理中は使った道具を片付けるに徹した彼は、冷蔵庫に仕舞われていく食材を眺めてから、よく磨かれた包丁を収納に直した。どうして飾りナイフを使ったのだろうか、隣の部屋のこれのほうが切れ味は絶対いいのに、なんて考えて本数を確認して収納を閉じると、背中に軽い衝撃を受けた。ぎゅうっと腹に回された細い腕に、冷え切った手の温度に、安心させるように手を重ねた。
「大丈夫ですよ。ちゃんとお部屋まで送ります。」
背中にしがみ付いた緑川に、伊月は穏やかな声で述べたが、どうやら首は横に振られた。
「悪魔のトリルが、・・・聞こえるんです・・・怖い。」
パっと光った空に、伊月は瞼を下し、細く柔らかな手をそっと握った。ごう、と空が唸った。
「ちょっと、詩音さん!」
その声に、ぱっと緑川は伊月の背中を離れた。
「・・・なに。」
怪訝に眉を寄せた伊月に緑川も着いてくる。良い判断だ、と頷いてやって、その大荷物を抱えた男がずんずんと廊下を進んで扉を開けて玄関に出るのを呼び止める。
「どうする気ですか。」
「帰るんだよ。探偵サンの推理じゃ、外部犯の線は薄いんだろ。」
「・・・ええ、そうです。でも、」
「どこに殺人犯がいるかもしれねぇのに、いれるか!」
ばん、と玄関を開け放ち、真っ暗な、風雨吹き荒れる外へ、詩音は広い背中に大荷物を負い、バイオリンケースは丁寧にビニールで巻いて、レインコートの下に抱えて足を踏み出す。
「翔一さんたち呼んできてください。」
「はいっ!」
折角乾いたのに、と伊月は思いながら、風雨の酷い足元をペンライトで照らし、傘をさす。明日まで待てないのはきっと誰も同じだ、と革靴をぬかるんだ中に踏み出し、詩音の背中を追いかける。
ここまでに続く坂を下りると民家があった筈だ、と舗装されていない道に出ようとして、じりと襟足を駆けた悪寒に立ち止まった。
「あかん、俊、戻り!」
今吉の声に弾かれたように伊月は駆け出し、前を歩く詩音の首根っこをレインコートごと引っ掴んで、投げる勢いで後ろに引っ張り、なんだ、と叫ぶ詩音の腕を引いて走り出した。瞬間の轟音に、耳の奥が痛くなるが、背は腹に変えられない。むしろそういう次元じゃない、とぬかるむ地面を蹴った。
轟音が過ぎ去った後に残ったのは、大きく抉れた崖と埋める泥が道を塞ぐ光景だ。
ひゅうっと不自然に喉が鳴って、詩音はその場に座り込み、走った際に飛んだ傘が泥に埋まってしまったのに、美しい黒髪が頬に張り付くのを伊月は払って、汗だか雨だか判断の難しい、膚を滑るそれを拭って、玄関先まで帰ってくると緑川にタオルを渡されて礼を述べた。
「どうしましょうね、この状況。」
そうして、陸の孤島に彼らは閉じ込められた。
盛田は部屋に籠り、呆然と詩音は荷物を乾かしているのはダイニングの暖炉の前だ。緑間統は部屋に起きていたところ、緑川に状況を説明され、そのまま床に戻ったという。
「なんすかこれ、最悪?」
「海部さんはどう見ても他殺だった。お前ら、自衛手段はあるか?」
「いまよっさんが犯人じゃない限りは。」
「どういう認識やねんそれは!」
珈琲を用意してくれた緑川には休むように伝え、伊月も学生服を暖炉の前で乾かしている。シャツの上に着ていたセーターまでもずぶ濡れだった。
「そのままの意味ですよ、翔一さん。・・・うわ、紅茶ありがたい・・・。」
「月ちゃんも覚悟しときやコラ。」
「いいもの発見しましたよ。」
「物による。」
これです、と伊月がテーブルに置いたのは、焦げた紙片である。
「やっぱりな。」
「俺も流石になんか違和感ありましたもん。自然現象じゃ埋もれてました。」
ふい、と紅茶に息を吹きかけ、表面温度を下げて口に含んだが熱かったのか、赤く舌が出た。
「え、なにそれ。」
笑えねぇんだけど、と流石の高尾も口元が引き攣って、緑間も眼鏡のブリッジを押し上げ、その奥で瞠目している。
「ダイナマイト、やな。あれは崩れたんちゃうで。崩されたんや。どうやら向こうさん、まだ殺る気やで。」
全くアグレッシブなことで、と肩を竦めた今吉に、それ笑えませんからね、と伊月は溜息を吐いた。
「とにかく、一人きりには極力ならない事、なっても大丈夫なように自衛手段。」
「あとはもう、犯人さんに狙われんよう、祈っとくしかあらへんなぁ・・・。」
何の解決にもならない今吉の溜息で、詩音はすっかり意気消沈した様子で部屋に戻され、その後緑間と高尾もしっかり施錠した扉の向こうに就寝させて、夜半も更ける頃、伊月は眠りに落ちる寸前、夢か現か、悪魔のトリルを聞いた。
美しくて、儚い音だった。


続く。

***

今回は学園のほうのお話参照から。そういえば今吉探偵には宿命の敵とかそういうのいないんですよねー。作ろうかなっと思ったけどそれじゃいつ終わりが見えるかわかんないし単発じゃないとこのシリーズはモロ力量関係無理とwwwこのシリーズのスタンスは「続きそうで続かないw」ですwwwそもそも続けようとすらwwwしていないwww元ネタがあっても相変わらずのやたけたミステリよろしくお願いします。バイオリニスト高尾、美味しいと思うんですけどご賛同の方おられましたら挙手お願いしますw■ミスあったので修正しました!すいません!(11/11

2012年11月09日 00:58初出。

高尾くんを一度きちんと描いてみたい・・・!という所から、緑間一族捏造に乗り出しました。他にも絵画とか武芸一般に名前あると思います緑間一族w

20121114masai